“アセンデッド・ファンボーイ(昇華したファン)”という言葉があります。これは、子どもの頃から夢中だった何かの世界に、大人になって実際に関わるようになった人を指します。たとえば、スパイダーマンの熱狂的なファンだったアンドリュー・ガーフィールドが、成長してピーター・パーカー役を演じたように。
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音楽の世界では「誰もがアセンデッド・ファンボーイなんじゃないか?」と思われるかもしれません。ロックンロール界のレジェンドになる人で、子どもの頃にその音楽を愛していなかった人なんているのか?と思いますよね。でも、U2の場合、それは少し違う意味を持ちます。
U2は、まさに「筋金入りのファンボーイ」です。世界で最もビッグなバンドになるだけでは満足しないのです。彼らは最初から「ただ成功するだけでなく、ロックの歴史の一部になりたい」と願っていました。その夢を叶えるため、彼らは常に自分たちの“源流”とされるアーティストとつながろうとしてきました。たいてい、それはライブで一緒に演奏するという形で実現しています。
それが本格化したのは『ジョシュア・トゥリー・ツアー』中のこと。1987年4月20日、ロサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナでの公演中に、ボブ・ディランをステージに迎えて『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』を披露しました。ボノは「いつもボブ・ディランの曲に自分なりの歌詞をつけて歌うんだ。彼は気にしてないって言ってるけどね」と紹介し、ディランはにこやかに「僕もやってるよ」と返しました。
この出来事は大成功で、その後の『ラブタウン・ツアー』では定番の演出となりました。アンコールの冒頭で、サポートアクトだったB.B.キングが登場し、彼との共作『When Love Comes to Town』を毎回披露するようになったのです。
その後も、U2の共演リストはまさに「音楽界のオールスター」と言える顔ぶれです。ノエル・ギャラガー、クリス・マーティン、レディー・ガガ、パティ・スミス、JAY-Z、ニューヨークのゴスペルクワイア「New Voices of Freedom」など、数え切れないほどのアーティストと共演しています。
では、U2はどうやってABBAと共演したのか?
しかし、おそらく彼らがあまり語りたがらない最大の共演がひとつあります。
それは1992年6月11日、『ズーTVツアー』の一幕です。前夜、同じ会場での公演では、Bステージのアコースティック・セット中に、やや行き当たりばったりな形でABBAの「ダンシング・クイーン」をカバーしました。どうやらこれは翌日の“本番”のための予行演習だったようです。
『エンジェル・オブ・ハーレム』の演奏が終わると、ボノがザ・エッジを指差します。エッジがあの印象的なイントロのメロディを奏で始めます。ポップソング史上最高のブリッジパートが鳴り響いたその時、観客は不思議な光景を目にします。あの有名なピアノの下降フレーズが流れてくるのですが、ステージ上の誰もキーボードを弾いていないのです。
そこでボノが観客に向かって紹介します――ビヨルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソン。
久々に人前に姿を見せたポップ界の天才2人。その姿は、往年のイメージとは少し違っていたため、観客は最初、何が起こっているのかを理解するのに時間がかかります。しかしそれが“ABBAの中枢”であると気づいた瞬間、彼らの地元の観客は歓喜に沸き立ち、その歓声はU2の演奏を完全に飲み込んでしまうほどに。
それはまさに10年ぶりの生演奏でした。
とはいえ、どうやらこの共演はリハーサルもほとんどなく、ほぼ即興だったようです。カメラはABBAの2人をしっかりととらえており、彼らが困惑した様子で顔を見合わせている場面も映っています。ベニーは不安げにピアノのコードを探り、ビョルンはとりあえず押さえられるバレーコードを弾いています。
でも――曲を書いたのは彼ら自身です。やがて、2人はバンドの演奏とテンポをつかみ、1番の途中から完全に呼吸が合っていきます。
その瞬間こそが、魔法が生まれた瞬間でした。
特にベニーは、この共演の主役ともいえる存在感を放っていました。カメラが彼の姿をとらえると、彼はピアノを弾きながら口ずさみ、演奏の中心で曲に命を吹き込んでいました。
曲が終わり、ボノは2人に向かって言いました。彼自身が誰よりもファンであることを隠さず、心からの言葉で――
「僕たちには恐れ多い」