アイルランド屈指のトリビュート・バンドで演奏するということ

オアシス、ABBA、ボノ、そしてその他──アイルランド屈指のトリビュート・バンドで演奏するということ

ノエルとリアムの再結成チケットを取り逃した?まだロンドンに『ABBA VOYAGE』を観に行っていない?ジョージ・マイケルを生で観る機会がなかった?
ノエル・ベイカーがアイルランドの人気トリビュート・バンドたちに会った。

ジェームズ・バーミンガムにとって、それは「Faith(信念)」の問題だった──アルバムの方の「Faith」も含めて。
マット・ホウリハンはまさに“Super Trouper”のような存在になった。
デレク・パワーは“探し求めていたもの”を見つけた。そしてギャヴィン・フレミングはというと──「Supersonic(超音速)」な気分でいる。

本物以上?
間違いなく?
たぶんね。

そんな風に語るのは、今週末──というより、ほぼ毎週末──アイルランド国内あちこち、そして時には海外でライブを行なっているトリビュート・バンドのメンバーたちだ。

ギャヴィン・フレミングは、平日は電気技師でマラソンランナー、そして週末にはリアム・ギャラガーに変身する。
「トリビュート・バンドをちょっと“クルーズ船向け”みたいに見てる人もいるけど、うちのファンはそう思ってないよ」と彼は語る。
「俺は本気で気合を入れるし、生の感情が出る。ゾーンに入るんだ。もしその感覚を失ったら、引退すべきだと思ってる」。

そんな引退の兆しは微塵もない。彼がフロントマンを務めるオアシスのトリビュート・バンド「Live Forever」は、オリジナルのリアムとノエル・ギャラガーが再結成してクローク・パークで8月に2夜連続の超大型ライブを行うというニュースに、ますます注目を集めている。

15年以上ぶりのマンチェスター兄弟の再結成は、「Live Forever」のようなトリビュート・バンドにとって大きな追い風となった。こうしたトリビュート・バンドたちは、ただの模倣にとどまらず、奇妙で曖昧な形ながら“本物以上の何か”になることがある。ときに、それぞれがひとつの生命を持った存在のように成長していくのだ。

「俺は情熱的な人間なんだ──控えめに言ってもね」と、ダブリン出身のギャヴィンは語る。
自称「オアシス狂」の彼は、音楽経験ゼロの状態で地元クロンダルキンのパブ「Swallows」で行われたカラオケ大会に優勝。それがきっかけで“ノエル役”のポールと出会い、他のメンバーとともに“究極のオアシス体験”を作り上げていった。

バンドのメンバーたちは今でも通常の仕事をしているが、週末ごとにボリュームとアティチュードを最大限に上げて、熱心な観客の前でパフォーマンスを披露している。ときにはマニアックなB面曲まで飛び出すセットリストだ。

「オアシスが象徴しているもの、それが大事なんだ」とギャヴィンは語る。「あのバンドは時代を定義した存在で、『乗り越えられるんだ』っていうメッセージを持ってる。それはアイルランド的で、拳を突き上げたくなる感覚なんだよ」。

*Live Forever:史上最大のカムバックを待ち望むオアシス・トリビュート・バンド
写真:エミリー・クイン。

信じる者は救われる(Faith)

ジェームズ・バーミンガムもまた、その感覚を知っている。
もう一人のダブリン出身者である彼は、かつてタクシー運転手だったが、経済危機で職を失い、最終的にジョージ・マイケルへの情熱へと向かうことになった。

訓練を受けたミュージシャンであり、子どもの頃からポップミュージックが大好きだったジェームズだが、ジョージのアルバム『Faith』が彼の人生を決定づけた。

「当時は、どれだけ頑張っても仕事が見つからなくてね。それで“自分の最初の愛”に戻ろうと決めたんだ」と、彼は不況時代を振り返る。
「本気でやってみようと思った。2011年に初めてのライブをやって、パブやクラブを回って、少しずつ加速していった。フィードバックを受けて自分のパフォーマンスもどんどん良くなった。自分を“誰か”にプログラミングしていく感じ。ある意味、疑似科学みたいなもので、それをトリビュートにも応用したんだ」。

トリビュート専門サイト「tributebands.ie」の創設者ロビー・リーは、ジェームズを「まさにジョージ・マイケル本人そのもの」と評している。しかしジェームズ自身は、まず声の再現に注力し、次に外見や仕草を磨いていったと語る。

彼は一種の“メソッド演技”的なアプローチも取り入れた。ジョージの過去のインタビュー音声を聴き、彼の英語アクセントを真似て話すと、歌声の再現性が高まることに気づいたという。

「俺は本当にジョージの音楽が好きでね、役に入り込んでいった感じだった。まるで手袋みたいにピッタリと」

とはいえ、ここまでたどり着くには相当な努力が必要だった。
ジョージのカタログは、Wham! 時代を含めても意外と少ない。「量より質」のタイプだったのだ。

だからこそ、どの曲も完璧に仕上げなければならず、セットリストも工夫が求められる。
それでも効果は出ているようで、取材時点ではロンドン郊外のゴーリング地区で行われる“ジョージ・マイケル夏フェス”でメイン枠を務める準備をしていた。

ジョージの人気は衰えるどころか、若い世代にむしろ広がっているという。

「長女が25歳なんだけど、彼女たちの世代って80年代が大好きなんだ。Wham! やデュラン・デュランが好きなんだよ。俺自身は51歳だけど、80年代って本当に魔法のような時代だった。60年代に匹敵するくらい」。

アイルランドの人気ラジオ番組「An Taobh Tuathail(アン・ティーブ・トゥアハル)」でも、Wham! のあまり知られていない曲『Nothing Looks the Same in the Light』がクラブナイトのラストを飾ったばかりだ。
このニュースに、ジェームズはとても喜んでいた。

「どんなに辛いときでも、自分がやっていることを当然のことと思わないようにしてる。何十年も愛され続けてきた時代を超えたアーティストを再現するって、本当に光栄なことなんだよ」。

*ジョージ・マイケル役のジェームズ・バーミンガム:
「ジョージの音楽には本当に情熱を注いでいるんです。自然とこの役に入り込んでいました」と彼は語る。
「まるで手袋のように、ぴったりと自分に合ったんです」。

*ジョージ・マイケル役のジェームズ・バーミンガム:
「何十年にもわたって愛され、時代を超えたアーティストを再現できるというのは、本当に光栄なことです」。

パーソナル・ウォータールー

マット・ホウリハンの場合は、少し異なる経緯だった。
「いや、ファンではなかった──正直に言うよ」と、スウェーデンのポップレジェンド・アバについて語る。
彼はアバのトリビュートバンドとして大成功している「Abbaesque(アバエスク)」でベニー役を演じているが、それが最初は問題だったかもしれない。

「当時は“本物のミュージシャン”になりたいって思ってた。将来はロックのスターになって、グラストンベリーに出て…そんな夢を描いていたし、アバは完全に視界の外だったよ」

イングランド生まれ、クロンメル育ち。自称ファンク好きのマットにとって、ベニー役は最初、苦痛に近かった。

「最初の数年は、自分がこれをやってるって事実をあまり好きじゃなかった」と続ける。
「ある時、婚約者とニューヨークのバーにいたんだけど、音楽の話で盛り上がっていた男性と話していてね。そこで妻が『うちの夫も音楽やってるんです』って言った瞬間、俺は彼女の脚をテーブルの下で蹴ったよ」。

マットが約25年在籍しているAbbaesque。その時話していた相手の名前は今でも覚えているという──ラモン。
「彼はこう言ったんだ。『それは辛いね、かわいそうに…』って」。

だが、その感情は今ではすっかり消えている。
「今は大好きだよ」とマットは語る。
「アバの曲は素晴らしい。アレンジも美しいし。レナード・コーエンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンみたいな重みはないけど、完璧に練り上げられている。テーマは“愛”や“無垢”なんだ。観客層もすごく広くて、赤ちゃんから90歳までいる」。

「そして今は、男性のファン──それも皮肉なしに本気の男性ファンが増えてきた。昔はそんなことなかったよ」。

マットは、ある日突然考えが変わった“ダマスカス体験”(※聖書での回心エピソードの意)をしたわけではないと語るが、50歳の誕生日を迎えた日にクラブの外で音楽仲間とタバコを吸っていた出来事を思い出す。

「俺はこう言ったんだ。『見てくれよ、カツラかぶって、ハイヒール履いて、ステージでバカやってる。俺は何やってんだ?』って。そしたら彼女が『見てごらんよ。カツラかぶって、ハイヒール履いて、ステージで踊って生活してるのよ。』って言ったんだ」

「それを聞いて、こう思ったんだ──『そうだよな』って。
これより悪い生き方だってある」。

*アバエスク(Abbaesque)、左上に写るベニー役のマット・ホウリハン:
「彼らの曲は本当に素晴らしい。アレンジも見事です。レナード・コーエンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのようなタイプではありませんが、とても丁寧に作り込まれています」。
写真:ギャレス・チェイニー。

彼が探し求めていたもの

デレク・パワーがもし魂を売ったとしたら、それはU2──もっと正確には、自身が長年ボノ役を務めたトリビュート・バンド「The Joshua Tree」のためだった。

今ではサングラスを外し、テネリフェ島で穏やかに暮らしている。
彼がU2に出会ったのは名盤『War』だったが、最も好きなアルバムは『Achtung Baby』だという。

「ボノは独特の声をしている」と語るデレク。
「本当に低い音から高い音まで使うから、すごくパワーが必要なんだ」。

その音域は年月をかけてマスターしたが、「アイルランド最高のバンド」を模倣することには、難点もある。

「みんなボノのこと嫌ってるからね」と、彼は笑いながら言う。
「でもヨーロッパ本土でやれば、ものすごく稼げるよ。でもアイルランドでは“好きか嫌いか”がはっきりしてる。まるで“マーマイト”(※好き嫌いが分かれる食品)みたいにね」。

デレクは実際にボノと会ったことがあるが、「すごく魅力的な人だった」と語る。
ギャヴィンもリアムと会ったことがあり、同じような印象を受けたという。

トリビュート・バンド専門サイト「tributebands.ie」を1998年に立ち上げたロビー・リーは、「彼らは皆、本気でやっている」と断言する。

彼はある時、「Live Forever」のギグで、ギャヴィンがマラソンの準備をしていたために、ステージでのビールが“実はノンアルコールだった”というエピソードを語ってくれた。
「店主が言ってたよ。『あいつが飲んでないって、すぐ分かった』ってね」。

これにギャヴィンも笑いながら、「実際リアム自身も今は酒を飲まないんだ」と付け加える。

実際、今のリアムは見た目も声も絶好調で、「変身(メタモルフォーゼ)」という言葉が似合う存在だ。
音量を上げて『Columbia』を聴いていると、少なくとも20%はリアム化して“神の啓示”を受けたような気分になるはずだ。

オアシスは今も生きている。だがロビー・リーによると、トリビュート・シーンにおいて、元のアーティストがすでに亡くなっている場合、その人気が時間と共に風化してしまうリスクもあるという。

*かつてボノ役を務めていたデレク・パワー:
「本当に大変なんだ──すごく低い音から高い音まで出さなきゃいけないし、ものすごいパワーが必要なんだよ」。

夢を生きている

とはいえ、トリビュート・バンドの人気は衰える気配がない。
オリジナル・バンドが「デモ→ラジオ→レーベル契約→スターダム」といったルートをたどる時代は、もはや過去のものとなった今、トリビュートという形はますます力を増しているようだ。

「昔ほど派閥的じゃないんだよね」とマットは語る。
かつては「好きなバンド」より「嫌いなバンド」で自分のスタイルを定義するような時代だったという。

今では、ソーシャルメディア──特にTikTokでの反応が、ラジオでのオンエアよりも将来性のバロメーターになる時代だと、複数の出演者が口を揃える。

デレクは「今のU2が活動初期に戻ったとして、3枚目や4枚目のアルバムまで辿り着けるか分からない」と語り、ジェームズは「今ではインターネットで全てが同時に存在しているような時代だ。多層的なトレンドが一斉に動いている」と言う。

「昔はああだったよな──でも今はこうだ」。
私たちは懐古主義という名の海に溺れてしまうのだろうか?

ギャヴィンは、きっぱり否定する。
「ロックンロール史上最大のカムバックが来る」と目を輝かせる。

「Live Forever」は来年1月で15周年を迎える。
「俺たちはいつも控えめにしてるけど、観に来てくれる人たちは『お前らは常に期待以上だ』って言ってくれる。
俺たちはただのトリビュート・バンド以上の存在なんだよ──普通の労働者階級の男たちが、夢を生きてるってことさ」。

音楽は、常に不思議な力を持っている。

ジェームズ・バーミンガムは、オーストラリア・シドニー近郊で行ったライブを思い出す。
「その時、主催者が宣伝を完全に忘れててね。前座がスラッシュメタルのバンドだった。『どうすればいいんだ?』って思ったよ」。

そのメタルバンドのメンバーが、「ジョージ・マイケルの『Freedom 90』をやってみたら?」と提案してくれた。
彼は彼らと一緒にその曲を演奏し、続くセットもすべて“ポップ&グラム”な構成で通した。
驚いたことに、スラッシュメタルのファンたちは1時間の彼のステージを最初から最後まで残って観ていた。

『Careless Whisper』が流れると──
「彼らはその曲を、完全に歌えたよ」。

*オアシスのトリビュート・バンド「Live Forever」
写真:エミリー・クイン。

https://www.irishexaminer.com/lifestyle/artsandculture/arid-41662964.html

 

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