【連載185】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

10月15日土曜日昼◆熊本地震、昨日で半年!!◆

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

*下記熊本地震から半年情報はあらゆる箇所で重複しています。ご了承ください!

皆様こんにちは。熊本地震の発生から昨日14日で半年となりました。熊本、大分両県によりますと、同日までの被害状況は死者110人、被害を受けた家屋は計18万472棟。熊本県で一時は18万人を超えた避難者は188人に減り、ほとんどの避難所が今月末に閉鎖される見通しです。一方で住宅に被害を受けながら仮設住宅などに移らず、自宅の軒先で暮らす人もいます。

一連の地震による死者は、家屋の倒壊などによる直接死が50人。後の体調悪化などによる「災害関連死」は55人に上り、今も認定審査が続いています。6月の豪雨の際に、地震でゆるんだ地盤の崩落などで犠牲になった5人も熊本地震の死者と認められています。

被害家屋は熊本県が17万2556棟、大分県が7906棟で、うち全半壊が計3万9211棟。熊本県内に建設された応急仮設住宅は4052戸、自力でアパートなどを探して申請する「みなし仮設」は1万553戸になりました。避難所は熊本県内7市町村に9カ所が残りますが、今月末までに7カ所が閉鎖される見通しです。

熊本県は昨日14日、発生した災害廃棄物のうち、8月末までに48万3千トンを処理したと発表しました。最終的な発生量は通常の3~4年分に相当する195万トンと推計しており、進捗率は24.8%。2年以内での処理に向けて「計画通り」だそうです。

震度7の揺れが2度襲い、計23人が亡くなった熊本県益城町ではこの日、犠牲者を悼む黙禱や法要が営まれました。同町惣領(そうりょう)では早朝、カラオケ教室を開いている最中に亡くなった荒牧不二人さん(当時84)の倒壊した自宅を、60年来の友人という西村治信さん(83)が訪れ、そっと手を合わせました。荒牧さんの自宅は8月末から解体が始まりました。西村さんは「ようやく解体が進み始めた。でも、まだまだこれからなんだろうね」と話していました。

熊本地震で最大の犠牲者を出した熊本市は本日15日、同市中央区の市民会館で市主催の慰霊祭を開きました。熊本地震での市主催の追悼行事は初めてで、参列した遺族や市民ら約300人が犠牲者の冥福を祈り、復興への思いを新たにしました。

慰霊祭では遺族代表として中央区の冨永真由美さん(57)がお別れの言葉を述べました。母津崎操さん(当時89歳)は地震後の車中泊で疲労がたまり、16日早朝に病院で亡くなり、震災関連死に認定されました。冨永さんは「地震で失ったものより、そこで学べたことを大切にし、前向きに生きていくことが私の人生の課題だと思います。私たちを見守っていてください」と亡き母たちに語りかけました。

また、大西一史市長は「震災前の安心できる暮らしを取り戻す道のりは長いものとなる。希望にあふれた豊かな古里、熊本を築くため、震災の経験を次世代に引き継ぎます」と式辞を読みました。

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先週の熊本県の阿蘇山の噴火から本日15日で1週間となります。気象庁は、今回の噴火の前に、火山性地震や火山ガスの量の増加など複数の変化が観測されていながら、事前に噴火警戒レベルを引き上げることができなかったことから、阿蘇山の噴火警戒レベルを引き上げる際の基準を見直すことを決めました。

今月8日の未明に阿蘇山の中岳第一火口で発生した爆発的な噴火では、それまでの警戒範囲の火口から1キロを超えて大きな噴石が飛散しましたが、気象庁が噴火警戒レベルをレベル3に引き上げて警戒範囲を2キロに広げたのは、噴火のあとでした。

阿蘇山では噴火の1週間ほど前から火山性地震が増加し、火山性微動の振幅が大きくなっていたほか、噴火の前日には火山ガスの量が先月下旬のおよそ5倍と大幅に増えていました。さらに噴火の2時間前からは、火口付近が膨張する地殻変動が起きるなど複数の変化が観測されていましたが、気象庁は現在の基準をもとに、レベルの引き上げは行いませんでした。

このため気象庁は、今回のような場合に噴火の前にレベルを引き上げられるよう、現在の阿蘇山の噴火警戒レベルの判定基準を見直すことを決めました。

気象庁は専門家の意見も踏まえながら、今回、観測されたデータなどをもとに、できるだけ早く見直しを行ったうえで、新たな基準を公表することにしています。

気象庁によりますと、阿蘇山では今月2日以降、火山性地震が増え、おおむね1日に100回を超えていたほか、地下のマグマや火山ガスなどの動きを示すと考えられる火山性微動の振幅も、今月4日から徐々に大きくなっていました。

今月8日の爆発的な噴火の前日には、火山性微動がさらに大きくなり、火口から放出される火山ガスの量も先月下旬のおよそ5倍にあたる1日あたり1万5000トンと、急激に増加していました。

前日の午後22時前に噴火が発生したあと、火山性微動の振幅はさらに大きくなっていたほか、およそ2時間前からは火口付近がわずかに膨張する地殻変動も観測されていました。さらに直前には火山性微動の振幅が急速に小さくなるなど、噴火が迫っている可能性を示す複数の変化が観測されていました。

気象庁は噴火の前日の定例の情報で、火山性微動の振幅がやや大きく、火山性地震の回数や火山ガスの量が多い状態で、火口周辺に影響を及ぼす噴火が発生する可能性があると発表しましたが、地震の回数や火山ガスの量などは記載していませんでした。

ふもとの自治体のうち、阿蘇市の担当者には噴火の前日の夕方に、火山ガスの量が増えていることを直接伝えていましたが、噴火の可能性については説明しなかったということで、南阿蘇村と高森町の担当者には火山活動の変化を伝えていなかったということです。

その後、噴火の15分余り前に発表した解説資料の中では、火山ガスの量が1日あたり1万5000トンとそれまでの5倍以上の値に増えていることや、火山性微動の振幅がさらに大きくなっていることを伝えましたが、噴火に伴って大きな噴石に警戒が必要な範囲は1キロのままとしていました。

火山噴火予知連絡会の副会長を務める京都大学の石原和弘名誉教授は、「阿蘇山では先月下旬から火山ガスが増え、今月に入ってからは火口直下の火山性地震が多くなったり、火山性微動も大きくなったりと、ほぼ間違いなく噴火する、あるいは注意しないといけない事態が迫っているということは、観測データを見ても明らかなものだったと思う。少なくとも、火山活動がレベル2の中でもさらに上向きになっていることは伝えられるわけで、レベル2から3に活動が移行しようとしているということは伝えるべきだと思う。気象庁は、観測されたデータを随時公開するなどして、住民や自治体が火山活動の変化や高まりがどの程度なのか受け止められるような情報を出すとともに、異常なことが起きたならば、それを明確に伝える必要がある」と話しています。

*ブログでも同じ熊本情報を掲載しています。ご参考までに

http://ameblo.jp/onmitsudoshintenpoji/entry-12209888770.html

1.被災地情報

①熊本地震から半年 行き先決まらぬ避難者からは不安の声!

熊本地震で大きな被害を受けた熊本県益城町に唯一残っている避難所では、地震発生から半年がたった今も、およそ100人が避難生活を送っています。今月末に避難所は閉鎖されることが決まっていて、閉鎖後の行き先が決まっていない人たちの間からは今後を不安に思う声が聞かれました。

益城町で唯一の避難所となっている町の総合体育館では、半年たった今もおよそ100人が避難生活を続けています。

このうち、益城町寺迫にある自宅が「大規模半壊」と判定された藤田光子さん(88)は、娘の文子さん(65)とともに避難生活を送っています。修繕をして、もう一度自宅で暮らしたいと考えている光子さんですが、修繕を頼む業者の順番待ちの状態が続いていて、自宅に戻るめどはたっていません。今月末に避難所が閉鎖された後の行き先は決まっていないといいます。

藤田光子さんは「避難所を出ないといけないことはわかっていますが、行き先が決まっておらず、言葉がありません。自分でこつこつ一生懸命仕事をして定年前に建てた家なので、解体したくありませんし、なんとかして、もう一度住みたいです」と話していました。

娘の文子さんは「地震から半年を迎えましたが、行き先が決まっていないので、不安な気持ちでいっぱいです。母のことを思い、心を痛めています」と話していました。

益城町によりますと、今も避難生活を送っているおよそ100人のうち、今月末の避難所の閉鎖のあと、行き先が決まっていない人は20人余りいるということです。益城町は、行き先が決まっていない人に対し、聞き取り調査をしたうえで、仮設住宅やみなし仮設住宅への入居を勧めるなどしたいとしています。

益城町では、犠牲者を追悼する法要が営まれました。

この法要は地元の若い僧侶たちで作るグループが開きました。益城町では災害関連死も含め23人が亡くなっていて、町の文化会館で行われた法要には、地元の人などおよそ60人が参列しました。

この中でおよそ25人の僧侶たちがお経を読み上げ、参列した人たちは地震で亡くなった人たちを追悼しました。

80代の女性は「知り合いの娘さんが地震で亡くなり、お参りをしたいなと思って来ましたが、きょうは地震から半年なので、地震で亡くなられたすべての人たちのことも追悼したいと思います」と話していました。

また、70代の男性は「亡くなった方たちを追悼したいとの思いで足を運びました。熊本地震で100人以上の方が亡くなられ改めて残念な思いでいっぱいです」と話していました。

②熊本地震から半年! 知事「熊本の復活目指す」!

熊本県の蒲島知事が会見。「復旧復興プランに基づいて元の美しく活気に満ちた熊本の復活を目指したい」と述べ、復興に向けた取り組みを加速させる考えを強調しました。

一連の熊本地震で最初に震度7の揺れを観測して半年となった昨日14日、蒲島知事は県庁で会見を開き、「地震で犠牲になった人たちに哀悼の意を表するとともに、被害を受けた人たちにお見舞いを申し上げる」と述べました。

そのうえで、「仮設住宅の建設は今月末に97%が完成し、みなし仮設住宅と合わせて1万4000戸以上が提供されることになる。すでに発表した復旧復興プランに基づいて、元の美しく活気に満ちた熊本の復活を目指したい」と述べ、復興に向けた取り組みを加速させる考えを強調しました。

熊本県内では地震から半年がたった今もおよそ200人が依然、避難所での不自由な生活を強いられているほか、道路や水道が復旧していない地域があり、生活の再建が課題となっています。

③国交相、 熊本地震被害のインフラ 早期復旧に全力!

石井国土交通大臣は閣議のあとの会見で、地震で被害を受けたインフラの復旧について、「引き続き全力で早期の復旧復興に当たりたい」と述べました。

この中で、石井国土交通大臣は、「熊本地震のインフラの復旧は順次、成果を上げてきた。しかし、技術的に難しく大規模な工事を要する阿蘇大橋地区などが残っている。引き続き全力で早期の復旧復興に当たりたい」と述べました。一連の熊本地震で大規模な土砂崩れが起きた熊本県南阿蘇村では、阿蘇大橋が崩落し、現在でも国道57号線やJR豊肥線が寸断されたままです。

また、石井大臣は、地震のあと観光客の回復傾向が見られる中、今月8日に阿蘇山の中岳第一火口で発生した爆発的な噴火について、「噴火の影響について正確な情報発信に努めるとともに、ほかの省庁と連携して観光の復興に取り組んでいく」と述べ、16日、熊本県を視察することを明らかにしました。

➃熊本地震で壊れた住宅の解体率14% 、環境相「加速化を」!

山本環境大臣は熊本県内で壊れた住宅の解体が14%余りにとどまっていることについて、「県外の解体業者の支援を受けられるよう関係団体に働きかけることも必要だ。さらに加速化されるよう全力を尽くしたい」と述べ、作業の迅速化に努める考えを示しました。

一連の熊本地震で、熊本県はおよそ195万トンに上る災害廃棄物を2年後の平成30年までに処理する計画で、環境省は専門家の派遣などの支援を行っています。

山本環境大臣は昨日14日の閣議後の記者会見で、熊本県内で解体が見込まれる住宅およそ2万8000棟のうち、先月末までに全体の14.6%に当たる4160棟で公費での解体を終えたことを明らかにしました。また、壊れた住宅のがれきなどの災害廃棄物の処理は、8月末までに全体のおよそ25%に当たる48万3000トンを終えたということです。

住宅の解体や廃棄物の処理をめぐっては、被災した人からは、作業が進まないと生活再建のめどが立たないとして迅速化を求める声が上がっています。

山本環境大臣は「解体を着実に進めるには業者の確保が重要だ。業者不足が懸念される場合は、県外の業者が支援するよう関係団体に働きかけることも必要だと考えている。県や市町村と連携して、廃棄物の処理がさらに加速化されるよう全力を尽くしたい」と述べ、作業の迅速化に努める考えを示しました。

⑤熊本地震 「全壊」の70%近くが活断層沿いに集中!

益城町と西原村の被害について、り災証明書のデータを分析した結果、「全壊」と認定された建物の70%近くが活断層に沿った500メートルの範囲に帯状に集中していることがわかりました。専門家は、活断層のリスクが改めて浮き彫りになったとして、リスクを踏まえて公共施設などの建設を検討すべきだと指摘しています。

熊本地震では、内陸の活断層帯が大きくずれ動き、県内の17万棟を超える住宅に被害が出ました。このうち震度7の揺れを観測した益城町と西原村の2万件余りのり災証明書のデータを基に、日本活断層学会の専門家と建物の被害と活断層との関連を分析しました。

その結果、「全壊」と認定された建物のうち66%余りに当たるおよそ3500棟が、学会の専門家のグループが確認した活断層に沿った500メートルの範囲に帯状に集中していることがわかりました。

「全壊」の建物は、活断層から離れるほど少なくなり、益城町では活断層から1キロの範囲に79%余りが集中し、1キロを超えた場所での「全壊」は全体のおよそ20%で、被害の程度に大きな差が出ています。

日本活断層学会に所属する名古屋大学の鈴木康弘教授は、今回のデータについて、「活断層沿いの被害が非常に大きく、断層から1キロも離れると大幅に被害が軽減していて、断層に近いことが被害を大きくする要因になっている」として、活断層のリスクが改めて浮き彫りになったと分析しています。

そのうえで「活断層の近くに住むか、住まないかは個人の判断が重視されるが、少なくとも、学校や病院など不特定多数の人が集まる建物は断層から離すことが重要だ。まずは、そこから始めて、それ以外の建物はどうしたらいいか、順番に考えることが重要だと思う」として、活断層のリスクを踏まえて公共施設などの建設を検討すべきだと指摘しています。

益城町宮園地区の笠井慶一さん(66)は4月16日、自宅の外で2回目の震度7の地震に遭い、前後左右に1メートルほど引っ張られるような激しい揺れを感じました。この地震で、笠井さんの自宅は1階がつぶれ、町から「全壊」のり災証明書を交付されました。

笠井さんの自宅から半径100メートルにあるおよそ70棟の建物のうち、50棟余りが全壊と認定されました。自宅からおよそ80メートルのところには活断層があり、専門家は、活断層によって被害が大きくなったのではないかとみています。

笠井さんは父親から断層があることは聞いていましたが、これほど大きな地震がくるとは思っていなかったということです。自宅は先月から解体が始まり、いまは仮設住宅に暮らしていますが、今後、住み慣れた元の場所に住宅を建て直すかどうか決められないままでいます。笠井さんは、「活断層については、よそのことのような感じで見ていた。家を建てても、今回のような大きい地震がきたら、また壊れる可能性がある。みんなどこに住んだらいいか不安がっている」と話しています。

熊本地震のあと、全国で活断層のリスクを踏まえた対策が進んでいます。

このうち、主要な活断層帯が4つある山形県は、ことし4月、今後は活断層の上に県の施設を建てない方針を決めました。また、活断層から50メートル以内にある学校や警察署など6つの施設の全体、または一部を今後、別の場所に移す方針を示しています。

一方、山形市も活断層のリスクを踏まえて、急きょ公共施設の移転計画を見直しました。市内の西山形地区にあるコミュニティセンターは、老朽化に伴って3年後に別の場所に移す計画でした。しかし、熊本地震のあと、専門家と調査した結果、移転予定地からおよそ70メートルの所に活断層があることがわかったため、市は計画の見直しを決め、今月3日住民に説明しました。

住民側は、新たに明らかになった活断層のリスクに戸惑いながらも、安全を最優先するとして、計画の見直しに理解を示しました。

住民の代表でつくる「西山形コミュニティセンター建設促進委員会」の安達孝藏委員長は、「熊本地震の際、活断層の上では、耐震構造の建物も被害を受けたので、安全を優先する市の方針はやむをえない。新しい施設は避難所として使われ、地域の子どもたちも遊ぶ建物にもなるので、安全安心を優先したい」と話しています。

山形市は、新たな移転予定地を検討していますが、活断層から離れた場所を探すのが難しく、移転は当初の予定より遅れる見通しだということです。山形市の鴨田尚史総務部次長は、「ゼロからの見直しで全く白紙の状態だが、できるだけ早く用地を見つけられるよう進めていきたい」と話しています。

益城町は、ことし中に復興計画を策定する方針で、活断層上の土地の利用については、現在国が進めている活断層の調査の結果を踏まえて検討したいとしています。

益城町復興課の中桐智昭課長は、「住民のアンケート調査でも、宅地の断層がどうなっていて、住むことができるのかが大きな課題として挙がっているので、国の調査結果が出た時点で住民に公表するとともに、今後の復興計画にも反映させていかなければならないと思っている」と話しています。

⑥熊本地震、 ボランティアの力借りていもの収穫!

熊本地震で大きな被害を受けた西原村で、ボランティアの力を借りて苗を植えたさつまいもが実り、農家の人たちがボランティアと一緒に収穫をしていました。

さつまいもの栽培が盛んな西原村では、一連の地震で多くの畑に亀裂ができるなどの被害が出ましたが、全国から集まったボランティアの力を借りて、ことし6月ごろまでに苗の植え付けを行い、いま、収穫の時期を迎えています。

このうち、松浦茂次さん(81)の広さ25アールの畑では、妻の弘子さん(80)と県内外から集まった3人のボランティアが、さつまいもの収穫作業をしていました。松浦さんたちは、機械で掘り出したいものつるを切り、手際よく箱に詰めていました。

松浦さんは、「地震のあとは農家を続けられないのではないかと思ったこともありましたが、ボランティアの力を借りて、こうして収穫を迎えることができました。今後もできるかぎり頑張っていこうと、元気をもらいました」と話していました。

⑦熊本地震、 孤立を防ぐため相談員が仮設住宅訪問!

熊本地震の被災地では、仮設住宅で暮らす人が悩みを抱えて孤立しないよう、相談員が訪問して話を聞いています。

38世帯72人が暮らす熊本市東区の東町仮設団地では、社会福祉協議会の生活支援相談員、弥永慎一さん(60)が、昨日14日も朝から仮設住宅を1軒1軒訪ねていました。この仮設住宅は、8月末にできたばかりで住民どうしの交流がほとんどないということです。

先月移り住んだ76歳の男性は、「避難所だった体育館では睡眠が取りにくかったが、仮設住宅の畳の部屋だとよく寝ることができてよかったです」と話していました。独り暮らしの66歳の男性は、「仮設住宅が地域から浮いてしまうことが心配です。地域の人たちと関わりながら、再出発したい」と話していました。

弥永さんは、「不安や悩みを言葉に出してもらうことで、住民がリラックスできるように手助けしていきたい」と話していました。

⑧大切な場所、離れない!熊本地震半年!

持田武久さん(75)は、トラクターの運転席で畑の畝(うね)を見つめながら土を起こしていました。半年前に損壊した家々を解体する音が響く熊本県御船(みふね)町滝川。畑近くの自宅は、まだ倒壊したあの日のままです。

昨年に妻の哲子さん(当時70)と一緒に苗を植えたこの畑で今年は一人、タマネギを収穫しました。

妻は、4月16日の本震で家の下敷きになり、帰らぬ人となりました。「『お茶!』と勝手ば言える相手がおらん。何をするにも時間がかかる」。この日耕した畑に今年は何を植えるか、相談する相手は、もういません。あの日、2人は少し離れた部屋に寝ていました。激しい揺れに気づいたときには、頭上すれすれに天井が落ちていました。「おーい、哲子大丈夫か」。「はい、大丈夫」。それが最後の会話になりました。明け方に助け出された武久さんが熊本市内の病院で再会した妻は、ほとんど傷がないように見えました。「苦しか顔はしとらんでした……」。

仮通夜、通夜、葬儀を営み、1カ月が過ぎても「かあちゃんがおらんけん、もう今まで通りに野菜ば作れん」と漏らしていました。人の紹介で25歳の頃に出会った妻。つぶらな瞳にひかれてボウリングに誘い、デートを重ねて半年で結婚しました。年末には50年を迎えるはずでした。「なんでおれじゃなくて、かあちゃんだったのか」。たとえようのない思いがこみ上げてくるのに耐える日々が続きました。

しかし、り災証明を申請し、役場や銀行を回る日々に追われながら、6月にはアルバイトの手も借り、昨年と同じ面積の田んぼに苗を植えました。「かあちゃんがおらんでも、減らすとは、好かん」。農家の意地でした。四十九日、初盆と、供養を行うごとに少しずつ、胸のつかえがとれていく自分に気づきました。

8月、それまで身を寄せていた熊本市内の長男宅を出て、益城町のアパートで一人暮らしを始めました。持ち歩く財布には、哲子さんの顔写真入りの運転免許証を入れています。「これでいつも会えるけん。かあちゃんの分も、できるだけ長生きせないかんと思うようになったよ」。

朝、畑へ出る前に、タンスの上に据えた哲子さんの遺影に話しかけます。「行ってくるばい」。2人が大事にしてきた畑がある場所に、孫たちと暮らす新居を建てようと思っています。

2度の震度7に見舞われ、音を立てて家々が崩れた熊本県益城町の一角。西村慶一さん(63)は、1階部分がぺしゃんこにつぶれた自宅に寄り添うように、4メートル四方の小屋で一人、暮らしています。

4月16日日未明。この家の1階で寝ていた父、西村正敏さん(当時88)と母の美知子さん(同82)は2度目の激震で崩れ落ちた家の下敷きになり、亡くなりました。

妻子は仮設住宅に身を寄せています。しかし、「この地域の空気や家のにおいがあって……」。そうぽつりと話すと、変わり果てた家と、それを支えるように立つ庭の木を見上げました。4月14日夜の前震ではガラスも割れず、瓦も落ちませんでした。両親は自分たちより、持病で入院していた病院から駆けつけた慶一さんの体調ばかり気にしていました。一時避難し、翌15日に停電が復旧した後、両親は家に戻りました。そこに本震が襲いました。「なぜ2人を家に帰してしまったのか」。自責の念はいまもぬぐえません。

もの静かで真面目な父に、優しくほほえむ母。そんなふたりの姿を思い出します。近所でも仲の良い夫婦として知られ、けんかなんて一度も見たことありませんでした。生まれ育った益城で一緒に汗を流し、ナシやクリをつくり、農作業やゲートボール、買い物……。どこへ行くにも一緒でした。

慶一さんは、長年暮らした家のそばで眠りにつくと、よくふたりの夢を見ます。にこにこ笑っている顔ばかりだ。体調はいまもすぐれませんが、「ここからは離れられん」。家を解体したら、ここに平屋の家を建てて家族で暮らそうと決めています。

⑨熊本市、復興計画案可決!市長「行財政改革行う」!

熊本市議会は昨日14日、臨時会を開き、震災からの復興計画案を盛り込んだ市基本計画の一部変更案など2議案を可決しました。復興計画は今後、予算化も含めた実施計画に移ります。

復興計画は被災者の生活再建や商工業、農林業、観光業などによる地域経済の活性化、防災・減災のまちづくりなどで構成されます。

可決を受け、大西一史市長はこの日の定例記者会見で「市でも抜本的な行財政改革を行い、復興に必要な財源を確保し、財政への影響を最小化していく」と述べました。時間外労働の抑制による経費削減などに取り組むとのことです。

⑩益城町、来春にも仮庁舎で業務!

益城町議会の定例会は昨日14日、プレハブ仮庁舎の55年間のリース代と工事費計5億1800万円を含む総額29億1800万円の一般会計補正予算を賛成多数で可決し、閉会しました。西村博則町長は来春には仮庁舎で業務を始めたいとしています。

町の業務は現在、被災して耐震性に問題がある状態の庁舎や施設などに分散して続けられています。仮庁舎は延べ床面積約3千平方メートルで、同町木山の町立幼稚園に近い民有地に建設します。

町は7月の議会で仮庁舎の設置予算を提案しましたが、議員から金額面や必要性に異論が出て予算案から削除しました。町は3社から見積もりを取り、費用を縮減するなどして再提案していました。

⑪被災半年、コンテナハウス暮らし!行政の支援は?

熊本地震から半年。避難所の閉鎖が進み、家を失った多くの被災者が仮設住宅やみなし仮設に移りましたが、全壊した自宅の物置やコンテナハウスで過ごす人たちもいます。自治体はその実態を把握しきれず、支援態勢も整っていません。

4畳半のコンテナハウス2棟と手作りの「合板ハウス」。熊本市南区城南町藤山の介護福祉士、峯愛(みねあい)さん(26)の現在の住居だ。父母、夫、弟、妹と6人で住んでいます。目の前には大きくゆがみ、全壊と判定された自宅が立ちます。「周りの30軒ほどもほとんど全壊。高齢者も多く、戻って来ていない人が多い」。

築50年ほどの自宅を購入したのは2014年末。進学などで峯さんや弟妹が実家のある熊本県人吉市を離れて熊本市に移ったのを機に、父母も家を売って移り住みました。あこがれだった古い家の特徴を生かしながらリフォームを進め、今年1月に峯さんが結婚して2世帯住宅仕様にした矢先、地震に襲われました。

避難所で約2カ月を過ごしました。犬や猫を飼っているため仮設住宅への入居は難しく、一家で住める民間の賃貸物件もありませんでした。「もう自宅のある所に戻ろう」。いつも通るバイパス沿いで売られているコンテナハウスを思い出し、戻ることを決めました。

ハウスのほかトイレやシャワーなど最低限の設備をそろえると優に100万円を超えました。自前の軒先を作り、リフォームしたばかりの自宅の床板を使ってキッチンとリビングも作りました。1階だけで90坪近くあった自宅に比べると狭いですが、にぎやかな生活が戻りました。

市が自宅を解体すれば平屋の家を新築する予定ですが、時期のめどはたっていません。崩れた敷地の地盤補強も必要です。購入したハウスへの補助制度はなく、自宅やリフォーム代のローンも残ります。台風が来て隣の空き家が崩れたら、これから寒くなってきたら……。心配事は尽きません。

峯さんは「家を新築しても、周りの人が戻らなければ地域は成り立たない。行政はそこまで考えて対応してほしい」と訴えています。

⑫熊本地震半年!倒壊した自宅に愛犬残し…続く避難「元の場所に戻りたい」!

「この子を散歩させるのが、毎日の日課なんです」

益城町中心部の寺迫地区。尾方勝(かつ)子さん(72)は、本震で全壊した自宅に残してきた雑種の愛犬・チャコ(14歳)のリードを握り顔をほころばせました。

現在は夫の総一さん(75)とともに、熊本市内にアパートを借りて生活しています。子供は3人いますが、それぞれ熊本県内や福岡県で家族と暮らしており、「迷惑はかけられない」と、同居は考えていないそうです。

アパートで犬は飼えず、毎日朝晩、散歩と餌やりに自宅を訪れるのが唯一の息抜き。「できれば元の場所に家を建て直したいけど、地震の影響で近くを走る国道のルートを変更するという話もある。正直、どうなるか分からないね」。総一さんはため息をついていました。

益城町は、町内の約1万戸のうち半数以上が全半壊しました。崩れた建物が当時のままの姿で無数に残り、傾いた電柱や崩れた石垣なども目につきます。一部で倒壊家屋の解体作業は始まっていますが、尾方さん夫妻のように、生活再建のめどが立たない住民も多いのが現状です。

同町議会の稲田忠則議長(67)は、「アンケートなどで8割以上の町民が『益城に残りたい』と言ってくれている。まずは被災家屋の解体撤去を一刻も早く進めたい。これからが本番だ」と打ち明けました。

山あいの集落に、付近の道路を行き来するトラックのエンジン音と、道路工事の音だけが響いていました。

土砂崩れや家屋の倒壊で多数の死者を出した南阿蘇村では今も山間部で通行止めの箇所が残ります。中でも立野地区は、国道の阿蘇大橋が崩落した影響で村中心部と寸断、今も断水が続いています。

加えて6月には、大雨による土砂崩れが複数発生。村は避難勧告を継続し、住んでいた約340世帯のほとんどが、村外での生活を余儀なくされています。復旧のめどは立っていません。

自宅前の畑の草刈りで戻ってきていた女性(81)は、「地震で家は潰れずに済んだけど、近所の友達とも離ればなれになった。生まれてからずっと、ここで生きてきた。なんでこんなことになってしまったのか」と涙ぐんでいました。

車が通るたびに、白い粉塵が舞います。今月8日未明に爆発的な噴火が起きた阿蘇山の北側にある同県阿蘇市では、いまだに白い火山灰が街中に降り積もっていました。小学生はマスク姿で登下校。住民も、ほうきを手に片付けに追われていました。

コンビニエンスストアの駐車場で灰を片付けていた店員の井上愛さん(32)によりますと、噴火翌日の朝、駐車場には大きな噴石がいくつも転がっていたそうです。「秋の観光シーズンなのに、地震の次は噴火。次は何が来るのかと不安になります」とこぼしていました。

一方、地震で天守の瓦が破損し多くの石垣が崩落、櫓(やぐら)も被害を受けた熊本城(熊本市中央区)は、大半の立ち入りは禁止ながら二の丸広場などへは入場でき、観光ボランティアガイドも活動を再開。観光客や修学旅行の小中学生が数多く訪れていました。大阪市福島区の主婦、相良智景(ちかげ)さん(51)は「予想以上に崩れていて驚いた。阪神大震災も知っているし、人ごとではない。早く復興してほしい」と、傷ついた「熊本のシンボル」に見入っていました。

⑬母の卒寿、祝いたかった…無念の車中泊!

熊本市は本日15日、熊本地震の慰霊祭を同市内で開きました。「横になれない車中泊がこんなにも体にダメージを与えるとは思ってもみませんでした」。遺族代表としてお別れの言葉を述べた冨永真由美さん(57)の母、津崎操さん(当時89歳)は、4月14日夜の前震と16日未明の本震による車中泊で体調を崩し、16日朝に亡くなりました。生きていればこの日、卒寿を迎えるはずでした。

母は今年に入り徐々に体が弱り、3月ごろから寝たきりになっていました。それでも血圧は正常で、薬も服用していませんでした。しかし体を横たえることのできない車中泊でたんを取ることができず、徐々に呼吸が弱まり、余震が続く16日早朝に近くの病院に運びましたが、静かに息を引き取りました。

操さんは1926年、長崎県佐世保市で生まれました。太平洋戦争中は家族と中国に渡り、戦後は東京で洋裁を学びながら身を立てました。熊本で結婚し、双子の長女が冨永さんです。「無口な母で、何か相談してもアドバイスをくれたことはありません。今思うと、それが母流の子育てだったのかもしれません」。

生真面目で感情を表に出すことは少なかったですが、小学校高学年の頃まで冨永さんたち姉妹が着る服は全て母の手作り。学校から帰ると本格的なアップルパイやマドレーヌがテーブルに置かれ、妹と2人で迎えた成人式のドレスも母が縫ってくれました。手作りのものでいっぱいの愛情を注いでくれた母でした。

熊本地震で火葬場も被災したため、4月16日から約1週間、息もしていない母と自宅で過ごしました。安らかな顔でベッドに眠っているような母に、親子の思い出を語りかけました。出棺の日の朝、庭にはバラやパンジーが咲き乱れ、母の好きだった花でひつぎをいっぱいにすることができました。

90回目の誕生日を祝うことはできませんでしたが、長く母を世話してきて、恩返しはできたのかもしれないとも思っています。「今もすぐそばに母がいるような気がして寂しくないんです」。そう祭壇に語りかけました。

⑭東海大生親しんだ「おふくろ亭」再開!

熊本地震の本震で大きな被害を受けた東海大阿蘇キャンパス(熊本県南阿蘇村河陽)の近くで、橋本としえさん(61)が経営する学生向けの食堂が再開しました。橋本さんも自宅が全壊して約6時間下敷きになり、学生が安く腹を満たせるようにと自ら米を作った水田も被害を受けましたが、学生たちの「ただいま」の声を聞きたいと、再び立ち上がりました。

橋本さんは、同キャンパスに通う学生向けのアパートが集まる通称「学生村」の一角に昨年12月、食堂「おふくろ亭」を開店。客の6割が学生で、「南阿蘇村で就職したいけど、どこがいいかな」といった相談にも乗り、看板メニューのホルモン煮込み定食などで胃袋を満たしてきました。

しかし4月16日の本震で、夫の幹雄さん(65)とともに木造2階建ての自宅の下敷きに。右脚の股関節を脱臼したため、今も痛みが出ます。同キャンパスも2018年3月までの閉鎖が決まり、「学生村」から若者の声が消えたまし。橋本さんが経営するアパートの学生10人も出て行きました。

それでも橋本さんは「学生が帰ってきた時のためにも、店をやめるわけにはいかない」と再開を決意。幸い店に目立った被害はなく、先月28日に昼限定で営業を始めました。今は地元住民や復興のための工事関係者らが主な客です。

家屋の下敷きになっている間、面識のない男子学生が「そばにいるから」とがれき越しに何時間も励まし続けてくれた。今月初めに連絡先が分かり、電話で「あの時の声が力になった」とお礼を伝えました。がれきの撤去も進まず、村への道路も寸断されて再会のめどは立っていませんが、「会えた時には、店でおなかいっぱい食べさせてあげたい」と心待ちにしています。

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⑮阿蘇山火口に直径3m超の噴石確認!今後も噴火の可能性!

先週の土曜日8日に爆発的噴火が起きた熊本県の阿蘇山で、中岳第1火口の近くに直径3メートル以上の大きな噴石が落ちているのを福岡管区気象台が現地調査で確認しました。降灰は最大30センチほど積もっていました。火山活動は活発な状態が続いており、今後も8日と同程度の噴火が発生する可能性があるとのことです。

気象台は12日、立ち入り規制区域内に入って調べました。火口中心から南西側200メートル付近の火口の縁に、今回の噴火で飛んだ大きな噴石を遠方から確認。過去の噴石の大きさと比較して、少なくとも直径3メートルはあるそうです。南側から南西側の約700メートルの範囲内では1~1.5メートルの噴石が多数飛散しており、500メートルの範囲内では数センチから30センチ程度の降灰がありました。

気象台によりますと、12日の火山ガスの放出量は1日あたり1400トン。噴火前の7日(1万5千)より減少しています。

2.ここ一週間の地震

2016/10/15 11:28 15日 11:25頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 10:38 15日 10:34頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 09:47 15日 09:44頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 09:45 15日 09:41頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 09:43 15日 09:38頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/15 07:16 15日 07:12頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 07:14 15日 07:10頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 03:37 15日 03:34頃 青森県東方沖 1

2016/10/15 03:22 15日 03:19頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 00:34 15日 00:31頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/10/14 19:25 14日 19:21頃 福島県沖 2

2016/10/14 04:00 14日 03:57頃 島根県東部 2

2016/10/13 20:11 13日 20:07頃 宮城県沖 1

2016/10/13 05:07 13日 05:04頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/10/13 01:22 13日 01:18頃 茨城県沖 2

2016/10/12 22:35 12日 22:32頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/12 19:24 12日 19:20頃 福島県会津 1

2016/10/12 18:30 12日 18:27頃 十勝地方南部 1

2016/10/12 15:59 12日 15:56頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/12 15:57 12日 15:54頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/12 08:09 12日 08:05頃 房総半島南方沖 2

2016/10/12 06:20 12日 06:17頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/12 04:06 12日 04:02頃 十勝地方南部 3

2016/10/12 01:19 12日 01:16頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/11 12:40 11日 12:37頃 茨城県南部 1

2016/10/11 06:50 11日 06:45頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/11 01:04 11日 01:00頃 福島県沖 2

2016/10/10 21:58 10日 21:55頃 内浦湾 1

2016/10/10 20:53 10日 20:49頃 栃木県北部 1

2016/10/10 15:32 10日 15:28頃 埼玉県南部 1

2016/10/10 08:19 10日 08:15頃 秋田県内陸北部 2

2016/10/10 07:24 10日 07:21頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/10 07:19 10日 07:15頃 茨城県沖 2

2016/10/10 06:48 10日 06:45頃 日向灘 1

2016/10/10 06:06 10日 06:03頃 鳥取県東部 2

2016/10/10 03:57 10日 03:54頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/09 16:17 09日 16:13頃 茨城県北部 2

2016/10/09 08:29 09日 08:24頃 父島近海 1

2016/10/09 03:43 09日 03:39頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/09 03:39 09日 03:36頃 釧路地方中南部 2

2016/10/09 03:32 09日 03:28頃 沖縄本島近海 3

2016/10/08 08:25 08日 08:21頃 秋田県内陸北部 1

2016/10/08 07:40 08日 07:36頃 秋田県内陸北部 2

2016/10/08 01:51 08日 01:46頃 熊本県阿蘇地方 2

(続く)

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