4月15日土曜日
皆様おはようございます。雨ですねえ。黄砂を一掃してくれるといいのですけどね。
今日は「東京ディズニーランド開園記念日」「ヘリコプターの日」「遺言の日」「よい酵母の日」です。
まず「東京ディズニーランド開園記念日」から。
「日本にディズニーランドを作りたい」。オリエンタルランドの初代社長・川崎千春氏(京成電鉄社長)が最初に未来図を口にしたのは、今から60年余り前のことでした。同電鉄本社ビルの片隅に、わずか机三つでスタートした“夢の計画”。埋め立て事業に伴う地元漁業者との交渉や米ディズニー社との協議など幾多の厳しい局面を乗り越え、1983年の今日、東京ディズニーランドが開業しました。今年は『開業40周年』を迎えます。コロナ終息後、ベストな年になりそうですね!
1983年4月15日。初日は「雨」でした。しかしメインエントランスのゲート前では開園を約3千人の来園者が待ち構えていました。当時の高橋政知社長と米ディズニー社の会長、ミッキーマウスなどによるテープカットが行なわれ、今か今かと待っていた3千人のゲスト(来園者)が続々とゲートをくぐりました。従業員はもちろんのことゲスト同士で「とうとうオープンだね」「おめでとう」と喜びを分かち合いました。
開業直後はトラブルの連続でした。設備の安全管理は厳しく、わずかにはねた水にもセンサーが反応して停止しました。作動した理由が分からず、スタッフが水につかりながらボートを岸まで押して客を避難させたことが1日に3回も起きた日もありました。「当初はみな素人。毎日新たな課題が見つかり、試行錯誤の繰り返しだった」と当時の従業員は語ります。
周囲に懐疑的な目もありましたし、日々不安でした。当時の日本は、世界観を大事にする「テーマパーク」という馴染みがなかったからです。業界内からは「3年はもたないのではないか」との声も一日、一日経つにつれて増していったそうです。
「ディズニーランドがこんなに続くとは正直思っていなかった。商売として成り立つかを含めて、懐疑的な意見も多かった」と幹部は当時を振り返ります。ところが、当初の年間目標「1千万人」を難なくクリアしただけではなく、営業開始からわずか4年で黒字化に成功した。投資計画も着々と進み、1987年に「ビッグサンダー・マウンテン」、1992年に「スプラシュ・マウンテン」など今でも根強い人気を誇るアトラクションが登場。JR舞浜駅の開業など周辺環境の整備や好景気が重なり、入園者数は毎年増加の一途をたどっていきました。
2001年にオープンした東京ディズニーシーと合わせ、累計入園者数は昨年2月に延べ8億人を突破。会場を提供する浦安市の成人式も、県民にとっての恒例イベントとして定着していきました。
世代を超え、国境を越え、あらゆる人々が共通の体験を通してともに笑い、驚き、発見し、そして楽しむことのできる世界。
「ディズニーランドは、人々に幸福を与える場所、おとなも子供も、ともに生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出をつくってもらえるような場所であってほしい……」というウォルト・ディズニーの言葉が基本におかれています。
このあらゆる世代の人々が楽しめる“ファミリー・エンターテイメント”を基本理念に誕生したディズニーランドは、それまでの、子供のためのアミューズメントパーク(遊園地)とは全く異なった、新しい“テーマパーク”として出発。東京ディズニーランドも、その理念を忠実に受け継いでいます。
白雪姫やピノキオ、シンデレラやピーターパンなど、半世紀以上にわたって次々に生み出されてきたディズニーの名作は、世界中の人々の心にほのぼのとしたあたたかさと、さまざまな夢を与えてきました。ディズニー・テーマパークは、その世界を実際に体験できる施設です。人々の心に夢を呼ぶストーリーをショーに演出し、パーク全体をステージとして、ゲストとキャストが一緒に参加し、体験する。これがディズニー・テーマパークの魅力の核となっています。
また、従業員がキャスト=出演者と呼ばれる理由もここにあり、ゲストの参加(共演)によってそれぞれのテーマランドのショーも日々新しく生まれていくのです。
東京ディズニーランドは、シンボルであるシンデレラ城を中心に、パーク内が、冒険や童話、未来など人々に親しみやすいテーマにそって、7つのエリアに分けられています。個々のエリアは“テーマランド”と呼ばれ、アトラクションはもとより、レストラン、ショップ、そして樹木、ベンチやゴミ箱にいたるまで、それぞれのテーマにそって演出され、ひとつのショー・ステージを構成しています。
<東京ディズニーランド主な歴史>
1983年4月:グランドオープン
1985年1月:“マジック・ジャーニー”オープン(1986年12月クローズ)
1985年3月:“東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード”スタート(1995年6月終了)
1986年3月:“アリスのティーパーティー”オープン
1986年5月:“アメリカン・ジャーニー”オープン(1992年8月クローズ)
1986年7月:“シンデレラ城ミステリーツアー”オープン(2006年4月クローズ)
1987年3月:“キャプテンEO”オープン(1996年9月クローズ。2010年7月再導入)
1987年7月:“ビッグサンダー・マウンテン”オープン
1988年4月:開園5周年
1989年7月:“スター・ツアーズ”オープン
1991年5月:1億人目のゲスト来園
1992年10月:“スプラッシュ・マウンテン”オープン
1993年4月:開園10周年、“ビジョナリアム”オープン、“ディズニーギャラリー”オープン
1993年7月:“スイスファミリー・ツリーハウス”オープン
1994年8月:1億5千万人目のゲスト来園
1995年7月:“ディズニー・ファンティリュージョン!”スタート(2001年5月終了)
1996年4月:トゥーンタウン公開
1997年4月:“ミクロアドベンチャー!”オープン(2010年5月終了)
1997年7月:2億人目のゲスト来園
1998年4月:開園15周年
2000年7月:2億5千万人目のゲスト来園
2000年9月:“プーさんのハニーハント”オープン
2001年6月:“東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ”スタート
2002年11月:「東京ディズニーランド」3億1人目のゲスト来園
2003年4月:開園20周年
2004年4月:“バズ・ライトイヤーのアストロブラスター”オープン
2006年11月:「東京ディズニーランド・東京ディズニーシー」4億人目のゲスト来園
2009年4月:モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”オープン
2010年7月:キャプテンEO再導入へ(2014年6月終了)
2010年8月:「東京ディズニーランド・東京ディズニーシー」5億人目のゲスト来園
2011年1月:「ミッキーのフィルハーマジック」オープン
2011年4月:「シンデレラのフェアリーテイル・ホール」オープン
2013年4月:開園30周年
2013年5月:「スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー」オープン
2014年4月:「東京ディズニーランド・東京ディズニーシー」6億人目のゲスト来園(※)
2014年5月:「ワンス・アポン・ア・タイム」スタート(2017年11月終了)
2014年9月:「ジャングルクルーズ:ワイルドライフ・エクスペディション」オープン
2015年7月:「スティッチ・エンカウンター」オープン
2016年11月:「キャンプ・ウッドチャック」オープン
2017年7月:「東京ディズニーランド・東京ディズニーシー」7億人目のゲスト来園
2020年9月:東京ディズニーランド大規模開発エリアオープン
東京ディズニーランドがオープンした1983年4月15日から40周年を迎え、アニバーサリーイベント『東京ディズニーリゾート40周年“ドリームゴーラウンド”』が今日4月15日から始まります(2023年4月15日~2024年3月31日)。その他、各種エンターテイメントプログラムのほか、祝祭感あふれるデコレーション、スペシャルグッズやスペシャルメニューの導入など、大きな盛り上がりを見せることは間違いないでしょう。
この主役である東京ディズニーランドの目玉は、5年ぶりに新しく生まれ変わるデイタイムパレード『ディズニー・ハーモニー・イン・カラー』でしょう。“色あざやかな、ハーモニーの世界へ”をテーマに、ディズニー映画やディズニー&ピクサー映画の仲間たちの色とりどりの夢や、わくわくする冒険や勇気、家族のきずなや友情の物語がカラフルに表現されることは間違いないでしょうね。
【東京ディズニーランド用語】
・東京ディズニーリゾート(TDR)…ディズニーランド(TDL)&ディズニーシー(TDS)の総称。
・パーク…TDRそのもののこと。
・ゲスト…来園者のこと。
・キャスト…演劇用語で言えば「役」ですが、ディズニーリゾートにおいては従業員を指します。「パークそのものは青空を背景とした巨大なステージ(舞台)である」との発想があるので、そこで働く人々をスタッフとは呼ばないのです。ちなみに配属先もやはり演劇になぞらえて「ロケーション」といいます。ディズニーの仲間達と共に、ゲストに夢と魔法をお届けする素敵な人達。
・ライド…アトラクションの『乗り物』そのもの。
・ファストパス…アトラクションに優先的に乗る際に必要な『整理券』。人気アトラクションはすぐに無くなってしまうので要注意。2020年7月以降は実施していません。
・グリーティング…ディズニーの仲間達と触れ合うこと。写真を撮るのもGOOD(中の人などいないと信じたいところ)。
・隠れミッキー…ヒドゥンミッキーとも言います。イラストや装飾の中、アトラクション等にミッキー形が紛れ込んでいるのです。是非探してみましょう。
・三大マウンテン…ビッグサンダー・マウンテン、スプラッシュ・マウンテン、スペース・マウンテンの総称。この3つには、名前以外にもジェットコースターであるという共通点があります。
・プライオリティ・シーティング…ランドとシーの一部のレストランで実施されているサービス。先に予約を済ませておき、予約をした時間にお店に行くと優先的に案内してもらえます。
・ディズニーリゾートライン…TDLとTDS、ホテルを結ぶモノレール路線。5分あれば着きます。
また、夢と魔法の国である事を維持する為に、スタッフの移動や物資の搬入は地下に専用通路がある等、色々努力しているようです。この為、夢の国の地下は広く複雑になっています。このことから「ディズニーランド®の地下」の都市伝説は生まれたと推測されます。例:シェルター、貯水湖、兵器工場
*40周年をお祝いする衣装に身を包んだミッキーマウスと仲間たちが、全国各地のお祭りパレードに参加します。40年間の感謝の気持ちをお伝えするとともに、ゲストの皆さんに笑顔をお届けします。是非、皆さんも参加しましょう!!
次に「ヘリコプターの日」から。
なぜ4月15日が「ヘリコプターの日」なのかというと、ヘリコプターの原理を考え出したレオナルド・ダ・ビンチの誕生日が由来となっています。
そもそもレオナルド・ダ・ビンチによってヘリコプターの原理が考案されたっていう事が驚きですよね。
レオナルド・ダ・ビンチが生まれ育ったのが15世紀から16世紀にかけてのころだったことから、その当時にヘリコプターの原理を考え出していたレオナルド・ダ・ビンチがいかに天才だったかがわかります。
「ヘリコプターの日」については全日本航空事業連合会によって1986年に制定されました。
「ヘリコプターの重要性をPRし、第2の空の足として認識してもらうこと」が目的となっています。
「第2の足として」ということですが、2017年現在でも交通手段としてヘリコプターを使う人って全くいないですよね。
将来的には空も個人が自由に飛べるようになる日が来て、第1の足が陸上の車であるならば、第2の足が空のヘリコプターというような時代がくるのでしょうか?
ヘリコプターはあれだけ大きな機体を持ち上げるのですから、凄い速さでプロペラが回転していると思いますよね。
しかし、実はヘリコプターのプロペラが回転する速度は扇風機を「弱」でつけている時の回転速度よりも遅いんです。
ヘリコプターよりもプロペラが速く回転している扇風機はどこかへ飛んでいかないの?という疑問がわいてきますが、プロペラが回転する事によって発生する力は、回転速度よりもプロペラの大きさと長さに大きな関係があります。
ヘリコプターのプロペラの大きさと長さがあるからこそ、回転数が遅くても機体を持ち上げる揚力が発生するんですね。
実際に、小型の扇風機よりも大型の扇風機の方が同じ「弱」でも大型の扇風機の方が風をたくさん感じるのではないでしょうか。
ヘリコプターのエンジンが停止してしまったら、プロペラの回転も停止してしまいそのまま墜落してしまうと思っていませんか?
実はこれは誤解であって、実際にはエンジンが停止しだだけではすぐにヘリコプターが墜落することはありません。
これはヘリコプターに必ず備わっている「オートローテーション」と呼ばれる機能のおかげなんです。
オートローテーションはプロペラとエンジンの回転がクラッチによって切り離されることによって、プロペラの回転数が最少になった状態のことです。
機体が降下することによりプロペラが回転して、プロペラが回転することにより揚力を得られるため、真っ逆さまに機体が墜落することはありません。
ヘリコプターは飛行機に比べれば着陸する場所を選ばなくていいため、この最小限の揚力を使って近くの安全な場所へと緊急着陸することとなります。
ヘリコプターのパイロットは操縦資格を取得する際に、オートローテーションによる着陸訓練を確実に受け、技能試験も通過
しなければなりません。
*皆様は「ヘリコプター」に乗ったことがありますか?僕はありますが、とても騒音でうるさかった記憶があります。それにクビや手を回転しているプロペラで持っていかれるかもしれないと考えると恐怖でしたね。
次に「遺言の日」について。
なぜ4月15日が「遺言の日」なのかというと、四(よい)一(い)五(ご)で「よいいごん」(よい遺言)という語呂合わせが由来となっています。
近畿弁護士会連合会によって制定されました。
2007年からは日本弁護士連合会(日弁連)が主催して全国規模の記念日となりました。
また、1月5日を「遺言の日」として設定している団体もあり、こちらではキャンペーンなども行なわれています。
若い人にとってはあまり考える必要はありませんが、遺言は残された家族にとって本当に大切な文書になります。
どんなに仲の良かった親族同士でも、遺言が残っていなかったことにり相続の関係で揉めてしまい、最悪は親族や家族の崩壊にも繋がります。
遺産だけではなくて自分の思いなどを書き記すだけでも家族のためになりますし、4月15日には「遺言」について一度考えてみるのもいいかもしれませんね。
遺言ってしっかりとした紙に書いて保管しておくイメージがありますよね。
しかし、実は遺言を書く紙について法律による指定は特に存在せず、どんな紙に書かれた遺言でも有効になるってこと知っていましたか?
そのため、ティッシュペーパーであったり、トイレットペーパー、またはチラシの裏なんかに書いてあっても何の問題もない
そうです。
しかし、遺言は長く保管しておかなくてはならないものですよね。
結局のところ、しっかりとした紙に書いて残しておかなければ、紙が劣化してしまったり、そもそもゴミとして捨てられてしまえばもちろん遺言としての効力は失われてしまうわけですね。
法律上の問題は何もありませんが、実際にトイレットペーパーなどに遺言を書いて遺族に渡したユニークな故人でいるのでしょうか・・・
遺言といえば一般的には「ゆいごん」と読まれますよね。
しかし実は法律用語では遺言を「いごん」と読みます。
そもそも「遺」という漢字を「ゆい」と読むのって少し不思議な漢字がしますよね。
時代と共に日本語は変化していくものですが、いわゆる「イ音」であったり「ユ音」が結合されたり、脱落または交替することによって、現在の法律用語では「いごん」の読み方が採用されるようになったとされています。
つまり「ゆいごん」という読み方は昔ながらの読み方の名残りだということですね。
「ゆいごん」については別に間違った読み方ではなく、文科省にも正式に「遺言」の読み方は「ゆいごん」と認められています。
*皆様はきとんと「遺言」を書きましたか?人間いつ何があるかわからないのでまとめておいた方がよいかもしれませんよ。
最後に「よい酵母の日」について。
なぜ4月15日が「よい酵母の日」なのかというと、「よ(4)い(1)こ(5)うぼ」という語呂合わせが由来となっています。
「生きてる酵母」で腸の健康を守ることを目標としている会社、株式会社日健協サービスによって制定されました。
「よい酵母の日」は「酵母を摂取することの大切さを広くアピールする」ということが目的となっています。
そもそも酵母って何なのかよくわからない人が多いですよね。
酵母は微小な単細胞生物であり、パンを膨らませるイースト菌についても酵母の仲間となります。
酵母は発酵を引き起こしてくれる事から「発酵の母=発酵」という語源になっています。
良く酵素と酵母が混同されていることがありますが、これは別物といってもいいので注意が必要となります。
「よい酵母の日」には酵母を使った健康的な食事を心掛けてみるのもいいかもしれませんね。
酵母によって人間の健康にどのような効果が期待できるのかを解説します。
酵母によるダイエットが流行っていた時期がありますが、これは食べ物に含まれる糖質をアルコールと炭酸ガスに分解し、糖質の吸収を抑制する効果が期待できるからです。
また、酵母には食物繊維が含まれているためお通じをよくするはたらきをもっています。
食物繊維には腸の中の善玉菌を増やす効果もあるため、腸内環境を整える効果もあります。
更に、酵母には免疫力を高める効果があるとされているため、悪い菌をやっつけて身体を健康に保つことができるとされています。
最後に、酵母にはビタミンB群も含まれているため、疲労回復の効果も期待できるそうです。
このように、酵母には様々な効果が期待されていて、そのため酵母の入ったドリンクであったり、酵母ダイエットが流行っていたんですよね。
酵母が発見されたきっかけはビールだったって知っていましたか?
アントニ・ファン・レーウェンフックという人物は手作りの顕微鏡で様々な微生物の観察をしていました。
ある日、発酵中のビールを調べた際に微粒子状のものを発見しましたが、これが後に発見されることとなった酵母であった
とされています。
そして、その後にはパンを発酵させている段階にも同様の微粒子状のものが発見された結果、この微粒子状のものと発酵に関係があると考えられるようになりました。
その後、ルイ・パスツールという人物によって発酵が酵母による生理作用であることが証明されました。
*皆様は「酵母」をうまく活用していますか?「ビール」が摂取しやすい酵母でしょうか?
週末もよろしくお願いいたします。
★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!
https://higashiyamarintaro.net/
2020年3月29日夕方『新コロナは中国が意図的に作った菌』と書いたら『5,000本』あった記事を全部消されましたので『ゼロ』からID(アドレス)を作り直しました。『私のブログに登録』してくださった皆様には大変ご迷惑をおかけしました。改めてよろしくお願い申し上げます。
『3・11』の時『東日本震災の真実』を書いた時もブログ10,000本を民主党政権に抹殺されました。
これからも負けずに書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
*今日の記念日は他にもあります。
Copyright © STARDUST PROMOTION, INC.All rights reserved.
Copyright © Rintaro Higashiyama.Mamechishiki. All Rights Reserved.
フェイスブック版:https://www.facebook.com/seijibunka
アメーバ版: https://ameblo.jp/higashiyamarintaro/