ベニーとアンニ=フリードの出会いから「恋のウォータールー」での大ブレイクまで

ユーロビジョンがABBAを生んだ:ベニーとアンニ=フリードの出会いから『恋のウォータールー」での大ブレイクまで

*ABBAがユーロビジョンで「恋のウォータールー」を披露する様子(写真:Alamy)。

ABBAの物語は、ユーロビジョン・ソング・コンテストとは切っても切れない関係にあります。

ユーロビジョンを思い出すとき、多くの人はさまざまな名演を思い浮かべます。
イギリスではサンディ・ショウ、クリフ・リチャード、ルル、ブラザーフッド・オブ・マン、バックス・フィズ、カトリーナ&ザ・ウェーブスなどが優勝経験を持ちます。

一方、国際的にはスイス代表として優勝したセリーヌ・ディオン(1988年)、イスラエルのミルク&ハニー、ダナ・インターナショナル、ネッタ、そして昨年のイタリアのロックバンド・マネスキンなどが知られています。

しかし、この中でもユーロビジョンと最も深く結びついているアーティストといえば、1974年の優勝者ABBAです。
彼らの世界的成功はもちろんのこと、そもそもABBAというグループが存在すること自体、ユーロビジョンがあったからこそなのです。

1969年メロディーフェスティバーレン:ベニー、アンニ=フリードと出会う

*1974年、ユーロビジョン出場のためブライトンのホテルに滞在するベニー・アンダーソンとアンニ=フリード・リングスタッド(写真:Alamy)。

ABBAとユーロビジョンの物語は1974年ではなく、1969年に始まります。
この年、ユーロビジョンは前年度優勝国スペインのマドリードで開催されました。

スウェーデン代表を目指し、ベニー・アンダーソンはラッセ・ベリハーゲンのために「Hej clown(ヘイ・クラウン)」という曲を書きました。

この曲はジャン・マルムショーの歌唱で出場し、10曲中トップタイの31ポイントを獲得しましたが、もう一つの同点曲「Judy, min vän(ジュディ、マイ・フレンド)」が決選投票で勝利し、ユーロビジョン本戦に進みました。

一方、最初の投票で4位(8ポイント)に終わったのが、イヴァン・レンリーデン作曲でアンニ=フリード・リングスタッドが歌った「Härlig är vår jord(美しき我が大地)」でした。

この年のメロディーフェスティバーレンでベニーとアンニ=フリードが出会い、なんとその1か月後には恋人同士になっていました。

そして奇遇にも、同じ月にビヨルン・ウルヴァースはTV特番の撮影中に若き歌手アグネタ・フェルツコグと出会っていました。

*1970年、自宅でのアグネタ・フェルツコグとビヨルン・ウルヴァース(写真:Alamy)

ABBA結成前夜:4人が出会い、音楽で結びつく

その後ベニーのバンド「ヘップ・スターズ」は解散、ビヨルンの「フーテナニー・シンガーズ」も活動が停滞し、二人は1970年に共作アルバム『Lycka(幸福)』を制作。その中にアンニ=フリードとアグネタもコーラスで参加しました。

まだABBAという名前はなかったものの、4人の音楽的協力は次第に深まり、1971年にはアンニ=フリードの全米1位シングル「Min egen stad(私の街)」でも4人が共演。グループ名は「ビヨルン、ベニー、アグネタ&アンニ=フリード」に。

その後もいくつかのシングルとアルバム『リング・リング』をリリース。やがてレコード会社ポーラー・ミュージックのスティッグ・アンダーソンが、4人の名前の頭文字を取った回文「ABBA」と名付けました。

ユーロビジョンとベニー&アンニ=フリードの偶然の出会いがなければ、ABBAは生まれなかったかもしれません。

1973年:「リング・リング」での挑戦と敗北

ABBAの成功はすぐに訪れたわけではありません。1973年、彼らはスウェーデン代表を目指し「リング・リング」でメロディーフェスティバーレンに出場するも、3位(8ポイント)に終わります。

優勝は「マルタ(後にノヴァ&ザ・ドールズ)」の「Sommaren som aldrig säger nej(終わらない夏)」で34ポイントを獲得。

とはいえ、「リング・リング」はスウェーデン国内チャートで1位を記録し、4人は「やはりこのまま4人で活動を続けるべきだ」と確信します。

1974年:「恋のウォータールー」で世界がABBAに降伏

翌年のメロディーフェスティバーレンでは、ベニー&ビヨルン&スティッグが「恋のウォータールー」を制作。ABBA名義で出場し、302ポイントで圧勝。

1974年のユーロビジョン本戦はイギリス・ブライトンで開催。前年と前々年をルクセンブルクが制したものの、費用面から開催を辞退。

ABBAは英語版「恋のウォータールー」で参加し、24ポイントで優勝。イタリア代表ジリオラ・チンクェッティの「Sì」を抑えての栄冠でした。

ちなみにイギリス、ギリシャ、モナコ、ベルギー、イタリアの審査員はスウェーデンに1ポイントも与えていません。

しかし「恋のウォータールー」は世界中のチャートを席巻し、イギリスで1位、アメリカではビルボードHot100で6位を記録しました。

2004年『The Last Video』とその翌年の50周年特番

2004年、ABBAがまだ再結成前だったころ、メンバー全員が『The Last Video』に登場。1974年のレコーディング契約を目指すパペット人形を主人公にしたユーモラスなビデオで、マイケル・ニクヴィストやシェールがカメオ出演しました。

2005年にはユーロビジョン50周年特番『Congratulations』が放送され、過去の優勝曲の中で最も人気のある曲を決定する投票が行われました。

「恋のウォータールー」は1回戦で331ポイントを獲得し1位通過。決勝でもイタリアを329対267で下し、史上最高のユーロビジョン優勝曲に選ばれました。


2021年・2024年:ビヨルンのメッセージと「恋のウォータールー」50周年

2020年、パンデミックの影響でユーロビジョンが中止され、代替番組『Europe Shine A Light』が放送。
ビヨルン・ウルヴァースが登場し、「ユーロビジョンは“脱力的なヨーロッパ性”を持ち、人々に喜びを与えてくれる」と感動的なメッセージを送りました。

2024年には「恋のウォータールー」優勝50周年を迎え、再結成の噂が加熱。しかし、実際に出演したのはABBAのバーチャル・ABBAターたちでした。

ビヨルンは後に「芸術的な理由などから、自分たちではなくABBAターに任せるのがふさわしいと判断した」と語っています。

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