世界パスタデー・民間航空記念日・リクエストの日「今日は何の日・10月25日」

10月25日水曜日

皆様おはようございます。一昨日通販番組QVCでデロンギの商品が半額で買おうかどうか迷って買わなかったのですが、デロンギは本当に暖かくなるのでしょうか?ここ数年、冬は異常に寒く、エアコンでは無理、自宅内灯油禁止など指定があり、部屋を暖めるのに一苦労です。皆様はいかがですか?一番暖かくなるのは何を使えばいいのでしょうか?

今日は「世界パスタデー」「民間航空記念日」「リクエストの日」です。

まず「世界パスタデー」から。

なぜ10月25日が「世界パスタデー」なのかというと、1995(平成7)年10月25日にイタリアで第1回世界パスタ会議が開催されたことが由来となっていて、1998年に制定された記念日となっています。
毎年10月25日の「世界パスタデー」になると、EUやイタリアパスタ製造業者連合会などが合同でパスタの販売促進キャンペーンを開催しています。
日本でも日本全国のイタリアンレストランで使われているパスタのシェアNo.1を誇る「Barilla(バリラ)」によってイベントが開催されており、過去にはイベントの参加店であるイタリアンレストランで食事をすると「Barilla(バリラ)」のパスタがプレゼントされるといった内容のイベントが開催されました。
実はパスタの歴史はとても古く、すでに古代ローマではパスタの原型となる料理が食べられていたそうです。
小麦の生産は当時から行われていたため、これを粥状に煮込んだ「プルス」というものがパスタの起源となったとされています。
日本でパスタが庶民的なものになったのは戦後のことでしたが、実は江戸時代のころにパスタが日本に持ち込まれたこともあったそうです。
初めてパスタを見た江戸時代の日本人によって「うどんのようなもの」と書かれた書物も残っているそうです。

パスタには「カルボナーラ」「ペペロンチーノ」「ジェノベーゼ」「ボロネーゼ」「ボンゴレ・ビアンコ」など様々な味があって本当に飽きないですよね。
その中でも日本人に古くから愛されている「ナポリタン」については、実は日本が発祥のパスタだとされているんです。
ナポリタンはケチャップで味付けをする庶民の代表的な味のパスタですが、パスタの本場であるイタリアではこのようなパスタは食べていないようです。
ナポリタンというパスタを考案したのは「横浜ホテルニューグランド」の第二総料理長である、入江茂忠氏だとされています。
戦後でありGHQの統治下にあった日本ではあまり食材もそろえることが出来なかったのですが、米軍が軍用食として使っていたパスタに、簡単な味付けをして手軽な食材で食べられるように考えられたのがナポリタンだったのです。
実際に味付けはケチャップと塩コショウだけだったそうで、その素朴な味わいがいまだに日本人 の舌を惹き付けているのでしょうね。

パスタの本場であるイタリアにはパスタに関する法律があるって知っていましたか?
実はイタリアには「デュラム小麦のセモリナを100%使わないといけない」という法律が記されています。
デュラムというのは小麦の品質を表す言葉であり、セモリナは粗粒粉という意味であるため、つまり一定品質以上の小麦の粗粒粉を使わなければそれはパスタとして認められないということなんですね。
「デュラム小麦のセモリナ100%」でなければ「パスタ」と名乗ることすら許されないという、パスタの本場らしい厳格な法律でした。

*皆様は「パスタ」お好きですか。どんなパスタがお気に入りですか?ボロネーゼ(ミートソース)?カルボナーラ?ヴォンゴレ?ペスカトーレ?ペペロンチーノ(アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ)?ジェノヴェーゼ?プッタネスカ?それともアラビアータ?

次に「民間航空記念日」について。

なぜ10月25日が「民間航空機の日」なのかというと、1951(昭和26)年10月25日に戦後の日本で初めて民間航空機がフライトをしたことが由来となっています。
戦後に最初に国内民間航空会社として設立されたのは日本航空であり、この日に一番機としてフライトをしたのは「ど星号」という名前の航空機でした。
「ど星号」は無事に運航を終えて東京~大阪~福岡間の運航が始まることになりました。
当時の日本には既に人を乗せて飛行機を飛ばすような技術はあったのですが、第二次世界大戦で敗戦してしまったことから、GHQの統治下になり、日本国籍の航空機の運航が停止となってしまいました。
1950年6月にようやくGHQによる日本の航空会社の運航禁止期間の解除がされたため、1951年に民間航空機が飛べるようになりました。
更に2年後の1953年には国内線のみならず、羽田空港発の国際線の運航が開始されました。
羽田空港からホノルルを経由しサンフランシスコへと向かう経路となっていました。
1954年には羽田空港から沖縄への便も開通しましたが、当時は沖縄が連合国の占領下にあったため、国内線ではなく国際線という扱いになっていました。

飛行機に乗っている時に雲の中などを通過すると機体が軋むような音がしたり、ガタガタと揺れて少し怖い思いをしますよね。
当然ですが雲には雷が発生することもあり、飛行機に雷が命中する危険もありますよね。
雷が命中すると10億ボルトもの電圧が一気に掛かり、木などに雷が命中すると木を真っ二つにしてしまう程の威力があります。
そんな雷が飛行機に命中してしまうとひとたまりもないような気がしますが、実は飛行機に雷が当たったとしても問題なく運航できるような仕組みになっているのです。
飛行機には必ず「静電放電装置」というものが設置されていて、雷が命中したとしても電流がうまく流れて放電されるようになっているんですね。
そのため、仮に雷が命中したとしてもその衝撃などで機体が揺れたりはしますが、乗客が感電することもなく、安全に運航が続けられるのです。
また、「静電放電装置」があるからといって完全に頼り切っているわけではなく、天候が悪い際にはパイロットの判断で雷があまり発生しないルートを飛行するそうです。

飛行機に乗る時に耳が痛くなった経験を持つ人は多いのではないでしょうか。
特に離着陸時など急に高さが変化する時には痛みを感じやすいですよね。
その耳の不快感には気圧が関係していました。
普段生活している地上よりも上空の方が気圧は低いですよね。
お菓子の袋も上空ではパンパンに膨れるほど、地上と上空では気圧に差が出るのです。
耳の内部の空気も上空に行くにつれて圧力が強くなり、結果、圧迫され痛みが出てしまうのです。
痛みを和らげる手段としては耳の内部の空気を外の気圧と同じにすることです。
例えば、つばを飲み込んだり耳抜きをすることで外の空気を耳に取り込め気圧の差異を解消できます。
しかし耳抜きは鼓膜を痛めやすいことから不安だという人も多いですよね。
そういう方には空港に売っている気圧変動対応の耳栓を使用することをオススメします。

*コロナ流行中には「倒産した航空会社」もありましたね。これから元に戻っていくことを祈ります。

最後に「リクエストの日」について。

なぜ10月25日が「リクエストの日」なのかというと、1936年10月25日にベルリンのドイツ放送でラジオのリクエスト番組が始まったことが由来となっています。
今ではリスナーからリクエストを貰うことが当たり前になっていますが、当時のラジオではとても珍しいことだったのです。
たまたま生放送番組の放送中に、リスナーから希望する曲目を演奏して欲しいと電話があったのがきっかけであり、その後リクエスト番組は大ヒットすることとなりました。
日本でも実はかなり昔からリクエスト番組が存在していました。
現在で最も長寿のリクエスト番組だとされている山陰放送の「音楽の風車」という番組は、なんと山陰放送が開局された1954年当時から2018年現在も放送が続けられています。
余程の自体が起こらない限りは1月1日から12月31日まで一年中放送されており、2008年12月6日 時点では放送回数20000回を突破しました。
リスナーから受け付けるリクエスト曲は邦楽のみで、洋楽は同じく山陰放送の「サンセット・ロード」と内容が重複することから、募集されていないそうです。

皆さんはラジオ体操といえば「ラジオ体操第二」までだと思っていませんか?
しかし、実はラジオ体操は第二までではなく、ラジオ体操第三まで存在しているのです。
そもそもラジオ体操を第一や第二と分けているのは、身体に掛かる負荷の事が考えられているからなんですね。
ラジオ体操第一については、子供からお年寄りまで誰でもこなせるような負荷になっています。
ラジオ体操第二になると負荷が上がり、働き盛りの若者などが身体を動かすための体操となっています。
そしてラジオ体操第三はより負荷が上がって動きが複雑となり、ラジオ放送ではその動きを伝えることが難しいため、全くといっていいほど普及しなかったのです。

ラジオ放送はテレビ放送が始まる前から行われていたため、2018年現在ではラジオ放送開始から100年以上が経っています。
かなり昔のことなのでほとんどの人に知られていませんが、世界初のラジオ放送の内容がどのようなものだったかご存じですか?
世界初のラジオ放送は、一般的には1920年11月2日にアメリカのラジオ局が放送した大統領選挙の結果放送だとされています。
しかし、それ以前について調べてみると、これより更に前からラジオ放送を行っている人物がいたのです。
その人物は電気技師の「レジナルド・フェッセンデン」という人物であり、1906年12月24日に自 身が所持していたアメリカの無線局からラジオ放送を行なっていたのです。
この日がちょうどクリスマスであったことから、世界初のラジオ放送ではクリスマスソングが流されたり、聖書の朗読が行なわれたとされています。
この放送は大晦日まで続いたそうで、時には自分自身のバイオリン演奏なども放送したそうです。

*昔、僕が小中学生の頃は「深夜ラジオ全盛期」でよく僕も「リクエスト」していました。皆様はいかがですか?

本日も宜しくお願いいたします。

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2020年3月29日夕方『新コロナは中国が意図的に作った菌』と書いたら『5,000本』あった記事を全部消されましたので『ゼロ』からID(アドレス)を作り直しました。『私のブログに登録』してくださった皆様には大変ご迷惑をおかけしました。改めてよろしくお願い申し上げます。

『3・11』の時『東日本震災の真実』を書いた時もブログ1,000本を民主党政権に抹殺されました。

これからも負けずに書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

*今日の記念日は他にもあります。

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