失恋についての歌を書くことは、確かに感情を浄化する体験になりうる。だが、その歌を、かつての恋人がメンバーとしている自分のバンドに持ち込み、しかもその元恋人がその歌を歌うことに決まったら、その体験はどんなものになるだろうか。もしかすると、そんなあまりにも現実と近すぎる状況こそが、1980年にABBAが発表した「ザ・ウィナー」(The Winner Takes It All)を特別なものにしているのかもしれない。この曲が書かれ、レコーディングされる頃には、当事者たちはすでに感情的な嵐をくぐり抜けていた。そして、その感情の揺れを、そのまま世界中に聴かせる形で再現したのだ。
「ウィナー」を書く
ビヨルン・ウルヴァースは、「The Winner Takes It All」はABBAのメンバーであり、当時の妻だったアグネタ・フォルツコグとの離婚に至った経緯を、逐一描写したものではないと主張している。彼は、離婚を勝ち負けの視点で捉えてはいなかったという。だが、歌詞のインスピレーションを得るうえで、その経験を多少なりとも取り入れたことは認めている。
また、彼はボトルからもインスピレーションを得た。ビヨルンと作曲パートナーのベニーは、当初「ザ・ストーリー・オブ・マイ・ライフ」(The Story Of My Life)と呼んでいた曲の音楽をすでに完成させていた。その音楽は、疾走感のあるビートと、ドラマティックなピアノのモチーフが対照的に組み合わされていた。2人はすでに優れた土台ができていることを分かっており、それに見合う歌詞が必要だった。
ビヨルンはその音楽を持ち帰り、歌詞を考える中で何杯か酒をあおった。これまで作詞のために酒を飲むのはうまくいった試しがなかったが、このときばかりは、曲の中心となる効果的なメタファーを解き放つ助けとなった。
一方、アグネタは、聴く人が自分とウルヴァースの関係の終わりを歌っていると思うであろう歌詞を歌うことに、ひるむことはなかった。彼女は、状況の悲しみを一切省くことなく、しかも勇気に満ちた堂々たるパフォーマンスを披露した。
「The Winner Takes It All」の歌詞を読み解く
ABBAの「The Winner Takes It All」は、特に恋が終わったときに、愛をゼロサム・ゲームとして描いている。この場合、語り手は敗者の立場に立たされる。しかし彼女は、その結果から逃げることなく、自分の敗北を受け入れ、その結果もたらされる悲しみのすべてを抱きしめる。
元恋人と再会したとき、彼女は過去を蒸し返すことはやめようと告げる。2人は対等な立場で関係を始め、それぞれが最善を尽くしたのだと認める——「私はすべてのカードを出し尽くした/あなたもそうだった」と。すべてが終わった今、彼女は結果を否定しない——「勝利のそばで小さく立つ敗者/それが彼女の運命」。
しかし第2ヴァースでは、この勝負が本当にフェアだったのか疑い始める。安心感を抱いた途端、その足元はすくわれたのだ——「でも私はルールに従って遊ぶ愚か者だった」と彼女は告白する。そして、神々が人間をもてあそび、運命を偶然のゲームで決めているのだと示唆する——「そしてここにいる誰かが/大切な人を失う」。
第3ヴァースでは、別の女性の存在が登場し、彼女はゲームの礼儀を少し破って彼について尋ねる。そして最後のリフレインでは、このゲームの比喩は審判や観客をも含む形に広がる。それはまるで、彼女自身がこの複雑なシナリオを作り上げることで、自分なりに全てを理解しようとしているかのようだ。
最後に、彼はスポーツマンシップを見せようとする——「そして私は理解している、君は握手をしに来てくれたのだ」と。しかし彼女はその握手を許さない。その瞬間、アグネタは全身全霊でタイトルをもう一度歌い上げる。そのとき明らかになる——「The Winner Takes It All」の見事な構成ですら、その核心にある正直な痛みを完全に隠すことはできないのだ。
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