【連載①】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

まえがき

皆様は『熊本地震』を覚えていらっしゃるでしょうか?

「えっ?いつだっけ?」

「東日本震災より先だっけ?後だっけ?」

そんな感覚の人も多いことでしょう。

当時、僕は恐らく関東の記者・ジャーナリスとの中では最も早く「現地入り」した一人だと思います。

SNS上でも大騒ぎになり、もちろん『デマ』も出まくりました。

そこでそれぞれのSNS上で『熊本地震』の記事を発信している者同士話し合い、その結果、僕の記事を中心にデマかそうでないかを判断しようということになりました。

そのため、僕は現地にいることを余儀なくされました。

東日本震災の時もそうでしたが、まるで「第二次世界大戦後の焼け野原」を見るようで、とても辛かったと記憶しています。

あちこちで鳴き叫ぶ声、腐った魚や朽ちた木の独特の臭い、いつも船の中にいて揺れているような酔った感覚・・・。

現地は大慌てでした。

また熊本に入る道路のあちこちで凹凸が見られ、車1台通れない、まさに「籠城状態」でした。

熊本のシンボル「熊本城」は頑丈に作られていたにも関わらず、城壁がもろくも崩れました。

何もかもが異常でした。

「なぜ今頃、熊本地震?」と思われる方も多いことでしょう。

それは現在の「コロナ渦中」と似ているからです。

人間の本当の力が発揮できるのは「危機」の時です。

どんなに偉い人でも金持ちの人でも頭のいい人でも、「有事の際」にどういう行動をとれるかでその人の「本当の姿」が見れるものだと僕は思っております。

人間にとって唯一平等なのは「一日24時間」あることです。

それ以外は平等ではありません。

地震で地獄を見ている人の「1分」と、何もすること無くボッーとしている「1分」は、内容が違っても同じ「1分」であることには変わりありません。

大事なことは「有事」の際に、その「1分」をどう使うかです。

それは昨年から続いていてゴールが見えない現代の世の中でも同じです。

関東にも東海にもいつ東日本震災・熊本地震のような「大地震」が起こるかわかりません。

そのとき、あなたならどうしますか?

筆者は、阪神淡路震災の時、会社の車に乗って、救援物資を運びに行きました。

東日本震災の時は「12時間」かけて現地に入り、取材、ボランティアをしてきました。

そして、熊本地震でも取材、ボランティアをしてきました。

ですが世の中、筆者の行為を面白くないというか許さないというか。せっかく書いたブログやFACEBOOKの記事を無残にも「全部」消されました。

何とか「熊本地震のナマの記事」をあちこちから発見しましたので、それをもとに今、もう一度「熊本地震」を振り返ろうと思っております。

「有事時」と「有事後」に人間がとる行動はほぼ同じです。

ならば、熊本地震で皆がどういう行動をとってきたか?本書を読んで確認してみるのもよいでしょう。

「天災は忘れた頃にやってくる」

明日は我が身と思い、もう一度、このコロナ渦中を考察し、生き直してみようじゃありませんか?

本ブログが皆さんの一助になっていただければ幸いです。

*本日から毎日「7年前=2016年」の今日、熊本で何が起こっていたのか?

振り返ってみましょう。

2023年4月

東山凛太朗

第一章      熊本地震とは?

熊本地震とは、2016年(平成28年)4月14日21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した地震の総称です。

気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)当時(以後、特別な年が書いていない限りは2016年当時の月日)および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生しました。日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測されました。また、熊本県益城町で観測された揺れの大きさは計測震度6.7で、東北地方太平洋沖地震の時に宮城県栗原市で観測された揺れ(計測震度6.6)を上回り、国内観測史上最大となりました。さらに、一連の地震回数(M3.5以上)は内陸型地震では1995年以降で最多となっています。

熊本地震の詳細

2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11 km、気象庁マグニチュード6.5、モーメントマグニチュード 6.2の地震(前震)が発生し、同県の益城町で震度7を観測しました。

その28時間後の4月16日1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ12 km、Mj7.3、Mw7.0の地震(本震)が発生し、西原村と益城町で震度7を観測しました。Mj7.3 は1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同規模です。

当初、14日に発生したMj6.5 の地震が本震と想定されていました。しかし16日未明に上記Mj7.3 の地震が発生したことを受けて気象庁は同日、後者(16日未明)の地震が本震で、前者(14日)の地震は前震であったと考えられるとする見解を発表しています。過去に当初の発表から訂正され、本震と余震が入れ替わる事態は海溝型地震である2011年の東北地方太平洋沖地震においても起こっていましたが、内陸型(活断層型)地震でマグニチュード6.5以上の地震の後にさらに大きな地震が発生するのは、地震の観測が日本において開始された1885年以降で初めての事例であり、また同じ地点で震度7が2回観測されるのは、初めてのことでした。一方で、静岡大学客員教授の吉田明夫は14日と16日の地震のメカニズムが異なるとし、「『前震 – 本震』ではなく独立した活動とみた方がいい」と指摘しています。

14日の地震は日奈久断層帯の北端部の活動、16日未明の地震は布田川断層帯の活動によるもので、隣接する二つの断層帯が連動することで発生した連動型地震とみられています。東京大学地震研究所教授の纐纈一起は、「活発な断層帯が隣り合う特別な条件下において一連の地震が発生した」と指摘しています。一方、名古屋大学教授の鈴木康弘は「別々の断層帯でなく、一続きの断層帯とみるべき」と主張しており、前震の割れ残りが動いたことで本震が発生したとしています。

さらに16日の本震以降、熊本県熊本地方の北東側に位置する阿蘇地方から大分県西部にかけての地域と、大分県中部(別府~万年山断層帯周辺)地域においても地震が相次ぎ、熊本地方と合わせて3地域で活発な地震活動がみられました。熊本地方の大地震が離れた地域の地震活動を誘発した可能性(誘発地震)が考えられていますが、このような例は気象庁の担当官も「(日本の)近代観測史上、聞いたことがない」としています。これらの理由により、前震・本震・余震の区別が難しいとされ、気象庁は「16日のものが本震とも言えるが、3種の区別をせずに見ていきたい」と説明していました。なお、研究者の石橋克彦は、前震と本震の大きさに関して厳密にM6.5で区切らなければ観測時代でも内陸の浅い地震にも多くの類似事例があり、歴史時代には近い時期に地震が連続した例として慶長豊後地震前後の一連の地震、寛文近江・若狭地震、善光寺地震、伊賀上野地震など多くの事例があるとしています。メディアなどは本地震の特異性を強調しすぎていたようですが、この様な事例は決して不思議でもなく地震現象を冷静に理解しておくことが地震対策の基本であると指摘を行なっています。遠田晋次も地震が連続した例として、2002年のデナリ断層帯の地震をはじめとして、過去には天正地震、慶長豊後地震-慶長伏見地震の一連の地震など遅れ破壊型の連鎖地震の例を挙げています。

名称

気象庁は最初の4月14日21時26分の地震を「平成28年(2016年)熊本地震」(英語: The 2016 Kumamoto Earthquake)と命名し、4月15日に発表しました。4月16日には、さらに規模が大きい地震が発生し、同庁は4月17日、今後の状況を見た上で名称を再検討する意向を表明。しかし4月18日に、気象庁地震津波監視課課長の青木元が、記者会見で一連の地震について「熊本地震と引き続く地震活動と捉えている」との見解を示し、名称を変更しない考えを明らかにしました。4月21日に気象庁は、「平成28年(2016年)熊本地震」は「4月14日21時26分以降に発生した熊本県を中心とする一連の地震活動」を指すとする説明を発表しました。

*報道においては朝日、産経、毎日、読売の各全国紙の電子版で熊本県外への地震の影響に言及する記事(2016年5月1日以降)でも見出しなどで「熊本地震」という呼称を使用している例があります。他方、大分県の地方紙である大分合同新聞の記事(4月22日付け朝刊以降)では、「熊本地震」のほか「熊本・大分地震」という呼称も使用しています。

本ブログでは「熊本地震」として以後、記事を紹介していきますのでご了解ください。

人的被害

一連の地震で、倒壊した住宅の下敷きになったり、土砂崩れに巻き込まれるなどして熊本県で合計50人の死亡(直接死)が確認されています。このうち、14日の前震から本震前の15日までには益城町と熊本市で計9人の死亡が確認されました。熊本市によると同市内の病院には14日23時ごろ時点で、地震で重軽傷を負った70人以上が運ばれていました。死者50人のうち、37人は家屋の倒壊、10人は土砂災害、1人は火災、1人は塀の下敷きになったことによる死者でした。家屋倒壊死37人のうち、7人は前震で、30人は本震で死亡しています。また、土砂災害による死者10人はいずれも南阿蘇村で被災しています。なお負傷者は熊本県・大分県内だけでなく、佐賀県、福岡県、宮崎県でも発生しました。

益城町など布田川・日奈久断層帯に沿っておよび周辺の河川に沿って犠牲者が集中したことがわかり、熊本大学教授の渋谷秀敏によると、益城町などに直接死者が集中した原因として、震央に近いこと、活断層の摺動のうち地表部分での変動が大きかったこと、河川跡地や扇状地など地盤の弱い所では揺れが増幅しやすいことを原因としてあげています。

震災関連死

避難生活によるストレスや持病の悪化などで亡くなる震災関連死も相次ぎました。今日現在、この熊本地震による震災関連死と自治体に認定された人は218人に上っています。内訳は、静脈血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)などにより車中泊後に死亡した人が少なくとも33人、病院や高齢者施設が被災して転院・移動中に死亡した人が少なくとも27人、などとなっています。熊本県だけでなく、大分県でも3人が震災関連死に認定されています。

衛生管理が悪い避難所もあり、また損傷でガスや水道が使えない一部の病院もあったといわれています。地獄温泉の清風荘で51名、垂玉温泉で17名が道路寸断の影響で孤立し、宿泊客は建物外に避難し炊き出しを受けました。阿蘇市の避難所で17日、77歳の女性が死亡したがストレス等による災害関連死とみられています。

地震後に車中泊で避難生活を送る被災者も多かったのも特徴の一つです。被災者が挙げた理由は、避難所では他人に気を使うこと、車だとすぐに逃げられること、余震で避難施設が損壊する恐れがあることなど。益城町のグランメッセ熊本の駐車場では地震発生当時4月18日、数千人が車中泊していました。だが、避難所の外で車中泊していた50~- 60代の女性3人が静脈血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)で意識不明の重体となり救急搬送され、他6人が同症候群と診断されました。18日、車中泊をしていた50代の女性1人がエコノミークラス症候群で死亡し、5月15日までに同症候群に罹ったとみられたのは51人となりました。

その他にも、4月26日までに被災住家の屋根修理の際に転落し17人が重軽傷を負いました。

避難生活

4月16日未明の地震後、避難者は最多で18万3882人に上りました。19日12時当時、熊本県の避難者は計約11万6900人、大分県の避難者は812人となりました。

5月8日までに熊本市は公民館や公共センター施設など、空調や生活施設などが整備された拠点避難所を市内に延べ21か所開設し延べ3,600人を収容する予定でした。避難所の環境改善と市立学校の授業再開に目処をつけるため、同日までに学校施設にある避難所を含め58か所を閉鎖し集約しました。テント村も撤去され、避難所へと住民が入りました。避難所では、布を使いプライバシーを守ろうとしていましたが不評でした。

最初の地震から7か月後の11月18日、最後まで残っていた西原村の避難所が閉鎖され、熊本地震による避難者はゼロとなりました。

建物・施設

消防庁の発表によると、今日現在、住宅の全壊が8,667棟、半壊が34,719棟、一部破損が163,500棟、床上浸水が114棟、床下浸水が156棟、確認されています。また公共建物の被害が467棟確認されています。

家屋被害は建築基準法が改正された1981年以前に建築された古い木造家屋に集中しており、九州では台風対策のため重い瓦を使う住宅が多い点も被害を拡大させました。一方で、震度7を2回観測した益城町では耐震基準がさらに強化された2000年以降に建てられたと見られる住宅の全壊もありました。同法の耐震基準は、震度6強から7の揺れでも倒壊しない水準を求めていましたが、強い揺れに2度襲われることは想定されていませんでした。また、被災地域における地震地域係数を三大都市圏などよりも低く設定されていたことで多少の被害を受けた建物もありました。

被災後の建物の危険性を調べる応急危険度判定は5月1日までに当初予定分を終え、判定を行なった46,966棟のうち13,113棟の建物が倒壊するおそれのある「危険」判定を受けていました。

文化財

九州地方での文化財への被害は自治体指定のものを含め300件を超えています。5月10日で九州地方の国の指定文化財の被害は134件、そのうち熊本県内の被害は85件でありました。熊本市内の県と市の指定文化財の被害は42件でした。

熊本城(熊本市中央区。国の特別史跡)

石垣が少なくとも6か所で崩れ、国の重要文化財に指定されている長塀が100メートルにわたって倒壊しました。さらに16日の本震で、築城当初から残っていた国の重要文化財の東十八間櫓・北十八間櫓が石垣とともに倒壊・崩落し、隣の熊本大神宮の社務所を押し潰しました。

熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(熊本市中央区。熊本県の重要文化財)

14日の前震で壁が崩壊する被害があり16日の本震では建物が崩落しました。

阿蘇神社(熊本県阿蘇市。国の重要文化財)

国の重要文化財の楼門と拝殿が全壊しました。

永山城跡(大分県日田市。大分県の史跡)

大分県の史跡に指定されていた永山城跡の本丸石垣が崩落しました。

土砂災害

地震によって発生した土砂災害は国土交通省が8月15日までに確認したもので九州6県で190件に達しており、このうち熊本県が158件となっていました。大規模な斜面崩壊や土石流、地滑りが発生しており、被害は特に南阿蘇村付近に集中していました。

南阿蘇村立野地区では4月16日の本震による大規模な土砂崩れによって国道57号が崩落、豊肥本線の線路が流出するなどの被害が発生しました。県道28号の俵山トンネルも通行止めとなったため、立野地区から東側の村中心部へ行くには大きく迂回しなければならない状態となりました(俵山トンネルルートは一部う回路を使って2016年12月24日に復旧)。立野地区では崩落した阿蘇大橋の西方に新たな土砂崩壊地が見つかるなどして、地区のほとんどに避難勧告が出され、同地区の住民の多くが西側の大津町などに避難しました。南阿蘇地域で唯一の救急指定病院である阿蘇立野病院も裏山が崖崩れの危険性があるとして閉鎖し、入院患者を他に転院させる方針を5月6日までに決めたため地域の救急搬送体制が不安視されました。また同地区にある九州電力の黒川第一発電所で貯水槽の下の斜面が崩壊して貯水が麓の集落に流れ込みました。

前震の発生から1週間後の4月21日には九州全域が強い風雨に見舞われたことから、地震により地盤が緩んだ地域での土砂災害が警戒され、南阿蘇村で捜索活動中だった自衛隊が二次災害の恐れから捜索を中断しました。九州大学の善功企名誉教授は地震で生じた亀裂等や造成地の地盤境界に雨が入り込んで地滑りや土石流など複合災害が発生するおそれがあるとし、警戒を呼びかけました。

本震から約2か月後の6月20日~21日にかけて熊本県内は豪雨に見舞われ、甲佐町で国内史上4番目となる1時間雨量150ミリを観測しました。この豪雨による土砂災害によって熊本市・宇土市・上天草市で死亡した5人について熊本県は、「地震で地盤が緩んでいるところに大雨が降り、土砂災害が起こったとみられる」として、熊本地震の関連死と認定しました。

高速道路

2016年4月14日の地震直後、九州自動車道(九州道)では、14日の南関ICとえびのICの間で全面通行止めとなりました。益城熊本空港ICから松橋ICの間では益城熊本空港IC~嘉島JCT間にある木山川橋で落橋が発生したほか、のり面崩落、路面陥没、ひび割れ等が発生しました。

2016年4月16日、九州自動車道熊本ICのランプ橋や緑川PA付近にかかる府領第一橋(熊本県道32号小川嘉島線)の橋脚が折れて落橋するなど、さらなる被害が発生しました。大分自動車道(大分道)も湯布院ICから日出JCTの間でのり面崩落が発生しました。

九州道は橋梁の応急補修などを進め、4月29日の植木IC~嘉島JCT間を最後に全区間で通行を再開しました。ただし益城熊本空港IC~嘉島JCT間は片側1車線での暫定開通となり、木山川橋付近で速度規制を行なうほか、熊本ICは国道57号上り線(熊本市街から阿蘇方面)と接続するランプを使用しない形での暫定開通となりました。なお、熊本ICの国道57号上り線と接続するランプは6月27日に通行を再開。また、大分道の湯布院IC~日出JCTの区間は、5月9日夜に全線開通しました。

一般道路

4月16日未明の本震により南阿蘇村にある阿蘇大橋(国道325号)が地盤のずれで崩落し、土砂崩れで国道57号も寸断されたほか俵山トンネル(俵山バイパス)も崩落しました。一般道路では前述の国道57号など、熊本市と阿蘇山方面を直結する主要国道や俵山バイパスが寸断(2016年12月24日仮復旧)されているなど被害が大きいほか、国道210号の大分県日田市~玖珠町方面(2016年4月29日復旧)、国道212号の大分県日田市~熊本県小国町、国道442号の福岡県八女市~大分県境(2016年4月25日復旧)などが通行止めとなりました。

バス

高速道路・一般道に多大な被害が出たため、高速バス・特急バス路線については熊本・大分と各地方を結ぶ路線だけでなく、大分道や九州道を経由する多くの路線に運休が相次ぎました。多くの路線が1~ 2週間で暫定ダイヤで運行再開したものの、減便や迂回ルート経由(一部バス停通過)の路線が多く再開の目途が立っていない路線(快速たかもり号)もありました。

福岡~熊本間の「ひのくに号」は、4月21日から全便を益城熊本空港IC経由とした暫定ダイヤ(通常1日100往復以上ところを14往復)で運行を再開しました。25日からは28往復に増便し、6時~19時の間は30分間隔になりました。5月1日からは63往復に増便されました。

福岡~大分間の「とよのくに号」は4月19日午後から運行を再開、福岡~宮崎間の「フェニックス号」は4月22日から大分道・東九州道経由で運行を再開しました。ただし、本数は28往復から10往復に減便となりました。28日からは九州道経由に戻り、5月9日には通常ダイヤに復旧しました。福岡~鹿児島間の「桜島号」は4月22日から夜行便のみ運行を再開しました。27日から昼行便も(通常23往復を8往復で)運行再開し、5月1日からは通常ダイヤに復旧しました。

鉄道

4月14日の地震直後には、西日本旅客鉄道(JR西日本)では山陽新幹線の小倉~博多間、九州旅客鉄道(JR九州)では九州新幹線と在来線全線で運転を見合わせました。その後、順次運転を再開し、翌4月15日夕方の時点での運転見合わせ区間は、九州新幹線全線、鹿児島本線の宇土~八代間、豊肥本線の熊本~宮地間、肥薩線の八代~吉松間となりました。

九州新幹線では、14日の前震で下りの800系6両編成の回送列車が熊本駅から熊本総合車両所へ向かう途中に脱線しました。この回送列車は地震発生時に時速80 kmでの走行中で、運転士が強い揺れを感じて非常ブレーキをかけたが全車両が脱線したのです。脱線現場が熊本駅から南に約1.3 kmの本線上であったため、九州新幹線は全線で運転を見合わせとなり、山陽新幹線から九州新幹線へ直通する「みずほ」「さくら」は博多~鹿児島中央間で運転を見合わせとなりました。地震による新幹線の脱線は、新潟県中越地震、東日本大震災によるものに続き3回目でした。4月20日に新水俣~鹿児島中央間で運転を再開しましたが新水俣駅以北では防音壁の落下が約80か所、高架橋の柱に亀裂が入っているのが25か所以上で見つかりました。4月23日昼前当時に博多~熊本間で運転を再開。4月27日には午前中に残る熊本と新水俣の区間で試験運転を行ない、安全が確認されたため同日14時より熊本~新水俣間が開通。これにより九州新幹線は13日ぶりに博多~鹿児島中央間の全線が開通しました。翌28日には、山陽新幹線との直通運転も再開。なお一部区間で徐行運転することなどから、多くの便が熊本駅までとなり、鹿児島中央駅までの便は一部に限られていましたが、7月4日から通常本数の運転に戻りました。熊本~新八代間の一部で徐行運転を継続していましたが、2017年3月4日から通常ダイヤでの運転に戻りました。

4月16日の本震により豊肥本線でも赤水駅を出発した回送列車が脱線しましたが、負傷者はいませんでした。また赤水駅~立野駅間で土砂崩れも発生し、線路内に土砂が流入。熊本県内の在来線では鹿児島本線や豊肥本線、肥薩線、三角線、くま川鉄道湯前線、南阿蘇鉄道高森線、肥薩おれんじ鉄道線が運休しました。このうち南阿蘇鉄道は、土砂崩れによる線路流出などにより特に深刻な被害を受けており、4月29日には復旧に1年以上かかる見通しを明らかにしました。なお、被害が軽度であった中松~高森間は同年7月31日に運転再開を果たしました。

その後の復旧工事の進捗にともない、4月18日に鹿児島本線のうち熊本駅以北の区間について運転を再開しました。4月21日には残った熊本駅~八代駅間についても運転を再開し、18日までに運転を再開した肥薩おれんじ鉄道の区間を含む形ではありましたが、在来線経由で福岡~熊本~鹿児島間がつながりました。三角線は4月23日に、肥薩線の八代~吉松間も4月24日に運転を再開し、この時点で在来線は豊肥本線と第三セクターの南阿蘇鉄道を除いて、すべて復旧しました。なお、ななつ星in九州は5月7日当時に運行を再開し、当面は豊肥本線を経由しないルートに変更。豊肥本線は、肥後大津駅~熊本駅間で4月19日から運転再開、豊後竹田駅~宮地駅間で4月22日当時バス代行輸送を開始し、4月28日には豊後竹田駅~豊後荻駅間での運行を再開し、5月9日からは肥後大津駅~宮地駅間でも平日朝晩に限りバス代行輸送を開始。立野・瀬田の両駅は経由しないものの、全線が代行輸送を含め乗り継げるようになりました。その後、7月9日には阿蘇駅 – 豊後荻駅間での運行を再開しました。

熊本電鉄は4月16日・17日は全線で運転を見合わせ、4月18日に藤崎宮前駅 – 御代志駅間で運転を再開しました。北熊本駅~上熊本駅間は池田駅構内でのホーム一部倒壊で4月23日まで運転を見合わせていました。

熊本市内の路面電車(熊本市交通局)は4月16日~4月1日は全線で運休となりました。19日始発から神水・市民病院前停留場(現:神水交差点停留場)以西での折り返し運転で運行を再開、引き続き神水・市民病院前停留場 – 健軍町停留場間は運転を見合わせていましたが、復旧工事が完了し、20日の始発から全線運行(ただし徐行運転)を再開しました。また、福岡県の私鉄・西日本鉄道(西鉄)でも16日の本震では天神大牟田線と貝塚線の運転を一時見合わせました。同日午前の復旧まで両路線で合わせて138本が運休となり、利用客の約2万4800人にも影響が出ました。

航空

熊本空港(熊本県益城町)ではターミナルビルが4月16日未明の地震によって天井板の一部が落下するなどして損傷したため、同日当時~18日当時まで閉鎖されました。

翌4月19日午前にターミナルビルの運用が一部再開され、初めは到着便のみ、15時以降は出発便も運航され、同日中に25便が発着しました。

ライフライン

水道

地震後、九州7県で最大44万5857戸で断水しました。4月18日午後7時、熊本市で断水していた32万戸のうち26万戸へ試験給水が開始されました。約1か月たった5月14日でも熊本県の約2700戸で断水していました。

電気

4月14日の前震の後、最大1万6700戸が停電。16日の本震後は最大47万6600戸が停電しました。停電の影響により携帯電話各社は携帯電話充電のために電源車を派遣しました。停電は復旧が困難な場所を除いて4月20日に解消しました。

九州電力の川内原子力発電所は地震の影響はなく通常運転を行なっており、鹿児島県によると九電から異常なしとの連絡を14日21時44分に受けました。

ガス

西部ガスによると、熊本県エリアのガス供給を担う熊本工場の安全に問題はないとしていましたが、熊本地区供給エリアのガス供給停止戸数は、益城町や熊本市などを中心に1123戸、ガス漏れの通報は66件(15日午前11時)でした。

4月16日当時の本震後、西部ガスは10万0884戸でガス供給を停止しました。4月30日に全戸で供給可能となりました。

教育機関

地震発生の翌日の15日、熊本県内にある公私立の幼稚園や小中高校などのうち計342校が休校の措置をとり、短縮授業とする措置をとった学校は29校(文部科学省調べ)。また、文部科学省の調べで、県内の公立高校8校と特別支援学校2校の計10校に天井やガラスが破損するなどの被害があったこともわかりました。大学でも熊本大学、熊本県立大学、熊本学園大学などで休講となりました。

東海大学は熊本県内に在所する熊本キャンパス・阿蘇キャンパスでの授業などについて、4月17日当時~24日まで休講とする措置を執り、その後4月19日に熊本・阿蘇キャンパスの休講期間について熊本は5月15日まで、阿蘇は6月30日までそれぞれ延長することを決定しました。

また、東海大学阿蘇キャンパス付近に所在する学生アパートが4月16日の本震で倒壊し、同大学に在籍する農学部生12名が一時生き埋めになり、16日午前9時には全員が救助されたものの、その後2名の死亡が確認されました。また、南阿蘇では別の学生アパートでも地震による倒壊によって東海大学農学部学生1名が死亡しており、東海大学関係では3名が犠牲となりました。

4月19日実施の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)は問題冊子を配送できなかったため、熊本県の全小中学校と宮崎県と大分県の一部の学校でテスト実施が中止となりました。

経済活動

一連の地震による被害地域の生産活動に与えた影響は深刻で、余震が続くため工場内に及んだ地震の被害を正確に把握するに至らず生産再開がままならない状況に追い込まれている企業が多数に及んでおり、自動車部品などの製造分野、食料品、飲料水メーカーなどが4月16日~19日時点で操業を停止したままになっていました。

これらの現地生産活動への影響により、被害地域周辺に複数の画像用半導体製造工場があったソニーのラインは一部および全面停止、九州唯一の精油所であるJXエネルギー大分精油所の出荷停止および道路事情による輸送遅延から被害地域への燃料遅配など影響が波及しました。

2016年4月18日の東京株式市場では熊本地震による生産停滞の懸念が強まり、日経平均株価は大きな値下がりとなり終値572円安となりました。

日本政府は4月21日、月例経済報告にてこれらの被害地域における生産活動の停滞について言及しました。

民間企業

地元・熊本を拠点に展開するデパートの鶴屋百貨店では鶴屋本館・東館・WING館、New-S館、ラン・マルシェ、地方各店(荒尾店を除く)等で地震発生翌日の15日からの営業を取りやめ、臨時休業日としました。熊本市中心部の店舗のうちラン・マルシェは4月22日、東館・WING館1階とNew-S館は23日から営業を再開。熊本市外においては、八代市の2店(八代店、生活彩館)を除き、22日までに営業を再開しています。ただ、鶴屋は5月7日に八代市の生活彩館八代店を閉店させることを発表しました。一方で、鶴屋本館の隣に店を構える熊本パルコも当初地震の翌日(15日)は臨時休業日とし、翌々日(16日)に一部フロアを除いて営業を再開する予定でしたが、16日の本震などで延期され、4月22日からH.I.S.熊本パルコ営業所、23日からGU熊本パルコ店といずれも地下1階に入居する店舗から営業を再開し、24日には大部分の売場で営業を再開しました。

イオン九州では嘉島町のイオンモール熊本と宇城市のイオンモール宇城が被災し、外壁および天井の一部が破損・崩落などの被害が発生しました。4月19日現在は前述の2店舗に加え熊本市のイオン熊本中央店と大津町のイオン大津店・菊陽町のイオン菊陽店・八代市のイオン八代店イオン6店舗は店舗施設の臨時休業または食料品売場以外のフロアの閉鎖・敷地内の仮設店舗での営業を決めました。それ以外の店舗(ホームワイド・ワイドマート4店舗とイオンバイク3店舗)でも営業時間を変更。安全点検を理由に一部店舗の店舗営業を停止する措置を取りました。また、大牟田市にあるイオン大牟田店においても2階売り場の営業時間を変更しました。また、マックスバリュ九州の店舗では地震の影響で19日時点熊本県内にあるマックスバリュ3店舗の営業を停止しました。その他の熊本県内のマックスバリュ(エクスプレス)・ザ・ビッグ店舗では営業時間を変更して運営再開。スーパーチェーンイズミは熊本市内の「ゆめタウンはません」、「ゆめタウンサンピアン」と「ゆめマート」の4店が休業しました。サンリブ・マルショクグループでは、熊本県内の20店舗のうち15店舗が休業[308]したものの順次再開、半壊となったサンリブ健軍店を含めて、4月23日時点で引き続きサンリブ4店舗が休業していましたが、そのうちサンリブ健軍とサンリブ子飼の解体が決定。サンリブ清水とサンリブシティくまなんは引き続き休業となりましたが、サンリブシティくまなんについては8月27日に営業を再開しました。

益城町にある井関農機の井関熊本製造所で被害が出た他、パナソニック、本田技研工業、トヨタ自動車九州の各工場は操業を停止。窓が割れる被害が出たアイシン精機(現:アイシン)の2子会社も操業を停止し、スズケンも宇土市の子会社の操業を停止しました。なおこの地震に伴い、トヨタ自動車をはじめ日野自動車・ダイハツ工業らトヨタグループは1週間程度にわたり、国内のすべての工場の操業停止を決定。トヨタは国内にある15の車工場のうち、4月25日の4工場から順次生産ラインを再稼働させ、大型連休明けの5月6日からは操業停止中の5工場の車両組み立てラインを再稼働。国内工場の操業を全面的に再開しました。

宇城市にある山崎製パンの熊本工場は、14日の余震の影響で一度生産をストップしていましたが1日で復旧。しかし、16日の本震で再び生産がストップ、また16日の本震では熊本県内のみならず、大分県内にある工場にも被害が及び、大分県日田市にあるサッポロビールの九州日田工場では停電が発生。なお、操業はしておらず、建物の大きな被害もなく従業員への被害もありませんでした。ブリヂストンの熊本工場(熊本県玉名市)では、14日の地震で停止していた生産の再開準備のため出勤していた従業員全員が作業を中止し帰宅。新日鉄住金の大分製鉄所(大分市)は、地震直後に操業を一時停止した後、安全確認ができた設備から順次再開しました。

上益城郡嘉島町にビールと飲料の製造拠点を持つサントリーホールディングスは、工場の操業を停止。11月8日に一部で生産を再開しました。コカ・コーラウエストの熊本工場(熊本市)は、18日の完全復旧を予定していたものの余震などにより設備の損傷などで生産停止していましたが、4月25日に製造を再開しました。

菊陽町にあるソニーのデジタルカメラ向けのイメージセンサーなどを生産しているソニーセミコンダクタマニュファクチャリング株式会社熊本テクノロジーセンターが地震の影響で生産活動を停止しました。生産再開については未定であるそうです。また、同様にスマートフォン向けのイメージセンサー開発の主力工場である長崎や大分のテクノロジーセンターも生産活動を停止していましたが、4月17日に生産再開。三菱電機は、菊池市の液晶パネル部品の工場と合志市の自動車向け半導体の工場でルネサスエレクトロニクスは熊本市南区の自動車向けの半導体の工場で、それぞれ生産を停止しました。益城町に本社や工場がある化粧品メーカーの再春館製薬所も被災し工場の操業を停止、再開のメドは立っていませんでしたが、4月25日から製品の生産を部分的に再開しています。また熊本市に本所、菊池市に研究所および工場のある製薬メーカーの化学及血清療法研究所(化血研)は震災前からの行政処分により一部製品を除き生産停止。製造ラインが被災したのです。

日本郵政では、この地震により熊本市や南阿蘇村などにある16か所の郵便局が被災しました。これにより、被災した郵便局は窓口業務を停止しています。一方、地震直後は熊本県内宛てのゆうパックの業務を一時停止していましたが、震央に近い市町村宛てや保冷が必要なものを除き19日の朝から再開。佐川急便も地震直後は、熊本県内宛ての配送業務を一時取りやめていましたが、18日より被害の大きい一部地域を除いて配送を再開。ヤマト運輸も、19日午後5時より地震の影響で休止していた熊本県での配達と集荷を再開しました(被害の大きい一部地域を除く)。

政府・国会

4月14日

21時31分(地震発生の5分後) – 日本政府は総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置。

21時36分 – 内閣総理大臣・安倍晋三が、被害状況の把握や災害応急対策に全力を尽くすこと、さらに国民への情報提供を指示。地震発生時、安倍は東京の猿楽町で会食中であったが、途中で退席し21時50分過ぎには官邸に入りました。

21時40分 – 蒲島郁夫熊本県知事は陸上自衛隊第8師団長に対して災害派遣を要請。また、22時05分に総務省消防庁に緊急消防援助隊出動を要請しました。これにより、自衛隊350人、警察が県外から200人、消防200人が派遣されました。

22時10分 – 災害対策基本法に基づき、内閣府に非常災害対策本部を設置。

22時10分過ぎ – 内閣官房長官・菅義偉は緊急の記者会見を行ない、近隣の川内原子力発電所、伊方原子力発電所、玄海原子力発電所などの原子力施設の被害情報はないことを発表しました。

4月15日

10時40分 – 災害対策基本法に基づき熊本県庁内に非常災害現地対策本部を設置。

国会では4月15日から環太平洋パートナーシップ協定(TPP)承認案と関連法案の衆議院TPP特別委員会審議再開が予定されていましたが、安倍総理大臣は委員会冒頭で地震対応の状況説明を行なった上で退席し、審議は18日以降に持ち越されました。自民・民進両党の国会対策委員長は当面災害対応を優先させることで合意しました。

4月16日

安倍総理大臣による被災地視察が予定されていましたが、未明の大地震発生により中止となりました。翌17日に予定されていた北海道第5区の補欠選挙の応援演説のための北海道入りも中止になりました。

林幹雄経済産業大臣は石油連盟に対し石油備蓄法に基づく災害時石油供給連携計画の実施勧告を発出しました。

4月17日

安倍総理大臣は総理大臣官邸にてアメリカ軍の支援受け入れを表明、米海兵隊の輸送機オスプレイによる輸送支援を受け入れる方針が固まりました(日本の災害支援にオスプレイが参加するのは初)。

4月19日

衆議院本会議の冒頭で、犠牲者に対して黙祷が行なわれました。

4月20日

現地対策本部長を松本文明内閣府副大臣から、酒井庸行内閣府大臣政務官に交代。

4月23日

安倍総理大臣が熊本県を訪問、熊本県庁にて蒲島郁夫県知事との会談を行なう一方、益城町や南阿蘇村など被災地を視察し、被災者を激励しました。

4月25日

激甚災害法に基づき、熊本地震による災害を「激甚災害」として指定する政令を持ち回り閣議にて決定(4月26日公布・即日施行の平成28年政令第207号にて指定)。これにより、地方公共団体の実施する災害復旧事業への国庫補助のかさ上げ等の措置が実施されました。

4月28日

特定非常災害特別措置法に基づき、熊本地震による災害を「特定非常災害」に指定することを決定[387](5月2日公布・即日施行の平成28年政令第213号にて指定)。これにより、運転免許証等の期限が2016年9月30日まで延長できるなどの特別措置が取られました。阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災に続き4例目の指定。

5月10日

大規模災害復興法に基づき、熊本地震による災害を同法第2条第9号に規定する「非常災害」として指定する政令を閣議決定(5月13日公布・即日施行の平成28年政令第218号にて指定)。これにより、被災した地方自治体の要請に基づき、その管理する道路や河川などの復旧工事を国が代行できるようになりました。同法は東日本大震災を踏まえて2013年に制定されたもので、これが初の適用事例。

5月17日

被災地の復旧・復興に充てるための総額7780億円の補正予算が全会一致で成立。使途を定めずに必要に応じて橋や道路などのインフラの復旧などに充てることができる予備費7000億円が主な柱。

6月3日

被災者に義援金として都道府県や市町村が交付する金銭やその交付を受ける権利の差押えを禁止するとともに、交付を受ける権利を担保に供することなどを禁止する平成二十八年熊本地震災害関連義援金に係る差押禁止等に関する法律が施行。施行前に交付されたり交付を受ける権利を取得したりした義援金についても、施行前に差押え等がされたものを除き、適用されました。

9月16日

「内閣府告示第408号」により非常災害現地対策本部を廃止。

自衛隊

4月14日夜、防衛省は初動対処部隊『ファスト・フォース』を派遣、航空自衛隊は「F2戦闘機」2機、海上自衛隊は「P3C哨戒機」1機、陸上自衛隊は多用途ヘリコプター「UH-1」「UH-60J」を2機派遣し情報収集に当たりました。

4月14日21時26分、熊本県知事より陸上自衛隊第8師団長に、16日1時25分、大分県知事より西部方面特科隊長にそれぞれ人命救助に係る災害派遣要請。加えて、大分県知事から16日6時13分に第4戦車大隊長、同日7時55分に第41普通科連隊長にも災害派遣要請。

4月16日2時45分、中谷防衛大臣より陸上自衛隊西部方面総監(小川清史 陸将)を指揮官とする陸海空3自衛隊による統合任務部隊(JTF-鎮西 “鎮西任務部隊”)を編成するための自衛隊行動命令が発令されました。同日4時55分に陸災部隊(人員約13,000名)、海災部隊(人員約1,000名)、空災部隊(人員約1,000名)の部隊を編成し活動開始。

4月17日より、自衛隊は2万人を対応に増強し、28日までに陸上自衛隊は被災地の九州を管轄する西部方面隊を中心に北部・東北・東部・中部すべての方面隊が部隊を派遣したほか中央即応集団の第1ヘリコプター団や大臣直轄の航空学校も投入されました。また、海上自衛隊は護衛艦「ひゅうが」「いずも」「やまぎり」「あたご」「きりさめ」などの艦艇や救難飛行隊を有する航空部隊など、航空自衛隊は第5・第8航空団をはじめとする航空隊や救難隊などを投入し、総数は約26,000人となりました。

即応予備自衛官の招集を17日午後の持ち回り閣議で決定し、防衛大臣より招集命令が発令。規模は最大300人程度で、招集は東日本大震災以来2回目。

4月28日10時24分に大分県知事からの災害派遣の撤収要請、5月10日に「平成28年熊本地震に対する大規模震災災害派遣の終結等に関する自衛隊行動命令」および「平成28年熊本地震に対する即応予備自衛官の災害等招集命令の実施及び出頭した即応予備自衛官の受入れに関する自衛隊行動命令に規定する招集の実施の終期を定める自衛隊行動命令」を発出。統合任務部隊(JTF-鎮西)の編成の解除および、即応予備自衛官の招集が終了。終了後も増強体制のまま、西部方面隊が災害派遣活動を担当しました。

5月30日、中谷防衛大臣は熊本県の蒲島知事からの要請に基づき、災害派遣活動に従事している自衛隊部隊の撤収を命じました。

救援「民間企業」

大手コンビニエンスストアチェーン各社では緊急の支援物資として、セブンイレブンはおにぎりと2リットル入り飲料水のペットボトルをそれぞれ1000個ずつ、ファミリーマートは555ミリリットル入り飲料水のペットボトルとおにぎりをそれぞれ500個ずつ、ともに益城町役場に、ローソンは500ミリリットル入りのペットボトルの水、カップ麺、割り箸などを熊本市の熊本県民総合運動公園陸上競技場に配送。

イオン九州の熊本県内の店舗では店内が使えず臨時休業となっている代わりに、食料や飲料水を駐車場の臨時売り場で販売する措置を取りました。また、自治体からの要望に応える形で食料品や毛布などの物資提供を親会社のイオンやイオンリテールと共同で行なっています。物資輸送は日本航空(JAL)との緊急輸送協定に基づき、発送地から長崎空港までの輸送はJALが、長崎空港から御船町の集積地までは陸上自衛隊が輸送を担当。また、災害用大型テントの設置を陸上自衛隊やJALと共同で実施しました。集積先はローソンと同様、熊本県民総合運動公園陸上競技場となっていました。

牛丼チェーンの『すき家』を運営するゼンショーホールディングスは益城町の避難所で自社が所有するキッチンカーによる炊き出しを行ない、牛丼のミニサイズを約1000食ほど被災者に提供。同じく牛丼チェーン大手の吉野家は、避難所となっている西原村の小学校で牛丼1000食を提供。なお、吉野家の運営会社によると、西原村のほか甚大な被害があった益城町で実施することとしました。カレー屋チェーンのCoCo壱番屋も自社所有のキッチンカーを使って、カレー約600食を被災者に提供。また、地元・熊本に本店を置くラーメンチェーン・桂花ラーメンは、系列の味千ラーメンとともに避難所を回ってラーメンの炊き出しを実施。

非常用缶詰パンを販売している株式会社パン・アキモトは日本国際飢餓対策機構と連携して小規模な避難所を中心に回り、3600食分の缶詰を提供しました。

北海道札幌市に本社を置く大手インテリアチェーンのニトリは、毛布500枚・座布団300枚を宇土市に提供。民放ラジオ局のニッポン放送は被災地に対してラジオ500台を提供することを発表、地元のラジオ局・熊本放送を通じて被災地に配布されました。

美容外科の高須クリニックは水など支援物資をヘリコプターを使い、被災地に輸送ました。なお救援物資は高須クリニックの高須克弥院長自らのポケットマネーによるもので、輸送や運搬にもすべて高須院長が同行し、自ら被災地に提供。また1000万円の寄付を行ないました。通信販売大手のジャパネットたかたもテレビ・ラジオ等で4月21日に紹介した通販のうち、4つの商品の売上金を全額被災地への支援金として寄付することを高田明前社長が発表。

由利高原鉄道(秋田県)、ひたちなか海浜鉄道(茨城県)、いすみ鉄道(千葉県)、若桜鉄道(鳥取県)の第三セクター鉄道4社は4月29日、甚大な被害を受けた南阿蘇鉄道の復旧を支援するために復興記念切符を発売しました。

プラモデルメーカーのタミヤは被災地支援の一環として自社の展開するプラモデルシリーズ「ミニ四駆PRO」シリーズにおいて「ライキリ」の限定特別仕様車「がんばれ!熊本 ミニ四駆 (くまモン版)」を6月より発売。本商品の利益(最終的に710万円となった)は全額タミヤから熊本県へ寄付されました。

通信

NTT西日本は、熊本県・大分県の全域で公衆電話の無料化を行ない、硬貨を使わなくても電話をかけられるようにしました。

無線LANビジネス推進連絡会が2014年に5月に運用を開始した大規模災害時に誰でも利用できる公衆Wi-Fi接続スポットのネットワーク「00000JAPAN」が、世界初の試みで無料開放されました。NTTドコモ・KDDI・ソフトバンクの携帯電話各社、ワイヤ・アンド・ワイヤレス、熊本県などが提供。

Facebookでは、Facebookの友人に安否を知らせられる災害用サービス「災害時情報センター」を熊本県全域と九州地方の一部で提供開始しました。

Airbnbでは被災者に宿泊場所を無料で提供できる緊急災害支援を発表しました。

LINEでは固定・携帯電話回線向けの電話サービス「LINE Out」を1回あたり10分間無料で解放。Viberも同様のサービス「Viber Out」を同じく1回あたり10分間無料で解放しましたが、「電話回線の混雑を助長するものではないか」と指摘されました。なお、LINEでは「熊本地震 被災地支援スタンプ」を販売し、売上金全額を日本赤十字社を通じて義援金として寄付。

Twitterには商品が散乱するコンビニエンスストアの店内、自宅の家具が倒れた様子、本が落ちて本棚が空っぽになった様子、隆起した道路、倒れた電柱などを撮影した画像などが相次いでアップロードされました。

Twitter、LINE、FacebookなどのSNS運営側、公的機関、東日本大震災を体験した人や著名人などから、被災地の人々へのアドバイスや情報提供も多数寄せられました。一方これらSNS上ではデマ拡散も見られた(#デマ情報)。

なお冒頭に記載の通り「SNS上での信用一番」は東山凛太朗のSNSとし、以後、デマが減りました。

(続く)

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