【連載164】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

9月24日土曜日昼

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

皆様こんにちは。熊本地震の被災者のために福岡県などが県民から募った救援物資が送りきれずに大量に残っていました。被災自治体が受け入れ休止を決めて行き場を失った形ですがNPOなどを通じてその後も送り続けた自治体もありました。専門家は被災者のニーズの把握と民間との連携の大切さを強調します。

JR直方駅から歩いて10分ほどの県直方総合庁舎。2階の空き部屋に入ると大小の段ボール箱が部屋いっぱいに積み上がり天井近くまで達していました。1室では収まりきらず1階の理髪店跡の部屋も段ボール箱で埋め尽くされていました。

県福祉総務課によりますと、いずれも熊本地震の被災者のため県民から集めた救援物資。

内訳は

2リットルのペットボトルの水1万本

栄養補助食品4800個

マスク18万枚

ウェットティッシュ2万9千個

トイレットペーパー5千袋

紙おむつ4千袋

消毒用スプレー3千本

などです。

2度目の震度7が観測された4月16日の本震後の19~30日、福岡県は県民に物資の提供を呼びかけました。県庁などで預かり初めは順調に送り届けました。しかし5月に入ると「当面必要な物資は確保できた」と受け入れを断る自治体が増え、送り出しが困難になりました。

県が県内の市町と合同で送った物資は

水1万5千本

栄養補助食品2700個

マスク4千枚

ウェットティッシュ3600個

トイレットペーパー800袋

紙おむつ750袋

消毒用スプレー2100本

などでした。

県は、同様に送りきれない救援物資を抱えていた大川市や宮若市、田川市など県内32市町と調整し、5月19日から空きスペースがあった県直方総合庁舎に運び込みました。現在保管している物資の半分程度は市町からの受け入れ分だそうです。

福岡県は熊本県に対し、保管している物資の一覧表を送っていますが、新たな要請はない状態が続いています。

福岡県福祉総務課の担当者は「消費期限がないものは保管を続け、要請があればすぐに送りたい。消費期限のある水や食品については今後、対応を検討する」と話しています。

被災自治体が受け入れを休止した後も、NPOなどと連携して物資を送り続けた自治体もあります。

福岡市は市民が寄付した段ボール箱3万6500個分を、自治体経由に加え、半分は民間団体を通じて7月下旬までに送りました。担当課は「途中からNPOなどに協力をお願いしたのでスムーズに送れた」そうです。

北九州市も、市民が寄せた段ボール箱9千個分を6月下旬までに送り終えました。自治体のほか、NPOや独自ルートで物資を運ぶ民間団体と連携しました。

福岡県の場合は、調整の窓口を自治体間に限り、民間団体と連携することはなかったそうです。

九州の他県に聞きますと、長崎県と長崎市は4月中にカップ麺や紙おむつなどを県民から集め、自治体経由で被災地に届け終えました。一方、佐賀県や宮崎県、鹿児島県は「混乱を招くのは避けたい」と県民からは物資を集めず、県の備蓄分だけを送りました。大分県は企業から提供を受けた水を送りましたが、「仕分けの負担が大きい」と判断し、県民からは集めなかったそうです。

災害時の被災者支援に長年取り組み、熊本地震でも支援活動を続けるNPO法人レスキューストックヤード(名古屋市)の栗田暢之代表理事は「被災地で必要なものは刻一刻と変わる。先を見通さずに集めても、うまくいかない」と指摘します。そのうえで、「行政だけの対応には限界がある。きめ細かい支援をしているNPOやボランティアなどとの協力が欠かせない」と話しています。

上記は福岡を中心に九州から熊本に送ろうとした救援物資を熊本県がある時期から受け入れを拒否し余っている例です。熊本県内自治体は職員の数が足らない為、救援物資をさばききれません。また保管しておく場所も確保していません。しかし仮設住宅を中心に今でも救援物資を必要な被災者はたくさんいます。自治体職員は自分の仕事で精一杯で『本来の自治体職員としての住民サービス』を忘れてしまっています。正直申し上げて『怠慢』です。前述した福岡に今でも残っている救援物資はそのまま『被災者への生活物資』になり得ます。こうした背景の一つには『熊本県内自治体の連携の無さ』に起因しています。熊本市は足りていても水不足で困っている南阿蘇村になぜ送ってもらいたいと言う発想がないのでしょうか?NPOを挟んで送ってもらう手もあります。せっかくの『善意』をこうした形で断る熊本県内には甚だ疑問を感じます。言い換えればこれが熊本県知事を中心とした熊本県政の現状とも取れます。もう一度検討し、被災者に是非手渡してほしいものです。それとも『モノを大切』という『精神』が今の日本人全員から消えてしまったのでしょうか?

尚、これは福岡の例ですが、熊本県内でも救援物資を被災者に渡さず、な、なんと『被災者に売りつけてお金に換えている』ところもあります。なぜ救援物資を例え安価でも被災者に売りつけるのでしょうか?

水や栄養食品などはいくらあっても足りないはず。南阿蘇村や益城町など被害が酷く、今でも例外に避難所生活を強いられている被災者に送ることも是非検討してほしいと思います。全県民に平等に送ろうと考えるから拒否しているとも考えられます。まずは『必要な自治体被災者』に『必要なモノ』を『優先』して送ることを考えてほしいと切に願います。熊本県知事、各自治体首長、全職員、全議員。もっと頭を柔軟にしてせっかくの福岡や多くの全国の方々からの善意を無駄にしないでほしいと切に願います。

大規模な災害が発生したとき障害者はどうなってしまうか?4月の熊本地震が起きた直後から現地で障害者支援を続けている熊本学園大教授で弁護士の東(ひがし)俊裕さん(63)が三重県庁で被災地の実態を語りました。福祉団体や行政関係者ら約200人が『障害者が避難所から排除され復興から取り残された』状況に耳を傾けました。

東さんは自身も車いすで生活し内閣府の障害者制度改革担当室長も務めました。4月16日の熊本地震の本震で熊本学園大は急きょ700人ほどの避難所となり障害者も約60人受け入れました。はじめ障害者は身動きが取れない状況だでしたが車いすの人が床に降りて休め介護者が入るスペースや動線も確保されました。

しかし多くの避難所では『障害者への配慮がなく利用できません』でした。『パニックになった精神障害者が「避難所に置けない」』と言われたり『行列に並べない障害者が支援物資を受け取れなかった』りしました。『閉め出された障害者は車中泊や崩れかけの住宅、アパートの一室などで過ごし』ました。

東さんは「震災直後は一般の人も遠くに避難できないのに、ましてや障害者が遠くの福祉避難所に行けるはずがない」と、避難所に障害者を受け入れる必要性を強調しました。「復興の拠点となる避難所から障害者が排除され、支援の網からこぼれ落ちていた」。

熊本市の障害者は4万2千ですが、福祉サービスを受けているのは7千人で、サービスをまったく受けていない重度障害者が9千人いました。福祉避難所は1700人分程度しかありませんでした。東さんらは4月20日にボランティア団体「被災地障害者センターくまもと」を立ち上げ、約400人から相談を受け延べ3千人近くを派遣しました。

『4月に施行された障害者差別解消法は正当な理由のない障害者へのサービス拒否や制限を禁じ負担にならない範囲で対応する「合理的配慮」を定めて』います。「災害時には障害者への配慮が抜け落ちてしまう。熊本県も熊本市も無頓着だった。避難所や仮設住宅のバリアフリー化が必要だ」と呼びかけました。

三重県内で大規模災害があったとき、ボランティアが速やかに支援活動できる環境を整えようと、県は、災害時NPO活動支援事業(緊急支援活動)の協定団体を10月31日まで募っています。協定団体には、実際に活動した際に県が上限120万円の経費を出します。

災害支援のノウハウを持つNPO法人やボランティア団体などが対象で、複数のエリアで活動できることが条件。これまでに県国際交流財団(津市)、熊野レストレーション(尾鷲市)の2団体と協定を結びました。

発生から2か月間までの活動が対象となります。

障害者や要介護者の安否確認

受け入れ施設の調整

ヘルパー派遣

国人住民への多言語情報提供や通訳の派遣

子どもの居場所づくりや心のケア、学習支援

妊婦・母子の一時避難

重機によるがれき・流木撤去

などを想定しています。

12月5日には、津市のアスト津で公開プレゼンテーションがあります。担当者は「大規模災害があっても普段通りの支援が必要な分野は多い。スムーズに進むようにしたい」と話しています。問い合わせは、三重県男女共同参画・NPO課(059・222・5981)へ。

なんという『差別』でしょうか?障害者と言うだけで多くの避難所で『障害者への配慮がなく、障害者が利用できません』でした。

・パニックになった精神障害者が「避難所に置いてもらえない」

・行列に並べない障害者が支援物資を受け取れなかった

・閉め出された障害者は車中泊や崩れかけの住宅、アパートの一室などで過ごした

こうしたことが熊本県内で平然と行われていたのです。熊本県知事、各自治体首長、全職員、全議員。彼らは『弱者への配慮』『弱者ファースト』を全く無視しました。トンデモナイことです。障害者は『ゴミ』なのでしょうか?

昨日も提案しましたが、今後、日本ではどこでも熊本と同じことが起きます。その場合に備えて『BCP(災害時マニュアル)』を策定しておくことが大事ですがどうやら熊本ではBCP(マニュアル)がなかったようです。全都道府県でも佐賀県内の自治体では5%しかできていません。BCPの策定は急務です。

どんな事態においても『弱者優先』を変えてはいけません!今一度、有事・災害の際のBCP、すなわちマニュアル作りを全国自治体には真面目に早急に策定してほしいと思います。策定していない自治体(都道府県、市区町村)には罰則を与えるか、住民が直接文句を言うなど、首長、職員、議員に真面目に仕事をしてもらうよう『監視』すべきです。困るのは皆さん自身なのですから。

◆BCPとは?

BCP(事業継続計画:Business Continuity Plan)とは、企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における事業継続のための方法、手段などを取り決めておく計画のことです。

緊急事態は突然発生します。有効な手を打つことがきでなければ、特に中小企業は、経営基盤の脆弱なため、廃業に追い込まれるおそれがあります。また、事業を縮小し従業員を解雇しなければならない状況も考えられます。

緊急時に倒産や事業縮小を余儀なくされないためには、平常時からBCPを周到に準備しておき、緊急時に事業の継続・早期復旧を図ることが重要となります。こうした企業は、顧客の信用を維持し、市場関係者から高い評価を受けることとなり、株主にとって企業価値の維持・向上につながるのです。

1.被災地情報

①JR豊肥線の代替バスに住民不満!南阿蘇村!

熊本地震によって南阿蘇村で寸断されたJR豊肥線の代替バスに対し、阿蘇地域の住民らが不満を募らせています。バスの便数が地震前の列車の本数より半減した上、主に通学者向けになったからです。線路の全線復旧も見えない中、「使い勝手を良くしてほしい」という声が高まっています。

豊肥線は4月16日の地震による同村立野の土砂崩れで、並行する国道57号とともに崩落。宮地(阿蘇市)~肥後大津(大津町)間は不通が続いています。このため、JR九州熊本支社は代替バスの運行を5月に始めました。

しかし、被災する前に宮地発の列車が1日15本あったのが、代替バスは平日でも8本にとどまっています。それも高校生など通学者が利用する朝夕中心のダイヤ編成で、日曜は走っていません。

このため、阿蘇市で飲食店を営む吉田美代子さん(75)は「バスの時間帯が限られ、気軽に熊本市方面へ買い物に行けなくなった」と嘆いています。また、同市の眼科に列車で通院していた阿蘇市の松下松子さん(75)は「地震の後は受診していない。高齢者にも大切な足なのに」と声を落としています。

豊肥線は甚大な被害が出た2012年の九州北部豪雨でも不通になりました。その際、宮地-肥後大津間で列車のダイヤに合わせた形で臨時バスが走りました。それだけに、宮地駅近くの主婦(50)は「なぜ今回は減らしたのか」と首をひねっています。

JR九州熊本支社は「地震で国道57号も寸断した。時間がかかる迂回路を経由するため4年前と事情が違う」と説明しています。その上で「ダイヤには一般客の要望もできる限り反映させているが、一義的には県教委の要請がある」と弁明。実際、通学の足として県の補助金を受けています。

九州運輸局によりますと、JRは不通となった列車の代替策を確保する法的義務はありません。それでも学生以外が置き去りになっているだけに、ある阿蘇市議は「公共交通機関としていかがなものか」と批判しています。

線路が傷んだままの同市の赤水~阿蘇間で復旧工事が始まる気配がないのも、地元の空気を重くしています。同支社は「全線復旧の見通しは立っていない」と話し、阿蘇駅より西側は雑草が伸び放題だです

こうした現状に、県内の交通関係の労組などでつくる「国民の足を守る県民会議」会長の坂本正熊本学園大教授は苦言を呈しています。「地域住民の生活を安定させるのが公共機関の務め。豊肥線は観光や経済面でも阿蘇を支えてきた。阿蘇の5~10年先を見据え、早期復旧させるかどうか、その覚悟を問われている」。

②スイゼンジノリ養殖場、地震で廃業危機に後継者!

嘉島町にあるスイゼンジノリ養殖場が、熊本地震の被害を乗り越え、再出発します。一人で養殖場を守ってきた丹生(たんせい)慶次郎さん(81)=熊本市中央区=は一時廃業も考えましたが、親戚の丹生幸宏さん(29)=益城町=が後継に名乗り出たことで存続を決意。幸宏さんは「思いを受け継ぎ、熊本の宝を守っていく」と使命感に燃えています。

スイゼンジノリは、日本固有の淡水産ラン藻。「ひご野菜」の一つで高級食材として知られるが、野生は絶滅したとされています。

養殖場は1960年、慶次郎さんが父の故虎造さんと始めました。水の流れや日照量を調整するなど試行錯誤を繰り返し、量産に成功。現在の年間収量は約1.5トンで、郷土料理店や化粧品会社に出荷しています。

熊本地震では3基ある養殖槽のうち1基が破損し、水漏れが発生。生育に欠かせない地下水も茶色く濁り、2基のノリが壊滅状態になりました。慶次郎さんは「ひどいありさまで、気持ちが落ち込んだ」と振り返っています。

一方、幸宏さんにも地震は容赦ありませんでした。勤めていた益城町の紡績会社が被災し、5月に解雇を言い渡されました。「会社も大変そうで、受け入れざるを得なかった」と幸宏さん。そんな時、慶次郎さんの養殖場が被災したことを知って「何か力になれれば」と復旧の手伝いを始めました。

慶次郎さんは「真面目でよく働く」と好印象を持ち、幸宏さんも「手伝ううちに希少なスイゼンジノリの魅力に引かれていった」そうです。2人が仕事を始めて2カ月が過ぎたころ、慶次郎さんが引退の意向を打ち明けると、幸宏さんは「私にやらせてください」と決意を告げました。

地震から5カ月が過ぎ、養殖場の復旧は完了。慶次郎さんは当面、一緒に仕事をしながら幸宏さんにノウハウを伝授するつもりです。「愛情を持ってノリを育ててほしい」とエールを送る慶次郎さん。幸宏さんは「僕の代で絶やすわけにはいかない」と大きな目を輝かせていました。

③熊本城復興願い市民語り合う!

熊本地震で被災した熊本城(熊本市中央区)の復旧を願う市民らでつくる「熊本城復興を支援するみんなの会」(会長・三角保之元熊本市長)が昨日23日夜、市国際交流会館(同区)で、会の発足を記念したシンポジウムを開きました。

三角会長(75)が基調講演。市長時代に手掛けた復元や一口城主などの事業を振り返り「復興を望む住民パワーを国・県・市に伝えなければならない」と訴えました。

パネル討論「熊本城主は私たち」では三角会長ら5人が登壇。ディスカバリーくまもとボランティアの会の野田恭子会長(71)は、10年年にわたる英語ガイド養成講座の歩みを紹介しながら「熊本城の復旧を次世代の人材育成に生かしたい」と述べました。

一新校区自治協議会の毛利秀士会長(74)は、子どもたちがお城の将来像や復元方法を話し合う「熊本城子どもサミット」の構想を披露。初代熊本城総合事務所長の今村克彦さん(76)は「石垣をどう積み直すかが修復年数に影響する」と指摘しました。

約110人の来場者からは「復興『祈念』切手を作ったらどうか」「一日も早く天守閣まで入りたい」などの意見が出ました。

同会は1960(昭和35)年に復元天守が落成した9月22日を「熊本城の日」と定め、毎年シンポジウムを開催します。

➃仮設住宅208戸の整備完了!嘉島町!

嘉島町は昨日23日までに、熊本地震の被災者向けに計画していた応急仮設住宅208戸の整備を完了しました。

昨日23日、児童公園仮設団地(上六嘉)に追加増設中だった最後の4戸(1DKと2DK)が完成し、入居者に鍵が渡されました。自宅が半壊したという50代パートの女性は「この日を待ちわびていた。とてもうれしい」と、ほっとした様子でした。

町によりますと、町内には最大規模の近隣公園仮設団地(鯰、39戸)など11団地があり、約500人が生活しています。このほか、102世帯が民間賃貸住宅(みなし仮設)へ入居したとのことです。

担当の春日公和農政課長は「復興に向けて一つ一つ前進しているという手応えを感じている。今後も、被災者の自立を後押ししていきたい」と話していました。

⑤「前略 熊本に来なっせ」誘客はがきを無料提供!

熊本地震で落ち込んだ県内観光を盛り上げようと、県外の人へはがきを送って熊本への観光を促す「来なっせくまもとハガキプロジェクト」が20日に始まり、専用のはがきを求める応募が数多く寄せられています。

同プロジェクトは熊日が提唱。県と県観光連盟、日本郵便の協力、29の企業・団体の協賛で、5万枚のはがきを用意しました。切手は不要で、1人5枚まで先着順で無料提供します。

宛名を記す表面には「お得な『九州ふっこう割』を使ってぜひ熊本へ遊びに来てください」と印刷。裏面には県内の観光名所などが描かれています。

応募ははがき、ファクスなどで。はがきは〒860-8506、熊本市中央区世安町172、熊日業務推進局「来なっせハガキ」係。ファクスはTEL096(372)8712。

⑥街の宝、復旧へ足並みを!歴史的建造物の地震被災調査!

古くから街並みに溶け込んでいた歴史的建造物が熊本地震で被災し、存亡の機にさらされています。熊本市で日本建築士会連合会などが開いた調査報告会で、被害の深刻な実態が明らかになりました。神社仏閣、古民家などの多くは国や県の文化財指定を受けておらず、修復しようにも財政的な負担が所有者に重くのしかかります。取り壊しを検討している建物もあり、自治体や専門家、地域ぐるみでの保存に向けた支援体制を求める声が上がりました。

報告会では、調査した県内1350件のうち3割超に当たる482件で部分破壊以上の被害が明らかにされました。専門家でつくる「熊本地震被災文化財建造物復旧支援委員会」は、耐震化が不十分だったことが、倒壊や屋根の崩落などの被害につながったと指摘。地震後の応急措置でも、ブルーシートが足りず雨漏りによるカビや木材の腐敗が進む事例などを報告しました。

所有者からは「保存したい思いはあるが、公的な財政支援がなく難しい」との声があり、公費解体を検討している人も多くいたそうです。調査に携わった熊本大大学院の伊東龍一教授(建築学)は「既に解体してしまった建物もあった。個人負担の修復は限界がある」と述べました。10月から復旧支援委員会は、被害建造物の内部も詳しく調査することにしており、建築士が所有者に応急手当てなどの助言をする予定だそうです。

2004年の新潟県中越地震でも、所有者の経済的な事情から被災した歴史的建造物が取り壊された例が数多くありました。新潟県建築士会の渡辺斉常務理事は、新潟県が設立した復興基金を活用し、未指定文化財の修復を補助した取り組みを紹介。神社や寺を地域のコミュニティーの拠点と位置づけたり、古民家などの歴史的建造物群を景観保全地区に指定したりして、修復費の4分の3を補助する仕組みを整えたとのこと。支援の枠組みづくりは「スピードがとても重要になる」と強調しました。

復旧支援委員会の後藤治委員長は、基金を活用した支援制度の必要性に加え、県や市町村に対して地域の歴史的な景観を守るための保存条例を制定するよう提言。「地域の個性を守るため、行政、市民、専門家が足並みをそろえることが重要になる」と訴えていました。

⑦若おかみ、地震の復興祈願!相良三十三観音を巡礼!

人吉球磨地方で「相良三十三観音」の一斉開帳が行われています。21日は地元旅館の若おかみが熊本地震の復興を祈願し、巡礼しました。

相良三十三観音は35カ所あり、江戸時代に札所として整備されました。彼岸の一斉開帳は春が1日、秋が約1週間で、今年は19~25日。

巡礼したのは、人吉市内のあゆの里、芳野旅館、しらさぎ荘、一富士旅館の若おかみ計4人。白衣やつえでそろえ、市内の1番札所「清水観音」から出発、約4キロで四つの観音堂を巡りました。初めて参拝した芳野旅館の田口万友美さん(40)は「復興への願いを強く込めた。多くの人に三十三観音を訪れてもらいたい」と話していました。

⑧宇土市役所解体市民も“参加” 家庭の廃油重機燃料に!

*以前報告記事と一部重複

熊本地震の激しい揺れに見舞われ倒壊寸前になった宇土市の庁舎を解体する重機の燃料に、市民が提供する使用済みの食用油が活用されます。家庭で揚げ物などに使った廃油を、熊本市の企業がバイオディーゼル燃料(BDF)に精製しまする。市民も参加することで復興への思いを一つにする願いを込めた、地球環境にも優しい取り組みです。

市とBDF製造会社「自然と未来」(熊本市)、8月から解体工事を請け負っている西松建設(東京)の3者が21日、協定を締結しました。元松茂樹市長は「市民の力を少しずつ持ち寄ってほしい」と呼びかけました。

市が回収した廃食用油を自然と未来が自社工場でBDFに精製、西松建設が重機の燃料に使います。市民が持ち寄った廃食油から精製したBDFを実際に使うのは10月中旬からになる見込みとのことです。

BDFは、燃料に使っても酸性雨の原因となる硫黄酸化物がほとんど発生しない上に、黒煙の排気も少ないのが特徴です。復興に熊本産のBDFを活用してほしいと考えていた自然と未来の星子文社長が、市に構想を提案。4年前からごみ減量を目指して廃食用油を回収していた市と、BDFを既に導入していた西松建設との間で、とんとん拍子に合意にこぎ着けたそうです。

市は庁舎解体と撤去を来年3月までに終え、本年度中に新庁舎建設の基本構想を策定する計画。元松市長は「復興への道のりは非常に遠いが、市民の力を集めて解体工事を無事に終わらせ、新たな一歩を踏み出したい」と話していました。

⑨熊本への旅、支援か迷惑か?物見遊山で終わらせずに!

被災地支援になるのか迷惑になるのか、それとも??。悲劇の地を巡る旅、ダークツーリズム研究で知られる追手門学院大学(大阪府)の井出明准教授(48)に熊本への観光のあるべき姿を聞きました。

Q.熊本への観光をすすめますか。

A.現実問題として被災地にはある程度、落ち着いてからでないと観光客は入れません。被災地は建設や保険関係の業者、メディアなどの復興需要のため、ホテルがいっぱいになっており、宿泊観光が難しい地域も多いですから。

Q.行政に求めることは。

A.ホテルもさることながら、現在は被災地が持っている生まれ変わっていく力強さを感じられる状況にない。熊本県や熊本市、益城町などは「何を分かってもらいたいか」を明らかにして、「どうやって見せるか」の方法論と手法を確立してもらいたい。そうすれば3~5年先の様子を観光したいといったリピーターも発生する。

Q.熊本で気になることはありますか。

A.行政の観光への対応の遅れが目立ちます。たとえば熊本城、今のままでは周りを眺めて写真をとって終わるだけになっている。歴史建造物に関する知見を持った専門家の解説がなければ、熊本城の現状も将来も見えない。益城から熊本市への旧道は、断層に沿って古い木造家屋が潰れている状況にありますが、これも土木建築系の専門家が解説しないと分からない。

Q.熊本特有の事情は。

A.熊本は、空港と新幹線の熊本駅が離れています。空港は被害の大きかった益城町にあるし、熊本駅は政令指定都市の熊本市にある。空港に入って新幹線の駅に出たり、新幹線から空港に行ったりといった動線を確立できると違ってくる。益城町に行けば高齢化が進んだ地域の被災の現実を感じ取れるし、熊本市では歴史建造物の被災と都市ならではの復旧の速さを見られます。

両方を1時間で一筆書き的に移動できるというのは観光学的にみたときの熊本の訴求要因です。

観光客も災害を自分のこととして認識する意味で「見せ方」は重要です。旅は感動なり、学びだったりが必要。ですが、現状では立ち直りの早い熊本市を観光して終わり。それでは得られるものが少なく単なる物見遊山の観光で終わってしまうし、被災者も嫌がります。ここでしかない学びを見られると観光客は「来てよかった」となるし、被災者も受け入れやすくなるでしょう。

本来、もっと早い段階で被災社会の復興過程をどのように外部に発信するかを観光の視点から確立すべきなのです。海外では災害があった場合、非常に早い時期から観光の見せ方も意識し、復興計画を作りますが日本は全体的に遅いんです。

Q.手立てはありますか。

A.1日2~3便程度、音声案内を組み込んだリムジンバスを空港から市街地に走らせるといった手法で、来訪者に被害の理解を促すような仕掛けもあり得ます。また、文化都市の熊本には定年退官した元大学教授といった専門能力を持った人たちが多くいる。こうした人材を活用して知識を伝授することも必要です。

Q.他に着目される点はありますか。

A.熊本の自治体は庁舎が使えなくなったり、り災証明の発行が遅れたりと災害に対しての準備不足が目立ちました。事前の備えが不十分な自治体は災害後、大変なことになる。これは「負の教訓」として後世に伝える歴史的使命がある、それも観光の役割の一つ。日本では「がんばって復興した」といった点が強調され過ぎです。

「負の教訓」を知れば、一般の訪問客も自分の自治体が大丈夫かと考える。ひとごとにならない、そういった仕組みも必要です。繰り返しになりますが、これらも含め行政は被災地・被災社会の見せ方を考えないといけません。

Q.被災地の観光に関して参考になる事例はありますか

A.たとえば、1991年の雲仙普賢岳の噴火や2004年の中越地震に関しては、被災遺構をうまく活用しつつ、災害の悲惨さと復興過程の力強さが伝えられていると思います。ただこうした先進的な地域も、こうすればよかったという改善点についてはあまり発信していないので、これは日本社会全体の課題とも言えるでしょう。

Q.熊本を中心とした九州の観光は成り立ちますか。

A.九州はヨコの移動は復旧していないところもありますが、タテの移動に不自由はない。鹿児島から水俣や玉名を経由して熊本に出たり、福岡・博多から三井三池炭鉱を経由して熊本に入ったりするルートは、九州を多面的に理解する上で、啓発に満ちている。その意味では、旅行業者らが九州への観光客誘致をしている仕組みをうまく使って、県を超えた協力をするべきです。

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井出明准教授経歴

長野県生まれ。京都大経済学部卒業、同大学院で博士号(情報学)取得。九州東海大(現東海大)講師などを経て追手門学院大(大阪府)准教授。災害や戦争の跡といった人類の悲しみの記憶をめぐる旅、「ダークツーリズム」を研究しています。

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⑩指切りげんまん2500人、ギネス挑戦!天草五橋!

天草五橋の開通50周年を記念して、25日に橋上でギネス世界記録挑戦イベントが催されます。指切りげんまんして列をつくるもので、会場となる国道266号は午前中の2時間、片側交互通行となります。

「天草五橋Hand(ハンド) in(イン) Hand(ハンド)」と題し、最大2575人で指きりげんまんをした人たちによる世界一長い列をつくることをめざします。当初は「手首をつないだ人の最も長い列」をめざす予定でしたが、参加希望者が思うように集まらず、挑戦内容を「指きりげんまん」に変えました。

その結果、最終的には今月15日現在の参加希望者は2575人で当初目標を上回りました。現在のギネス記録は、千葉県で昨年12月に達成された1343人で、ギネス世界記録の達成が見込まれます。

国道266号(上天草市の天草2号橋~4号橋の約2.2キロ)が会場で、午前10時~正午まで片側交互通行。迂回路はなく、渋滞が予想されています。

⑪世界遺産の三角西港、ドローンで空撮!宇城で大会!

昨年7月に世界文化遺産となった「明治日本の産業革命遺産」の一つ、宇城市の三角西港で本日24日、ドローン(無人飛行機)を使った空撮大会が開かれます。主催する市によりますと、世界遺産の撮影大会にドローンが使われるのは国内初だそうです。県出身の放送作家、小山薫堂さんや音楽プロデューサーの松任谷正隆さんも参加登録しており、優秀な映像は市の宣伝に使います。

県内のほか、首都圏などから計17人のドローン愛好者が参加する予定。内訳は1人で機体の操作と撮影をする人が11人、操作と撮影を2人で分担する人が3組。撮影時間はドローン1機につき約15分で、参加者は映像を1分30秒以内に編集して音楽もつけ、市に提出。市から動画サイト・ユーチューブに投稿され、一般からの「いいね」の数で最優秀賞などを決めます。

小山薫堂さんは、曽祖父が三角西港の石積みにかかわったことから三角西港には深い思い入れがあるそうです。自身もドローン愛好者で、出演するテレビ番組で松任谷さんにドローンを試してもらい、一緒に参加することになりました。

市企画課の担当者は「世界遺産が次々と出てくるので、三角西港が忘れられないような映像を期待したい」と話していました。

⑫「熊本へ心をつなぐ」運動会!錦生赤目小!

心から安心して眠れる日がくるように!!熊本地震の被災地の子どもたちに元気を届けようと、名張市立錦生赤目小学校(山田満校長、児童数213人)の5,6年生が明日24日の運動会で組み体操「熊本へ心をつなぐ」を披露します。演技の録画を励ましの手紙とともに被災地の小学校へ送るほか、児童が思い思いに作った募金箱で来校者から義援金を募ります。

阿形明美教頭によりますと、4月の地震発生後、6年担任の高木敦子教諭の投げかけで「人の役に立ちたい」「自分たちに何ができるか」を考える「くまモンプロジェクト」を6年生34人と児童会が中心になって進めてきました。

6年生は6月の修学旅行でも「人と防災未来センター」(神戸市)を訪れて地震の恐ろしさを学習。校区は自然豊かな里山の近くにありますが「美しく雄大な自然が、もし牙をむいて襲ってきたら」と考えながら、被災地の子らに何とか元気を出してもらいたい、と話し合いました。

そこで、例年の運動会で高学年が披露する組み体操を、今年は被災地にメッセージを送る演技にしようと1学期末に決めました。録画と手紙は、5年担任の上森健史教諭の学友が勤める熊本市立桜木東小学校に贈ることにしました。

演技の場面ごとに、BGMに乗せるナレーションも用意しました。「何ができるのだろう。4月からずっと考えてきました。そうだ! 私たちは風を送ろう。やさしい風を」。朗読はけがで演技に参加できない6年の瀧野太陽君が担当。心に響く内容は、プロジェクトを全校児童と市内の全小学校に知ってもらおうと、6年生全員が書いた手紙から抜粋しました。

支援面でも書き損じはがきやペットボトルのキャップ集め、衣服の寄贈、千羽鶴を折るなど、様々なアイデアが出ました。ただ、被災地への物的支援は一段落したと知って「やっぱりお金かな」と落ち着きました。

当日は午前の種目の最後に、保護者や地元の人たちに協力をお願いします。「一人でも多く協力してもらえるように」(北川歩君)、「少しでも多く募金してくれるように」(堀内凜君)と、児童会の2人が朝礼台の上から呼び掛け、閉会式後に6年生が募金箱を手に会場を回る予定です。運動会は雨天順延で、義援金は日本赤十字社を通じて被災地に送るそうです。

⑬避難所発「健康カフェ」が地域で再出発!

熊本地震の避難所で自治体や大学教授らが連携して開いていた「カフェ型健康サロン」が昨日23日、新しい地域の集いとして一歩を踏み出しました。地震から5カ月以上がたち、家を失って知人のいない場所に移った高齢者も多くいます。避難所は閉鎖されましたが、そこで培われたつながりを生かし、家にこもりがちな人の孤立防止や健康づくり、その先の「新しい地域づくり」をめざします。

「ゆっくり、ゆっくり動かして。顔もなるべく前を見てください」。昨日23日午後、熊本市中央区水前寺公園の「健康ふれあい広場」の一室で、健康運動指導士の声を聞きながら、50~80代の17人が椅子からゆっくりと立ち上がりました。無理なく体を動かして、筋肉を鍛える「スロー筋トレ」です。

15日に閉鎖された区内の市総合体育館の避難所で毎日、催されていたのと同じ健康づくりのメニュー。約30分の運動を終えると、参加者は抹茶とお菓子を囲んで世間話に花を咲かせました。

避難所閉鎖の日に同じ区内のアパートに移った竹本恵子さん(64)は自転車で20分かけて来ました。「アパートに移ってから初めての遠出。楽しみにしていた」とのこと。自宅は全壊し、新しい住まいの周囲に顔見知りはいません。「寂しいし、家にこもってしまう。ここに来れば、避難所のお友達に会える。これからも来たい」と話してます。

避難所で「サロン」が始まったのは5月。約250人が避難を続けるなか、心身の働きが衰える「生活不活発病」の防止に役立てようと、市職員や大学教授、医療関係者らで企画しました。

昼食後に約30分間の運動をし、その後、茶話会を開きました。5月17日から毎日続き、8月31日までに106回。多い時で約20人が参加し、地域の寄り合いのようになりました。9月7日の最終回は避難所を出た人たちも含めた約30人が集まりました。

発案の中心になった熊本大学の都竹(つづく)茂樹教授(50)=予防医学=は「避難所の健康づくりで終わらせず、つながりをつくって継続することを考えた」と述べています。

孤立や生活不活発病の防止には、仮設住宅や知り合いのいない場所で生活を始めた後、継続的に体を動かし、周りの人とのつながりができるかが課題になります。

厚生労働省の調査では、東日本大震災の特に被害が大きかった被災地では、発生半年を過ぎた頃から高齢者の要介護認定率が急増。仮設住宅に移るなどして、外出の機会が減ったことが原因と考えられます。熊本県は県医師会と協力し、今月から被災者らの生活不活発病対策を本格化。医師らが仮設住宅を巡回し、健康指導などをする予定です。

都竹教授は「健康づくりを地域づくりにつなげることが大切」と話し、孤立防止に加え、顔見知りが増えれば災害時の助け合いや地域の防災力の向上にもなると指摘。「地震で失われたつながりがある一方、避難所などで新たに生まれたつながりもある。これを生かした新しい地域づくりを広げたい」と話していました。

⑭秋の訪れ、心の癒やしに!熊本・益城に50万本の彼岸花!

熊本地震で被災した熊本県益城町の東部で昨日23日、「ふるさと彼岸花まつり」が始まりました。木山川沿いの約2キロにわたって咲く50万本の彼岸花を楽しめます。25日までの期間中、お茶の振る舞いやイモやミカンといった地元の農産物の販売などもあります。

近くに住む光永保行さん(70)が、ここに彼岸花を植え始めたのは16年前。新しい街灯ができ、照らされた道の脇で伸び放題の草を見て、「子どもたちの通学路をきれいにしてあげんと」と思いました。花の頃に訪れる人が増え、2013年からは地域の人と協力して「まつり」を催してきました。

地震から季節が移っても、街中には全壊、半壊した家屋が残ったまま。光永さんは「まつりどころではない」と中止も考えましたが、「1回やめたら、もうできなくなる気がして思い直した」そうです。「大変な思いをした人こそ、花で秋の訪れを感じて心の癒やしにしてほしい」。

⑮熊本などに寄付!日本野球機構!

日本野球機構は昨日23日、今年のマツダオールスターゲーム後に開催した慈善オークションの売り上げ1785万4140円を東日本大震災の復興支援金、熊本地震の義援金として寄付したと発表しました。最高落札額は新井(広)のユニホームで290万1千円。

⑯くまモン、クマ仲間と踊るモン!金沢・近江町市場!

熊本県のキャラクター「くまモン」が昨日23日、金沢市の近江町市場を訪れ、市場のキャラクターでやはりクマのキャラクターである「ちかちゃん」「えっちゃん」と踊りを披露しました。

4月の熊本地震のあと、近江町市場の青果店が熊本県産野菜を積極的に販売したことなどへのお礼を兼ねた訪問。今月20日から全国各地を訪問するプロジェクトの一環で来県しており、加賀友禅や加賀象嵌(ぞうがん)の体験をはじめ、輪島市の白米千枚田では稲刈りもしてきたそうです。くまモンは「景色がとてもきれいでびっくりしたモン。色んな体験ができてうれしかったモン」。

2.ここ一週間の地震

2016/09/24 04:31 24日 04:28頃 静岡県中部 1

2016/09/23 23:11 23日 23:08頃 千葉県南部 1

2016/09/23 20:45 23日 20:41頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/23 12:13 23日 12:08頃 トカラ列島近海 1

2016/09/23 12:05 23日 12:02頃 トカラ列島近海 2

2016/09/23 09:21 23日 09:14頃 関東東方沖 1

2016/09/23 08:32 23日 08:28頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/23 03:59 23日 03:55頃 内浦湾 1

2016/09/22 21:11 22日 21:07頃 茨城県北部 1

2016/09/22 21:00 22日 20:57頃 千葉県北東部 1

2016/09/22 17:20 22日 17:17頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/22 14:05 22日 14:03頃 山梨県東部・富士五湖 1

2016/09/22 14:02 22日 13:59頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/22 12:12 22日 12:09頃 山梨県東部・富士五湖 1

2016/09/21 23:14 21日 23:11頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/09/21 21:40 21日 21:37頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/21 20:06 21日 20:02頃 熊本県阿蘇地方 2

2016/09/21 20:00 21日 19:57頃 岩手県沖 1

2016/09/21 11:32 21日 11:29頃 十勝地方中部 2

2016/09/21 06:54 21日 06:50頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/21 01:28 21日 01:22頃 鳥島近海 1

2016/09/20 20:09 20日 20:06頃 新島・神津島近海 1

2016/09/20 16:26 20日 16:23頃 岩手県内陸南部 1

2016/09/20 15:17 20日 15:13頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/09/20 10:48 20日 10:45頃 伊勢湾 1

2016/09/20 09:45 20日 09:42頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/20 08:50 20日 08:46頃 岩手県沖 3

2016/09/20 04:08 20日 04:05頃 内浦湾 2

2016/09/20 04:03 20日 03:59頃 内浦湾 3

2016/09/20 01:22 20日 01:19頃 新潟県上越地方 1

2016/09/19 21:13 19日 21:10頃 岐阜県美濃東部 1

2016/09/19 20:38 19日 20:34頃 朝鮮半島南部 1

2016/09/19 16:23 19日 16:20頃 秋田県内陸南部 2

2016/09/19 15:56 19日 15:52頃 愛媛県南予 1

2016/09/19 15:27 19日 15:23頃 秋田県内陸南部 2

2016/09/19 02:08 19日 02:06頃 宮城県沖 1

2016/09/19 01:47 19日 01:44頃 留萌地方南部 2

2016/09/18 19:37 18日 19:34頃 釧路地方中南部 1

2016/09/18 19:25 18日 19:22頃 沖縄本島近海 1

2016/09/18 19:18 18日 19:15頃 沖縄本島近海 1

2016/09/18 09:38 18日 09:35頃 紀伊水道 1

2016/09/18 05:07 18日 05:03頃 トカラ列島近海 1

2016/09/18 04:56 18日 04:53頃 有明海 1

2016/09/18 03:02 18日 02:58頃 和歌山県北部 1

2016/09/17 22:44 17日 22:39頃 宮城県沖 3

2016/09/17 21:49 17日 21:45頃 千葉県東方沖 1

2016/09/17 20:04 17日 20:00頃 京都府南部 1

2016/09/17 17:28 17日 17:25頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/17 16:39 17日 16:35頃 千葉県東方沖 3

2016/09/17 08:51 17日 08:48頃 福島県沖 1

(続く)

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