ロンドンの“中心部”──(タワーヒル以東が本当にイングランドの首都と呼べるかどうかという曖昧な議論もあり、あえてカギ括弧を使用)──に位置する「パディング・ミル・レーン」には、現代AI技術の“最も知られた秘密”が隠されている。ここには日々何千人もの観客が押し寄せるが、その場所は、まるでヴィクトリア時代の住所のような響きがありながら、1974年のユーロビジョン優勝者にしてディスコ界のレジェンド──ABBA──という過去の遺産が蘇る現場となっている。
だが、ABBAのメンバーたちはすでに引退の空気をまとっているはず。にもかかわらず、「ライブコンサート」が行なわれているというのは、どういうことだろうか? 答えは、「携帯電話使用禁止」という厳格なポリシーの裏に隠されている(この件については後述!)。だが、この秘密はすでに多くのTikTokerたちによって拡散されており、彼らは次なる“承認”のために情報を漏らしてきた。専用に建設された「ABBAアリーナ」では、ビヨルン、ベニー、アグネタ、フリーダのホログラフィック映像が鮮やかに再現されており、同じくスウェーデン出身のEric Prydzの『HOLO』ショーでの試みに比べても、その壮麗さにおいて一線を画している。
屋内スタジアムのホワイエにはネオンの色彩があふれ、Purple Disco Machineなどの楽曲で観客の気分を盛り上げているが、主会場である三面構成のメインホールに一歩足を踏み入れると、その静寂に驚かされる。スタンディング・オンリーのダンスフロアを囲むピラミッド型の座席構造、巨大なプラズマスクリーンには雪に包まれた森の風景が映し出され、穏やかな音楽が流れる……が、この穏やかさは長くは続かない。スタッフが「携帯の使用が発覚した場合は即退場」と厳しく警告したあと、照明が落ち、4人のシルエットが奥からゆっくりと姿を現す。ここで、ディープフェイク技術の真価が問われることになる。
『スター・ウォーズ』などでは近年、CGで再現されたルーク・スカイウォーカーや故キャリー・フィッシャー演じるレイア姫が登場して話題となったが、100分間にわたって表情まで表現する「コンサート」は、全く異なる難易度を伴う。それでも、この『Voyage』は十分に成功している。髪の揺れ一つをとっても、ヒップのスウィングや象徴的なフレアパンツの蹴りに自然と同調し、人間らしさを感じさせる。アリーナ内に多数設置された大スクリーンがズームインしてキーボードを弾く指やマイクに触れる唇を映し出すと、その瞬間にわずかな“ゲーム感”が感じられる──まるで『The Last of Us』のPS5グラフィックのようだ。
だが、真に心を打つのは、メンバーそれぞれの個性がしっかりと表現されている点だ。「悲しきフェルナンド」や「チキチータ」を歌うアグネタの目には、本物さながらの涙が浮かぶ。ビヨルンは、あの“おかっぱヘア”を揺らしながら、シャイで内向的な魅力を見せ、当時世界中の女性たちを虜にした“少年のような”姿を再現。ベニーはグループの安定感をそのままに保ち、そしてフリーダこそが、身体の動きだけでその力強さと堂々たる存在感を見せつけてくれる──本人は恐らくストックホルムのマルーン色の革張りソファにくつろいでいるであろうにもかかわらず、である。
そのリアリズムがあまりにも強烈なため、ステージに登場する「本物の」バックバンドメンバーたちでさえ、初見では「これもCGか?」と疑う観客が続出するほど。観客の年齢層はやや高めで、青白いパーマの老婦人も多いが、まさに“世代を超えた一体感”こそが、このアリーナ最大の魅力と言える。右列ではオーストラリアから来たご婦人たちが痩せた骨でリズムに乗り、左後方では中年男性がダウン症の少女と熱唱──父娘と思しき2人のその姿は、胸を打つ光景だった。さらには「マネー、マネー、マネー」を“やけに感情的”に歌い上げる女性も……恐らく彼女自身の苦い思い出が漏れ出ていたのだろう。いずれにしても、ABBA Voyageは“団結”を惜しみなく提供してくれる。
多くのアーティストやコメディアンが導入している「携帯電話禁止ポリシー」も、ここでは功を奏している。観客はスマホ越しの世界に頼らず、“いま、この瞬間”に集中する。どこを見渡しても、他人のスマホ越しではなく“後頭部”しか見えないというのは、もはや新鮮な体験だ。『ブラック・ミラー』的な光景はここにはない。
公演では、ホログラムによるABBAとともに、過去の実際の映像(特に「恋のウォータールー」)が織り交ぜられている。そして圧巻なのは、グループが未来的な惑星へと旅する楽曲で、紫色の銀河的パルスがアリーナ全体を包むとき。観客たちは、誰に言われるでもなく立ち上がり、ステージと一体化していく。「ダンシング・クイーン」の大団円を迎える頃には、観客たちはこう言っても許されるだろう──「私はABBAのライブを本当に観たのだ」と。目の前にいたのはCGではあるが、それでも“完璧なまでの演出”によって“ライブ”として成立していたのだ。
とはいえ、AIの進化があまりに急速な現在、そしてスパイク・ジョーンズ監督による2013年の映画『her/世界でひとつの彼女』(ホアキン・フェニックス主演)の残像がなお脳裏に残る今、この『ABBA Voyage』は、“ディープフェイク技術の最高の成功例”であると同時に、“人類にとっての最大の災厄”にもなり得るのかもしれない。
評価:10/10──現代人にとって見逃せない「通過儀礼」そのもの。