【連載②】『アイ・ハヴ・ア・ドリーム』(真実を元にした小説の復刻版)

会社には「2週間の検査入院」と言い、入院した青年の扱いはあまりにもひどいモノでした。

大学病院なんて、どこもこんなものなのでしょうか?

さて、今回はどんなことが待ち受けているのでしょうね。

なお、最終回には「竹内結子」が直接、筆者のために書いた「あとがき」をご披露します。

最終回まで長いですがおつきあいくださいね。

*時代は13年前ですので、内容は今とは古いですが、ご容赦を。

 

[病院の迷路]

そういえば、僕は今朝、どうやってここに来たんだろうか? 冷静に思い出してみることにした。そう、九時四十五分、タクシーに迎えに来てもらった。本当は、朝一番で来るように言われたが、城北大学病院まで来るのに、二週間分の用具の入った、でかいバッグを持って満員電車に乗る気にはなれなかった。バスから電車、また、バスだ。それで、十一時までに入ればいいように変えてもらったんだ。それにしても、こんな荷物を持って「これから新幹線で京都!」というならば楽しいが、病院とは……。

病院の前に着いたときは、不安になった。親父も(昔、病気になったとき)こういう気持ちで病院に通っていたのだろうか? 僕は元気だけど今は病人だ。家族はいるが、いないのに等しい。そういえば「妹分の結子」は元気しているだろうか?離婚して、可哀想に・・・・・・。でもゆっくり元に戻ればいいさ。

「ザ・ウィナー」

もう話すことなどなにもない

今まであなたとたどってきたこと

心は痛むけど

今では過去のこと

もう手はつくしたわ

そしてそれはあなたも同じ

もう言うこともない

もう奥の手もない

 

勝者はすべてを手に入れる

敗者は小さくなっているの

勝利のすぐそばで

それが敗れた者の宿命

 

あなたの腕の中で

私の居場所はここだと思っていた

おかしいとは思わなかった

私を守るフェンス

私を守る家

私が強くいられる場所だと思っていた

でもばかだったわ

世間のルール通りにしていたなんて

 

神様が運命のさいをふる

氷みたいに冷たい心

そしてこちら側には

大事な人を失う者がいる

勝者はすべてを手に入れる

敗者は何もかも失う

それはとても単純なこと

文句なんて言えない

 

でも教えて

彼女のキスは私のキスと違うの?

名前を呼ばれた感じは

私のときとは違うの?

心の底のどこかで

わかっているはず 私の気持ち

でも私は何も言えない

ルールは守るものだから

 

結論は審判が出すのよね

私のようなものは ただ受け入れるだけ

ショーの観客は

いつもひっそりしている

ゲームはまた始まっている

恋人 それとも友達

大事なこと それともささいなこと

勝者はすべてを手に入れる

 

話したくない

それであなたを悲しませるのなら

わかっているわ

さよならを言いにきたって

ごめんなさいね

いやな気分にさせているなら

かたくはりつめて

すっかり自信をなくした私を尻目に

勝者はすべてを手に入れるのよ

 

病人になったとき、何が辛いかと言えばkと、その一つは「自分で何でもしなけばいけない」ことだ。バッグに荷物をつめるときも、タクシー呼ぶのも、なんでも自分でやらなければならなかった。結構しんどかったところを見ると、やはり僕の体力は普通ではないのだろう。すぐ連絡のつく唯一の親族である八歳下の弟・長月ながつきは気楽な男で、事の重大さがわかっていない。タクシーを見送るあの眼は、とても血の通った弟とは思えないほど、適当な感じだった。家族なんて、そんなものなんだろうか?こんな病気をとっとと治して一刻も早く仕事に復帰してやるぞ、とタクシーに乗りながら思っていた。

 

立川駅で中央線に乗り換え、三鷹駅でバスに乗り換え、十時四十分頃、城北大学病院に着いた。

そこはまさに「白い巨塔」だった。城北大学付属病院は、東京以西では一番大きい病院で、一二〇〇も病床数があるらしい。普通の病院にはないような科、例えば、僕がいる「血液内科」とか、「膠原病科」とか「糖尿科」とか「睡眠科」とかがある。病院が大きいのは病床数もさることながら、科の多さのせいでもあるのだろう。ところが、「この科はこっちですよ!」という看板もまともに出ていない。初めての人間は誰も、迷ってしまうだろう。土地がないから、一つ一つ壊しながら、新しく改装しているようだ。昭和と平成の雰囲気が混じりこんだ大学病院だ(2008年当時はちょうど古い病棟を1つ1つ壊して、新しい病棟に立て直している過渡期でした)。

 

バスを降り、そんなことを考えて、病院をまるっと見回した。

僕がこの年齢で入院するなんて、夢にも思っていなかった。バスから降りてくるのは、ほとんど老人ばかりだった。

 

黄色のフードが付いた青いジャンパーに、赤いラガーシャツ、赤系のカットシャツ、赤いTシャツを着て、颯爽と病院に乗り込んだ。赤は僕のマイカラーだ。滅多に縁起はかつがないが「赤で勝負」と思い、赤武装で来たわけだ。

 

外壁は綺麗に塗り直してあるが、中に入ると、まあ、入院病棟の汚いこと。受付で十八番という番号をもらって待った。だいぶ待つようだ。「十万円出さなければ入院できない」と言われたから十万円用意してきたけど、十万円の出費は結構でかい。呼ばれるまで入院受付の待合室で待っていたが、こんなにたくさんの人達が毎日、入院してくるのかと思ったら、唖然とした。

 

二十二歳くらいだろうか?小さくて可愛らしい看護師が僕を迎えに来た。どこをどう通ったかわからないが、2―2C棟というところに着いた。どうやらここが「血液内科」の入院病棟らしい。ボストンバッグに白のリュックサック。結構重い。外来で診てもらった保坂医師から言われたように二週間分しか荷物は持ってきていないというのに、この量だからな。宮前看護師が「一つ持ちましょうか」なんて言ってくれたけど、女性に持たせるわけにはいかない。ホテルのボーイじゃないんだし。

 

2―2C病棟は古びていて、こんなところに二週間もいると思うと、かなり滅入ってきた。そういえば、ここは「55」という名称が正式らしい。湖の夢を見ていて宮前看護師に起こされたのが確か昼前だったから、実際にはあまり寝ていなかったのかもしれない。でも、あの湖での不思議な感覚はなんだったのだろうか?

 

気がついたらいろいろなことがあっという間に襲ってきた。「熱を測りなさい」と言われたから測ったら三十七度。「指を出しなさい」と言われたから人差し指を出したら、洗濯バサミのようなモノに指を挟まれ「酸素飽和度九十八パーセント、OKです」と言われた。そういえば、ドラマ『ER』で頻繁に出てきた「酸素飽和度」とは、血中内の酸素数値のことを言っていたんだな。そのあと、ウトウトして、起こされて、身長・体重測定があって、パジャマに着替えてMDを聴いていたら、ヘルパーさんにつれられて、地下に心電図、レントゲン検査に行ったわけだ。

 

「お待たせしました。お昼ごはんです」

急にカーテンを開けて宮前看護師が入ってきた。

「みんな、もう食べちゃったけど、土生さん、検査があったから、取っておいたんです。ここに置いておくので、終わったら、そのままにしておいてください」

「はあ」

僕はイヤホンをはずし、MDを切り、初めて食べる「病院食」を口にした。

 

やきそば、わかめスープ、柿。完食した。だが、今の僕には何を食べても味がわからない。「味覚障害」でもう二ヵ月間も味がわからないのだ。ただでさえ美味しくないという病院食だが、味がわからないというのは、さらに寂しさを増すだけだった。

 

「あっ、全部食べられましたね。十四時からお風呂ですから、準備しておいてくださいね」

宮前看護師は相変わらず突然入ってくるなあ。まあドアじゃなくカーテンだからノックするわけにもいかないし、仕方ないか。

「十四時に風呂だって? 参ったなあ」

ここに来て三時間くらいしか経っていないのに、何もかも言われたままにこなさなければいけないなんて。これじゃあ、まるで動物園にいる動物達と同じじゃないか!

 

部屋を出て左折すると、女性の部屋が二つある。お婆さんばかりだ。角を右に曲がるとお風呂がある。「一人三十分厳守!」「ナースステーションから『今、入っています』掛け紙を持ってきて、ココにかけておくように」と張り紙がしてある。面倒だが、仕方ない。ナースステーションに戻って、掛け紙を持って、再度、風呂場に行った。そもそも十四時にしかお風呂に入れないなんてどうかしている。

車椅子でも通れるようにドアはでかい。そのドアを開けると脱衣場がある。十月も末のせいか、寒い、しかも真っ暗だ。電気をつけて、服を脱ぎ始めた。「タオルご自由に」と書いてある。顔や体を洗うタオルはどうやら病院のモノを使っていいらしい。三十枚くらい積んである。僕は一応、バスタオル、フェイスタオル、シャンプー、リンスと用意してきたが、確かに、体を洗うタオルは乾くのに時間がかかる。「城北大学」とプリントしてあるフェイスタオルだが借りることにした。

真っ裸になって、いざ、お風呂場に行くと、湯が張ってない。しまった! ここは温泉じゃないんだ。仕方ないから、体を洗いながら、湯を張ることにした。でも寒いなあ。幽霊でも出てきそうだ。シャンプーとリンスは一本しかない。いわゆる「リンスインシャンプー」というやつだ。石鹸は固形ではなく、液体石鹸だった。

「お一人様三十分」なんて、悠長に風呂なんか入っている暇ないな。サッサッサッと髪の毛を洗って、体の泡を流して、湯船にドボン。ホテルにあるようなバスだ。両脇に手すりがある。障害者用なのだろう。体をかなり底に沈めて、なんとか全身入れた。やはり風呂は自分の家の風呂が一番いいな。五分ほど温まって出た。

次の人のためにお湯を全部抜かなければならないと注意書きがある。しかし、お湯が抜けるのはなんとも遅い。仕方ない、着替えておくか。それにしても脱衣場にはどうして髪の毛がたくさん落ちているのだろうか? 気持ち悪くなった。パジャマに着替え終わる頃には、湯が全部抜けたようなので、バスタブにくっついている髪の毛をシャワーで流した。

えっ? もう十四時二十五分。三十分なんて、あっという間だ。電気消して、「今、入っています」の張り紙を持って、ナースステーションのドアにかけておいた。せわしないなあ。

 

ベッドで横たわっていると、主治医の鎌倉先生と宮前看護師が突然入ってきた。それにしても、最初に外来で診てくれた保坂先生は来ないのか? ずいぶん、無責任な爺さんだ。

「土生さん、明日、骨髄こつずい穿せんしますので」

「えっ? 骨髄穿刺ですか? ドラマ『ER』でやっている」

「よくご存じで」

まさか、ドラマでよく聞く骨髄穿刺を僕がやるなんて思ってもみなかった。

「それで、同意書にサインしてほしいんです」

「同意書なんて必要なんですか? だって、注射みたいなものでしょう?」

「いや、施術なので」

「施術ね?」

鎌倉医師は複写式の同意書を僕に渡した。すでに鎌倉先生自身の名前は書いてある。

「今日は検査ばかりだけど、骨髄を検査したら、即、治療でしょう?」

「いえいえ、土生さんは、まずは二週間、経過観察で、二週間してから投薬が始まります」

えっ、あのジジイ(外来の保坂医師)、二週間で退院だって言っていたじゃないか!

「ちょ、ちょっと待ってください。僕は保坂先生から『二週間入院すればいい』と言われたから会社に許可もらって入院したんですよ」

「土生さん、あなたの病気はなんだかわかっていますよね? 二週間で退院できるはずないじゃないですか」

「話が違う。保坂先生のところに行ってきます」

「土生さん、今日、入院したばかりで、慣れていないから動揺しているんですよね?」

「動揺? いやいや、動揺なんてしていない」

「わかりました。今日の夕方か、明日、じっくり話し合いましょう」

「話し合う? おいおい、いったい、どうなっているんだ? 僕は二週間分の着替えとお金しか持ってきてないよ」

「じゃあ、同意書、お願いしますね」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

僕は思わず、鎌倉先生を追いかけようとして、宮前看護師に静止された。

「どうして、止めるの? 話し合うだけじゃない」

「怒っても仕方ないじゃないですか! 冷静に」

「僕は二週間入院すればいいと言われたから、二週間分しか持ってきていないし、会社も二週間後に戻ってくると思っている。ああ、どうしたらいいんだ」

僕がイラついていると、知らない女性が顔を出した。

「今、お取り込み中?」

「大丈夫です」と宮前看護師。

「私は、ここで栄養士をしている、中山と言います。今日は昼ごはん、全部食べられたみたいですね。一般の成人男性のメニューと同じでいいかしら? ずいぶん、お体大きいし」

おいおい、二週間の入院の話をしていたら急に飯のことかよ!

「全部は食べられました。しかし、僕はここ二ヵ月間、何を食べても味がわからないんです」

「あらまあ、そうなの? それは困ったわね。じゃあ、こうしましょう。とりあえず、私、頻繁に来ますから、そのつど、食べにくいものがあったら言ってください。それとも、今だったら、夕飯から変えることできるけど、食べやすいように一口サイズにしますか?」

「はあ?」

「見た目は悪いけど、味は一緒だから。あっ、ごめんなさい。味、わからなかったのね」

おいおい、軽いイジメかよ。この病院はどうなっているんだ。

「じゃあ、そうしましょう。また、明日か明後日、また来ますね」

そう言うと、さっさと栄養士はその場を去った。だが、宮前看護師は相変わらず、そばにいる。

「お食事の話をしたあとに申し訳ないけど、このコップにおしっこ採って、男子トイレに置く場所があるから、置いておいてくれますか?」

「今、ですか?」

「できれば」

「わかりました」

僕は瞬間湯沸かし器のように、顔から湯気が出ているのがわかった。

「しかたねえなあ」

僕は男子トイレに向かった。

 

部屋に戻ってくると、まだ宮前看護師がいる。うっ? その隣のいる白衣の男性は誰だ?

「土生さん、戻ってきましたね」

「はあ」

「今日から鎌倉と一緒に土生さんの主治医をさせていただきます丹羽です」

僕のベッドの頭にはいつの間にか「主治医/鎌倉、丹羽」と貼ってある。

「土生です、よろしくお願いいたします」

「土生さん、今から血液を採りたいんですけどいいですか?」

「ここで、ですか?」

「そうです」

「嫌だ、と言っても採られるわけでしょ?」

「土生さんって面白い人ですよね」

何言っているんだ。本当は病院に文句たらたらなんだ。

「いつもどっちの腕で採りますか?」

「左で」

「では、失礼します」

丹羽医師はそう言うと僕のパジャマの左袖をまくり上げて、静脈を探し始めた。

「出にくいですね。いつもこんなですか?」

「小学生のときから看護師さん泣かせでした」

「右見てもいいですか?」

「たぶん、そんなに変わらないと思いますよ」

丹羽医師は僕の右腕をまくり上げると、また、静脈を探り始めた。

「本当だ、どっちも同じだ」

「でしょ?」

「おっ、ここでいけそうだ」

そう言うと宮前看護師からゴムバンドを受け取り、僕の右腕の上腕部をゴムで固く締めた。そして、新しい注射器の袋を開けると、針を僕の右腕にあてた。

「チクッとしますよ。痛かったら言ってくださいね」

医師や看護師のこの言葉、小学校のときから何百回聞いたことだろうか?

 

「はい、終わりました」

そう言うと、銀色のトレイの中に注射セットと、採取した血を入れた。

「じゃあ、これ、ラボに持っていきますので、失礼します」

なぜ主治医が二人も三人もいるんだ? いわゆるチームってやつか? 

「宮前さん、もうこれで、今日は検査終わり?」

「さっき、二週間分しか用意してこなかったって、言ってたでしょう? ご家族の方に連絡しますか?」

「残念ながら、僕には家族はいないんです。正確には一人弟がいますが、全然あてにならないやつで」

「そうですか。ソーシャルワーカーに相談しますか?」

「ソーシャルワーカー?」

「医療以外のいろんなこと相談に乗ってくれますよ」

「今朝からいろんな人に会ったり、検査ばっかりだなあ」

「疲れました? 明日でもいいんだけど」

「いや、二週間で退院すればいいって言われたから、会社にもそう言って入院したのに、文句、誰も聞いてくれないから、そのソーシャルなんとかに会いますよ」

「わかりました。今から連絡してみますね」

宮前看護師はカーテンを閉め、走って病室を出て行った。

 

しかし病院というのは、もっとしっかりしていると思ったら、そうでもないんだな。そもそもこんなに狭い部屋に閉じ込められて、両隣は患者だし。閉所恐怖症になりそうだ。扉付きの小さなワゴンの上に小さなテレビがあって、その上に洋服を入れる棚があって。ベッドの脇にはアイロン台を少し大きくしたテーブルがある。ここに飯を置いて食えということか。あとはごみ箱一つ。殺風景だ。冷蔵庫もない。テレビはどうやら有料らしい。

「はあ、はあ」

「どうしたの?」

「ソーシャルワーカー、はあはあ、さん、いつ、はあはあ、空いているか、はあはあ、聞いてきましたよ。はあはあ」

「それで駆けてきたの?」

なんだか宮前看護師に悪い気がした。

「今なら、はあはあ、空いているそうです」

「今から?」

「はあはあ、今を逃すと、明日の夕方まで、はあはあ、空かないそうです。はあはあ、どうしますか?」

宮前看護師のこんな姿を見てしまったら、OKせざるを得ないだろう。

「わかりました、と伝えてください。ここに来るんですよね?」

「はあはあ、いえいえ、ソーシャルワーカーの、はあはあ、部屋に行くんです」

「また行くの?」

今朝から出たり入ったり、まったく、こっちは病人なんだから、来てほしいよな。

「わかりました、宮前さん一緒についていってくれるんでしょ?」

「ご、ごめんなさい」

「ってことは、またヘルパーさんと?」

「う、上野さーん、ど、どこにいますか?」

おーい、また始まったぞ、

「ここにいますよ」

同じように返事してくるなよ。

「55番の土生さんのところに来てくれませんか?」

「わかりました」

どうして、数十メートル先にいる人をでかい声出して呼ぶのかな? 全部、筒抜けじゃん。恥ずかしい。

「はいはい、どうしました?」

「今から、土生さんをソーシャルワーカーの部屋に連れて行ってもらえますか?」

「わかりました、じゃあ、行きましょうか、土生さん」

「はあ」

「三十分か一時間したら、ソーシャルワーカーから電話があると思うので、迎えに行ってもらえますか?」

「わかりました」

どう見ても宮前さんのお母さんくらいの年齢の上野ヘルパーに宮前さんが命令か。

「上野さん、よろしくお願いします。宮前さん、戦ってきますね」

「言いたいことは言ったほうがいいですよ」

十一時にこの病院に来て、まだ四時間くらいしか経っていないけど、おかしなことばかりだ。よし戦ってやるぞ。僕は戦闘態勢で、上野ヘルパーと部屋を出た。

 

上野ヘルパーと勢いよく部屋を飛び出した。血液内科の受付を通り越して左折しようとしたら、上野さんに呼び止められた。

「土生さん、右折、右折」

「さっき、左折したので」

「今度は右折したほうが近いの」

まったく大学病院ってところはどうなっているんだ。エレベーターの数字が「2」に変わった。そう、ここは二階なのである。上野ヘルパーとエレベーターに乗り込んだ。上野さんは「4」を押した。

「四階ですか?」

「そう、四階から回ったほうが早いから」

よくわからないが、金魚のフンのように、上野ヘルパーのあとをついていった。途中渡り廊下から太陽が煌々と照っている光景が見られた。

「ここから見る太陽、綺麗なんですよ。富士山も見えるかも」

僕が立ち止まって富士山を探していると、上野ヘルパーが手招きしたから仕方なく、富士山はお預けにした。しかし、上野さんは歩くのが速い。僕も普段は時速六キロで歩くので速いほうだが、上野さんはもっと速い。

突然、嫌な場所に出くわした。二度と来たくない場所だった。耳鼻科だ。

「耳鼻科か……」

突然ある言葉がフラッシュバックしてきた。

 

「あなたは死にますよ」

 

もともと、僕は扁桃腺の腫れで武蔵村山病院に通っていて、そこでは治せないから城北大学病院耳鼻科を紹介され、「放射線治療」することになっていた。そのときの城北大学耳鼻科の担当が平田という医師で、ある日、仕事がある僕を無理やりここに来させ、「土生さん、教授自らがじきじきに診てくれるんだ。ありがたく思いなさい」とかなんとかほざいていた。教授先生は「うーん放射線でいけるでしょう」と判断を下し、放射線治療する、まさにその日に「事態が変わった。あなたはこの病気で死ぬ。予後何日か、血液内科に聞いてきなさい」と、平田医師から残酷なことを言われた。それが蘇ってきた。教授が放射線で大丈夫と言ったじゃないか! なのになぜ、突然「余命」の話になるんだよ。医師って適当だとこのとき、改めて思った。同時に「あなた死にます」って、あまりにもヒドイ言葉を受け、気が狂いそうになったことを思い出した。

 

でも、今は、ソーシャルワーカーのところに行くんだ、さっさと通り過ぎよう。上野さんのように早足で耳鼻科を通り過ぎた。突然左折したらエレベーターがあった。

「この下が、ソーシャルワーカーの部屋です」

上野さんは「下行き」のボタンを押して、僕達は待った。

大学病院の大よそが午前中で外来診察が終わる。病院の中はガランとしている。たまに白衣を着た医師や、スーツを着てデカい荷物を持っている製薬会社らしきサラリーマンとすれ違うだけだ。

「土生さん、エレベーター来ましたよ」

僕は上野さんに言われるまま、エレベーターに乗った。一階に着いて、エレベーターを出ると、そこは駐車場近くの病院の西入り口だった。そのすぐそばにソーシャルワーカー室はあった。上野さんはドアをノックして、開けた。

「すみません、土生さん、お連れしました」

中から、女性の声がした。

「すみませんが、隣の部屋で待っていてもらいますか?」

「わかりました。それから、話が終わったら血液内科まで電話いただけますか?」

「わかりました」

そう会話すると上野ヘルパーはドアを閉め、隣の部屋に移動した。隣の部屋はちょっとした応接室になっている。ドアをノックして、僕は入った。

「じゃあ、私、いったん戻りますから、終わったら、待っていてください」

「ありがとうございます」

そう言うと上野ヘルパーはあっという間に消えた。

一人応接室にいる僕は落ち着かなかった。ソーシャルワーカーは男性かと思ったが、女性とは。まあ、いいや、どちらにしても言いたいことは言おう。そう思って待っていたが、五分、十分、十五分と時間はどんどん過ぎていった。その女性が来る様子はない。

「あの、すみません、土生ですが、まだでしょうか?」

そのとき、もう一人と口論しながら、先ほどの女性らしき人が入ってきた。

「その件は、またあとで、いい、わかった?」

おお、怖そうな人だなあ。若い男性職員に命令している。それにしても病院の人は医師や看護師じゃなくても白衣を着ているんだなあ。この女性の年齢はヘルパーさんと同じくらいだろうか? 背が高く、胸には「大阪」という名札がある。結婚指輪をしている。

「ごめんなさい、ちょっとトラブルがあって」

「明日にしたほうがいいんですか?」

「いやいや、明日は何が起こるかわからないから、今日やっちゃいましょう」

名刺ケースから名刺を取り出した。

「私はソーシャルワーカー係長の大阪と言います」

僕は名刺をもらい、一礼した。

「何か病院に文句があるって聞いたけど、何かしら?」

なんだ、この上から目線。僕の湯沸かし器はまたポッポポッポと湧き出した。

「その前に、十五分も待たせておいて、謝罪もないのですか?」

大阪ワーカーはやたらと時間を気にしている。応接に掛けてある時計をチラチラ見ている。

「まあいいや、あのですね、僕は血液内科の外来診察の保坂医師から『二週間入院すればいい』と言われて、ここに来たら、保坂先生ではなく、部下の鎌倉先生とか丹羽先生が出てきて『二週間じゃ退院できない』と言われたんです。それでどうなっているかと思い、ここに来たんです」

「ちょ、ちょっと待って。まず、土生さんの自己紹介からしてくれないと」

「僕の名簿みたいのものないのですか?」

「だから、今、作るわけじゃない?」

「僕は入院するまで何度も何度も氏名、生年月日を書きましたよ。なのに、またですか? なぜ、病院の情報は集約化されていないのですか?」

「個人情報保護法っていうのがあってね、共有化なんてできないのよ」

「人事総務法務部所属の僕に、個人情報のことを淡々と説明するわけですね?」

「土生さん、管理系なの? それで仕事はなんの仕事?」

「映画会社です」

「今の会社には何年いるの?」

「八月八日、北京オリンピックの日に、ようやく入社できたばかりなんです。まだ試用期間も終わっていないんです。だから休むわけにはいかないんです」

「その前はどこにいたの?」

「ちょっといい加減にしてくださいよ」

「ご家族は? ご結婚は? お住まいは?」

「大阪さん、あなた、僕にケンカ売っているのですか?」

「土生さん、そんなカッカしないで。人に相談に乗ってもらうには、自分のことを話すのが常識じゃない?」

「常識?」

「常識ですよ。私、間違っていますか?」

「じゃあ、聞きますけど、大阪さんはご結婚は? お住まいは? この病院に来て何年になるんですか? その前は?」

そのとき、大阪ワーカーのPHSが鳴った。出ないかと思ったら大阪さんは出た。

「もしもし、大阪です。はい、わかりました」

大阪ワーカーはPHSを切り、僕に言った。

「ちょっと待ってくれるかな?」

そう僕に言い放つと席を立ち、大阪ワーカーは隣の事務室に消えていった。

 

いったい、ここの病院はどうなっているんだ。病人相手にケンカ売ったり、二週間入院でいいと言っておきながら違うと言うし。僕はこれ以上怒ると脳溢血で倒れるんじゃないと思い、極力、冷静を保つよう努力した。しかし、心の中は「保坂の野郎」「鎌倉の野郎」「大阪の野郎」という気持ちでいっぱいだった。

 

それにしても城北大学病院に入院してまだ五時間しか経っていないのに、いろいろなことがありすぎた。僕以外の入院患者は、皆、どうしているのだろうか? なんでも医師や看護師の意のままに、ベルトコンベアーで運ばれるのだろうか? 僕には家族がいない。誰も手伝ってくれない。だから、どうしても自分でなんでも確かめようと思う気持ちが強いのもしれない。

つい三日前までスーツを着て仕事していたのに、まさかパジャマを着て応接室にいるとは思わなかった。明日は明日の風が吹くと言うが、一寸先はまさに闇である。そんなことを思いながら心を落ち着かせた。これが通常時の僕だったら、ここまで神経を尖らせなかっただろう。すべては血液内科の保坂医師と、さっき通った耳鼻科の平田医師の「あの言葉」が原因だ。

 

「あなた、このままじゃ、死にますよ」

 

でも、保坂医師は冷静だった。二週間入院して、その間に薬を投与すればよくなると言っていた。

 

だから一日でも入院を速めたほうがいいと思い、保坂医師の要望した日程の中で一番早かった今日、二○○八年十月二十七日月曜日を選んだわけだ。だが、病院というものは「連携」もなければ、一人一人がまるでロボットのように勝手に動いている。果たして、この病院に自分の命を預けても本当に大丈夫なのだろうか?

 

「ごめんなさい、部下がヘマしちゃって」

大阪ワーカーは、何やら大きな書物を持ってきた。

「えーと、さっきはどこまで話したんだっけ?」

「所属の会社とか、住所とか」

「そうだったわね。もう時間がないから土生さんの要望を聞きましょう」

おかしいなあ、さっきまであんなにケンカを売ってきていたのに。

「僕は先週、十月二十二日、血液内科の保坂医師から、生検した結果が思わしくないから即、入院するように言われました。どのくらい入院するのですかと質問したら、『二週間でいい』と言われたので、二週間分の用意をして、今朝、入院しました。そしたら、鎌倉先生と丹羽先生から『二週間経過観察して、その後に治療開始』と言われ、さんざんわめいたけど誰も聞いてくれなかったので、ここに来たわけです」

「なるほどねえ」

「僕は会社には『二週間休ませてください』と上司と部下に相談して来たわけです。僕はまだ、この会社に入社して三ヵ月も経っていないんです。試用期間も終わっていないんです。なのに、一ヵ月も二ヵ月も入院するわけにはいかないんです」

僕が鋭い目をすると、大阪ワーカーは「ふー」と大きな息をついて、僕に話しかけた。

「土生さんは真面目なんですね。私達が直接、会社に『クビにしないでください』とは電話はできないけど、試用期間が終わっていないからと言って、即、クビにはしないでしょう?」

「いいえ、過去の会社で、試用期間中に病気入院してクビになった人、何人も見てきました」

「なるほど」

「今、日本は、アメリカのリーマンショックの影響を受けて、超不景気。自殺者も年間三万人出る時代。僕に代わる人なんて、たくさんいるでしょう?」

「まあ、確かに、そうかもしれないわね」

「それに僕は家族がいないので」

「そうか」

「四十歳の男がこんなこと言うのは恥ずかしいですが、なんでも自分でやらなければいけないのは、正直辛い。これが胃潰瘍とか痔で入院したならまだしも、血液内科の保坂医師と耳鼻科の平田医師は、『このままじゃ、死にます』って無情に言ってきたのですよ。それでも冷静になって、高額医療負担の申請はしてきましたけどね」

大阪ワーカーは「うーん」と一言もらすと、急に腕を組み、考え込んでしまった。

「なんとか二週間で退院できないですかね?」

「……」

「ソーシャルの方でも無理ですか……」

僕がため息をついて下を向くと、大阪ワーカーが突然、しゃべり始めた。

「わかったわ。私から鎌倉先生に早く治療してくださいと電話しておくわ」

「そうですか!」

「任意保険は入っている?」

「はい、一日五〇〇〇円出る保険ですが。入院して四日目から出るそうです」

「なるほど」

そういうと、本を机の上に置いて、僕を初めてまともな顔で見た。

「高額医療負担申請を済ませてくるなんて、さすが人事部長さんね。任意保険も入っているし、私から鎌倉先生に治療を早めてもらうし。これで大丈夫かな?」

「実は……」

ようやく話が乗ってきたので、僕はこの機会に一気に疑問をぶつけた。

「僕はもう二ヵ月間も、何を食べても味がわからない、正直、食べるのは辛いんです」

「栄養士さんとは相談した」

「一応」

「栄養士さんはなんて言っていた?」

「一口サイズにして食べやすくすると。でも、そういう問題じゃないんですよね」

「食べたくないときは食べなくてもいいわよ」

「でも、食べても食べなくても食費は取られるでしょう?」

「一食二六〇円ね。確かにちょっと前までは土生さんの言う通り、食べても食べなくても取られていたわ。でも、今は食べないときは取られないはずよ」

「そうですか」

「とりあえず、これでなんとかいけるんじゃない?」

「仮に二週間以上入院する場合、入院費は? 僕、お金ないですよ」

「他の病院はわからないけど、うちは少しなら待ってくれるはずよ」

「僕の病気だと、どのくらい請求されるんですかね?」

「うーん、どうだろう。施術代+ベッド代+ごはん代の合計だものね。でも、多くの人が、高額医療負担と任意保険でまかなえると言っていたわ」

「それがですね」

「それが?」

「僕は決して給与は高くはないんですが、僕の給与はボーナス無しで十二等分なんです。つまり『標準月額報酬』が、同じ年収の人より高いんです」

「ということは?」

「ということは、僕はわずか数百円差だけで『高額所得者』の部類に入ってしまい、標準的な人と比べて、国からの援助が少ないんですよ。標準月額報酬って、給与+交通費でしょ? わずか年収一〇〇円の違いで、年収二〇〇〇万円の人達と同じ部類に入ってしまっているんです」

「境界線にいるってことね」

「なので、たぶん、自腹をかなり切らなければならないかと」

応接室の時計はすっかり五時を回っていた。大阪ワーカーは腕組みしながら頭を二度、三度、傾けている。

「ごめんなさい、五時から他の患者さんが来るの、今日のところは、私から鎌倉先生に早く治療を始めるように言っておくから、それでいいかな?」

「はあ」

「今日は月曜日だけど、私は土日以外はいるから、また看護師に予約取ってもらって、来てください。しかし、私もたくさんの患者さんの相談に乗ってきたけど、土生さんのような人は初めてかもね。土生さんの真面目な性格もわかったし。うん、続き、やろう」

「よろしくお願いします」

僕は立ち上がり一礼した。どこまで大阪さんがやってくれるかどうか、わからない。だが、心に詰まっていたことを言えただけでもよかった。

「五時からの患者さんがここを使うので、ロビーの椅子で待っていてもらえますか? ヘルパーさんに迎えに来てもらいますので」

「わかりました、ありがとうございました」

僕は軽く頭を下げ、外に出た。病院はすっかり夕方の様相を呈していた。

 

「高額医療負担」を知らない人は結構多い。僕は親父が入院したときから知っていたので、入院前にすんなり手続きをしてきた。医療費のうち通常七割が健康保険から支払われ、窓口での患者負担は三割となっているのは誰もが知っていることだ。だが、重い病気などで長期入院する場合には、医療費の自己負担額が高額となる。そのため、家計の負担を軽減できるように、健康保険には一定の自己負担限度額を超えた部分が払い戻される仕組みがある。また、入院の場合には、あらかじめ手続きをしておけば、窓口での毎月の支払いを自己負担限度額までにとどめることができる。

例えば、一般所得の人の場合、自己負担額が三十万円となっても約二十一万円程度が払い戻され、約九万円程度の負担で済む。だが、いわゆる「上位所得者(被保険者の標準報酬月額が五十三万円以上)」は「一般(被保険者の標準報酬月額が五十三万円未満)」あるいは「低所得者(市区町村民税の非課税者世帯等)」と比べて、国からの補助金が減らされる。僕の場合は、本当ならば「一般」の部類だが、わずか一〇〇円の差で「上位所得者」に入れられてしまったわけだ。

 

「任意保険」はCMでやっているアフラックや住友生命などの保険の中で、いわゆる「入院保険」を言う。通常「入院時にいくら支払われる」と契約書(またはパンフレット)に記載してある。だが郵便局の保険や、海外の保険では「不払い問題」があり、問題になっている。国民共済や都民共済のような公的保険は意外と支払いが早いことで有名だ。なお、保険額は口座入金が通常である。しかし、最初だけ「医師の診断書」などを送る必要があり、手続きは結構面倒だ。また、大手の保険会社は「保険調査員」がいちいち、病院まで調べに来る。患者に数十項目の質問をする。医師のOKが出て初めて保険がおりる。保険一つをとってもずいぶん違うのである。一番難しいのは保険に加入した日。業界では一応、「入院前三週間の契約から有効」と言われているが、「本当に三週間前までは、病気だと知らなかったのか?」まで調べられる。二ヵ月前くらい前から入っておくのが無難らしい。

 

「ソーシャルワーカー」とは、生活するうえで困っている人々や、生活に不安を抱えている人々、社会的に疎外されている人々に対して、総合的かつ包括的な援助を提供する専門職の総称である。中規模以上の病院であれば「一人」は常駐している。

 

十月末の夕方というのに暖房は入っていない。パジャマ姿の僕以外は誰もいない、だだっ広いロビーで一人、座っているのはなんとも寂しい。今頃、会社では「そろそろ終業ね」と女性社員達がいっせいに化粧室で帰り支度を始めている頃だろう。

女性は終業時間の三十分も前から化粧を整えに行くが、いつからそんな習慣が当たり前になったのだろうか? 誰も注意するわけない。女子社員には嫌われたくないからな。男がそんなことしていたら厳重注意されるだろう。うちの会社が甘いのか? それとも世間一般、そうなのかはわからないが、結局、男女は同じ人間でも違う生き物らしいことが最近わかってきた。

「ごめんなさい、待ちました?」

上野ヘルパーが来た。

「すっかり寒くなりましたね」

「今度、来るときは一枚羽織ってきたほうがいいですね」

このあいだまで夏だと思っていたのに、もう秋中だ。落ち葉が一枚一枚散るように、僕の命も削れていかなければいいのだけど……。

 

迷路と化している病院を上野ヘルパーは忍者のごとくサッササッサと歩く。あっという間に血液内科の病棟に着いた。

「ありがとうございました」

「もうすぐ、ごはんですよ」

えっ? もうそんな時間か。病院は夕飯が早いんだな。壁に「夕飯十八時」と書いてある。いつもだったらまだ仕事中だ。こんな早い時間に飯を食べるなんて、いつぶりだろうか?

 

(続く)

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