【連載177】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

10月7日金曜日昼

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

皆様こんにちは。本日は日頃筆者が皆様に申し上げていることを同じことを言っている方がいましたのでご紹介します。

2016年4月の熊本地震から、あと1週間で半年が経過しようとしています。しかし震災による住宅難が解消されているとはいえません。プレハブ仮設住宅の建設などの対策は進められているものの益城町など被害の大きかった地域には未だ避難所生活を余儀なくされている人々がいます。

2011年の東日本大震災では、プレハブ仮設住宅が約5万3000戸設置されました。それだけではなく既に存在していた空き家・空き室を自治体が借り上げて提供する「みなし仮設住宅」制度も利用され、約6万8000戸が提供されました。「自治体からの家賃の支払いが遅れたため入居者が家主に退去を要請される」といった問題も発生しました(参考:http://www.sarex.or.jp/chie/chiebukuro_7.pdf)ものの、「ふつうの暮らし」のために作られた住まいに入居して生活することで被災からの再起がいくらか容易になった被災者は少なくなかったはずです。

この「みなし仮設住宅」制度の事実上の産みの親は現在、全国賃貸住宅経営者協会連合会(ちんたい協会)熊本県支部長を務める川口雄一郎氏。長年、熊本市で不動産業を営んできた川口氏は現在、創設した会社の会長職を務めるかたわら「ちんたい協会」などを通じて住宅政策に対する活動を展開しています。

2011年「3.11」のその時、川口氏は「ちんたい協会」の会長でした。川口氏が他の賃貸住宅関連団体とともに「災害対策本部」を立ち上げ行政が賃貸住宅を借り上げて被災者に提供する「みなし仮設住宅」制度の創設を働きかけたのは発災2日後の3月13日でした。

「もともと、ちんたい協会が構築していた、アパート・マンションの空室データベースがあったんです。家主さんたちが、災害時に提供することに同意していた空室のデータベースで『もしもの時の安心住宅』という名称でした」。

かくして「みなし仮設住宅」は本格的に制度化されました。行政が賃貸住宅の空室を借り上げて被災者に提供すること自体は1995年の阪神・淡路大震災時から行われていましたが戸数は137戸にとどまりました。東日本大震災時、みなし仮設住宅の「ふつうの暮らし」を前提とした環境で一息つき、被災からの再起がいくらか容易になった被災者は少なくなかったでしょう。

川口氏が災害と住居の問題に取り組みはじめたきっかけは、阪神淡路大震災でした。

「1994年冬、阪神・淡路大震災の3ヵ月くらい前に、兵庫県の芦屋市に行く機会がありました」。

芦屋市は、日本有数の高級住宅地として知られています。地元で持たれているブランドイメージは田園調布(東京都大田区)より強いかもしれません。

阪神・淡路大震災の報に接し、いてもたってもいられなくなった川口氏は3ヵ月前に訪れたばかりの芦屋を再訪しました。

「熊本から、リュックを背負って行きました。途中から電車もバスも、交通手段がないので、歩いていきました。すると、木造の見事な住宅地だったところが、焼け野原になっていました。呆然としました」。

川口氏は自社の幹部にも現地入りし被災状況を見るよう求めました。

「『あってはならないことが起こった』と思いました。震災は、もちろん、なければ一番良かったんです。でも……日本人の危機管理意識のなさに、びっくりしました」。

阪神・淡路大震災以前の関西も住民からは「東京に出張して新幹線で関西に戻ってくると『ああ、地震の心配のないところに戻ってきた』と安心する」と言われるほどの地域でした。「天災は忘れたころにやってくることを忘れないように」と頭で考えつつも「今日も明日も、たぶん来ないだろう」と心のどこかで思っていなければ、日常生活をつつがなく送ることは困難でしょう。

川口氏は本年2016年5月、2010年から6年間にわたって務めた「ちんたい協会」会長職を退任しました。

「自分の『ちんたい協会』会長の仕事は、地震(阪神・淡路大震災)で始まり、地震(熊本地震)で終わった感じです」。

熊本地震の発災後、川口氏と「ちんたい協会」は被災者に住宅を提供するため積極的かつ柔軟に動き続けています。発災翌日の2016年4月15日から熊本県・熊本市・国交省住宅局などとの連携、政府との調整、東日本大震災を経験した多数の同業者によるボランティアの受け入れ・みなし応急仮設住宅の手配などを行いました。1週間後の4月21日、熊本県からみなし応急仮設住宅の提供要請を受けたときには1500戸を提供できる態勢を整えていました。

しかし、社員の自宅・自社店舗・管理を行っている賃貸物件も被災している中での対応です。

「体制が整わず、10店舗が休業せざるを得ませんでした。自分自身も、10日間ほど本社事務所に泊まり込みました。1ヵ月以上泊まり込んだ社員もいます」。

まずは管理を行っている賃貸物件への対応だけでも大変な仕事です。

「当然ですが『水が出ない』といった苦情がありました。水を運んで行くと居住者以外の方にも取り囲まれたり、隣のビルの方から『水が出ない』と言われたり」。

その場面で「ウチは関係ありません」と逃げ去る対応は、なかなか難しいでしょう。

なお、人員不足・施行業者不足・足場などの資材不足が響き、自社管理物件の修理は現在も約半分近く残っています。「ちんたい協会」の各都道府県支部の「有事の時には無償で支援に行く」という協定により延べ200社1700人のボランティアが集まり「ありがたかった」ということですが、切迫した状況に置かれた熊本・大分の全被災者への対応は、むろん一企業・一団体にできることではありません。

幸い、川口氏の自宅は「まったく無事」だったそうですが社員たち自身も被災しています。

「程度の差こそあれ多くの社員が被災しています。11名は住まいが全壊・半壊で、一時は、避難所での生活を余儀なくされていました。またゴールデンウイーク前に全社員に見舞金を出しました。とにかく、お金がないとどうにもならないだろう、と」。

「これから3~4ヵ月は自社業務やボランティアで休むことが難しいだろうと思いました。だから、とにかく、社員たちの心が折れないように留意しました。今は、交代で休めるようになっています」。

会社に余裕があったから大盤振る舞いできた、という訳ではありません。自社が保有している賃貸住宅も、もちろん被害を受けています。その中には立体駐車場など損害を保険によってカバーすることができない物件もあり、修繕に時間も費用も要しています。

「熊本市内は、見た目では傷んでいるように見えない建物が多いと思います。でも小さい亀裂が、数多く入っていたりします。鉄筋コンクリートや鉄骨の建物は、雨漏りが亀裂から来るんですが、余震で、その亀裂がだんだん広がってきています」。

保険対象にならないビルの場合、修理自体に必要な費用は10階建てで80万円程度だとしても、そのための足場に400万円程度が必要になる場合もあるそうです。

「足場を作らないと、漏水原因の発見はできません。漏水原因の発見は、プロでないとできませんし、発見してシーリング剤を注入して固まるのを待つなど、時間がかかります」。

お金があっても、人も資材も足りません。物件の家主たちにも、大災害に対応できるほどの余裕があるとは限りません。家主たち自身も被災しているのです。

熊本地震では、もちろん入居者たちも被災しています。

「家賃が払えなくなったので減額を、というお申し出が、約800世帯からありました。設備が使用できないなどのトラブルがあれば、対応した家賃の減額も必要になります。家主様は、物件を修理する必要もあります。家主様にも、家賃保証会社様にも立場があります。もちろん、入居している方も被災者です。ウチは板挟みになる立場でもあります。1日1500本以上のご相談の電話に社員が出て、1時間くらい話していることは日常茶飯事でした」。

みんな被災して、大変な状況の中で、誰をどう助ければよいのでしょうか?

「賃貸住宅については、家主の方々を救済しないと、入居者の方々・住居を求めている方々を救済できないだろうと思います。納税しているのに、被災した時に使える助成金制度が少なく、すべて自腹になるのは、やはりおかしいのではないかと思います」。

ちんたい協会は、賃貸住宅経営者、つまり家主たちの団体です。しかし川口氏の思いには「利権? ポジショントーク?」といった意見を差し挟む気になれない重みがあります。

支援を必要とする人がいる時に、支援者に対する支援は忘れられがちです。しかし、職業としての取り組みでも、ボランティアでの取り組みでも、支援者に対する支援の必要性は変わらないでしょう。

「国交省には、県の陳情があれば、対応する意欲があるようです。熊本市は政令指定都市なので、たとえば住宅対策を独自に行うこともできるのですが、益城町などの町村は、県が決定しないと、独自に動くことはできません」。

外野から「行政は何をやっているのだ」と声を上げる前に、見るべきことが数多くありそうです。

では、阪神・淡路大震災の被災状況を知っており、東日本大震災・熊本地震の住宅対策に直接関わった川口氏から見て、日本の防災に足りないものは何でしょうか?

「まず、常時、防災のプロ集団が集まるような、国直属の機関を作る必要があると思います。有事のときに動く体制が、日本国内で構築されていません」。

有事、と言われると「近隣国からミサイル」「近隣国の領海侵犯」を思い浮かべる人も多いかもしれません。しかし日本で現実として考えられる最大の「有事」は、地震をはじめとする数多くの天災でしょう。

「これから、災害時のマニュアルを作る予定です。でも、頭で理解しているだけではダメです。身体が動くようにしておかないと。身体が動く人がたくさんいる、動ける体制を作らなくてはダメです。災害時に被災地でボランティアを経験した人を増やすことが必要です。東日本大震災のとき、弊社では、希望者がボランティアをすることを奨励してきました。せめて、年に1回、マニュアルに基づいたシミュレーション訓練が行われていれば、全く違うと思います」。

そうでなくては、最大のシワ寄せを受けるのは、いわゆる「災害弱者」です。熊本市内で、9月、最後まで避難所に残らざるを得なかったのは、主に高齢者でした。

「物件を探しに行けず、制度が変わるたびに振り回されて『後出しジャンケン』ばかり。避難所がなくなるので動かざるを得ないわけですが、みなし応急仮設住宅に入ったら、そのままにならざるを得ません。制度に融通が利かないんです」。

熊本地震による住宅難が、特に大きく影響しているのは多人数世帯です。ちんたい協会の働きかけに応じ、9月13日、熊本県・熊本市共に「多人数世帯を世帯分離し、複数の単身者向け賃貸住宅を『みなし応急仮設住宅』として入居することができる」という取り扱いを開始しました(熊本県HPより)。

役所・制度には「カタいもの」というイメージがあります。実際にそうかもしれません。しかし、働きかけ方によっては、柔軟に動くことができるはずです。不満をぶつけながらも、好事例を作り、集積していくことは、きっとできるはずです。

ちなみに、みなし仮設住宅に生活保護世帯が入居した場合、期限が切れると、生活保護の家賃補助の上限額より家賃が高いことによって、事実上住み続けられなくなることが多いようです。このため、「みなし応急仮設住宅は、生活保護世帯にとっては使いにくい」ということになります。しかし、家主に対する助成を行い、「みなし仮設」の期限終了後の家賃を生活保護で可能な範囲に抑えることができれば、この問題は解決するでしょう。

もちろん「生活保護受給者だけが、なんでそんなに良い思いを!」という反感を持たれるようでは、制度を維持すること自体が困難に直面しかねません。しかし「健康で文化的」な住が妥当な価格で手に入ることは、すべての人にとって必要です。良好な住宅を低廉な家賃で提供する家主たちを、免税・助成などの手段で支援することの一環として、生活保護と「みなし仮設」の問題は解決できるのではないでしょうか?

*ブログでも同じ熊本情報を掲載しています。ご参考までに

http://ameblo.jp/onmitsudoshintenpoji/entry-12207311162.html

1.被災地情報

①落ちた瓦、茂る草… 被災半年、熊本城をドローンで撮影!

熊本地震から半年になるのを前に大きな被害を受けた熊本城の現状を小型無人飛行機(ドローン)を使って昨日撮影しました。熊本市から許可を得て立ち入り禁止区域内で撮影した写真や映像では瓦が落ち草が茂った天守閣の様子などが鮮明にとらえられました。

撮影は午前8時から市職員立ち会いのもとでスタート。天守閣が立つ高台の広場までのぼり、国の許可を持つカメラマンがドローンを飛ばしました。天守閣は堂々とした姿を残しつつも、上空からの映像では、屋根の瓦は遠目から感じるよりも多く落ちているように見えました。残った瓦の隙間には草が茂り、半年という時間の経過を感じさせました。

かろうじて1本の石組みで倒壊を免れている飯田丸五階櫓(やぐら)の上空からも撮影。これ以上倒れないように、高さ約14メートル、幅約30メートルの大きな架台で支えられていました。櫓をコの字形に包む架台の上では、作業員らの姿も見えました。

市によりますと、城内で13の重要文化財と天守閣を含む20の復元建造物が被災し、石垣は50カ所、約8千平方メートルが崩れたそうです。現時点での被害総額見込みは634億円。市は3年以内に天守閣の、20年かけて城全体の復旧を目指しています。

ドローンを飛ばした高台の広場へは、城の南側の「櫨方門(はぜかたもん)」からところどころ崩れた石垣の間を進みました。崩れた石は小さいもので400キロ、大きなものでは1トン以上になるそうです。広場の地面には瓦の破片が散らばっていました。

撮影に立ち会った熊本城総合事務所所長補佐の梅田雄介さん(55)は「歴史的にも例のない被害だが、少しずつ復旧が進んでいる。修復の過程も含めて3年以内に天守閣を見せられるようにしたい」と話していました。

②「広報ましき」半年ぶり復刊!地震で休刊!

熊本地震の影響で休んでいた益城町の広報誌「広報ましき」が今月、復刊しました。町にはラジオ番組もありますが「紙で情報を知りたい」という町民の声もあり半年ぶりの発刊にこぎつけました。

復刊10月号は、通常のページ数より少し多めの全32ページ。巻頭特集のタイトルは、震度7が2度、町を襲ったことを数式で表した「7×2の衝撃を乗り越え…」。14ページにわたり、被害データや復旧への歩みのほか支援者の話、町の震災復興基本方針などを紹介。特集のほかに被災者支援情報なども載せました。

復興課の広報係3人が担当。震災後は他の職員と同様、被災者支援に駆け回り、災害臨時号も出しました。8月下旬に復刊が決まり、ラジオ番組「ましきさいがいFM」の業務と並行しながら編集作業を進めました。

気をつけたのが、町民の中にある「日常生活に戻りつつある人とそうではない人の『差』」を意識することだったそうです。特集記事の結びに、町民全体で復興に向かうという文章を書いた係長の遠山伸也さん(52)は、途中に「震災の傷は、人それぞれに違いがあり、それを癒やすには、まだまだ多くの時間を必要とするかもしれません」という言葉を入れました。

地震関連の記事や情報が大半を占める中、表紙は、運動会のリレーで元気にゴールする中学生の姿を収めた写真を選びました。遠山さんは「地震で当たり前の生活の中に幸せがあることがわかった。地震を連想させるものより町の『日常』が表されている一枚をあえて選びました」。

町民へは、区長などを通じて配布。町外の人向けにインターネット上で読める電子版もあります。次号以降、定番コーナーを順次再開していく予定です。http://www.kumamoto-ebooks.jp/?bookinfo=%e5%ba%83%e5%a0%b1%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%8d-2016%e5%b9%b410%e6%9c%88%e5%8f%b7%e3%80%80no-476

③くず鉄に宿る命、小国各所に造形作品!

小国町の住民から寄せられた「くず鉄」でつくられた動物や虫、人形などの作品を町内各所に展示した展覧会「小国収穫祭」が開かれています。手がけたのは大津町在住の鉄の造形作家、藤本高廣さん(58)。町内を巡ると古い農機具や作業道具などが、思わぬ姿になって突如、現れます。

小国町の坂本善三美術館による企画で、作家に町民と交流しながら制作してもらいます。藤本さんは6月から町に滞在してくず鉄を集め、水道工事の道具や鎌、鍬(くわ)、自転車など「使わなくなったけど捨てられない」と家に置かれていた様々なものが寄せられました。100点以上の作品となり、美術館や商店街、神社、農地の横などに展示されています。

藤本さんは鉄工所を営みながら店舗装飾などを手がけ、2013年から作家活動に専念。今回、「生活の道具で作品をつくり展示する趣旨を、地元の人が受け入れ喜んでくれたのがうれしかった」と話しています。一方、同美術館は「いろんな住民が関わって、地域の美術館として広がりのある活動が展開できた」。

展示は30日までで観覧無料。スマホなどから同美術館のホームページの「ズベさんGO!」の表示をクリックすると、展示場所や作品を探すことができます。http://www.sakamotozenzo.com/

➃紀香、復興支援コンサートに使命感!

女優の藤原紀香が昨日6日、東京・渋谷のNHKホールで行われた『第16回 虹の架け橋まごころ募金コンサート』の公開リハーサルに司会として登場。終了後の囲み取材に同じく司会の徳光和夫、出演する五木ひろしらと共に対応しました。

今年で16回目を迎える同コンサートは「音楽を通して被災者を元気づけ、励まそう」がテーマ。今年は熊本地震の被災地支援のため、17組のアーティストが出演。チケット売上による収益の一部が寄付金として熊本県へ贈られます。

震災発生直後から自身のブログなどでエールを送ってきた藤原は、実際に被災地に何度も足を運んでいるといい「今も連絡を取っています。現地から聞いていることは、以前は生きていることに必死だったけれど、段々と目標も変わってきた。今こそ、そういう気持ちに影響するエンターテインメントの力がすごく必要だと思うというお声もいただいている」と現地の気持ちを代弁。

続けて「今回、皆さんの歌で力を送り、そして忘れてはいけないということを全国の皆さんに届ける機会だと思う」と本公演に向けての使命感をにじませると、徳光も「エンターテイメントは復興の力になる」と話しました。

また藤原は、さわち美欧、羽山みずき、津吹みゆと共に美空ひばりの名曲「真っ赤な太陽」を歌唱することも明かし「大緊張の中、少しだけ参加させていただいた。素晴らしい方々と共演できることが本当に幸せでございます」と感慨深げでした。

公開リハーサルにはそのほか、三船和子、長山洋子、城之内早苗、中村美律子、伍代夏子、田川寿美、市川由紀乃、氷川きよし、松原健之、ジェロ、はやぶさ、エドアルド、三丘翔太が出席。

そうそうたる顔ぶれを代表して五木は「真心を込めて歌います。私たちの歌が少しでも励ましになれば」。福岡県出身の氷川も「(震災を受けて)心を痛めました。励ましの歌を全員で一生懸命、歌います」と言葉に力を込めていました。

⑤細川家墓所、修復遠く、北岡自然公園!

熊本市は昨日6日、熊本地震で被災した中央区横手の国指定史跡・北岡自然公園を報道陣に公開しました。細川家三霊廟(れいびょう)の唐門や熊本藩6代藩主・細川重賢公の墓は倒れたままで、復旧には3年以上かかる見込み。被害のなかった庭園エリアのみ、本日7日から無料開放されます。

公園は、初代熊本藩主忠利公の菩提(ぼだい)寺「妙解寺(みょうげじ)」跡地で約4万3千平方メートル。1955年に市が細川家から譲り受け、公園として整備しました。

園内には、忠利公らをまつる三霊廟を中心に歴代藩主らの墓25基や石灯籠約160基などが並んでいます。震災で、三霊廟入り口の唐門(高さ約5メートル、幅約3メートル)が倒壊。墓や石灯籠も、ほぼすべてに転倒やずれが生じ、江戸後期とみられる妙解橋の欄干も崩落しました。

修復は手付かずの状態で、崩壊した唐門一帯はビニールシートで覆われていました。霊廟の南にある重賢公の墓は、上部の石材が転げ落ちたままになっています。

「唐門は江戸前期に建てられたが、過去の災害で倒壊した記録はない」と市文化振興課。崩れた部材を組み立て直し、修復します。来年度から本格的な工事に着手し、2019年度に完了予定。復旧費は2億8千万円を見込んでいます。

⑥「被災者主体の支援を」生活相談員、心構え学ぶ!

熊本地震で被災した15市町村で開設を進めている「地域支え合いセンター」の生活支援相談員を対象にした研修会が昨日6日、熊本市南区の火の君文化センターでありました。兵庫県内の社会福祉協議会職員らが、阪神大震災での経験を基に「被災者主体の支援を心掛けて」などと助言しました。

巡回訪問での話し方など支援のノウハウを学んでもらおうと、熊本県と同県社協が企画。相談員約100人が参加しました。

兵庫県宝塚市社協の山本信也さん(45)が「仮設団地などでリーダーシップの取れる住民を見つけ、住民主体の自治ができるようサポートして」と話しました。「日常的に雑談をして、被災者を孤立させないことが大切」とも述べました。

参加者はグループに分かれ、支援の心構えを書き出すワークショップにも取り組みました。

西原村の相談員、堀田正樹さん(24)は「被災者の話を丁寧に聞き、心が軽くなるよう努めたい」と話しました。研修会は本日7日も開かれます。

⑦「益城に住み続けたい」が9割!町が全世帯アンケート!

益城町は昨日6日、熊本地震に伴う復興計画策定に向けて町内の全世帯を対象に実施したアンケートの結果を公表しました。「益城町に住み続けたい」と望む世帯が9割を占める一方で、「余震や二次災害が不安」と答えた世帯が5割を超えました。震度7に2度襲われ、住民が災害への不安を抱き続けていることがうかがえます。

アンケートは8月18日~9月2日にかけ、町内の1万3097世帯を対象に郵送で実施。4割にあたる5133世帯が答えました。回答者の6割は60代以上でした。

町の集計によりますと、87%が「益城町に住み続けたい」と回答。「既に町外に移転したが、戻りたい」の3%と合わせると、9割が町内での生活を希望しました。一方、「町外に移転したい」は7%、「既に町外に移転し、戻るつもりはない」は1%でした。

今後の暮らしで不安に感じることを複数回答で尋ねたところ、「余震や二次災害」が54%で最多。「将来的に大きな災害が起きないか」が51%、「買い物などが不便になる」が31%、「住宅を確保できるか」が24%で続きました。

町復興課は「町に愛着を持っている人が多数いることが分かった。町民が安心して住み続けられるよう災害に強い町づくりを目指したい」としています。

熊本大の学生らが町内の仮設団地で実施している調査の中間まとめでは、7割を超える町民が「将来も地元で暮らしたい」との意向を示しています。

2.ここ一週間の地震

2016/10/07 09:17 07日 09:14頃 浦河沖 2

2016/10/07 08:37 07日 08:33頃 内浦湾 3

2016/10/07 00:57 07日 00:52頃 台湾付近 1

2016/10/06 23:35 06日 23:32頃 和歌山県北部 2

2016/10/06 15:01 06日 14:57頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/10/06 11:28 06日 11:23頃 千葉県北東部 2

2016/10/06 10:53 06日 10:48頃 和歌山県北部 1

2016/10/05 17:47 05日 17:44頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/05 16:33 05日 16:30頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/04 23:05 04日 23:01頃 父島近海 2

2016/10/04 18:07 04日 18:04頃 日向灘 1

2016/10/04 14:51 04日 14:45頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/10/04 09:29 04日 09:26頃 沖縄本島近海 1

2016/10/04 06:25 04日 06:22頃 釧路沖 1

2016/10/04 00:23 04日 00:20頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/03 21:00 03日 20:55頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/03 20:12 03日 20:09頃 西表島付近 1

2016/10/03 20:11 03日 20:08頃 鳥取県中部 1

2016/10/03 18:50 03日 18:46頃 宮城県沖 2

2016/10/03 17:52 03日 17:48頃 浦河沖 3

2016/10/03 12:28 03日 12:24頃 西表島付近 3

2016/10/03 07:05 03日 07:02頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/03 04:13 03日 04:09頃 日向灘 1

2016/10/03 00:52 03日 00:48頃 千葉県東方沖 1

2016/10/02 21:27 02日 21:23頃 千葉県東方沖 1

2016/10/02 17:45 02日 17:42頃 大阪湾 1

2016/10/02 16:16 02日 16:14頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/02 14:18 02日 14:13頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/02 10:14 02日 10:08頃 岡山県北部 2

2016/10/02 10:12 02日 10:07頃 岡山県北部 1

2016/10/02 08:22 02日 08:19頃 秋田県内陸南部 1

2016/10/01 16:15 01日 16:11頃 愛媛県東予 1

2016/10/01 15:48 01日 15:45頃 岩手県沖 2

2016/10/01 15:34 01日 15:30頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/01 14:43 01日 14:40頃 有明海 1

2016/10/01 13:53 01日 13:50頃 内浦湾 2

2016/10/01 07:51 01日 07:47頃 山梨県東部・富士五湖 1

2016/10/01 04:36 01日 04:33頃 茨城県沖 1

2016/10/01 04:08 01日 04:04頃 宮城県沖 2

2016/09/30 20:43 30日 20:40頃 岩手県沖 1

2016/09/30 17:20 30日 17:16頃 長野県南部 2

2016/09/30 16:04 30日 16:01頃 釧路沖 1

2016/09/30 05:06 30日 05:02頃 熊本県天草・芦北地方 1

2016/09/30 04:51 30日 04:48頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/30 04:06 30日 04:03頃 十勝地方南部 1

2016/09/30 01:54 30日 01:51頃 奄美大島近海 1

2016/09/30 01:13 30日 01:10頃 奄美大島近海 2

2016/09/30 00:48 30日 00:45頃 奄美大島近海 1

(続く)

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