「年を取りすぎて踊れない?」――そんなことはない。「ダンシング・グランドマザーズ」

彼女たちは、自分の最良の時代はもう過ぎ去ったと思っていた。
しかし、70代の元小学校教師たちは国際舞台に立ち、自らの未来を書き換えた。

👉アン・ウンミ・カンパニーの『ダンシング・グランドマザーズ』(アン・ウンミ・カンパニー)

「♪ユー・アー・ザ・ダンシング・クイーン、ヤング・アンド・スウィート、オンリー・セブンティーン(あなたはダンシング・クイーン、若くて甘い、たった17歳)」。
ABBAの有名なこの歌詞は、チョン・ジョムレ(78歳)チョン・ユオク(76歳)にとっては、書き直されるべきものだ。

世界各地のステージで、彼女たちは静かな反論を示してきた。
白くなった髪、年月を刻んだ身体で、彼女たちは70代になってから「ダンシング・クイーン」となった――しかも人生最高の時間を過ごしている。

新型コロナウイルスのパンデミック以前、2人は世界を巡り、ヨーロッパ、オーストラリア、南米の都市で満員の観客を前に公演し、スタンディングオベーションを受けてきた。ヨーロッパ公演は約40日間にも及び、まるで世界を股にかけるアーティストのツアーのようだった。
ただし一つ違いがある――2人とも、それまで一度も踊ったことがなかったのだ。

2人は共に定年退職した小学校教師で、初めてステージに立ったとき、すでに60歳を過ぎていた。

若い頃は学校で学び、大人になってからは学校で教えた。40年以上にわたり、生徒を教え、子どもを育て、家庭を切り盛りしてきた。ダンスなど、ましてや国際舞台など、まったく別世界の話だった。

ところが約10年前、彼女たちが「運命の瞬間」と呼ぶ出来事が訪れる。
著名な韓国人振付家アン・ウンミが率いるアン・ウンミ・カンパニーが、70代の一般女性を募り、「ダンシング・グランドマザーズ」という作品で、プロのダンサーと共に舞台に立ってもらう企画を始めたのだ。

「私は一度も踊ったことがありませんでした」。
チョン・ジョムレは『コリア・ヘラルド』紙のインタビューで語っている。
「舞台は私の人生とはまったく別の世界でした。でも、なぜか強く惹きつけられたんです。国際ツアーをしているカンパニーだと聞いて、“どんな世界なんだろう”と、どうしても見てみたくなりました」。

70歳が近づく頃、彼女の体はあちこちが痛み、周囲の人々も心配していた。それでも、まったく新しいことを体験したいという思いが、恐れを上回った。
きちんとして控えめだった教師が「ダンスをしに行く」と言い出したとき、家族は驚いたが、すぐに応援してくれた。「お母さんは勇気があるね」と。

👉アン・ウンミ・カンパニーの『ダンシング・グランドマザーズ』(アン・ウンミ・カンパニー)

「私は職員の余興でも、いつも後ろに隠れるタイプでした」と彼女は言う。
「どうしてこんなに恥ずかしがり屋なんだろう、と自分に問い続けていました。心の中には煮え立つようなワクワクがあったのに、礼儀や期待がそれを抑え込んでいたんだと思います。年を重ねて、ようやく勇気が出てきました。殻を脱いだような気がしました」。

彼女は友人のチョン・ユオクを誘った。すると、実はユオクは“ずっと踊っていた人”だったことがわかった。教師時代、彼女はひそかに学校行事のパフォーマンスで賞を取っていたのだ。
「私はいつも明るく生きてきました」とユオクは笑って振り返る。

2人は不安や恐れを脇に置き、共に舞台へと飛び込んだ。そこに待っていたのは「終章」ではなく「序曲」――人生の第二幕の始まりだった。

👉アン・ウンミ・カンパニーの『ダンシング・グランドマザーズ』(アン・ウンミ・カンパニー)

身体が覚えている、即興の喜び

2011年に初演された「ダンシング・グランドマザーズ」は、アン・ウンミが長年続けてきた「韓国人の身体と動き」に関する研究から生まれた作品で、日常の中に埋め込まれたダンスを探る人類学的シリーズの一部である。
70代以上の一般女性とプロのダンサーが共演し、遊び心があり、愛らしく、そして心を打つ舞台を作り上げている。

ディスコミュージック、ツイスト、昔の韓国歌謡に合わせ、ダンサーたちは「マクチュム(makchum)」――訓練を受けていない自然発生的な踊り――を披露する。ぎこちなく体を揺らし、腰をくねらせ、腕を左右に振る。

観客は最初くすっと笑い、やがて思いがけず、やさしい感情に包まれる。
磨かれていない、正直なリズムから放たれる生命力は、個人的でありながら普遍的でもある。

「スポットライトの下で踊れるなんて、これ以上幸せなことはありません」とジョムレは言う。
「こんな普通の私が舞台に立つなんて、現実とは思えず、ただただ圧倒されます」

彼女は、マクチュムはただ体を揺らすことだと思っていたが、没頭するうちに脚の痛みが消え、不安や恐れも消えた。喜びが自然に湧き上がってきた。

「体を動かしていただけなのに、人々が歓声を上げてくれた。そのとき思ったんです。私たちには“踊るDNA”が受け継がれているんだって。ずっと抑え込んでいただけで、死んでなんかいなかった」。

「私たちの踊りに練習はいりません」とユオクは付け加える。
「技術を見せるのではなく、体の中にある一番純粋な動きを引き出すんです。だからプレッシャーはまったくなくて、ただただ楽しめました」。

👉アン・ウンミ・カンパニーの『ダンシング・グランドマザーズ』(アン・ウンミ・カンパニー)

この作品は2016年から2019年にかけて広くツアーを行ない、ヨーロッパ10カ国以上、ブラジル、オーストラリアで公演された。現在もアン・ウンミ・ダンスカンパニーの代表作の一つで、訪れる都市ごとに地元の高齢者を迎えて再演されている。

ジョムレとユオクは、アンによりオリジナル・ツアーメンバー10人の中から選ばれた中心的存在である。最近では昨年、故郷である全羅北道・全州で公演を行った。

海外では、彼女たちは自分たちを「K-グランマ」と呼び、誇りを感じていた。

「プロヴァンスで2,000席の劇場が満席になったときは、鳥肌が立ちました」とジョムレは振り返る。
「そこは普通、チョン・ミョンフンのような巨匠しか満席にできないと言われている劇場です。そこでスタンディングオベーションを受けたとき、自分が国家代表選手になったような気分でした」。

実質的に、彼女たちは文化大使でもあった。
海外でキンパを作って韓国料理を紹介し、現地の韓国人たちも公演に駆けつけた。終演後に夕食に招かれることもしばしばあった。

「私たちは“踊るおばあさん”なだけじゃありませんでした」とユオクは言う。
「韓国の喜びや文化を分かち合っていたんです」。

👉アン・ウンミ・カンパニーの『ダンシング・グランドマザーズ』(アン・ウンミ・カンパニー)

動きの中に見つけた人生

2人にとって、この誘いは人生の弱い時期に届いたものだった。
退職後、彼女たちは方向を失い、静かな喪失感に沈んでいた。思い描いていた老後は、曲がった背中、杖、衰える視力――暗いイメージばかり。62歳で教壇を離れたとき、自分がまさにその姿になりつつあると感じていた。

「想像していた“年寄り”そのものになっていました」とジョムレは言う。
「空虚で、気力もありませんでした。でもダンスが人生を変えてくれた。明日が楽しみになったんです」。

身体に耳を澄ませ、リズムを見つけていくうちに、何かが変わった。
恐る恐るの一歩一歩で、止まっていた日々にエネルギーが戻ってきた。人生の黄昏だと思っていた時間は、可能性へと開いていった。地域を越えた友情が生まれ、新しい感情が芽生えた。周囲の人々も変化に気づいた。明るくなり、自信に満ち、恐れが減っていった。

👉アン・ウンミ・カンパニーの『ダンシング・グランドマザーズ』(アン・ウンミ・カンパニー)

だが、勇気は老いて突然生まれたわけではなかった。
彼女たちの人生は、幼少期からの粘り強さに刻まれていた。ダンスは勇気を生み出したのではなく、それを明らかにしたのだった。

ジョムレは末娘で、最初は学校にも通わせてもらえなかった。14歳で田植えのアルバイトをして学費を稼ぎ、群山からただ一人の女子学生として全州教育大学に進学し、そこでユオクと出会った。

一方ユオクは、独学でコンピューターや映像編集を学び、これまでにツアーの記録映像を100本以上制作している。現在はピアノにも挑戦している。

「私たちは、退職したら人生は終わりだと思っていました」とジョムレは言う。
「もし、未来がこんなに輝いていると知っていたら、もっと自由に生きて、悩まなかったでしょう。でも、いいんです。今は毎日が楽しい。明日を思うと胸が高鳴る。この年齢になっても、人生はちょうどいいところにあります」。

https://www.koreaherald.com/article/10660817

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