8月21日水曜日
皆様おはようございます。毎日暑いですね!体調は万全ですか?エアコン使っていますか?水分補給は十分ですか?
今日は「献血記念日」「噴水の日」「漬物の日」です。
まず「献血記念日」から。
なぜ8月21日が「献血記念日」なのかというと、1964年8月21日にそれまでの売血制度をやめ、全ての輸血用血液を献血により確保する体制を確立するよう閣議で決定されたことが由来となっています。
それまでの日本では日本赤十字社(現在の赤十字血液センター)が血液銀行を設立して血液の無償提供を呼びかけていました。
しかし、民間の商業血液銀行が次々に設立したために、無償で献血を受ける人が激減しました。
その結果、商業血液銀行に血液を常習的に売るいわゆる「売血常習者」が続出して社会問題となりました。
売血常習者の血液には血球が少なく血しょう部分が目立つため「黄色い血」と呼ばれていて、この血液を輸血しても効果がなく、また、輸血後に肝炎等の副作用を起こす重大なリスクがありました。
やがて、1974年に民間商業血液銀行が預血制度を廃止したことにより、全てを献血で確保する体制が確立しました。
現在では血液は献血で提供するのが当たり前になっているので、自分の血を売ってお金を得るなんてすごく恐ろしいことのように聞こえてしまいますよね。
献血は全国各地で行なわれていて、「××型の血液が●●人分不足しています」というような書き方で献血を募っていますよね。
しかし、あれだけ毎日のように献血が行われているのにも関わらず、なぜそんなに血液が不足してしまうのか不思議だと思いませんか?
実は血液といっても献血された後は用途によって全血や血小板、赤血球、血しょうなどに分けられていて、その中でも血小板は献血してから数日程度しか保存出来ないため、持続的に献血を募らなければならないんです。
献血の必要人数を割り出す場合にも、用途に応じてそれぞれの製剤がどれぐらい必要なのか、予約による受注数や当日の緊急に必要な受注数、または今後の需要から予測して「~~型の血液が~~人分不足」といった献血を募っているそうです。
献血に協力をするとお菓子やジュースを無料で食べられたりするので、献血が怖くないという人 は積極的に協力してみてくださいね。
実はO型の血液だけはA型、B型、O型、AB型すべての血液型に輸血することが出来るって知っていましたか?
もちろん通常はその人にあった血液型の血を輸血するそうですが、緊急時にはO型の血液が輸血 されることもあるそうです。
なぜO型の血液型だけが他の血液型に輸血できるのかというと、A型の血をB型の人に輸血するとB型の血液は拒絶反応を起こして血液がかたまってしまいます。
もちろんその逆の輸血を行っても拒絶反応を起こして血液がかたまってしまうのですが、O型の血に関してはA型とB型が拒絶反応を起こすような物質が含まれていないのです。
AB型に関してはA型とB型の物質の両方を持っているため、AB型の血液はAB型の人に輸血することが出来ませんが、逆に全ての血液型から輸血を受けることが出来るそうです。
緊急で輸血が行われる際には輸血を必要としている人の血液と輸血する血液を混ぜて固まらないかをチェックするそうですが、あくまでO型が理論上は輸血が可能だというだけで100%の確率で輸血ができるとは限らないようです。
*皆様は「献血」していますか?それにしても注射針を静脈に入れるのは痛いですね。僕は小さい頃から静脈が見つかりにくく、ひどいときは看護師全員で静脈探しされたこともありました。年に数回は手の甲から採取されます。こんなに技術が発達した世の中で「静脈を簡単に見つける機械」はないのですかね?
次に「噴水の日」について。
なぜ8月21日が「噴水の日」なのかというと、1877年8月21日に日本初の西洋式の噴水が作られたことが由来となっています。
この日には東京・上野公園で第1回内国勧業博覧会が開催されていて、実際に日本初の噴水が落成したのは9月8日のことでした。
この博覧会に関しては1873年に行なわれたウィーン万国博覧会を参考にして行われたものであり、大久保利通の主導によって開催されたものとなります。
当時の日本は西欧の列強に追いつくべく「殖産興業」というスローガンが掲げられており、噴水 は欧米諸国から持ち込んだ技術と日本の技術の交流場でもあり、象徴ともされていました。
第一回内国勧業博覧会は約10万平方メートルにも渡って会場が設けられていて、噴水の他にも美術本館、農業館、機械館、園芸館、動物館が建てられ、寛永寺旧本坊の表門の上には大時計が掲げられたそうです。
更に上野東照宮前から公園にかけて数千個の提灯が掲げられるなどとても大規模な博覧会でした。
しかし、西南戦争やコレラの流行に影響を受けてしまった結果、入場者数は大久保利通の予想を下回ってしまったそうです。
トレヴィの泉といえばイタリアの観光名所であり、トレヴィの泉に向かって観光客がお金を投げるのは有名ですよね。
このトレヴィの泉でお金を投げ込むという行為が元となって、日本でも噴水に向かってお金を投げるという文化が広まっています。
そもそもどうしてトレヴィの泉にお金を投げるといった文化があるかを知っていますか?
実はトレヴィの泉には、後ろ向きになり泉に向ってお金を投げ入れると、もう一度ローマを訪れることが出来るという言い伝えがあるからなんですね。
この言い伝えから観光客はもう一度ローマに来ることを願ってトレヴィの泉に向かってお金を投げ入れているのです。
日本には神社のお賽銭など願いを込めてお金を入れる風習が既に存在しているため噴水に願いを込めてお金を投げ入れる風習も違和感なく広まっていったのでしょうね。
トレヴィの泉の風習が元となって現在ではいたる場所の噴水にお金が投げ込まれるようになりましたよね。
しかし、噴水に投げ入れられて沈んでいる噴水は誰のものになるのでしょうか。
もちろん噴水に沈んでいるものだからといって拾ってしまえば窃盗になるため注意が必要です。
実は噴水に投げ入れられたお金はその噴水が設置されている施設の管理者のものとなります。
神社にあるお賽銭に投げ入れられたお金が神社のものになるのと同じということですね。
しかし、噴水の場合はずっと水を流し続けなければならないため管理するのにもお金がかかってしまいますし「投げ込まれたお金=利益、」とはならないようです。
*今年の夏は子供たちが噴水の水に入り遊んでいましたね。気持ちいいでしょうね。
最後に「漬物の日」について。
なぜ毎月21日が「漬物の日」なのかというと、毎年8月21日に名古屋市にある萱津(かやつ)神社で「香の物祭」として祝っていることが由来となっています。
「香の物祭」を8月21日に行うことから、漬物業界では毎月21日を「漬物の日」という記念日として制定しました。
この日には漬物の普及活動などが行なわれているそうです。
そもそもなぜ「香の物祭」が行なわれるようになったのかというと、萱津神社に残る古い逸話が由来となっています。
萱津神社を祀っていた村人は豊かな自然の恵みに感謝をして、大地から初めて収穫された野菜と海から収穫された藻塩を初穂としてお供えしていました。
現在でもそうですが、たとえお供えをしたとしてもすぐに腐ってしまうことから、カメに入れて供えることを考えました。
その結果、野菜が腐らないで長期保存のできる漬物になり、村人はこの腐らない不思議な食べ物を神様からの贈り物だと考えてとても感謝しました。
それが原型となって漬物が誕生し、漬物は長く腐らないことから無病息災の意味でも食べられるようになったのです。
この逸話が現代にも受け継がれており、神様に感謝の気持ちを伝えて供え物をする「香の物祭」が行なわれているわけですね。
カレーライスにあわせて食べるものといえば「福神漬け」ですよね。
パリパリとした食感とあの甘味が箸休めになりますが、そもそもなぜあの漬物が「福神漬け」という有難そうな名前になったか知っていますか?
福神漬けが誕生したのは明治時代だったとされていて、福神漬けの販売を行っていたお店が不忍池の近くにあったそうです。
そして、不忍池の弁財天にあやかって、7種類の野菜を七福神に見立てて「福神漬け」としたことが由来となりました。
ちなみに福神漬けは、ダイコン、ナス、ナタマメ、レンコン、キュウリ、シソの実、シイタケまたは白ゴマの7種類を細かく刻んで醤油や砂糖、みりんで漬け込んだ漬物のことです。
もともとは商品名だったものが広く知れ渡り、現在はすっかりと漬物の一種として定着しているのでした。
漬物にはいろいろな種類がありますが、その中でも漬物のことを「お新香(おしんこ)」と呼ぶときがありますよね。
漬物もお新香もどちらも同じような食べ物に見えますが、その違いはどこにあるかを知っていましたか?
実は「お新香」とは「新しい香り」という漢字を読んで字のごとく、漬物の中でも漬けられてからまだ日の浅い漬物のことをいうんです。
漬物は長時間漬けられたものよりも、浅漬けやお新香などの短時間漬けられたものの方がより新鮮さが残っていて、野菜の香りがしますよね。
つまり、お新香は漬物の一種であり、漬け方などの違いなどではなく、どれだけの時間をかけて漬けられたかが基準になっています。
ちなみに、いつまでがお新香や浅漬けと呼ばれるのか調べてみましたが、明確な定義などは見当たりませんでした。
*皆様は毎日「漬物」召し上がっていますか?僕はぬか漬けには弱いです。
本日も宜しくお願いいたします。
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