処暑・はいチーズ!の日・金シャチの日・ショートケーキの日「今日は何の日・8月22日」

8月22日木曜日

皆様おはようございます。毎日暑いですね!水分補給は充分ですか?エアコンはかけていますよね?

今日は「処暑」「はいチーズ!の日」「金シャチの日」「ショートケーキの日」です。

まず「処暑」から。

「処暑」とは「しょしょ」と読み、二十四節気の一つとなります。
二十四節気について簡単に解説すると、一年を二十四に分けてさらに細かく季節を表現できるようにした暦日だと思っていただければわかりやすいかと思います。
日本には四季といった季節を表現するものが存在しますが、それ以外にも二十四節気を始めとして七十二候、五節句、雑節、といった様々な暦日が存在しているんですね。
二十四節気で有名なものといえば「春分」「夏至」「秋分」「冬至」などがあげられます。
その中でも「処暑」については、暑かった気候もピークを越えてようやく暑さがおさまる頃となります。
この頃からいわゆる「残暑」というものが始まりますね。
8月22日だけではなく、次の二十四節気である「白露」までの期間が「処暑」となります。
「処暑」の期間中には朝夕になると涼しい風が吹くようになり、気持ちのいい陽気である日もありますが、まだまだ暑さが厳しく熱中症などの予防はしっかりとしておく必要があります。
夏の暑さに身体も弱くなりがちなので、小まめに水分補給をしながら充分に身体を労わってやってくださいね。

まだまだ暑い時期が続いていますが、ふと知り合いに暑中見舞いや残暑見舞いを出そうとした時に、どちらを出せば良いのかわからなくなることがありませんか?
基本的には暑中見舞いについても残暑見舞いについても相手の身体のことを気遣うために出す手紙になるので、意味は同じです。
意味が同じであれば他にどんな違いがあるのかというと、暑中見舞いと残暑見舞いについては出す時期が違うんですね。
暑中見舞いについてはその名の通り「暑中」に出すものであり、二十四節気の小暑から大暑にかけての約1ヶ月間が「暑中」となります。
暑中見舞いは暑中の期間の中でも最も暑い時期である立秋までの大暑の期間に送るのが一般的です。
残暑見舞いについては残暑が少しずつ始まる二十四節気の立秋から処暑の1ヶ月間に出すのが一般的となっています。

夏の暑い時期に特に気をつけなければならないのが「熱中症」ですよね。
毎年夏になって気温が上がってくると必ず熱中症によって病院へ搬送された人などのニュースを見かけます。
ところで「熱中症」以外にも「熱射病」や「日射病」など暑い夏の日に聞く病気の名前はたくさんありますよね。
この「熱中症」「熱射病」「日射病」の違いって知っていますか?
実は「熱中症」とは気温が高くなって暑くなったことが原因で起こる身体の不調の総称のことを指し、「熱射病」と「日射病」については「熱中症」の症状の一部なんです。
「熱中症」の症状はその患者の症状によって、症状が軽い方から順番に「熱失神」「熱痙攣」「熱疲労」「熱射病」と分類されます。
つまり「熱射病」は「熱中症」の中でも特に症状が重い時に使われる言葉であり、昔は
「日射病」は太陽光が原因で起こった症状を指す言葉でしたが、現在では「熱射病」と統合されているそうです。

*先週まで暑かったですが少しは落ち着きましたかね?コロナに酷暑。もうメチャクチャでしたね。体調にはくれぐれもお気をつけくださいね。

◆処暑とは

処暑しょしょとは二十四節気にじゅうしせっきの1つで、「暑い時期の終わり」を意味します。太陽の位置を表す黄経で150度の時を言い、新暦では8月23日~24日ごろで年によって変わります。

中国の元代(13世紀~14世紀)に出された『月令七十二候集解』では「処暑」について「処、止也、暑気至此而止矣」(「処」は「止」ということ。暑気はここで止む」と書いてあります。

◆処暑は二十四節気の1つ

二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。

二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至げし、1年で最も昼の短い日を冬至とうじ、昼と夜の長さが同じ日を春分しゅんぶん秋分しゅうぶんとし、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分にしにぶん」と呼ばれています。

この二至二分が二十四節気を決めるうえでの基準となっています。

立秋はこの夏至と秋分のちょうど中間の日で、暦の上ではこの日から秋が始まります。

秋の節気は立秋りっしゅう処暑しょしょ白露はくろ秋分しゅうぶん寒露かんろ霜降そうこうとなっており、処暑は秋の2番目の節気です。

また、立春りっしゅん立夏りっか立秋りっしゅう立冬りっとうの4つを「四立しりゅう」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっています。

◆2024年の処暑はいつ?

二十四節気のそれぞれの節気には、その日1日を意味する場合と、次の節気までの期間を意味する場合があります。2024年の処暑であれば、以下のようになります。

・日付としての2024年の処暑は8月22日。

・期間としての2024年の処暑は8月22日~9月6日まで。

◆春夏秋冬の決め方

夏至は昼の時間の最も長い日、冬至は昼の時間の最も短い日です。けれども夏至に最も暑くなり、冬至に最も寒くなるかというとそうではなく、実際にはそれより1~2か月ほど遅れて最も暑い日、最も寒い日がやってきます。

ただし二十四節気はこの「夏至を夏の中心」「冬至を冬の中心」そして「昼と夜の長さが同じ春分・秋分を春の中心と秋の中心」として1年を4等分し、春夏秋冬を決めました。

そのため「立春と言われてもまだまだ寒く、冬と感じる」ということが起こります。

◆二十四節気と七十二候

「二十四節気」は、古代中国で作られた農事を指導するために作られた暦で、春秋戦国時代(BC.770~BC.221)黄河流域で作られたと言われます。中国では暦として月の運行に基づいた「太陰暦」が使われていましたが、これですと実際の季節とズレが生まれてしまうため、太陽の運行の軌跡を24等分した「二十四節気」や、それをさらに約5日ごとに分割した「七十二候しちじゅうにこう」が作られました。このようにして季節の変化をきめ細かくとらえて農事に生かしたのです。この「二十四節気」は日本では平安時代に取り入れられました。日本と中国とでは位置も気候も異なり、中国の二十四節気は必ずしもすべてが日本の気候に合うものではありませんでしたが、私たちの生活に根付き、大多数の日本人が農業とは無縁になった現代でもテレビのニュースなどで「今日から立春です」などと使われています。

1年には春夏秋冬4つの季節がありますが、古代中国人はそれをさらに24の「節気」に分けました。1年を24に分けるならそれぞれ約15日、その節気にはまたそれぞれ3つの「候」を設け、3×24で72候、約5日で1つの候としてそれぞれの候にその季節の特徴を表す言葉をつけました。

日本は平安時代からこの二十四節気を暦の中に取り入れましたが、これだけでは日本の気候の説明には足りないので、「雑節」というものを設けました。雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日などがあります。

さらに「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えました。現在使われている日本の七十二候はこれが元になっており、上の図に書かれているのもこの七十二候です。

なお2016年に中国の「二十四節気」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。

◆処暑の七十二候(日本)

日本の処暑の七十二候は以下のようになります。

処暑の七十二候
内容 時期
初候 綿わたはなしべひら 8月23日頃

8月27日頃
次候 天地てんちはじめてさむ 8月28日頃

9月1日頃
末候 こくものすなわちみの 9月2日頃

9月6日頃

綿の実がはじけて中から白い綿が顔を出し、暑さはやわらぎ、ノギ(イネや麦などの穀物)が収穫の時を迎える季節です。

◆処暑の時期の雲

この季節はまさに「天高く馬肥ゆる秋」、美しい秋空を楽しむことができます。中国語ではこの「天高く…」を「秋高気爽」と言います。「空が抜けるように青く、すがすがしい気が満ちている」秋を表す言葉です。またこの時期の雲は、夏のようにモクモクと塊になって湧き上がるような雲ではなく、さまざまな形を作って流れていきます。そこで「七月八月看巧雲」という言葉が生まれました。自由自在に形を成す雲を眺めて楽しむという意味です。

私は小学校の夏休みの自由課題に、夏休み中の雲の形を毎日脱脂綿で作り、それを水色に染めた画用紙に貼り付けて提出していました。毎日ほとんど同じ形ですから楽でしたが誰もほめてくれませんでした。今も空の雲を眺めるとそのころのことを懐かしく思い出します。

中国ではかつては大人も雲を眺める楽しみを味わっていたのですね。

◆処暑の行事・イベント

◎お盆

処暑のころは旧暦で「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、いわゆる「お盆」の時期です。伝統行事のほとんどを新暦でやる日本でもお盆だけは旧暦で、ちょうど終戦記念日の8月15日前後に一斉にお盆休みを取るところが多いことでしょう。この時期は「帰省ラッシュ」「Uターンラッシュ」という言葉もニュースとなって伝えられます。お盆は仏教行事ですが、その起源はインドにあります。

目連(もくれん…漢訳)という釈迦の弟子の母は欲深く亡くなると地獄に落ちてしまいます。目連はそれを知って悲しみ、なんとしても母を地獄の苦しみから救おうとします。旧暦の7月15日は釈迦の弟子たちの夏の修行最後の日、法悦が地に満ちる日です。目連はたくさんの食べ物を供物として捧げ人々にも施しました。やがて目連の母は地獄から救われ無事に成仏でき、これが後の盂蘭盆会…お盆の行事になっていったと言われます。

◎全国花火競技大会

毎年8月の最終土曜日には秋田県で全国花火競技大会が開かれます。夏休みということもあって毎年100万人近い人でにぎわいます。

◆処暑の「旬の食べ物」

◎スダチ

スダチの旬は8月~10月ごろ。そうめんに入れたり、サンマやマツタケなどに掛けて食べたりと、晩夏から秋にかけての味覚です。

◎ブドウ

ブドウには巨峰やマスカットなど様々な品種がありますが、そのほとんどの旬の時期は8月下旬~9月下旬ごろです。

◎イチジク

イチジクは感じでは無花果と書きますが、これは花を付けずに実がなるように見えることから名付けられました。旬の時期は9月ごろです。

◆処暑の「季節の花」

◎撫子

撫子(ナデシコ)は「やまとなでしこ」という言葉にもあるように、古くから日本で好まれてきた花です。秋の七草の一つにも選ばれており、6月~8月ごろに咲きます。

◎桔梗

桔梗も秋の七草の一つですが、実際には早い時期から咲いており、6~8月に見かけることができます。

◎ミズヒキ

のし袋や贈答用の箱に掛ける紅白の紐(帯)のことを水引(みずひき)と言いますが、ミズヒキは花の部分が紅白で水引に似ていることから名付けられました。8月上旬~10月上旬ごろに咲きます。

◎ホウセンカ

ホウセンカは7月中旬~9月下旬ごろに咲きます。秋になると実がはじけることで有名です。

次に「はいチーズ!の日」について。

なぜ8月22日が「はいチーズ!の日」なのかというと、8月22日という日付が「8(はい)2(チー)2(ズ)」の語呂合わせであることが由来となっています。
「はいチーズ!の日」についてはインターネット写真サービスである「はいチーズ!」を運営している千株式会社によって制定された記念日となります。
「一枚の写真から千の笑顔を。」をモットーとして、様々なシーンで撮影した写真を見たり楽しんだりできるように「はいチーズ!」の運営を行っているそうです。
そもそも皆さんは写真を撮影する時になぜ「はいチーズ!」と掛け声をかけるかその由来を知っていますか?
実は「はいチーズ!」が定番の掛け声となったのはかなり昔のことで、雪印乳業がCMで写真を撮るときのかけ声として使ったことが由来だとされています。
現在では「1たす1は?」など「はいチーズ!」以外にも様々な掛け声がありますが、当時はほとんどの人が撮影の掛け声に「はいチーズ!」を使っていたことから、現代にも根強くこの掛け声が残っているんですね。
「はいチーズ!の日」をきっかけにして、普段からあまり思い出を写真に残さないという人も写真撮影をしてみるのも良いかもしれませんね。

日本では「はいチーズ!」が写真撮影の掛け声の定番となっているように、世界にも写真撮影をする時の定番の掛け声は存在しています。
まず隣の国である韓国は「キムチ!」が写真撮影の掛け声の定番となっています。
また、メキシコでは「テキーラ」、オーストラリアでは「キーウィー」、イギリス、ブラジルでは「ウイスキー」などそれぞれの国で特徴的な掛け声があります。
やはり掛け声の共通点としてあげられることは母音が「い」となっているところですよね。
母音を「い」にすると発音する時に自然と口角が上がって歯が見えることから、自然と笑顔が作れるようになっています。
日本以外にもチーズが掛け声になっている国もありますが、日本人のように「チーズ」と最後まで発音せずに「チー」まで発音して国の形を「い」にして笑顔を作っているそうです。

 

写真撮影のときに最もオーソドックスなポーズとして「ピースサイン」というものがありますよね。
「ピース」といえば日本語で「平和」を意味するものですが、実はピースサイン自体は平和を表すポーズではなかったのです。
ピースサインの由来は中世まで遡ることになり、当時の騎士たちがピースサインを使っていたのが由来となっています。
中世の騎士は戦いの中で負けそうになっても、まだまだ戦うために弓をひく指が残っているという意思表示で指を2本たててアピールしたそうです。
しかし、チャーチルがヒトラーに対してVサインをした写真が世界に出回った際に、現在の「平和」という意味でピースサインが広まりました。
記者から「勝利のポーズですか?」と聞かれたところ、チャーチルは「平和のサインだ。」と答えたことが現在のピースサインの由来になっているのです。

*なんだかんだ言って「はいチーズ!」って使ってしまいますよね?ポーズをとるのに一番いいのですかね?皆様はいかがですか?

次に「金シャチの日」について。

なぜ8月22日が「金シャチの日」なのかというと、名古屋市の市章が「八」であることと、しゃちほこの形が「2」という形に似ており、名古屋城の天守の左右に二つあることが由来となっています。
「金シャチの日」については名古屋市で鍼灸接骨院を経営する川村芳彦氏によって制定された記念日となっています。
川村芳彦氏によるとこの日を「名古屋城大天守の金のしゃちほこをさらに多くの人に知ってもらう事と、金のしゃちほこにあやかって名古屋を元気にすること」を目的として「金シャチの日」を制定したそうです。
8月22日には金のしゃちほこにまつわる人物や品物を紹介するイベントが開催されていることも「金シャチの日」を制定する由来となったそうです。
確かに名古屋城といえば金のしゃちほこがとても有名ですよね。
名古屋城は中学生以下であれば観覧料が無料になりますし、高校生以上だとしても500円で観覧できるので名古屋の観光スポットにもなっていますよね。
更に名古屋市に在住している65歳以上の高齢者の方であれば入場料が100円しかかからないため、是非とも名古屋へ旅行した際には名古屋城へ行ってみてくださいね。

ここまで名古屋城といえば金のシャチホコと紹介してきましたが、そもそもなぜ名古屋城には金のシャチホコが乗っかっているのかを知っていますか?
実はシャチホコは魔除けの意味で名古屋城に乗っかっているのです。
このシャチホコについては中国の伝説で言い伝えられている架空の動物であり、竜の顔に背中にはトゲがある魚のような生き物となります。
一見すると2匹とも同じもののように見えますがオスとメスに分かれていおり、オスは口をあけていて、メスは口を閉じています。
古くからシャチホコが設置された建物は火事などの災害から守られると言い伝えられているため、名古屋城がそのような被害に合わないように天守閣に設置されたのでした。
ただの豪華な飾りかと思いきや、意外な意味が込められているんですね。

今回は「金シャチの日」ということで名古屋城の金のシャチホコについて紹介してきましたが、そもそも現在の金のシャチホコは初代ではなく2代目だって知っていましたか?
初代の金のシャチホコはどうなったのかというと、実は現在は茶釜になってしまったそうです。
実は江戸時代の初期のころには金のシャチホコが名古屋城に飾られていたのですが、1945年に第二次世界大戦が起こっていた際の空襲によって天守閣もろとも焼失してしまったのです。
その当時の名古屋城は戦争中だったこともあって貴重なものについては取り外して保管するようにしていましたが、ちょうど金のシャチホコを取り外して保管しようとしていたところ空襲が名古屋城を襲いました。
その結果として金のシャチホコは燃えかすとなった挙句にアメリカ軍に接収されることとなりました。
終戦後には名古屋市に返還されることとなりました。さすがに焼けてしまった金のシャチホコを飾るわけにもいかず、どのように使うか検討した結果、金のシャチホコは茶釜として生まれ変わることになりました。

*皆様は「名古屋城」に行かれたことありますか?「尾張名古屋は城で持つ」。シャチホコ、立派ですよね?

最後に「ショートケーキの日」について。

なぜ毎月22日が「ショートケーキの日」なのかというと、カレンダーで22日の上には必ず15日がくることが由来となっています。
いますぐにカレンダーを確認して頂ければわかりますが、どの月でも必ず22日の上には15日があり、つまり「15(いちご)」が乗っているからショートケーキの日なんですね。
「ショートケーキの日」については仙台にある洋菓子店のカウベルによって2007(平成19)年に制定された記念日となります。
ショートケーキは日本ではスポンジケーキとして販売されていますが、これは日本人好みに改良されたものだって知っていましたか?
本来のショートケーキはビスケットを土台にして生クリームをのせて、さらにビスケットで挟み込んだケーキのことなんです。
ショートケーキの「ショート」の意味についても「短い」という意味ではなく、ビスケットを使っていることから「脆い」「砕けやすい」という意味の「ショート」なのです。
ケーキが好きだという人はぜひ毎月21日にショートケーキを買って食べてみてはいかがでしょうか?

誕生日ケーキにはその人の年齢の数だけろうそくを立てて吹き消しますよね。
しかし、そもそもなぜ誕生日に食べるケーキにはいつもろうそくが乗っかっているのか知っていますか?
実はろうそくを立てるようになった由来はとても古く、古代ギリシャ時代から始まったとされています。
当時は月の女神である「アルテミス」の誕生日をお祝いする時に、現在のケーキのようなものを焼いて、アルテミスの神殿にお供えをしていました。
そして、月の明かりに見立てて細長いろうそくを立てて火を灯していたことが、現在の誕生日ケーキのろうそくの由来となっています。
ろうそくの煙が天へと昇っていけば、天にいる神様に願いが届くとも考えられていたのです。
元々は年齢と同じだけのろうそくを立てる習わしはありませんでしたが、19世紀末になるとアメリカの風習として年齢の数だけろうそくを立てるようになりました。
ろうそくの火を消す時には願い事を込めて火を吹き消すようにしています。

続いてウェディングケーキが3段である理由についてです。
現在ではウェディングケーキにも様々なタイプのものがありますが、やはり定番は3段のウェディングケーキですよね。
ウェディングケーキについても古代ギリシャの風習が現在に伝わったとされています。
古代ギリシャでは花嫁の頭の上に固めに焼いたビスケットのようなものをまいていました。
そして参列者はビスケットのかけらを拾う事によって、新たに夫婦になる二人の幸せをわけてもらっていたんです。
その後、18世紀にはイギリスの菓子職人によって3段にウェディングケーキが焼かれるようになりました。
イギリスの風習では1段目は参列者へと配られ、2段目は欠席者へと配るために残し、3段目は将来の自分の子供たちのために残しておくものとされていました。
そのウェディングケーキが日本にも伝わり、日本でも3段のウェディングケーキが主流となっていったのでした、

*皆様は日ごろ「ケーキ」を召し上がりますか?今は夏ですから「アイスクリーム」が主流でしょうか?

本日もよろしくお願いいたします。

★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!

https://higashiyamarintaro.net/

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