歴史の今日 — 4月6日:ABBAが歴史を作り、歴史に触れた日
*1974年4月6日:ABBAがユーロビジョンで優勝
マンマ・ミーア!1974年のこの日、ハリウッド映画やブロードウェイのミュージカル、そして(おそらく誰もが身に覚えのある)従兄弟の結婚式のプレイリストを彩ることになるあのバンドと、世界の大半が初めて出会いました。
しかし、ベニー・アンダーソン、ビヨルン・ウルヴァース、アグネタ・フォルツコグ、そしてアンニ=フリード・リングスタッドの4人は、いかにして地味なスウェーデンのフォーク奏者から、ポップミュージックの歴史において最も商業的に成功したバンドの一つへと上り詰めたのでしょうか?
(もうお分かりかと思いますが、そう、ABBAのお話です)。
ベニー、ビヨルン、アグネタ、フリーダの4人が最初に一緒に活動を始めたのは1969年のことで、当時は「フェストフォルク(Festfolk)」という名前でした。これはスウェーデン語の「婚約中のカップル(fästfolk)」と「パーティーの人々(festfolk)」をかけた名前です。ある意味で、この名前はぴったりでした。ビヨルンとアグネタは1971年に結婚し、ベニーとフリーダも1978年にそれに続いたからです。しかし、フェストフォルクとしての活動はパーティーを盛り上げるには至らず、注目を集めたのは1972年の「ピープル・ニード・ラヴ(愛、それは一番大切なもの)」というささやかなヒット曲だけでした。
すべてが変わったのは、1973年のユーロビジョン・ソング・コンテストにスウェーデン代表として出場することを目指し、彼らが「メロディーフェスティバーレン」(その名の通り、メロディックなサウンドの音楽祭)に出場した時でした。この時は3位に終わったものの、彼らはすぐにメンバー4人の頭文字をとってグループ名を「ABBA」へと改名し、翌年のコンテストに向けた楽曲制作に取りかかりました。
2度目の挑戦は見事に実を結びました。ABBAは、歴史的なひねりを加えたヒット曲「恋のウォータールー」で、1974年のメロディーフェスティバーレンを制したのです。この曲は、恋愛関係の終わりをナポレオン皇帝の歴史的大敗に例えたものでした。(痛烈ですね。)これにより、彼らはその年イギリスのブライトンで開催された“歌のオリンピック”ことユーロビジョンへと駒を進めました。イギリス代表のオリビア・ニュートン=ジョンという強力なライバルがいたにもかかわらず、ABBAのキラキラした衣装と(指揮者がナポレオンの正装で登場するなどの)型破りな演出は、ステージを完全に席巻しました。これはスウェーデンにとって初のユーロビジョン優勝であり、コンテストの歴史の中でも最も有名なパフォーマンスの一つとなっています。
ユーロビジョンで優勝した後に待っていたものとは?ABBAにとって、その答えは「世界完全制覇」でした。「恋のウォータールー」はヨーロッパ全土のチャートで首位を獲得し、数十カ国でナンバーワン・ヒットを記録する、記録破りのキャリアへの足がかりとなったのです。
ただし、ABBAの歌詞から歴史の勉強をするのはやめておきましょう。「ウォータールーで、ナポレオンは降伏した」というフレーズはキャッチーですが、厳密には正しくありません。ナポレオンが正式に降伏したのは、あの壊滅的な敗北からほぼ1ヶ月後のことであり、降伏した場所もウォータールー(ワーテルロー)から400マイル(約640キロ)以上離れたフランスのロシュフォールだったのです。
https://www.britannica.com/today-in-history/April-6-ABBA-Melodifestivalen-Eurovision

