ジミー・ペイジが「誰も文句をつけられない」と語ったバンド「彼らがやったことに異論の余地はない」

音楽に完璧など存在しない。人類にとって最高の曲というのは、いつだって音の“欠点”の中に奏者の個性が透けて見えるものだ。しかしジミー・ペイジは、真にポップの名手とは、自分たちの曲を緻密な音の傑作へと作り上げるアーティストだと考えていた。

そもそもペイジ自身、レッド・ツェッペリンでゼロから楽曲を構築することに慣れていた。1960年代末において、このバンドが進むべき道は、何年も続いたヤードバーズのモデルを踏襲するものではないと、彼はよく理解していた。そしてロバート・プラントと共に曲作りを始めると、「幻惑されて(Dazed and Confused)」や「ベイブ・アイム・ゴナ・リーヴ・ユー」といった楽曲は、単なる“そこそこ良いカバー曲”から、ステージで演奏されるたびに巨大な音楽的実験へと変貌していった。

しかし、ペイジが自作を生み出し始めると、彼は決してポップの定型に自分を当てはめようとはしなかった。史上最高の音楽とは、3分間の枠に迎合する必要などなかったのだ。そしてツェッペリンのカタログを振り返れば、真に素晴らしい瞬間は、曲が思い切り引き延ばされたときに訪れる──「天国への階段(Stairway to Heaven)」という壮大な旅路や、「カシミール(Kashmir)」の荘厳さに耳を傾ける体験こそがそうである。

とはいえ、限られた時間内で挑戦するアーティストが存在する余地も確かにあった。それは決してペイジ自身の得意分野ではなかったが、ビートルズのようなアクトは、グループとして活動していた間に、ポップ・ソングを考え得るあらゆる場所へと押し広げていた。そしてビートルズがポップの世界で取って代わられることは決してなかったが、1970年代にはポップの定型自体が変化していることをペイジも理解していた。

もちろん、当時のチャートには“チーズ的(安っぽい)”な作品も並んでいたが、ABBAは他の多くのアーティストよりもずっと大胆に挑戦していた。ロックの純粋主義者たちが「ダンシング・クイーン」や「SOS」がラジオから流れてくると苛立ったとしても、ペイジに言わせれば、チャートの中ではむしろABBAこそが「親指を立てる」存在だったのだ。

彼がABBAの曲にギターを加えることはおそらくなかっただろう。だがツェッペリンとABBAには、楽曲を完璧に組み立てていくという点で共通点があるとペイジは見ていた。彼はこう語っている。

「彼らがやったことに文句なんてつけられない。ただ素晴らしいんだ。本当に巧妙に作り上げられている。そしてミュージシャンシップ──あれは音楽家のための教科書だよ」。

しかもABBAは、たまには曲調を変化させる余裕も持っていた。

彼らの代表曲にちりばめられた見事な転調を無視するとしても、ABBAの真の“超能力”は拍子を自在に操ることにあった。すべてが4/4拍子でなければ聴衆が離れてしまうという世界の中で、「チキチータ(Chiquitita)」や「SOS」といった楽曲は、音楽フレーズの中にいくつか余分な小節を滑り込ませ、曲が流れるたびに聴衆の耳を一層惹きつけていた。

彼らがペイジのように奇妙なギター・チューニングを生み出したり、独自のミニ叙事詩を書いたりすることはなかったかもしれない。だがポップの世界において音楽を前進させる余地は十分に残されていた。そしてペイジとABBAの双方がよく分かっていたことがひとつある──それは、レコードを作るときには常に「予想外」をファンに期待させるべきだ、ということだった。

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