2月3日土曜日
皆様おはようございます。体調はGOODですか?うがい、手洗い、消毒を欠かさずになさっていますか?
今日は「節分」「のり巻きの日」「絵手紙の日」です。
まず「節分」から。
そもそも「節分」とは何を意味しているかをご存じですか?
節分には「季節を分ける」という意味があり、季節が移り変わる節目の日に行なわれる行事となります。
そのため昔は「立春・立夏・立秋・立冬」の前日に1年に4回の節分が存在していました。
その中でも特に春が1年のはじまりとして重要視されていたため、時代が進むにつれて春の節目 にのみ節分が行なわれるようになりました。
節分の歴史はとても古く奈良時代である706年に始まりました。
この時の日本では疫病が流行しており、死人を多数出してしまうという状態でした。
事態を重く見たお偉いさん方は「鬼儺(おにやらい)」という儀式を行ない、疫病などの災いを祓おうととしました。
そして、肝心な豆まきについてですが、始まったのは890年前後とされており、平安時代の頃でした。
当時の節分(立春)は現在でいうところの大晦日にあたるため、宮中では「追儺(ついな)」と呼ばれる行事が行なわれていました。
これは、陰陽師によって旧年の厄や災難を祓うための行事であり、豆まきの原型となる行事となりました。
また、鞍馬山の奥にある僧正ヶ谷に住んでいた鬼が、悪さをしようとして都に度々現れていたそうです。
その鬼に対して豆を投げたところ、その豆が鬼の眼に当たり、鬼の撃退に成功したとも言われています。
これらのが豆まきの由来となっています。
このように、奈良時代には厄除けの儀式として始まり、平安時代に豆まきの原型が出来たというわけですね!
また、豆まきは中国の風習が伝わったという説もあります。
豆は「魔滅(まめ)」と書くことができ、無病息災の効果も期待されていました。
中国から伝わった「魔滅(まめ)」を信じて、悪さをしにきた鬼にめがけて豆を投げて撃退出来たことから、豆まきの風習が出来たということです。
日本で誕生したのではなく、中国から伝わったものを日本人が使い始めたという説ですね!
時代が進んで室町時代には現在でも使われている「鬼は外、福は内」という言葉が使われるようになりました。
そして、更に時代は進んで江戸時代中期、節分の豆まきはお寺の行事として行なわれるようになりました。
お寺の行事のため、最初はお寺で豆まきが行なわれていましたが、この事をきっかけとして多くの人に豆まきの風習が伝わることとなり、豆まきがより一般的なものとなっていきました。
その後、江戸時代の後期になるのにつれて豆まきが行われなくなっていきましたが、明治時代の後期にはまた豆まきが行われるようになりました。
豆まきに使う豆は炒った豆じゃないといけないのは知っていましたか?
これは、生の豆をまいた後に広い忘れてしまい、その豆から芽が出る事が縁起が悪いとされているからです。
また「炒る」は弓矢で「射る」などの意味にも通じているため、「炒る」方が鬼すなわち病魔などによく効くとされています。
更に陰陽五行説と呼ばれる「木」「火」「土」「金」「水」の五行がありますが、鬼と豆はこれの「金」にあたります。
この「金」の作用を滅する意味をもつ「火」で豆を炒ることにより、鬼を封じ込める効果が高まるとされていました。
そして、最後に鬼を退治した豆を人間が食べる事により、鬼退治を完璧に完了としたのです。
*「節分」ですね。今日が本当の意味での「大晦日」で「明日から運命」が変わります!「大寒の最終日」でもあります。
「節分」は「雑節」の1つです。雑節とは、五節句・二十四節気以外の、季節の移り変わりの目安となる日の総称です。農業に従事する人々は二十四節気(中国で作られた暦)では十分に季節の変化を読み取れないため、その補助をする為に考えられた日本独自の暦です。雑節が考え出された背景には、農家が季節の移り変わりを正確に理解できれば、農作物に多大な損害を出さずにすむという自然現象と農業の深い関係がありました。例えば「もうすぐ八十八夜だから、霜が降りてくる前に対策をしよう」というわけです。主に、節分(2月3日)・八十八夜〔はちじゅうはちや〕(5月1日頃)・入梅〔にゅうばい〕(6月11日頃)・半夏生〔はんげしょう〕(7月2日頃)・二百十日〔ひゃくにちとうか〕(9月1日頃) ・土用(1月17日・4月17日・7月20日・10月20日頃)・彼岸〔ひがん〕(3月20日・9月23日頃)などのことです。
次に「のり巻きの日」について。
2月3日の「のり巻きの日」は1987年(昭和62年)に、海苔業者によって制定されました。
制定されたのが1987年だったというだけで、2月3日の節分にのり巻き寿司を食べるという風習はかなり昔からありました。
それが現在の恵方巻きの由来になっているんですね!
恵方巻きをその年の恵方を向いて食べると縁起が良いとされているのは皆さんもご存じですよね!
それでは、どうして縁起が良いのでしょうか?
そもそも恵方巻きの「恵方」とは、陰陽道を用いてその年の干支により定められた最も良いとされる方角の事を指します。
恵方には歳徳神と呼ばれる神様がいるため、その方角は縁起が良いとされています。
歳徳神は陰陽家が正月にまつるとっても偉い神様のことです。
恵方を向いて食べるのり巻きである事から「恵方巻き」という名前になったことは言うまでもありません。
恵方巻きは恵方を向き、願いごとを心の中で唱えながら無言で食べることにより、縁起を担いで願い事を叶えるという意味があります。
また、恵方巻きを1本丸ごと食べきることには「縁を切らない」という意味が込められています。
ちなみに、
2023の恵方は南南東となっています。
恵方巻きが初めて食べられるようになったのは、江戸時代から明治時代にかけてとされています。
当時は大阪の花街で節分をお祝いしたり、商売繁盛を祈るために恵方巻きが食べられていました。
今ではすっかりと「恵方巻き」という名前で定着していますが、当時は「恵方巻き」という名前ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」という名前で呼ばれていました。
しかし、正確にいつごろから始まった風習であるかはわかっておらず、正確な文献なども残されていないようです。
ちなみに、恵方巻きの具材は七福神と関係しており、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊、に見立てた具材を食べることにより福がくるともされています。
節分に恵方巻きを食べる事が一般的になったのは1989年以降のことでした。
大手コンビニエンスストアであるセブンイレブンが「縁起のいい風習」だと謳って発売したところ、これが大ヒットすることとなりました。
それから各種メディアなどで取り上げられるようになり、現在のように一般家庭に根付いていくこととなりました。
ちなみに「恵方巻き」とはセブンイレブンが発売したのり巻きの名前であって、それまでは「丸かぶり寿司」や「節分巻き寿司」といった名前で呼ぶのが一般的でした。
今では「恵方巻き」以外の呼び方は全く見かけなくなるほど、「節分は恵方巻き」という地位を確立しましたね!
途中で説明した通り、節分に恵方巻き食べるという風習の原型となる行事は江戸時代の頃から行なわれていました。
その後は大正時代に「節分の日に丸かぶり」という、恵方巻きを匂わせるチラシが存在していますが、一般家庭にはまだまだ根付きませんでした。
戦時中の間には恵方巻きはあまり食べられていなかったそうですが、1949年に「土曜の丑の日のうなぎ」に対抗するために一時的に「節分の恵方巻き」は復活しました。
更には1977年に大阪・道頓堀の海苔祭りのイベントとして「巻き寿司丸かぶり早食い競争」などが開催されましたが、全国に広まるまでには至りませんでした。
また、1982年には既にファミリーマートが節分に食べる巻き寿司として紹介していましたが、それも定着するのには至りませんでした。
このように、恵方巻きが当たり前のように食べられるようにるまでに、長い歴史の中で流行り廃れを繰り返していた事がわかります。
*恵方巻きはもともとは「関西ののり巻き業者が売り上げをあげるために『節分』に便乗した行事」だったのが、前述したように東京のコンビニが近年、真似しただけなのですけどね。やはり「豆をまく」方がいいと筆者は思います。食べるのは自由ですが。ちなみに今年の食べる方角は「東北東やや東」だそうです。
最後に「絵手紙の日」について。
なぜ2月3日が「絵手紙の日」なのかというと、2月3日という日付が「ふ(2)み(3)」という語呂合わせであることが由来となっています。
「絵手紙の日」については日本絵手紙協会によって制定された記念日となっています。
この記念日を制定することによって、絵手紙を描いて送ることを世界中に呼びかけるということが目的となっています。
最近ではインターネットやスマートフォンが普及したことにより、SNSなどでコミュニケーションをとるのが当たり前の時代となりましたよね。
そのため、手紙をはじめとして年賀状など紙媒体で他の人とのやり取りをする機会が急速に失われてしまいました。
絵手紙はその季節を感じさせるものであり、書き手の感性であったり、人柄などが伝わってくることが魅力の一つとなっています。
長い間、疎遠になっている友人であったり、家族などに絵手紙を送ると喜ばれますし、「絵手紙の日」をきっかけにしてぜひ絵手紙に挑戦してみてくださいね。
郵便マークといえば「〒」というマークですが、このマークについても由来があるのをご存じですか?
実は最初から「〒」というマークが採用されていたわけではなく、最初は「T」というマークが郵便マークだったのです。
現在では郵便局は民営化されていますが、Tマークが使われていた当時の郵便は逓信省の管轄でした。
そして、逓信省(ていしんしょう)の頭文字からとって、Tが郵便マークとして採用されたのです。
しかし、海外ではTというマークが郵便料金の不足を意味するマークだということがわかり、郵便マークの変更を余儀なくされました。
そこで考えられたのが「〒」というマークであり、このマークはテイシンショウの「テ」というカタカナが由来となって誕生したんですね。
ちなみに、Tマークが採用されていたのは最初の11日間だけであり、11日後には現在と同じ〒マークが使われるようになったのでした。
世界で最も短い内容の手紙のやり取りは、「?」に対して「!」と返信するというものでした。
この意味のわからない手紙のやり取りについては、「レ・ミゼラブル」の著者である小説家のヴィクトル・ユーゴーによって行なわれたものです。
「レ・ミゼラブル」が出版されたのは1862年のことであり、出版後には海外旅行へと出かけていました。
ヴィクトル・ユーゴーは海外旅行中でも自分が出版した本の売れ行きが気になってしまい、出版社に対して手紙を書きました。
その出版社に対して宛てられた手紙の内容が「?」であり、これは「本の売れ行きはどうですか?」という意味だったんですね。
そして、出版社からの返信の「!」が、「売れ行きは順調です!」を省略した「!」だったのです。
*皆様は「手紙」書いていますか?僕は「年間3千通」出します。手紙もたまにはいいですよ。
週末もよろしくお願いいたします。
★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!