【連載158】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

9月18日日曜日昼

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

皆様こんにちは。熊本では現在大雨の地域が目立ちます。二次災害には十分にご注意ください。

熊本市: 大雨 雷 洪水 高潮

鹿本菊池: 大雨 雷 洪水

荒尾玉名 :大雨 雷 洪水 高潮

上益城 :大雨 雷 洪水

宇城八代 :大雨 雷 洪水 高潮

阿蘇地方: 大雨 雷 洪水

天草地方 :大雨 高潮 雷 洪水

芦北地方 :大雨 雷 洪水 高潮

球磨地方 :大雨 雷 洪水

熊本地震で被災した南阿蘇村、西原村、甲佐町の小・中学校で昨日17日、体育大会や運動会がそれぞれ開かれました。南阿蘇村唯一の南阿蘇中は統合して開校直後に地震に遭い、初めての体育大会。甲佐町の乙女小は震災で校舎に入れなくなり、間借りする甲佐中と合同で開催。爽やかな秋晴れの下、被災を乗り越えた子どもたちは校庭を駆け回り、団結と支援への感謝の思いを競技や全体演技で表し復興を誓いました。

南阿蘇中は旧白水、久木野、長陽の3校が統合して4月8日に開校しましたが16日の本震で村内は大きな被害を受け体育館が避難所となり5月8日まで休校。同月予定の体育大会は延期となりました。生徒も多くが被災。『村外に避難した16人は転校し、立野地区の生徒ら8人が親元を離れて近くの寄宿舎から通学』しています。被災を乗り越えようと絆を強めて臨んだ晴れ舞台。生徒263人が参加し、旧3校の枠を超えた3団がリレーや玉入れを競いあいました。

最後の全体演技は、パネルを並べて「共に未来に進みましょう」などの言葉を発表。声を合わせて「フレー、フレー、南阿蘇」と復興に向けたエールを叫びました。生徒会副会長で3年の西原あかりさんは「支えてくれる人への感謝と明るく強い学校を作りたいという思いで一致団結できた」と感激の面持ちでした。

西原村は山西小と河原小であり全校児童がそろいの復興Tシャツを着てダンスなどを披露。河原小では大津町の翔陽高教諭から贈られた「復興みこし」を6年生12人が担いで団結を訴えました。組み体操に挑んだ4~6年生は全員で手をつなぎ絆の大切さを表現。「復興に向けて頑張ろう!河原」と大声でアピールしました。赤団団長の下田耀大(ようだい)君と白団団長の川本星空(せいら)君=ともに6年=は「復興に向け、みんなの絆が深まり、団結力も強まった。思い出に残る運動会になった」と喜んでいました。

甲佐町の乙女小は地震で地盤沈下し校舎に入れなくなったため間借りする甲佐中と合同での体育大会。甲佐中グラウンドで徒競走やダンスなどを繰り広げました。合同開催らしく玉入れなど一緒の競技も用意。借り物競争は小中学生がペアになり手をつないでゴールを目指しました。乙女小6年の薬師莉央奈(りおな)さんは「グラウンドが広く、走る距離が長くてきつかったけど、中学生と一緒で楽しい」と笑顔を浮かべていました。

熊本地震は大人だけではなく子供にも多くの被害を与え、学校が壊れた為、他校に間借りして授業を行なったり、体育館の中を仕切りして勉強しなければならなかった学校もありました。そんな不便の中、多くの学校で昨日17日運動会が行なわれました。練習も不十分な中、子供達は未来を見つめ、未来を希望し、懸命に体を動かしました。大人たちはこうした子供達の未来を潰してはいけません。子供の心は大人以上にダメージを受けているはずです。5月9日の学校再開当初はイジメ、喧嘩が絶えなかったそうです。教師自身も被災し、子供達をケアする人がいないのも現実です。どうか他の都道府県からでもいいので熊本の子供達のケアを十分にしてほしいと切に願います。子供達が未来に希望をなくした瞬間に熊本の未来も消えます。頑張らなくていいので生き抜いてください!

熊本地震の影響で熊本県内の高齢者施設などに開設されている「福祉避難所」は1日時点で『7市町村に23カ所』あり『高齢者ら102人が身を寄せている』ことが昨日17日分かりました。避難者数はピーク時の1割強まで減少していますが『次の住まいが見つからない人』もいます。『福祉避難所は災害時に指定避難所での生活が難しい高齢者や障害者らを受け入れる施設』。各市町村が高齢者施設などと協定を結び開設しています。

県によりますと、1日時点で福祉避難所を開設しているのは

熊本市11カ所16人

益城町5か所26人

御船町1か所2人

大津町1か所2人

南阿蘇村3か所52人

美里町1か所3人

芦北町1か所1人。

前震から約10日後の4月25日時点では12市町村の49カ所で117人が避難していました(益城町、南阿蘇村は不明)。『ピークは5月20日時点で13市町村の101カ所に823人が避難』。その後は避難者が減少し『福祉避難所の閉鎖も相次いで』います。避難者は各市町村の福祉担当者やケアマネジャーらと相談した上で、自宅や仮設住宅に移っているとのこと。現在残っている避難者の中には『自立した生活を送るのが難しいケース』も見られます。

福祉避難所について県内では『地震発生前の3月31日時点で全市町村が計461施設と協定を結び最大7430人を収容可能』としていました。しかし地震直後は地域住民の避難を受け入れたり建物や職員が被災したりするなどしたため開設できなかった施設もありました。県健康福祉政策課は「今後、福祉避難所の運営について課題を洗い出す。地震直後の開設状況や介護に必要な人員配置などを精査したい」としています。

災害が起こると一番被害を受けるのは『弱者』です。小泉政権時代よりやれ『自立』だとか、やれ『自己責任』とか。『弱者排除』が顕著になりました。被災地の弱者が誰かの助けなしにどうやって『自立』しなかればいけないのでしょうか?現在の政府の福祉政策は根底から間違っています。先進国でこんなにも弱者が不便を感じているのは日本だけです。公明党と言う福祉寄りの政党が政権についていながら情けないです。せめて被災の時は『弱者優先』を政府自らが率先してほしいと思います。

1.被災地情報

①2次判定、市町村で差!熊本地震家屋調査!

*以前記載と一部重複!

熊本地震で被災した家屋の、り災証明書の2次調査で、被害程度の判定結果が市町村によってばらつきがあることが16日、熊本県のまとめでわかりました。仮設住宅を建設する16市町村のうち、独自の調査票を使う熊本市では1次より被害が大きいと判定されたケースが63%に達した一方、県が推奨する共通調査票を使う15市市町村では、南阿蘇村が65%に達した以外は22~52%にとどまっています。

外観のみで判定する1次調査と違い、2次調査は室内の詳細な調査を行います。熊本市は、県全体の2次調査件数4万6808件の約3分の2が集中。共通調査票では1件あたり数時間かかるため、簡素化した独自の調査票を導入しましたが、これによって判定に差が生じていると一部市町村から声が上がっていました。

県が関係市町村を集めて同日開いた会議で、熊本市は「簡素化しても判定結果に差は出ない」と主張。ただ、熊本市は簡素化を県や他市町村に主体的に報告しておらず、他市町村からは「県民に誤解を与えないよう情報共有すべきだった」などの意見が出ました。

②通行規制解け売店再開!阿蘇山の観光施設!

「通行止めが解除されたのは前進だが、観光客を迎える準備はこれから。本格的な営業再開の時期はまだ分からない」。阿蘇山東登山道(県道阿蘇吉田線)の規制が昼間に限り解けた16日、山上広場一帯の観光施設に5カ月ぶりに電気がつきました。しかし、被災した建物の復旧などはなお時間がかかりそうです。

中岳火口下の阿蘇山ロープウエー駅舎では1階の売店が再開しました。地震後、自宅待機していた女性従業員たちが職場に復帰し、土産品などを求める客に応対しました。その一人は「少しほっとした。来店者数は平日にしてはまずまず。台湾や香港からの旅行者も少なくない」と笑顔を見せました。

ただ、ロープウエーは火山活動による規制で運行していません。草千里ケ浜の阿蘇火山博物館では、職員が施設の点検に多忙でした。地震で排水設備が破損したため、復旧策を検討中だそうです。

③被災者600人を無料招待、グリーンランド!

荒尾市のグリーンランドは昨日17日、熊本地震の被災者約600人を無料で招待しました。益城町や南阿蘇村の親子らの笑顔が、秋晴れの遊園地のあちらこちらで見られました。

同園が復興支援を目的に益城、熊本、南阿蘇など7市町村の住民を対象に招待。送迎バス計15台や入園・フリーパス券を用意しました。

正面ゲートでは、従業員たちが横断幕を手にお出迎え。招待客たちはアトラクションや仮面ライダーショーを楽しみ、夜の花火大会まで遊園地での一日を満喫しました。

自宅と夫の実家が被災した益城町の堀川貴子さん(38)は夫と子ども3人で参加し、「夏休みはどこにも行けなかったので、今日は思いっきり遊ばせたい」と笑顔でした。

同園では秋催事も開幕。仮面ライダーゴーストスペシャルショー(19,22,25日)のほか、10月9日に打ち上げ花火ショーやイルミネーション(11月19日~来年1月は土日・祝日と冬休みだけ開催)があります。

➃避難者の交流施設が閉館、利用者が感謝の集い!

益城町唯一の避難所、町総合体育館に隣接して設けられていた避難者の交流用プレハブ施設「よかましきハウス」が昨日17日閉館され、利用者が感謝の集いを開いて惜しみました。

同ハウスは避難所でのコミュニティーづくりのため、避難所を運営する熊本YMCAが6月に設置。趣味の集まりや、絵本の読み聞かせ会などで、延べ4千人が利用したとのことです。熊本YMCAは「仮設住宅に生活の場が移行しつつあり、仮設住宅に整備されている集会所に役割を引き継ぎたい」としています。

感謝の集いでは、太鼓教室の子どもたちによる演奏などがありました。週2回カラオケでハウスを利用していたという女性(69)は「知らない避難者同士が仲良くなれた思い出の場所。無くなるのは寂しい」と話していました。

最大で1600人が避難していた同体育館には、なお210人余りが身を寄せています。益城町は10月末に体育館の避難所を閉鎖する方針。

⑤傷ついた石橋に秋の慰め、美里町!

熊本地震で一部崩落した美里町の石橋「二俣橋」の周辺で、イチョウのギンナンが黄色く実り、ひっそりと秋の訪れを感じさせています。

二俣橋はL字形に連なる2基の橋の総称で、うち二俣福良渡(ふくらわたし)の右岸側の石垣が崩落。ブルーシートに覆われて痛々しい姿をさらしています。

橋の周囲には数本のイチョウの巨木があり、紅葉の人気スポットとしても知られていますが、二俣福良渡は通行禁止が続きます。近くの自営業女性(66)は「ギンナンを採ってくれた母らの思い出が詰まった風景。早く復旧してほしい」と願っていました。

⑥福祉避難所7市町村102人、自立困難なケースも!

熊本地震の影響で熊本県内の高齢者施設などに開設されている「福祉避難所」は1日時点で7市町村に23カ所あり、高齢者ら102人が身を寄せていることが昨日17日分かりました。避難者数はピーク時の1割強まで減少していますが、次の住まいが見つからない人もいます。

福祉避難所は、災害時に指定避難所での生活が難しい高齢者や障害者らを受け入れる施設。各市町村が高齢者施設などと協定を結び、開設しています。

県によりますと、1日時点で福祉避難所を開設しているのは、熊本市11カ所16人、益城町5か所26人、御船町1か所2人、大津町1か所2人、南阿蘇村3か所52人、美里町1か所3人、芦北町1か所1人。

前震から約10日後の4月25日時点では12市町村の49カ所で、117人が避難していました(益城町、南阿蘇村は不明)。ピークは5月20日時点で、13市町村の101カ所に823人が避難。その後は避難者が減少し、福祉避難所の閉鎖も相次いでいます。

避難者は、各市町村の福祉担当者やケアマネジャーらと相談した上で、自宅や仮設住宅に移っているとのこと。現在残っている避難者の中には、自立した生活を送るのが難しいケースも見られます。

福祉避難所について、県内では地震発生前の3月31日時点で全市町村が計461施設と協定を結び、最大7430人を収容可能としていました。しかし、地震直後は地域住民の避難を受け入れたり、建物や職員が被災したりするなどしたため開設できなかった施設もありました。

県健康福祉政策課は「今後、福祉避難所の運営について課題を洗い出す。地震直後の開設状況や、介護に必要な人員配置などを精査したい」としています。

⑦復興事業若者がPR、コンテスト熊本市の森さん優勝!

熊本地震からの復興プロジェクトに取り組む若手事業家を支援しようと、本人のプレゼンテーションを聞いた来場者の投票によって、優勝者を決めるコンテストが昨日17日、熊本市中央区で開催されました。

8人の事業家が登壇し、5分間の持ち時間でそれぞれの活動をアピール。震災でバスケットボール用のゴールが壊れた学校に、ゴールやボールを贈る活動に取り組む東海大(熊本市)3年の小笠原晟一さん(21)は「スポーツを通じて、友人という一生の宝を得るチャンスを子どもたちに与えて」と熱っぽく訴えました。

86人の投票の結果、コメ農家による情報共有ネットワークの構築や、被災した農地の復旧支援に取り組む熊本市の森賢太さん(28)が優勝。100万円の寄付金が贈呈されました。

コンテストは、東日本大震災の被災地などで復興支援に取り組む一般財団法人KIBOW(東京、堀義人代表)が企画。来年4月に第2回を行う予定。

⑧阿蘇の秋、ソバの花見ごろ!

本格的な秋の観光シーズンを迎えた熊本県阿蘇市で、ソバの花が見ごろを迎えています。熊本地震から5カ月。JR波野駅近くの畑には6.5ヘクタールに700万本あり、白いじゅうたんのように咲きそろった花が観光客を喜ばせています。

阿蘇市によりますと、ソバ畑周辺は、地震による被害を免れ、晴天が続いたことで、開花が例年より10日ほど早いそうです。見頃は20日ごろまで。同市観光課は「これから深まる阿蘇の秋を楽しんでほしい」。問い合わせは同課(0967・22・3147)へ。

⑨三陸サンマ食べ、被災地応援を!相良で22日!

岩手県三陸沖産のサンマを食べて東日本大震災と熊本地震の両被災地の復興を支援する催しが22日、相良村柳瀬の専徳寺で開かれます。発起したのは寺住職の堀内幹さん(43)。大震災では本山の職員として仙台市を拠点に被災者の支援活動に奔走しました。

岩手県大船渡市で水揚げされた150~200匹を直送し、炭火焼きにしておにぎりなどとともに販売します。売り上げの一部を熊本地震の被災地に届けます。サンマは、自宅が被災した同市の漁業者から購入しました。

堀内さんは2009年5月~今年2月まで東本願寺の仙台教務所(仙台市)に勤務し、大震災では岩手、宮城、福島3県の復興支援を担当。各地の仮設住宅を回って支援物資を届けたり、炊き出しを手伝ったり。幼稚園などでのコンサート活動にもかかわり、被災者の苦しみや悲しみに向き合ってきました。

今年4月に住職として専徳寺に着任。直後の熊本地震の際には岩手、福島両県の知人から飲料水や缶詰などの救援物資が届き、九州は暑いだろうと大量の蚊取り線香も入っていたとのことです。

催しは寺の駐車場で午後15時半から開かれます。堀内さんは「記憶は次第に薄れていくが、被災地のことを忘れないことが大切。思いを形にし、被災地を思いやる気持ちを回したい」。催しの前後にある秋の法要を含め、門徒や地域住民以外の参加も歓迎だそうです。

*問い合わせは専徳寺(0966・23・2405)。

⑩「宝の水」よ、再び、地震で被害の通潤橋!

熊本地震では熊本城など文化財にも大きな被害が出ました。通潤用水が「世界かんがい施設遺産」に認定され、放水する姿が印象的な通潤橋もその一つ。現在も周辺の田畑を潤す重要な役割がありますが、被害の状況や復旧の見込みはどうなっているのか?この目で確かめるため、取材班は熊本県山都町へ飛びました。

「来たのは久しぶり。その時は放水も見られました」と同業者が語ります。「立派で、きれい」と別の同業者が感動します。

国指定重要文化財である石造りのアーチ型水路橋も、地震で被害を受けていました。外観は勇壮なままですが、橋上にある石管の継ぎ目から漏水するなどして放水も中止。今も一部は立ち入り禁止となっています。

通潤橋は1854年、当時の惣庄屋(町長)の布田保之助が建設しました。長さ約76メートル、幅約6メートル、高さ約20メートルの国内最大級の石橋です。

通潤橋史料館ガイドの石山信次郎さん(73)は建設の経緯を、「水不足だった白糸台地一帯に農業用水を送るために作られた」と話しますす。橋と用水路の完成によって台地には約100ヘクタールの水田がつくられたそうです。

橋の真ん中から出る「放水」にも役割はあります。「通水管に詰まったゴミなどを取り除くため。震災前までは観光用に放水も行われていた」と説明します。

地震で致命的な被害が出なかったのには、実は先人の知恵がありました。石管の間に挟まれた木管が緩衝材になるといった地震対策が施されていたとそうです。

「当時の英知の結集。すばらしい技術ですね」と同業者。

「時間はかかりますが必ず復旧します。励ましにやって来てほしい」石山さんはと力を込めて語ります。

「通潤橋は住民の誇りで自分たちの宝。代々つないできた」。白糸台地の農家で、管理を行う通潤地区土地改良区事務局の坂本信治さん(68)はそう話します。

被災したことを知り、一時は「気力が抜け、やる気もなくなった」。だが、当時は苗代の時期。通潤用水を通すことが最優先課題でした。各農家が協力し、作業にあたった。2週間後には水が台地まで通るようになったとそうです。

地元有志は「通潤橋応援プロジェクト」を立ち上げました。「ボランティアの人にも応援をお願いしたい」。

福岡県八女市にある市指定文化財の洗玉橋は、通潤橋の兄弟橋とされています。通潤橋を造った石工・橋本勘五郎の手により1893年に完成した福岡県最大のアーチ型石橋だです通潤橋同様、力強く風格があります。

市文化振興課の中川寿賀子さん(56)によりますと、大雨で木橋が流され、村民の要望で架けられた新たな石橋が洗玉橋だったそうです。

今夏、洗玉橋の修理を通潤橋に関わる熊本の石工らに依頼したことで、兄弟橋への思いは強くなったとのこと。「通潤橋にますます親しみがわいた。早く復興してほしい」と願っています。

⑪復興誓い熱戦、被災地の小中学校で運動会!

熊本地震で被災した南阿蘇村、西原村、甲佐町の小・中学校で昨日17日、体育大会や運動会がそれぞれ開かれました。南阿蘇村唯一の南阿蘇中は統合して開校直後に地震に遭い、初めての体育大会。甲佐町の乙女小は震災で校舎に入れなくなり、間借りする甲佐中と合同で開催。爽やかな秋晴れの下、被災を乗り越えた子どもたちは校庭を駆け回り、団結と支援への感謝の思いを競技や全体演技で表し、復興を誓いました。

南阿蘇中は旧白水、久木野、長陽の3校が統合して4月8日に開校しましたが、16日の本震で村内は大きな被害を受け、体育館が避難所となり5月8日まで休校。同月予定の体育大会は延期となりました。

生徒も多くが被災。村外に避難した16人は転校し、立野地区の生徒ら8人が親元を離れて近くの寄宿舎から通学しています。被災を乗り越えようと絆を強めて臨んだ晴れ舞台。生徒263人が参加し、旧3校の枠を超えた3団がリレーや玉入れを競いあいました。

最後の全体演技は、パネルを並べて「共に未来に進みましょう」などの言葉を発表。声を合わせて「フレー、フレー、南阿蘇」と復興に向けたエールを叫びました。生徒会副会長で3年の西原あかりさんは「支えてくれる人への感謝と、明るく強い学校を作りたいという思いで一致団結できた」と感激の面持ちでした。

西原村は山西小と河原小であり、全校児童がそろいの復興Tシャツを着てダンスなどを披露。河原小では、大津町の翔陽高教諭から贈られた「復興みこし」を、6年生12人が担いで団結を訴えました。組み体操に挑んだ4~6年生は全員で手をつなぎ、絆の大切さを表現。「復興に向けて頑張ろう!河原」と大声でアピールしました。

赤団団長の下田耀大(ようだい)君と白団団長の川本星空(せいら)君=ともに6年=は「復興に向け、みんなの絆が深まり、団結力も強まった。思い出に残る運動会になった」と喜んでいました。

甲佐町の乙女小は地震で地盤沈下し校舎に入れなくなったため、間借りする甲佐中と合同での体育大会。甲佐中グラウンドで徒競走やダンスなどを繰り広げました。合同開催らしく玉入れなど一緒の競技も用意。借り物競争は小中学生がペアになり、手をつないでゴールを目指しました。

乙女小6年の薬師莉央奈(りおな)さんは「グラウンドが広く、走る距離が長くてきつかったけど、中学生と一緒で楽しい」と笑顔を浮かべていました。

2.ここ一週間の地震

2016/09/18 09:38 18日 09:35頃 紀伊水道 1

2016/09/18 05:07 18日 05:03頃 トカラ列島近海 1

2016/09/18 04:56 18日 04:53頃 有明海 1

2016/09/18 03:02 18日 02:58頃 和歌山県北部 1

2016/09/17 22:44 17日 22:39頃 宮城県沖 3

2016/09/17 21:49 17日 21:45頃 千葉県東方沖 1

2016/09/17 20:04 17日 20:00頃 京都府南部 1

2016/09/17 17:28 17日 17:25頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/17 16:39 17日 16:35頃 千葉県東方沖 3

2016/09/17 08:51 17日 08:48頃 福島県沖 1

2016/09/16 23:33 16日 23:30頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/16 17:53 16日 17:47頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/09/16 13:46 16日 13:43頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/16 02:21 16日 02:18頃 茨城県沖 1

2016/09/16 02:09 16日 02:06頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/09/15 21:42 15日 21:39頃 福島県中通り 1

2016/09/15 18:38 15日 18:34頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/15 14:16 15日 14:13頃 長野県南部 2

2016/09/15 07:14 15日 07:08頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/15 01:45 15日 01:42頃 青森県三八上北地方 1

2016/09/14 16:26 14日 16:23頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/14 12:33 14日 12:30頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/13 23:59 13日 23:56頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/13 23:23 13日 23:20頃 熊本県熊本地方 3

2016/09/13 19:28 13日 19:25頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/13 19:23 13日 19:19頃 埼玉県南部 1

2016/09/13 19:17 13日 19:12頃 埼玉県南部 3

2016/09/13 18:01 13日 17:58頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/13 17:40 13日 17:37頃 岩手県沖 1

2016/09/13 17:33 13日 17:29頃 熊本県阿蘇地方 3

2016/09/13 14:35 13日 14:32頃 熊本県熊本地方 3

2016/09/13 08:35 13日 08:30頃 千葉県北西部 2

2016/09/13 05:24 13日 05:20頃 栃木県北部 2

2016/09/12 20:54 12日 20:49頃 茨城県沖 2

2016/09/12 20:37 12日 20:32頃 朝鮮半島南部 3

2016/09/12 19:49 12日 19:44頃 朝鮮半島南部 2

2016/09/12 18:03 12日 17:59頃 紀伊水道 1

2016/09/12 17:05 12日 17:01頃 宮城県沖 2

2016/09/12 13:37 12日 13:33頃 千葉県北東部 2

2016/09/12 10:13 12日 10:06頃 茨城県北部 1

2016/09/12 07:00 12日 06:57頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/12 06:47 12日 06:44頃 宮城県沖 1

2016/09/12 04:34 12日 04:31頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/12 04:30 12日 04:27頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/12 03:21 12日 03:18頃 岩手県沿岸北部 1

2016/09/11 17:46 11日 17:41頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/11 13:21 11日 13:17頃 熊本県阿蘇地方 2

2016/09/11 12:27 11日 12:22頃 福島県沖 3

2016/09/11 08:45 11日 08:42頃 新潟県中越地方 2

(続く)

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