【連載174】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

10月4日火曜日昼

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

皆様こんにちは。熊本地震後に亡くなった熊本県南阿蘇村の60代の女性が、新たに地震が原因で死亡したと認定され、一連の地震により亡くなった人は109人となりました。

南阿蘇村によりますと、村に住む69歳の女性は、震度6強を観測した4月16日の地震で倒壊した自宅の下敷きとなって、太ももが圧迫されたことでエコノミークラス症候群となり、その5日後に死亡しました。

南阿蘇村ではこの女性を一連の地震で死亡した人には含めていませんでしたが、先月、遺族から災害弔慰金の申請を受け、昨日3日に地震が原因で死亡したと認定しました。熊本地震で亡くなった人は、市町村の審査委員会で「災害関連死」と認定された52人や、地震のあとの6月の大雨で発生した土砂崩れで死亡した5人と合わせて109人となりました。

以前も報告しましたがお亡くなりになった方の人数はもっと大勢います。しかし『認定』を受けないと『熊本地震で亡くなった』人数にカウントされません。ご冥福をお祈りいたします。

日銀熊本支店が昨日3日発表した9月の県内企業短期経済観測調査(短観)によりますと、景況感を示す業況判断指数(DI)はプラス8で、6月の前回調査のマイナス16から24ポイント改善しました。改善幅は過去最大で、熊本地震前の3月時点のプラス7を上回りました。同支店は「地震で大きく落ち込んだ景況感が『V字回復』した」としました。

製造業が前回のマイナス18からマイナス4に、非製造業がマイナス15からプラス14に大幅改善。竹内淳一郎支店長は「復興需要の強い非製造業が先行して改善し、製造業も順調に操業回復している」と説明しました。ただ、人手不足が顕著になっているとして「住宅投資などの復興需要がまだ表に出ていない」と指摘しました。

3か月後の先行きは製造業、非製造業ともプラス13で、全産業でもプラス13を見込んでいます。

同時に発表した金融経済概観では、県内景気は「持ち直している」として、前回9月に発表した「厳しい状況が続いているものの、その程度は一段と和らいでいる」から判断を引き上げました。

熊本経済は地震前の3月よりよくなったそうで日銀熊本は『V字回復した』と喜んでいますが大事なことはこの回復が『継続』するか否かです。今回だけ見て『回復した』と宣言するのは時期尚早だと思います。プラスになったことは確かに嬉しことですがもう少し冷静に見守っていきたいと思います。

本日は『被災者日記』をご紹介いたします。

『愛犬と寄り添い再びー避難所で出会った3人』

<第一話>

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熊本地震で自宅が被災し、益城町の避難所で偶然出会った女性3人は、ペットと寝泊まりできる仮設テントで約1か月、共同生活を送りました。全員1人暮らしの70代。プレハブの仮設住宅、みなし仮設のアパート、一部損壊の自宅へ移った今、「子どもと同じ」という愛犬と寄り添って暮らしています。

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柴田澄子さん(75)は8月、益城町小谷のテクノ仮設団地に入りました。ミニチュアダックスフントのクッキー(雄、11歳)と暮らしています。

仮設テントが閉鎖された5月末、町総合体育館の避難所へ。しかし、館内にクッキーは入れず、敷地内で預かってもらうことに。2か月後、やっと移った仮設で一緒に過ごせるようになりました。

夫は6年前から介護施設で生活。町内の自宅で療養していた11年前、親戚が「(夫を)元気づけてほしい」とプレゼントしてくれたのがクッキーです。

思い出が詰まった築37年の自宅は本震で全壊。「平均寿命を考えると残り10年ほど。近所の人たちと話すと『家を建て直して、また一緒に暮らそう』と盛り上がるけど、実現は無理かな」。クッキーの頭をなでる姿は少し寂しげでした。

<第二話>

岩崎瑛子さん(75)の新居は菊陽町の1LDKアパートです。みなし仮設住宅として親戚に探してもらい、家主に事情を説明。ミニチュアダックスフントのレオ(雄、12歳)とマルチーズのメグ(雌、13歳)との同居がかないました。

レオを飼い始めたのは、亡き夫が定年退職した12年前。夫婦に子どもはいません。3年前には亡くなった妹が飼っていたメグも引き取りました。

出身は福岡県。夫は宮崎県出身で27年前、「2人の実家の中間点だから」と、転勤先の益城町に一戸建てを構えました。

和風庭園が自慢だった自宅は全壊判定。持ち出した家具は、テーブルと仏具の一部のみ。「地震で思いがけず“終活”体験ができました。新天地で再出発です」と2匹を抱き締めました。

<第三話>

吉村八枝さん(73)はミックス犬のハリー(雄、11歳)と5月末、一部損壊の自宅に戻りました。家具や食器が散乱し、親戚が片付けてくれるまで住めなかったそうです。

益城町で生まれ育ちましたが、兵庫県で助産師として活躍。「60歳で定年退職するまで千人以上を取り上げました」。阪神大震災も経験しました。

退職後に帰郷。立ち寄った熊本市動物愛護センターで、ハリーと出会いました。ペットを飼うのは初めてです。

本震直後、避難先の体育館ではハリーの鳴き声がうるさいと叱られました。それでも互いに離れられず、屋外で過ごした日も。「ペットと暮らせるテントは本当にありがたかった。独り身の私にとって、ハリーはかけがえのない家族だから」。

熊本地震ではペットも飼い主が見つからず、大きな被害を受けました。益城町の避難所で偶然出会った女性3人はペットと寝泊まりできる仮設テントで約1か月、共同生活を送りました。全員1人暮らしの70代。プレハブの仮設住宅、みなし仮設のアパート、一部損壊の自宅へ移った今、「子どもと同じ」という愛犬と寄り添って暮らしています。この話を見て感じることは『将来の日本の姿』です。震災に関わらず『1人』になったご老人たちは一人のまま『孤独死』することが既に始まっています。人間は一人では生きられません。老人ホームも大事ですが『1人になった老人達』がイキイキと生きられる施設を作ることも今後大事になってくることでしょう。熊本地震……まだまだ色んな話が出て来そうです。頑張らなくていいので今を生き抜いてほしいと切に願います。

*ブログでも同じ熊本情報を掲載しています。ご参考までに

http://ameblo.jp/onmitsudoshintenpoji/entry-12206337167.html

1.被災地情報

①八代市が仮設庁舎で業務開始!

熊本地震で使えなくなった八代市役所の本庁舎(松江城町)の北側に仮設庁舎が完成し、昨日3日、窓口業務が始まりました。

震災後、本庁舎機能は千丁や鏡支所など14カ所に分散され、市中心部に市民サービス窓口がない状態が続いていました。仮設庁舎はプレハブ2階建て2棟で、住民票などを扱う市民課や税、年金、福祉部門をはじめ、建設、農林水産部門など31の課・室を置きます。

この日は、中村博生市長の訓示後、開庁。多くの市民が早速、印鑑証明取得や福祉関係の手続きなどに訪れていました。建築関係の書類を提出した建設業の男性(55)は「複数の支所を回らねばならないこともあったが、今後は1か所で済むので助かる」と話していました。

仮設庁舎は2020年度中を目指す新本庁舎の完成まで使用します。

②改訂版復興プランを正式決定!熊本県、農業支援など追加!

*過去記事と一部重複

熊本県は昨日3日、熊本地震復旧・復興本部会議を開き、8月に策定した復旧・復興プランの改訂版を正式決定しました。熊本地震の県全体の被害額3兆7850億円との試算を明記。4年間の工程表には、農業支援など4項目を追加し計28項目にしました。

追加した農業分野の支援では、人手が不足する被災地に労働力を供給するサポートセンターを2017年度に設置することを盛り込みました。被災した穀物貯蔵施設を広域再編してコメや麦などの土地利用型農業の競争力強化も目指します。

本部会議は各部長ら16人で構成。「各部で連携し、全庁一致で取り組むべきだ」などの意見が出ました。

本部長の蒲島郁夫知事は「復旧・復興の方向性を市町村や県民と共有することで、県民の総力を結集した創造的復興を実現したい」と述べました。

③「被災まくらぎ」掘り出し、南阿蘇鉄道、現場公開!

熊本地震で被害を受け、一部しか運行を再開できていない南阿蘇鉄道(本社・高森町)は昨日3日、復旧費の一部にあてるため、オーナーを募集する「被災まくらぎ」が埋まっている現場を報道各社に公開しました。

現場は、立野駅から約1.5キロ地点のトンネルの手前。枕木は補修用に購入し、地震の2週間ほど前に368本を野積みしていました。16日未明の地震で土砂崩れが起き、付近は250メートルにわたって線路まで埋まりました。この日は、その枕木を少しずつ掘り出している作業の様子も公開しました。

南阿蘇鉄道は地震で線路やトンネルが損傷し、全線(17.7キロ)が運休。7月末に高森~中松間(7.1キロ)のみが開通しましたが、その後の復旧のめどはたっていません。その影響で、8月の乗客数は前年同月比の85%減、売り上げも同84%減となっています。

「被災まくらぎオーナー」は8日から募集し、オーナーの名前などが入ったプレートを1年間つけて補修が必要な場所に順次設置していく予定です。料金は種類により1本1万5千~2万5千円。

*問い合わせは同社(0967・62・0058)へ。

*インターネット(http://www.mt-torokko.com/)でも同日から受け付けます。

南阿蘇鉄道の復旧支援では、乗り換え案内サービス「駅すぱあと」を提供するヴァル研究所(本社・東京都杉並区)が6日から、ウェブページに設けた「シェアボタン」を押すと、1回につき5円が寄付される「YELL for 鉄道JAPAN」(https://ekiworld.net/personal/app/eki/campaign/train_pj/別ウインドウで開きます)を開始します。

また、8日に高森駅前広場で地元特産品や鉄道グッズなどを販売する「トロッコマルシェ」が開かれるほか、11月27日にはアニメ「ワンピース」のイベント列車を走らせるなど、復旧支援のイベントが次々と予定されています。

➃路線バスに宅配荷物、産交バス、県内初運行開始!

*昨日と重複

人吉市と五木村を結ぶ産交バスの路線バスに、ヤマト運輸が集めた宅配の荷物を載せる「客貨混載」の取り組みが昨日3日、始まりました。ヤマトによりますと、全国で4例目、県内では初めて。

過疎化や高齢化が進む中山間地域のバス路線の維持や宅配業務の効率化が目的。産交バスは座席の一部を荷台スペースに改造したバス2台を導入し、五木村から1日2便、人吉市からは1便を運行。ヤマトから配送料金を収受します。ヤマト側にはCO2の排出量削減効果もあるそうです。

産交バス人吉営業所で出発式があり、「くらし ハコぶ バス」のキャッチフレーズや沿線自治体のゆるキャラなどをラッピングした車体が披露されました。同社の岩崎司晃社長は「地域の生活基盤の維持・向上に努めたい」とあいさつ。五木村の和田拓也村長は「運転のできない高齢者に路線バスは重要」と話し、人吉球磨地域の他の路線にも広がることを期待しました。

客貨混載事業は道路運送法の弾力的運用で可能になり、2015年に岩手、宮崎両県で実現。今年9月27日からは北海道の名寄市などでも始まりました。

⑤結成16年、水俣から笑顔届け、宴会芸から人気バンドに!

奇抜な衣装に方言の歌やトークで観客を笑いの渦に包む熊本県水俣市の3人組コミックバンド「やうちブラザーズ」が人気を集めています。結成から16年。水俣病患者家族の苦しみを乗り越えてきた明るい笑いを、熊本地震や東日本大震災の被災地にも届けてきました。

4月の熊本地震で200戸以上が被害を受けた熊本県産山村の8月の夏祭り。上半身裸に派手なメイク、花飾りの奇抜な姿で登場した「やうちブラザーズ」は、水俣の風景をほうふつとさせるオリジナルの歌や、クワガタや耕運機をまねた一発芸、水俣弁の軽妙なトークで笑いを誘いました。

「やうち」とは身内や親族を意味する方言。リーダーでボーカルの「はーちゃん」こと漁師で杉本家の長男肇さん(55)、コーラスやパフォーマンスなどをする「みーちゃん」こと四男実さん(50)、同じく「ひーちゃん」こと親戚の自営業、鴨川等さん(47)。

元々は仲間内の宴会芸でしたが、今では水俣市を中心に県内外で年間70ステージをこなす人気ぶり。「人を楽しませ、喜んでもらえるのが楽しい」と鴨川さん。熊本地震後は、被災した益城町や阿蘇市などでも笑いを振りまいてきました。

3人は水俣市袋の茂道地区で生まれ育ちました。200人以上が水俣病の認定患者となった多発地域。漁師の網元の家系で、肇さんと実さんの両親と祖父母が認定患者です。「奇病」にかかると網子は去り、自宅に石を投げられたそうです。母栄子さんと父雄さん(ともに故人)は市立水俣病資料館の語り部を務め、差別や偏見の経験を語り続けました。

肇さんは小学5年の時に両親が入院。兄弟5人が残った家で長男の重圧に押し潰されそうになりました。学校で救急車のサイレンが聞こえるたびに、親が倒れたのではないかと不安にかられました。しかし、病気がつらいはずの母親は女装しておちゃらける弟たちを見て笑顔になりました。

「自分たちが楽しければ」。2000年春、そんな思いで本格的にバンド活動を始めました。数年後、水俣で03年に犠牲者19人を出した土石流の被災地の祭りに招かれました。

被災地でお笑いをやっていいのか?複雑な思いでしたが、集まった100人ほどが手をたたき、涙を流しながら笑い、喜んでくれました。「来てくれて良かった。3年間、笑ったことがなかったけれど、うれしかった」と言われました。

帰り道、3人でうれし泣きをしました。「深い悲しみにあった人こそ笑顔に触れ、笑いたいんじゃないか」。自分たちの笑いが人の心に届くと強く感じました。

東日本大震災で被災した福島県を2度訪れ、南相馬市などでステージに立ちました。熊本地震後、肇さんは被災した益城町を訪れ、がれき処理や炊き出しのボランティアに取り組みました。両親が入院した小学5年生の時、支えてくれた人への感謝が根底にあります。「みんなに恩返ししなければという思いが深まった」。

肇さんは産山村の舞台でお客さんに語りかけました。

「熊本県は大きな災害がありました。私も水俣から来ました。大きな出来事、事件はあったけれど、これを乗り越える力が人には備わっています。未来に突き進んでいきましょう」。

そして軽快なリズムに乗せてオリジナル曲を披露しました。

♪一人では寂しくないかい。大丈夫、大丈夫。僕にはお友達がいること、そして家族がいること。またみんなと楽しく会える日をいつも夢見ているから。

♪暗闇は怖くはないかい。大丈夫、大丈夫。お日様は、必ず沈むし、そして必ずまた昇る。暗闇は、朝が近いこと。つまりそういうことだから。

♪はんまーれ(気持ちを入れろ)、漕(こ)げ漕ーげ、はいや、ぴーや、ぴーや。はんまーれ(気持ちを入れろ)、漕(こ)げ漕ーげ、はいや、ぴーや、ぴーや、前へ前へ。前へ前へ。前へ前へ。前へ前へ。

⑥熊本城マラソン、「フル」の応募過去最多!

来年2月19日に熊本市で開かれる第6回「熊本城マラソン」の参加申し込みが昨日3日締め切られました。フルマラソン(定員1万2千人)には前回より818人多い2万5428人が応募し、過去最多となりました。競争倍率は0.07ポイント増の2.12倍。

県内からの応募は6割の1万5657人、県外からは9771人でした。男女別では男2万93人、女5335人。「初挑戦枠」(2400人)の応募は前回より1639人減の5625人でした。

3キロ(定員1500人)には、83人増の2503人が応募。倍率は0.06ポイント増の1.67倍となりました。

フルの初挑戦枠はすでに抽選を終え、9月下旬に当選者に通知しました。フルの残りと3キロは近く抽選し、10月下旬にも当落にかかわらずメールで通知します。

熊日30キロ(150人)には21人減の57人が申し込みました。

実行委事務局は「熊本地震で当初は開催が危ぶまれたが、多くの申し込みがありうれしい。復興を祈念する大会にしたい」と話していました。

⑦復興へ「常」の火文字!青井阿蘇神社でおくんち祭!

人吉市の国宝・青井阿蘇神社の例大祭「おくんち祭」が昨日3日始まり、竹灯籠で作った「常(つね)」の字にご神火(しんか)をともして熊本地震からの復興を祈願しました。

火文字は例年、その年の地元を象徴する字を選びます。同市は地震による大きな被害はありませんでしたが、福川義文宮司(52)は「被災地は一瞬にして日常の生活を奪われた。日常のありがたみを見つめ直すとともに、心を一つに、常に寄り添い続けることが最大の復興支援となる」と話していました。

祭りは11日までで、9日にメイン行事の「神幸行列」があります。

⑧阿蘇くじゅう、「見せる」復興を!有識者会議のキャンベルさん提言!

訪日外国人客の増加へ向け、環境省の「国立公園満喫プロジェクト」がスタートしました。対象の一つに選ばれた「阿蘇くじゅう」(熊本、大分)は、熊本地震で被災した登山道路の一部が5カ月ぶりに開通し、観光業の立て直しが緒に就いたばかり。プロジェクトの有識者会議メンバーで東京大教授のロバート・キャンベルさん(59)は現地を視察し「二つの地域が一筆書きで堪能できるのが魅力。復興途上で景観が変わるのも再訪の楽しみ」と再起に期待を寄せました。

「復旧、復興がこれからだということがよく分かった」。9月14日日、阿蘇山・中岳で土砂崩れの跡を見ながら、キャンベルさんは表情を曇らせました。2日間で、大分県のタデ原湿原と久住高原を歩き、熊本県の大観峰、阿蘇神社、草千里ケ浜を巡りました。本来なら絶景を心から楽しめるはずですが、地震の傷痕に心を痛めたとそうです。

⑨熊本城往時の姿に熱視線、明治初め、冨重利平が撮影、西南戦争焼失前の天守閣など!

熊本を拠点に日本写真界の草分けとして活躍した写真家、冨重利平(1837~1922)が撮影した明治期の熊本の写真展が人気を集めています。展示の中心は明治初期の熊本城です。1877(明治10)年の西南戦争で焼失する前の天守閣など、往時の姿を知ることができます。熊本地震で甚大な被害を受けた熊本のシンボルの原形を見ようと、連日多くの人が訪れています。

冨重利平は幕末、長崎で日本初の写真師の一人である上野彦馬に師事し、写真の技法を学びました。1866(慶応2)年、郷里の福岡県・柳川で写真業を始め、71(明治4)年に熊本市で「冨重写真所」を開業しました。写真所は現在も4代目の清治さん(69)が受け継いでいます。

展示会場は、肥後銀行本店1階「肥後の里山ギャラリー」(熊本市中央区練兵町)。展示中の46点のうち、1870年代の熊本城の写真が4分の1を占めます。西南戦争で焼け野原となった熊本市街や、1889(明治22)年の地震の被災状況を撮影した写真も並んでいます。同ギャラリーによりますと、来場者は1日平均150人で、昨年5月の開館記念展に次ぐにぎわいを見せているとのことです。

当初は柳川で開業して150年になるのを記念し、写真所の歴史をたどる企画を予定していましたが、熊本地震を受けて熊本城中心の構成に変更しました。清治さんは「熊本城が被災して、多くの人が改めてお城の存在の大きさを実感し、存在を問い直している。そんな中で本物を見てもらいたかった」と思いを語っています。

熊本市中央区帯山から訪れた女性(63)は「熊本は大変な状況から何度も復興を遂げてきたのだから、今回も復興できますよ」と話していました。

入館無料。15日まで(日祝日休館)。同ギャラリー=096(326)7800。

⑩被災熊本城、映像で紹介!城彩苑湧々座が再開!江戸期の威容もCG再現!

熊本地震で被災した熊本市中央区の歴史文化体験施設「桜の馬場城彩苑湧々(わくわく)座」が1日、全面再開しました。天井板や照明が落下して休館し、7月から2階施設のみ営業していました。地震の被害を受けた熊本城の石垣や重要文化財の現状を新たに映像で公開。地震前から人気だった江戸時代中期の熊本城の威容を再現した映像も大型スクリーンで見られます。担当者は「名城の魅力を再発見してほしい」と来場を呼び掛けています。

熊本城は石垣の3割と13棟の国重要文化財全てが、地震で何らかの被害を受けました。公開している被害状況の映像は、立ち入りを規制している飯田丸五階櫓(やぐら)などを熊本市や国土地理院などが特別に撮影しました。

上空からの映像は、瓦が剥がれ落ちた天守閣などを間近にとらえています。石垣とともに崩れ落ちた北十八間櫓にカメラが迫る場面では、観光客から「こんなことになってるとは」「すごい」など次々に驚きの声が上がっていました。

往時の熊本城をコンピューター技術を使って再現したバーチャルリアリティー(仮想現実)映像は、加藤清正が実戦向けに高い石垣を築き、城内部を複雑な間取りにしたことがよく分かります。全面再開する今回、地震前より大きい幅約10メートルのスクリーンで公開することにしました。

湧々座は2011年3月の九州新幹線全線開業に合わせて市が整備。運営会社の熊本城観光交流サービス金沢真美子運営連携グループ長は「被災映像は生々しいが、復旧に向かう第1弾の記録として見てほしい」と話していました。

2.ここ一週間の地震

2016/10/04 09:29 04日 09:26頃 沖縄本島近海 1

2016/10/04 06:25 04日 06:22頃 釧路沖 1

2016/10/04 00:23 04日 00:20頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/03 21:00 03日 20:55頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/03 20:12 03日 20:09頃 西表島付近 1

2016/10/03 20:11 03日 20:08頃 鳥取県中部 1

2016/10/03 18:50 03日 18:46頃 宮城県沖 2

2016/10/03 17:52 03日 17:48頃 浦河沖 3

2016/10/03 12:28 03日 12:24頃 西表島付近 3

2016/10/03 07:05 03日 07:02頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/03 04:13 03日 04:09頃 日向灘 1

2016/10/03 00:52 03日 00:48頃 千葉県東方沖 1

2016/10/02 21:27 02日 21:23頃 千葉県東方沖 1

2016/10/02 17:45 02日 17:42頃 大阪湾 1

2016/10/02 16:16 02日 16:14頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/02 14:18 02日 14:13頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/02 10:14 02日 10:08頃 岡山県北部 2

2016/10/02 10:12 02日 10:07頃 岡山県北部 1

2016/10/02 08:22 02日 08:19頃 秋田県内陸南部 1

2016/10/01 16:15 01日 16:11頃 愛媛県東予 1

2016/10/01 15:48 01日 15:45頃 岩手県沖 2

2016/10/01 15:34 01日 15:30頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/01 14:43 01日 14:40頃 有明海 1

2016/10/01 13:53 01日 13:50頃 内浦湾 2

2016/10/01 07:51 01日 07:47頃 山梨県東部・富士五湖 1

2016/10/01 04:36 01日 04:33頃 茨城県沖 1

2016/10/01 04:08 01日 04:04頃 宮城県沖 2

2016/09/30 20:43 30日 20:40頃 岩手県沖 1

2016/09/30 17:20 30日 17:16頃 長野県南部 2

2016/09/30 16:04 30日 16:01頃 釧路沖 1

2016/09/30 05:06 30日 05:02頃 熊本県天草・芦北地方 1

2016/09/30 04:51 30日 04:48頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/30 04:06 30日 04:03頃 十勝地方南部 1

2016/09/30 01:54 30日 01:51頃 奄美大島近海 1

2016/09/30 01:13 30日 01:10頃 奄美大島近海 2

2016/09/30 00:48 30日 00:45頃 奄美大島近海 1

2016/09/29 22:54 29日 22:51頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/29 21:01 29日 20:57頃 福島県沖 2

2016/09/29 19:01 29日 18:58頃 茨城県沖 1

2016/09/29 18:01 29日 17:58頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/29 12:46 29日 12:42頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/29 12:25 29日 12:22頃 沖縄本島近海 3

2016/09/29 10:28 29日 10:24頃 北海道西方沖 1

2016/09/29 04:57 29日 04:53頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/29 01:38 29日 01:33頃 択捉島南東沖 1

2016/09/28 21:30 28日 21:26頃 茨城県南部 1

2016/09/28 18:41 28日 18:38頃 与那国島近海 2

2016/09/28 10:34 28日 10:31頃 鳥取県中部 3

2016/09/28 10:28 28日 10:25頃 鳥取県中部 2

2016/09/28 10:24 28日 10:20頃 鳥取県中部 2

2016/09/28 05:47 28日 05:44頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/28 03:00 28日 02:56頃 長野県南部 3

(続く)

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