アルバム『ABBA』1976年にイギリスのアルバムバイヤーを魅了したスーパースウェーデン人たち

1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝曲「恋のウォータールー」でシーンに登場した後、ABBAの世界征服の次のステップは、国際的なアルバムセラーグループになることであった。北欧以外の国で、最初に彼らを受け入れたのはドイツで、アルバム『恋のウォータールー』はトップ10にランクインした。イギリスでは、あの有名な曲を含めても28位と低迷していた。しかし、1976年1月31日からは、もっといいことが待っていた。

『ABBA』のアルバムは1975年の春にリリースされたが、その頃、彼らはイギリスのシングル・バイヤーに『恋のウォータールー』の人気を再現するのに苦労していた。「ソー・ロング」はUKチャートのアイテムにはならず、「アイ・ドゥ、アイ・ドゥ」はその夏、わずか38位にしかならなかった。しかし、9月の「SOS」は、ヨーロッパのアーティストには難しい市場において、ABBAが自分たちの力を発揮できることを示す最初のシグナルのひとつであり、賭け金を大きく引き上げることになった。

「SOS」は英国で6位を記録し、続く「マンマ・ミーア」は1976年の新しい英国No.1となった。突然、英国の聴衆にほとんど無視されていたアルバムが、より魅力的な提案となった。このアルバムには、劣等生のシングル2曲だけでなく、大ヒット曲2曲も含まれていたからだ。

このアルバムは、彼らの多才さと音楽性の深さ、そしてベニーとビヨルンが、時にはマネージャーのスティッグ・アンダーソンの力を借りてソングライティングを行なったことを示すものでもあった。アルバム収録曲には、クラシック風味の 「インテルメッツォ・ナンバー・ワン (Instrumental)」やレゲエへの傾倒を感じさせる「トロピカル・ラヴランド」が含まれている。

これらすべての要素を備えたABBAは、1976年1月最後のチャートで、The Best of Roy Orbisonが1位になった週に、42位でイギリスのベストセラーに遅ればせながらデビューを飾った。この4人組のアルバムは23位まで上昇し、その後2週間13位を記録したが、その後は下降線をたどった。それでも控えめな成功だったが、ABBAはすぐにシングル「悲しきフェルナンド」の形で新曲を発表し、5月にはイギリスで1位を獲得している。

https://www.yahoo.com/entertainment/abba-album-super-swedes-woo-081518489.html

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