ランドセルの日・カラー映画の日・漬物の日「今日は何の日・3月21日」

3月21日木曜日

皆様おはようございます。体調はGOODですか?うがい、手洗い、消毒は欠かさずおこなっていますか?

今日は「ランドセルの日」「カラー映画の日」「漬物の日」です。

まず「ランドセルの日」について。

なぜ3月32日が「ランドセルの日」なのかというと、3+2+1が小学校の修業年数の6になるということが由来しています。
ランドセルをミニサイズに加工しているお店の「スキップ」によって「ランドセルの日」が制定されました。
また、3月21日が卒業式シーズンであることにも由来し、小学校6年間の思い出がいっぱい詰まったランドセルに感謝の気持ちを表す日にもなっています。
筆者は兄のお下がりとしてランドセルをもらい、小学校6年間はずっとランドセルを使っていました。
兄が使っていた3年間も含めると、9年間もランドセルを使用していたことになります。
それでも壊れることがなく、ランドセルがいかに丈夫で優秀なバッグであることがわかりますよね。
しかし、学年が上がるのにつれてランドセルを背負う自動が減っていき、6年生になったころにはほとんどの人がランドセル以外にカバンを背負っていて、なんだか気恥ずかしい思いをした記憶があります。
この「ランドセルの日」を記念して、子供たちにもランドセルに感謝の気持ちを持ってもらい、物を大切にする事を教えてあげたいですよね。

ランドセルの起源と由来についてです。
ランドセルの原型だったとされているものは、既に江戸時代末期には使われていたそうです。
その当時は外国式の軍隊制度を導入している最中だったため、ランドセルの原型は軍人の装備品として使われていました。
丈夫な布製のリュックサックのようなもので「背嚢(はいのう)」と呼ばれており、当時は輸入して使っていました。
明治時代に入ると学習院と呼ばれる現在の学校のようなものが誕生し、子供は背嚢(はいのう)に教科書をつめて通学するようになりました。
背嚢(はいのう)はオランダから輸入されていたものが主で、「ランセル」という名前だったそうです。
この「ランセル」がなまって「ランドセル」という言葉が誕生したんですね!
当時は布製でしたが、伊藤博文が大正天皇に特注の革製のランドセルを贈った事から、革製のランドセルが誕生しました。
そのため、実は革製のランドセル通学を初めてした子供は大正天皇だったとされています。
革製のランドセルは高級品であり、富裕層の子供のものでした高度経済成長を境にして少しずつ庶民にも普及するようになりました。
現在では日本の革製ランドセルは海外旅行者にも人気のアイテムとなり、お土産やファッションアイテムとして購入されるようになりました。

*最近の「ランドセル」は色がカラフルになりましたね。

次に「カラー映画の日」について。

なぜ3月21日が「カラー映画の日」なのかというと、1951(昭和26)年に初の国産総天然色(カラー)映画である「カルメン故郷に帰る」が公開された事に由来しています。
実はカラー映画自体は1951年になる前から上映されていました。
戦後になるとアメリカからカラー映画が急速に輸入されるようになり、日本の映画会社もそれに刺激を受けて本格的にカラー映画を制作するように意気込んでいました。
そこでついに誕生したのが「カルメン故郷に帰る」という映画だったんですね。
ちなみに、日本で最初に上映されたカラー映画は1937年の「千人針」という作品でしたが、フィルム自体が国産ではなく、カラー映画としては「準国産」という感じで全てが国産で制作されたものではありませんでした。
現在ではむしろカラー映画が当たり前になっていますが、戦後の日本ではコストの関係や制作の手間を考えると、カラー映画の制作は相当難しかったようです。
3月21日はカラー映画が見れる事に感謝しつつ映画館に足を運んでみるのもいいかもしれませんね。

映画を見る時に食べるものの定番として「ポップコーン」があげられますよね。
ポップコーンが売られていない映画館は見たことがないですし、家で映画を見る時もついポップコーンを買ってきて映画館気分を味わいたくなります。
しかし、映画の上映が始まって最初からポップコーンが食べられていたわけではありません。
そもそも映画の上映が始まったころは無声映画が主流だったため、映画館でポップコーンを食べると音が気になってしまい、映画館で食べ物を食べる文化はありませんでした。
そして、その頃の映画は一部の教養人が見るものであって、一般的には普及していませんでした。
時代が進んで無声映画から音声入りの映画(トーキー時代)の上映が始まると、映画は一般市民の娯楽として普及しました。
その際にポップコーンを販売したところ、映画館の売り上げに大きく貢献したため、やがてポップコーンが定番として定着したのでした。
当時は世界恐慌の真っただ中であらゆる物価がインフレを起こしていましたが、ポップコーンについては値段がほとんど変わらず、安値で楽しめる塩味のポップコーンが好まれていたそうで、
こうした時代背景もあり「映画=ポップコーン」はより一層定着したのでした。

映画館にある大きなスクリーンには実は小さな穴がたくさん空いているって知っていましたか?
これは映画館のどの席に座っても映画の音声が聞こえるようにするための工夫なんです。
映画館のスピーカーはスクリーンの裏側にも配置されているため、スクリーンに穴が空いていないと音がスクリーンに遮られて音が客席まで届かなくなります。
そのため小さな穴をたくさん空けて客席に音声が届くようにしているというわけですね!

*皆様は最近どんな「映画」をご覧になりましたか?最近はスマホでも映画が観れますので、臨場感がなくなりましたね。

最後に「漬物の日」について。

なぜ毎⽉21⽇が「漬物の⽇」なのかというと、毎年8⽉21⽇に名古屋市にある萱津(かやつ)神社で「⾹の物祭」として祝っていることが由来となっています。
「⾹の物祭」を8⽉21⽇に⾏うことから、漬物業界では毎⽉21⽇を「漬物の⽇」という記念⽇として制定しました。
この⽇には漬物の普及活動などが⾏われているそうです。
そもそもなぜ「⾹の物祭」が⾏われるようになったのかというと、萱津神社に残る古い逸話が由来となっています。
萱津神社を祀っていた村⼈は豊かな⾃然の恵みに感謝をして、⼤地から初めて収穫された野菜と海から収穫された藻塩を初穂としてお供えしていました。
現在でもそうですが、たとえお供えをしたとしてもすぐに腐ってしまうことから、カメに⼊れて供えることを考えました。
その結果、野菜が腐らないで⻑期保存のできる漬物になり、村⼈はこの腐らない不思議な⾷べ物を神様からの贈り物だと考えてとても感謝しました。
それが原型となって漬物が誕⽣し、漬物は⻑く腐らないことから無病息災の意味でも⾷べられるようになったのです。
この逸話が現代にも受け継がれており、神様に感謝の気持ちを伝えて供え物をする「⾹の物祭」が⾏なわれているわけですね。

カレーライスにあわせて⾷べるものといえば「福神漬け」ですよね。
パリパリとした⾷感とあの⽢味が箸休めになりますが、そもそもなぜあの漬物が「福神漬け」という有難そうな名前になったか知っていますか︖
福神漬けが誕⽣したのは明治時代だったとされていて、福神漬けの販売を⾏っていたお店が不忍池の近くにあったそうです。
そして、不忍池の弁財天にあやかって、7種類の野菜を七福神に⾒⽴てて「福神漬け」としたことが由来となりました。
ちなみに福神漬けは、ダイコン、ナス、ナタマメ、レンコン、キュウリ、シソの実、シイタケまたは⽩ゴマの7種類を細かく刻んで醤油や砂糖、みりんで漬け込んだ漬物のことです。
もともとは商品名だったものが広く知れ渡り、現在はすっかりと漬物の⼀種として定着しているのでした。

漬物にはいろいろな種類がありますが、その中でも漬物のことを「お新⾹(おしんこ)」と呼ぶときがありますよね。
漬物もお新⾹もどちらも同じような⾷べ物に⾒えますが、その違いはどこにあるかを知っていましたか︖
実は「お新⾹」とは「新しい⾹り」という漢字を読んで字のごとく、漬物の中でも漬けられてからまだ⽇の浅い漬物のことをいうんです。
漬物は⻑時間漬けられたものよりも、浅漬けやお新⾹などの短時間漬けられたものの⽅がより新鮮さが残っていて、野菜の⾹りがしますよね。
つまり、お新⾹は漬物の⼀種であり、漬け⽅などの違いなどではなく、どれだけの時間をかけて漬けられたかが基準
になっています。
ちなみに、いつまでがお新⾹や浅漬けと呼ばれるのか調べてみましたが、明確な定義などは⾒当たりませんでした。

*皆様は「漬物」お好きですか?僕は不得手で、福神漬け・柴漬け・みそ漬けくらいしか食べられないのがつらいですね。キムチは好きなのですけどね。

本日もよろしくお願いいたします。

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