『蒲島熊本県知事、2年で復興完了十分!?相変わらず連携しないダメダメ熊本県内自治体達!』
12月20日火曜日夕方
【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】
皆様こんばんは。蒲島郁夫知事は15日、インタビューに応じ、熊本地震からの復旧復興について「被災者の生活再建や住まいの確保など、次に何が課題となるのかを予測しながら加速化を図りたい」と強調しました。運営権の民営委託(民営化)を表明した熊本空港に関して、県が出資などで新たな運営主体に関与する可能性は「ベストな方法なら当然考える」としました。一問一答は次の通り。
Q.避難所解消などスピード重視で災害対応を進めてきた。これからの課題は?
A.仮設住宅の入居期限である2年以内に、被災者の恒久的な住まいの確保や再建を支援するのが第一。経済、インフラの再生、世界とつながる目標など、次の課題を予測しながら併せて加速させていく。
Q.今月下旬に政府の新年度予算案が決まる。県が要望する宅地被害復旧の補助拡充など実現の見通しは?
A.宅地復旧補助のかさ上げが図られつつあり、期待している。安倍晋三首相の『復興財源で自治体が立ちゆかなくなることはしない』との言葉が財源確保の安心感の担保になっている。復興基金創設のための地方交付税法改正や、住宅再建のローン減税など、被災者税制の恒久化は熊本がモデルになり、今後の災害対応の標準になるだろう。
Q.被災した住宅の解体前倒しの見通しは?
A.11月末の解体進捗(しんちょく)率は26.2%。今のペースなら目標の2年間で十分だが、解体業者の追加投入などでより加速化が期待できる。ただ、解体件数が増えていることも踏まえて、現在は2年と考えている。
Q.熊本空港の運営権民間委託を表明した。どのような運営主体が望ましいか?
A.新ターミナルビルの設計段階から運営委託して、民間の発想がより入りやすくする方式は全国初。引き合いはあるのではないか。(県などの出資は)それが望まれるベストな方法なら、当然考える。熊本空港が最も生きる形にして、県が掲げる創造的復興のシンボルとしたい。
Q.公害健康被害補償法に基づく水俣病認定審査は、3月の知事選時点で申請していた約1200人について、任期中の2019年度中の審査完了を掲げたようですが?
A.審査会を年6回開き、年300人の審査を行う。難しかった県外申請者の検診医を確保するなどして、丁寧な審査を前提にペースを上げていく。ただ今後も申請がある限り、公健法に基づく審査を止めることはない。
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熊本地震で自宅に住めなくなり、民間賃貸の「みなし仮設住宅」に入る被災者を支援する自治体が半数以下に限られることが18日、分かりました。みなし仮設の申請を受け付けた県内24市町村のうち3戸以上の20市町村に限ってみますと、訪問や見守り活動を始めたのは9市町村にとどまりました。
みなし仮設の設置主体の県から市町村への情報提供で、連絡先の把握は進んでいますが、応急仮設住宅に比べて支援態勢は不十分で、被災者の孤立化や情報格差が懸念されています。
20市町村のうち、みなし仮設入居者との連絡態勢が「ある」としたのは13市町村。支援内容は、いずれも「訪問、電話による面談や聞き取り」で、9市町村が着手し、7市町村が準備・検討中。4市町は「支援は必要ない」と判断しています。
支援主体は、各市町村の担当課や、社会福祉協議会が運営する地域支え合いセンター。対象として約7800戸を抱える熊本市は、市民病院の看護師が各戸を訪問。約1300戸の益城町は、車中泊の支援に当たった市民団体「こころをつなぐよか隊ネット」が町社協の委託で巡回しています。
入居者との連絡態勢が「ない」としたのは八代、宇土、合志、玉名、御船、玉東、西原の7市町村。被害の大きい宇土市や西原村は「対象者がまだ把握できていない」。御船町は「入居者に情報提供の同意を取っている段階」だそうです。
地元以外の市町村のみなし仮設に暮らす被災者への支援は菊池、大津、美里、益城、甲佐、山都、氷川の7市町が実施。大半は「これから検討する」としています。
みなし仮設の入居期間は、一般の仮設住宅と同じ2年。その後の生活再建支援策としては「ニーズを探りながら地元への転居を後押し」「災害公営住宅や市・町営住宅の提供」が大半を占ました。
県によりますと、仮設住宅など仮住まいを余儀なくされている被災者は約4万1千人で、みなし仮設が約7割を占めます。県健康福祉政策課は「東日本大震災の被災地でも、みなし仮設や自宅避難者への支援に遅れが生じた。県外転出者を含め、市町村との情報共有に力を入れ、被災者の状況把握を急ぎたい」としています。
1.被災地情報
①九州自動車道、復旧工事続く!益城町や宇城市など
西日本高速道路は16日、熊本地震で被災した九州自動車道の復旧現場を報道陣に公開しました。熊本県益城町や宇城市などを通るルートで、路面のうねりや橋桁のずれなどが依然解消されておらず、一部を対面通行にして復旧工事に当たっています。上下線の全4車線の完全復旧について同社は従来通り、「来年度の早い時期」と説明しています。
復旧作業が続いているのは、地盤沈下などが生じた益城熊本空港インターチェンジ(IC)~松橋IC間。益城熊本空港IC~嘉島ジャンクション(JCT)間にある木山川橋は、橋桁が約50~60センチずれ、路面にうねりや段差が発生。秋津川橋は橋の付け根部分が破損しており、それぞれ橋を支える部品の交換や接続部分の修復、橋桁を元の位置に戻す作業を進めています。
嘉島JCT~松橋IC間の一部は、工事に伴い通行できるのを2車線に限定。年末年始は渋滞が見込まれるため、27日ごろ~1月4日ごろは規制を解除して、4車線とも通行できるようにする予定です。
②九州新幹線、熊本駅以南10キロ、来年3月に徐行解消!
JR九州は16日、来年3月4日からのダイヤ改正を発表しました。熊本地震で損傷するなどし、徐行運転していた九州新幹線の熊本駅から南に約10キロ区間を、通常の速度に戻します。所要時間が約5分短縮され、地震前と同じになります。
線路の補修や安全対策工事が、来年2月までに完了するめどが立ったため。時速70キロの徐行運転から通常運転(最高260キロ)になります。
運行本数は、各駅に停車する「つばめ」を2本減らし123本となります。一方で、臨時列車扱いで新大阪~鹿児島中央の「みずほ」をほぼ毎日2往復、週末と祝日に「さくら」を博多~鹿児島中央で計4本増やします。
このほか、通勤時間帯の「さくら」と「つばめ」の自由席車両を1~2両増やします。
熊本~人吉に、新型観光列車「かわせみ やませみ」を投入。1日3往復で、熊本発は午前7時台、同11時台、午後15時台。人吉発は午前9時台、午後13台、同17時台。
熊本地震後、阿蘇~大分・別府で運行している「九州横断特急」は3往復から2往復に減らします。
③地震負傷者、把握難しく!県内市町村、調査にばらつき
熊本県が市町村の報告を基に公表している熊本地震の県内負傷者に関し、重傷者らの調査方法が自治体によって異なり、特に軽傷者については十分に把握できていないケースがあることが分かりました。
14日現在の県内負傷者総数は2671人。しかし、地震から8カ月を機に全市町村へ聞き取り調査を実施した結果、軽傷者の把握を断念した自治体もあり、実際の負傷者数は公表数を上回るとみられます。負傷者などのデータは災害時医療体制を考える上で基準となり得るため、識者からは正確な把握の必要性を指摘する声も上がっています。
災害時の負傷者は消防庁の要領に基づき、市町村が重傷者と軽傷者を分けて把握し、県に報告する仕組み。しかし、統一した把握方法は定められていないそうです。
各市町村によりますと、把握方法で目立つのは「消防団や民生委員、区長からの報告と、本人の自己申告」(大津町)や、「市内の病院17カ所を対象とした電話での聞き取りとファクスによる報告」(阿蘇市)など。甲佐町は「本人や家族からの申請」に加え、被害が大きかった乙女、白旗地区での戸別訪問による健康調査時にも負傷者を調べました。
一方、甚大な被害が出た南阿蘇村は「負傷者数が膨大で、区ごとや個別の聞き取りは現実的に不可能」と判断し、「阿蘇広域消防本部への聞き取り」のみで対応しました。
義援金の支給を申請した重傷者のみを把握した自治体もあり、嘉島町は「重傷者10人」に対し、軽傷者は「不明」と報告。益城町も「軽傷者の完全な把握は難しい」として広報誌などを通じた町民への報告呼び掛けも見送りました。その結果、同町の報告数は重傷者122人、軽傷者31人と重傷者数が軽傷者数を上回っています。
負傷者の把握実態について、県危機管理防災課は「市町村がそれぞれの判断で柔軟に最適な方法で把握していると認識している」。消防庁応急対策室は「実態と食い違っているとの情報は聞いていないが、仮に乖離があるのなら正確に調べてほしい」と話しています。
④地震でゴロリ!農道に巨岩が“出現”
熊本市西区上松尾町の農道に、幅6メートル、高さ2.5メートルの巨岩が“出現”しました。熊本地震の本震後に、近くの山から転がり落ちてきたとみられます。地元住民は地震を語り継ぐ名所にしたいと、保存を検討しています。
巨岩が現れたのは、松尾東小近くのミカン畑を走る農道。背後には観音が祭られていることから「観音さん」と呼ばれる山があり、山頂へと続いて竹がなぎ倒されていました。落下の瞬間を見た人はいませんが、近くに住む小島宝さん(66)は4月16日の本震直後、竹が折れるような音を聞いたそうです。
そばには草などが生い茂って緑の小山のようになりました、一回り小さな岩もあります。この岩も40~50年ほど前に山から落ちてきたとみられ、地元では「夫婦岩」として話題に。「『寂しくなって追ってきたのだろう』と話すお年寄りもいます」と小島さん。
農道を管理する土地改良区も、巨岩の保存を了承。地元自治会の田尻憲靖会長は「来年3月に松尾東小も閉校になる。夫婦岩が話題になって、地域が盛り上がってほしい」と話しています。
⑤御船高生、復興描く!町復興計画策定へ意見交換
熊本県御船町は15日、来年3月の策定をめざす熊本地震の復興計画に若者のアイデアを取り入れようと、御船高生徒との意見交換会を同校で開きました。
生徒会執行部の18人が参加。4班に分かれて町の強みや弱みについて町職員と話し合い、各班ごとに意見をまとめました。
生徒からは「イベントが少ないので恐竜マラソンを企画しては」「町のPR動画を作って発信してはどうか」「大型店や書店を誘致してほしい」などの提案がありました。
生徒会長の松井康朗さん(17)は「自分たちの思いを町に届けることができて良かった」。出席した藤木正幸町長は「みなさんのアイデアを実行すれば人口も増えて住みやすい町になる」と語っていました。
⑥地元住民、ガイドで応援!阿蘇火山博物館
熊本地震で被災し、11月に再開した熊本県阿蘇市の阿蘇火山博物館(池辺伸一郎館長)で、熱意に満ちた応援隊が奮闘しています。本震から8カ月が経過してもなお、付近の幹線道の復旧が進まず、来館者は回復していませんが、メンバーは「魅力アップへ知恵を絞りたい」と意気込んでいます。
草千里近くに立つ鉄筋4階建ての同博物館は、地震によって壁が変形し、雨漏りなどが発生しました。11月1日に仮復旧で再開しましたが、「来館者は例年の1割ほど」と池辺館長。地震前に18人いたスタッフは、経費削減もあって半分以下に減りました。
そうした事情を気に掛け、応援に乗り出したのが、NPO法人「阿蘇ミュージアム」のインタープリターズ(解説者)部会だ。支援活動を強化し、最低1人が館内に常駐できるよう、約60人のメンバーが交代で対応。展示物や草千里のガイド(有料)に加え、阿蘇周辺の観光や交通事情の説明にも当たります。
メンバーは同市や南阿蘇村在住の元会社員や元教師らで、同NPO法人の講座を受講。阿蘇の自然や火山、歴史などに詳しく、多くは阿蘇ジオパークのガイドも務めます。
常設展示の案内人は9万年前の大火砕流や噴火の歴史などを流ちょうに説明します。同部会役員でガイド歴3年の高嶋信雄さん(72)=同市一の宮町=は、10月の中岳の爆発的噴火で自宅に噴石が飛来した体験も紹介。来館者は「地元の人の話は説得力がある」と聞き入っています。
メンバーは「再開を知らない人が多い」と口をそろえ、来館者に会員制交流サイト(SNS)で発信するよう依頼します。噴火被害を逆手に取り、火山灰や噴石の土産物作りも同館に提案しました。
池辺館長は「サービスが行き届かない中、応援は大きな力」と感謝しています。本格再開は来春以降の見込みですが、阿蘇の自然などを映す目玉施設の5面マルチスクリーン映像は近く全面復旧の予定です。
同館は1982年に九州産交(熊本市)が開業し、2004年に同社の経営再建で閉鎖の危機に直面。別企業の支援で再出発しただけに、高嶋さんは「阿蘇になくてはならない施設で、メンバーの思い入れも強い。来館者に喜んで来てもらえるよう手伝いたい」と心に誓っています。
⑦防災情報、メールが活躍!菊池市が市民アンケート
熊本県菊池市は、熊本地震発生後に市が発信した防災行政情報に関する市民アンケートをまとめました。携帯電話・パソコンの防災メールを情報源に挙げた市民が最多でした。メール登録者は増加傾向にあり、市は従来の防災無線などと組み合わせた情報発信の強化を図ります。
アンケートは6~10月に実施。市の広報紙とホームページを通じて尋ね、17~98歳の416人から回答を得ました。利用した情報源(複数回答)は、市が2006年に導入した「安心安全メール」が最多の34%。以下、防災無線28%、ホームページ13%と続きました。
市は、前震から1週間でメールを66回発信。「回数は適切だった」とする意見が7割に達した一方、支援物資の種類や避難所の詳細な情報、物資を融通し合うための掲示板機能を求める声もありました。
一方、メール登録者は本年度当初の約3千人から約4300人(11月末現在)に増加。未登録の知人へ転送するケースもあり、実際にメールを目にした人はさらに多いとみられています。自主防災組織も211行政区のうち、地震後に22区が加わって111区に広がりました。
市はこうした動きを市民意識の高まりと捉え、メール登録が苦手な高齢者への浸透や自主防災組織のない地域での啓発活動に力を入れる方針です。昨年11月から市危機管理専門委員を務める元陸上自衛隊幹部の野村浩司さん(56)は「情報源は二重三重のバックアップが必要。メールや無線が機能しない場合も想定される。地域コミュニティーを活用し、漏れなく市民に危機を伝える仕組みづくりを強化したい」そうです。
名古屋大の協力で、アンケートの回答者が地震の際に感じた思いを分析したところ、「備え」を示す言葉に関心が集まりました。市は広報紙を通じて、南海トラフ巨大地震への注意を定期的に促しながら、熱心に避難訓練を重ねる市内の行政区を紹介し、「備えへの備え」を喚起します。
⑧ひとり親家庭「収入減」18%!熊本地震影響
熊本県は15日、熊本地震の影響で県内のひとり親家庭の18%が、収入が減少したとする調査結果を明らかにしました。県子ども家庭福祉課は「ひとり親家庭は収入が低い世帯が多い。地震後の減収で二重のダメージを受けている」と分析しています。
ひとり親家庭に支給される児童扶養手当の受給資格者2万1246世帯が対象。毎年行う生活状況調査に合わせて8月に実施し、1万4880世帯から有効回答を得ました。
被災後に収入が「減少した」世帯は18.1%。「増加した」は2.2%、「ほぼ変化なし」が79.7%でした。「減少した」世帯のうち、19.6%が5割以上減ったと回答。「3~4割減少」は24.0%、「1~2割減少」は56.4%でした。
地震で住まいに被害を受けた世帯は35.9%。被災後に転居したのは7.2%で、転居先の内訳は賃貸・公営住宅が55.4%、親類・知人などと同居が12.5%、仮設住宅が8.0%でした。
同課は「就業形態の変化や地域別の被災状況など細かく分析してニーズを把握し、支援につなげたい」と話しています。
県は貸し付けや学習・就業支援をしており、ホームページに情報を掲載しています。同課TEL096(333)2229。
⑨熊本地震「グループ補助金」、3回目の交付決定!
熊本県は15日、熊本地震の被災企業を支援する「グループ補助金」事業について、新たに502事業者に計110億7千万円を交付することを決めました。交付決定は3回目。
県はこれまで417グループ(6480事業者)を補助金の対象に認定。このうち約1100事業者から申請を受け、246事業者に計82億2千万円を交付することを決めています。次回は来年1月末に決定する予定。
グループ認定の第3次公募については「1月以降に始める」(県商工振興金融課)としています。
グループ補助金事業は、複数の事業者がグループを組んで行う復興事業が対象。中小企業の場合、国や県が復旧費の4分の3以内を補助します。
⑩小国郷と日田市結ぶ国道212号、全面開通!
熊本地震の影響で片側通行が続いていた大分県日田市と熊本県の小国郷を結ぶ国道212号が16日午後17時に全面開通しました。
4月16日の本震により日田市内の3カ所で斜面が崩れて全面通行止めとなり、土砂の除去や落石防護網などを設置して8月26日から片側通行規制となっていました。
3カ所のうち、同市大山町汗入場の現場は11月下旬に復旧し、通常通行を開始。今回、同市大山町西大山と同市天瀬町でも工事を終え、全面復旧することになりました。
大分県道路保全課は「生活、物流、観光の主要幹線道路であり、予定通り規制解除できて良かった」としています。
⑪くまモングッズで募金活動!亜細亜大、拓殖大が復興支援
熊本地震の被災地の復興を支えようと、亜細亜大経営学部と拓殖大商学部の学生らが、5月から東京都内で、くまモングッズを活用した募金活動を展開。60万円超が集まり、このほど、熊本県東京事務所に「ふるさと納税」として寄付しました。
名付けて「くまサポ ワンコイン・プロジェクト」。一口500円の募金に対し、八代市の業者から仕入れたくまモンのミニタオルをお礼に渡します。500円からタオル代など経費を差し引いた250円を寄付に回します。大学や商店街で募金を呼び掛けました。
企業が商品に社会貢献の仕掛けを取り入れる「コーズ・リレーティッド・マーケティング」の手法を活用。くまモングッズで引きつけ、熊本を心に留めてもらうことを狙いました。
予想を上回る成果に、亜細亜大3年の鈴木明子さんは「さすが、くまモンは愛されている」。ふるさと納税に対する県からの返礼品は受け取らず、子どもたちの支援に役立ててもらいます。
⑫熊本城のいま、明治の積み直し!市民を意識か?
熊本地震で被災した熊本城の再建に向けた歩みを取材するプロジェクトをスタートさせました。紙面と映像で復旧の過程を追っていきます。今回のテーマは「被災の歴史から見えるもの」。
資料データベースから、明治22(1889)年に起きた熊本地震の「号外」が見つかりました。県内初の新聞「白川新聞」の流れをくむ「熊本新聞」で、地震発生翌日の7月29日付。熊本城調査研究センターの職員も「この号外の存在は知らなかった。とても貴重」と驚いています。
号外は被害者の住所・氏名を含め、地震被害の概況を簡潔にまとめています。熊本城に関しては「所々が崩壊している。今朝見に行ったら、長塀の中程と下馬(げば)橋(馬具櫓(やぐら)から花畑方面へ架かっていた橋)の門側の石垣が崩れていました。百間(ひゃっけん)石垣の上部も崩れているという」と記されています。当時の城内は、陸軍第六師団の管理下。新聞記者といえども、外から眺めることしかできなかったようです。
明治の地震により、城内の石垣は約1割が被災。注目したいのは「加藤時代のように」積み直した部分と、「明治の手法で」積み直した部分です。
第六師団がまとめた史料によりますと、飯田丸五階櫓の石垣や長塀も崩れていました。しかしこの史料が明らかになるまで、崩落を認識していた専門家は少ないのです。それは「加藤時代の特徴と言える横目地が通った積み方」だったことから。一方で奉行丸の石垣は、石材を斜めに積む「落とし積み」が目立ち、明治時代の積み直しが明らか。
「第六師団は市民の目を気にしたのではないか」と同センター職員は推測します。飯田丸五階櫓の石垣や長塀は、今も遠くから眺めることができます。奉行丸など「内部」は、当時市民が目にすることはありませんでした。
大地震で崩れたとはいえ、日頃から目にしていた「清正公の石垣」を今風にガラリと変えたらどうなるか?軍部が明治の市民の歴史観を意識した、と考えられないでしょうか?「熊本城は往時のままであってほしい」。明治人の声が聞こえるようですね。
⑬大津~立野を先行復旧!南阿蘇観光ルート確保へ
熊本地震で被災し、肥後大津(熊本県大津町)~阿蘇(熊本県阿蘇市)で不通が続くJR豊肥線について、JR九州が肥後大津-立野(熊本県南阿蘇村)の先行復旧を検討していることが15日、分かりました。
豊肥線は、熊本地震で発生した大規模な斜面崩落による土砂流入や落石で線路が寸断。全線復旧の時期が見通せない中、第三セクターの南阿蘇鉄道と接続する立野までの復旧を急ぎ、南阿蘇地区への観光ルートの確保を優先したい考え。
肥後大津~立野の復旧について、青柳俊彦社長は「本年度中に着工できれば、来年度末には運行再開できる」との見通しを示しました。
肥後大津~立野は、地震で立野駅ホームの縁石が損傷。6月の豪雨で沿線2カ所の斜面崩落が発生し、線路が寸断されました。斜面崩落については既に県が事業費約4億円を国の災害復旧事業に申請しており、近く認められる見通し。県は本年度中の着工を予定しています。
一方、南阿蘇鉄道は、高森(高森町)~中松(南阿蘇村)が運行を再開したものの中松~立野は不通が続いており、早期の全線復旧を目指しています。
豊肥線は、被害が大きかった立野~赤水(阿蘇市)について国土交通省が来年1月から有人による地質調査に入る計画。青柳社長は「全線復旧の見通しは立っていない。(線路を敷設するための)路盤さえできれば、着工から1年以内で運転再開できる」と話しています。
⑭福祉避難所は県内1カ所に、熊本市で1人!
熊本地震の影響で県内の高齢者施設などに開設されている「福祉避難所」は14日時点で熊本市に1カ所あり、1人が避難を続けていることが、同市や県などへの取材で分かりました。
福祉避難所は10月31日時点では同市と益城町、芦北町、美里町に計10カ所あり、20人が避難していましたが、今月7日までに順次閉鎖。避難者は益城町に完成したバリアフリー型の仮設住宅や、高齢者施設などに移りました。
同市中央区で避難中の1人は現在、みなし仮設住宅を探しているそうです。
福祉避難所は災害時に指定避難所での生活が難しい高齢者や障害者らを受け入れる施設。県の集計ではピークは5月20日時点で、13市町村の101カ所に823人が避難しました。
⑮南阿蘇村の写真家ら、復興ミュージアム開設!
熊本地震で大きな被害を受けた南阿蘇村を撮影している写真家長野良市さん(59)の作品を展示する「復興ミュージアム」が16日、同村立野の村営温泉施設「長陽憩いの家」にオープンしました。入場は無料で予約が必要。
長陽憩いの家は、地震の影響で休業中。地元の観光農園などでつくる「南阿蘇ふるさと復興ネットワーク」が企画しました。
同村河陽在住でネットワーク副代表を務める長野さんが、地震直後から11月末までに撮影した約40枚を展示。崩落した阿蘇大橋、倒壊した学生アパート、傾いた牛舎で作業する男性など村内の被災状況を克明に捉えています。長野さんは「あの時に何が起きたのかを伝える写真を選んだ。今後はボランティアの活動や復興の様子なども展示したい」と話しています。
来場者にはネットワークのメンバーが当時の状況を解説。希望があれば周辺の被災地を案内します。代表の北正純さん(59)は「規模は小さいが復興のシンボルにしたい。地震を風化させないよう発信を続けていく」としています。予約は木之内農園TEL0967(68)0552。
⑯熊本・大切畑地区、復興の力に!洋菓子店、集落唯一の「OPEN」!坂田さん奮起、住民ら応援!
熊本地震で、集落のほとんどの家屋が大規模半壊以上の被害を受けた熊本県西原村の大切畑(おおぎりはた)地区。地震発生から8カ月を迎え更地が目立つようになった集落に、甘い香りを漂わせる小さな洋菓子店があります。住民の坂田まゆみさん(56)が10月に開きました。大切畑で唯一「OPEN」を掲げた店に、集落再生の願いを込めます。
道幅が狭く、勾配の急な坂道の先に洋菓子店「SAKATA SWEET」があります。ふわふわのシフォンケーキやアップルパイなどの焼き菓子が、ショーケースを飾っています。開店から2カ月たちますが、主要道の県道が復旧していないこともあり、村外からの来店客は1日1組あるかないかです。
坂田さんは2004年から自宅前の加工場で総菜や焼き菓子を製造、販売してきました。4月16日の本震で最大震度7の激震。壁が崩れ、オーブンや流し台も使えなくなり、加工場は壊滅的な被害で休業せざるを得ませんでした。その後、避難所での炊き出しに携わり、加工場の片付けに取りかかれたのは5月末になってから。
震災前、全34戸約100人が暮らした地区のほとんどの世帯は仮設住宅に移りました。余震はなお続いています。「集落に残るのは、うち一軒になるかも」。それでも「何もなくなったからこそ、新しい形を創っていける。一日も早く歩き出して集落の人たちの背中を押したい」と奮起。倒壊を免れた自宅前の駐車場に店舗を建て、再出発を決めました。
小さな洋菓子店を支えるのは、以前からの取引先や村の住民たちです。熊本市内の大学病院は、シフォンケーキなどを震災前の何倍もの個数で注文してくれます。村民からは棟上げ祝いの弁当の予約も入ります。坂田さんは応援に感謝し、総菜作りも引き受けています。
店を毎日利用する大切畑区長の大谷幸一さん(51)は「再生に向かおうとしている大切畑を、引っ張ってくれている。全力で応援したい」と期待しています。
ホウレンソウのごまあえに、カブとニンジンの酢の物……。総菜を作っているとき、当たり前のように調理場に立つことへの喜びを実感するという坂田さん。「にぎやかになるように」と、ボランティアが菜の花の種をまいてくれた。店先が黄色く染まる春を、楽しみにしています。
⑰阿蘇に「草原博物館」、国立公園満喫プロジェクト
訪日外国人観光客の増加政策の一環で環境省が進める「国立公園満喫プロジェクト」で、阿蘇くじゅう国立公園(熊本、大分両県)の魅力向上プランの骨格がまとまりました。同地区への外国人観光客を今の約70万人から、2020年には140万人に倍増させる戦略。その中で、草原を舞台にした「博物館構想」が盛り込まれたことが注目されています。
「阿蘇くじゅう」のプラン作成にあたったプロジェクトの地域協議会は、重点地域を阿蘇山上地区(草千里ケ浜・中岳火口)、大観峰、やまなみハイウェイなど11カ所に絞りました。阿蘇山上地区では、地震に被災した阿蘇再生の象徴として草千里ケ浜の景観保全に取り組むなど、地区ごとに魅力アップの事業を行います。
議論の中で印象が強かったのは「草原があってこその阿蘇くじゅう国立公園の魅力。一番の課題は、かけがえのないその草原の保全にある」との認識が共有されたこと。「フィールドミュージアム構想」という文言で提起された博物館構想も、草原景観の維持をプロジェクトの中核テーマとすることで浮上しました。
その舞台に挙げられたのが「北外輪山東部」。希少な野生動植物が生息・生育する草原地域で、動植物を観察できる一定の範囲を柵で囲み、遊歩道を整備して公開します。サクラソウなど貴重な植物を見たり、自然散策を楽しんだりする人たちにそうした環境を提供することで、新たな観光客の訪問が期待できるとみています。
「野の花をはじめ、阿蘇の豊かな自然の魅力が言われる。しかし、どこに行ったらその魅力に触れることができるか分からない」という声が、観光に訪れた人からよく聞かれます。野生動植物の保護に無関心な行為への対応も課題だが、保護への理解を深めるという観点からも、草原の博物館構想がどう具体化していくかは関心を呼びそうです。
2.ここ一週間の地震
2016/12/20 14:52 20日 14:49頃 熊本県熊本地方 1
2016/12/20 14:06 20日 14:02頃 鹿児島湾 2
2016/12/20 01:45 20日 01:41頃 福島県沖 3
2016/12/19 16:25 19日 16:21頃 茨城県沖 2
2016/12/19 15:53 19日 15:48頃 父島近海 1
2016/12/19 05:15 19日 05:12頃 福島県沖 2
2016/12/19 00:05 19日 00:02頃 福島県沖 1
2016/12/18 21:54 18日 21:51頃 岐阜県飛騨地方 1
2016/12/18 17:56 18日 17:53頃 福島県沖 1
2016/12/18 17:00 18日 16:57頃 鳥取県中部 2
2016/12/18 16:59 18日 16:55頃 鳥取県中部 3
2016/12/18 13:17 18日 13:14頃 熊本県熊本地方 1
2016/12/18 12:02 18日 11:59頃 熊本県熊本地方 1
2016/12/18 07:55 18日 07:52頃 鳥取県中部 1
2016/12/18 07:48 18日 07:45頃 鳥取県中部 1
2016/12/18 07:04 18日 07:01頃 鳥取県中部 1
2016/12/18 06:47 18日 06:41頃 鳥取県中部 1
2016/12/17 22:07 17日 22:04頃 青森県東方沖 1
2016/12/17 12:23 17日 12:20頃 宮崎県南部山沿い 1
2016/12/17 09:31 17日 09:28頃 熊本県熊本地方 1
2016/12/16 19:41 16日 19:37頃 宮城県沖 1
2016/12/16 15:55 16日 15:52頃 福島県沖 1
2016/12/16 05:26 16日 05:23頃 和歌山県北部 1
2016/12/16 02:52 16日 02:49頃 福島県沖 1
2016/12/15 23:02 15日 22:59頃 茨城県沖 1
2016/12/15 19:21 15日 19:18頃 福島県沖 1
2016/12/15 14:31 15日 14:27頃 千葉県東方沖 2
2016/12/15 13:33 15日 13:30頃 熊本県熊本地方 1
2016/12/15 10:44 15日 10:41頃 岐阜県飛騨地方 1
2016/12/15 10:34 15日 10:31頃 鳥取県中部 1
2016/12/15 10:11 15日 10:07頃 福島県会津 1
2016/12/15 05:01 15日 04:58頃 福島県沖 1
2016/12/14 22:55 14日 22:51頃 福島県沖 1
2016/12/14 17:47 14日 17:42頃 留萌地方中北部 1
2016/12/14 16:59 14日 16:56頃 茨城県沖 1
2016/12/14 03:12 14日 03:09頃 鳥取県中部 1
2016/12/13 22:25 13日 22:22頃 神奈川県西部 1
2016/12/13 22:02 13日 21:59頃 豊後水道 1
2016/12/13 18:16 13日 18:13頃 岐阜県飛騨地方 1
2016/12/13 08:07 13日 08:04頃 茨城県北部 1
2016/12/13 06:05 13日 06:02頃 千葉県東方沖 1
2016/12/13 05:29 13日 05:26頃 福島県沖 1
2016/12/13 04:59 13日 04:55頃 熊本県熊本地方 2
(続く)