12月25日水曜日
皆様、メリークリスマス!!素敵なクリスマスデーをお過ごしですか?僕は一人執筆です……。
今日は「クリスマス」「昭和改元の日」「スケートの日」です。
まず「クリスマス」から。
なぜ12月25日が「クリスマス」なのかというと、12月25日がイエス・キリストが生まれた日であるということが由来となっています。
しかし、実際はキリストが12月25日に生まれたという確証はなく、昔はキリスト教の各宗派ではそれぞれで日付を定めてキリストの生誕を祝っていたそうです。
4世紀になって教皇ユリウス1世が「イエスの生誕の日は12月25日」と定めたことで、12月25日 が「クリスマス」として広まっていくこととなりました。
冬至の時期には異教の祭りが重なっていることから、キリスト教側が布教拡大を狙ってこの日をキリスト生誕の日としたとされています。
日本でクリスマスが祝われるようになったのは西洋文化が日本に入り始めた明治時代のことだったとされています。
日本初のクリスマスパーティーを行ったのは1875(明治8)年に原胤昭が設立した原女学校だったそうです。
その年に開かれたクリスマスパーティーでは日本で初めてのサンタクロースも登場したそうで、この時に登場したサンタクロースの格好は、袴に大小の刀を指して鬘をかぶった日本風の装いをしていたとされています。
クリスマスは意外と古くから日本の風習として根付いていたんですね。
サンタクロースはトナカイが引くソリに乗って空を飛び、クリスマスプレゼントを配っているイメージがありますよね。
しかし、犬ぞりというものもありますし、たくさんのプレゼントと人間を乗せたソリを引くのであれば馬などがいますし、なぜトナカイが抜擢されたのかは少し不思議ですよね。
実はトナカイがソリを引く役として抜擢されたのにはサンタクロースの出身地が関係しているんです。
サンタクロースは北欧に住んでいるとされていて、北欧にはサミー人というトナカイと一緒に生 活をしている遊牧民族がいます。
これがサンタクロースのイメージと結びついてソリを引くのにトナカイが抜擢されたとされています。
ちなみに、ソリを引くトナカイは9匹いてそれぞれに名前があります。
トナカイのそれぞれの名前は「ルドルフ」「ダッシャー」「ダンサー」「プランサー」「ヴィクゼン」「コメット」「キュープッド」「ドナー」「ブリッツェン」となっていて、「ルドルフ」については赤鼻のトナカイとしても有名です。
クリスマスの掛け声といえば「メリークリスマス!」ですよね。
しかし、いまいち「メリークリスマス」という言葉の意味をわかっていないという人も多いのではないでしょうか。
「メリー」については英語で「Merry」と書き、意味は「楽しい」や「陽気な」のようになっています。
つまり、「良いクリスマスを過ごせますように!」と言ってくれているということですね。
日本でも年末に「良いお年を!」と言いますが、それのクリスマバージョンと考えればわかりやすいかと思います。
*「クリスマス」ですね!皆様は今日一日どのように過ごされるのでしょうか?
次に「昭和改元の日」について。
なぜ12月25日が「昭和改元の日」なのかというと、1926年12月25日に大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が践祚したことが由来となっています。
実は大正時代についても次の元号がどのような名称になるのか注目が集まり、「次の元号は光文になる」という情報が先に流れてしまう事態が発生しました。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)では、早くから次の元号が光文になるという情報を得ていたことから、政府の公表よりも先に「次の元号は光文」と報じました。
しかし、東京日日新聞の予想に反して、政府は次の元号が「昭和」と発表したため、結果的に東京日日新聞は大誤報を流布する結果となりました。
そして、当時の東京日日新聞の編輯主幹である木戸元亮は、この事態の責任をとって辞任することになったのです。
実際に「光文」という元号は新元号候補として挙がっていたそうですが、東京日日新聞が誤報を流した時点ではすでに「昭和」と決定していたそうです。
平成には「ユーチューバー」という職業が新たに誕生したように、昭和時代にも珍しい職業がたくさんありました。
現代では全く見かけることがなくなりましたが、昭和時代には「サンドイッチマン」と呼ばれる職業があったのです。
テレビで活躍されている芸人さんを想像された方が多いかと思いますが、お笑い芸人ではありません。
サンドイッチマンとは「広告看板を体の前と後ろに括り付けて、街中を歩く」という職業なのです。
遡ればサンドイッチマンは明治時代からあった職業だとされており、昭和時代までは当たり前に存在していたそうです。
現在ではインターネットやテレビ、看板など広告を出せる場所も増えたため、サンドイッチマンという職業が絶滅してしまったんですね。
続いて、電話口で使う「もしもし」という言葉が誕生するきっかけとなった職業についてです。
「もしもし」についても昭和時代まで存在していた職業で使われていた言葉でした。
その職業は「電話交換手」という職業です。
現在では相手の電話番号を入力することで、当たり前のように電話が掛けられるようになっていますよね。
しかし、昔は電話をかけても直接相手へつながるわけではなく、一度「電話交換手」に経由する必要がありました。
受話器を上げると電話交換手につながり、そこで相手の電話番号を伝えることで、電話交換手が電話を繋いでくれていたんですね。
そして、電話交換手が応答する際に「申し上げます、申し上げます」という言葉を使っていたのが省略され「もしもし」になったとされています。
*いつも不思議に思うのですが「何か重要なことを決める」際に「有識者」という言葉が出てきますが「有識者」って何なのですかね?
最後に「スケートの日」について。
なぜ12月25日が「スケートの日」なのかというと、1861(文久元)年12月25日に函館に滞在していたイギリスの探検家トーマス・ライト・ブラキストンが、日本で初めてスケートをしたことが由来となっています。
「スケートの日」については日本スケート場協会によって1982(昭和57)年に制定された記念日となります。
実は1861年よりも前にスケートをしたとされている説も残っていて、1792(寛政4)年にロシアの使節ラクスマン一行が根室で一冬を過ごした時に、結氷した根室湾内で滑ったのが日本初であるとする説も存在しています。
スケートは西洋風のイメージが強いため、江戸時代の時点で既に日本にスケートがあったというのはとても意外ですよね。
また、1877年にも札幌農学校に教師として赴任していたアメリカ人であるブルックスによってスケートが紹介されたのが日本初という説も残っていて、日本で初めてスケートが滑られたのかははっきりしていないそうです。
その後、日本で競技としてスケートが始まったのは1909年のことであり、長野県の諏訪湖で日本で最初のスピードスケートの大会が開催されました。
現在では冬の花形競技となっているフィギュアスケートについても、1922年には日本初の大会が開かれているそうです。
スピードスケートに関しては速さを競うものであることから「スピードスケート」という競技名に違和感はありませんよね。
しかし、フィギュアスケートに関してはなぜ「フィギュア」という単語が使われるのかが不思議です。
人形のような奇麗な格好で滑ることから「フィギュアスケート」だと考えている人も多いかと思いますが、実は違います。
そもそも昔のフィギュアスケートは現在と全く違うルールの競技であったため、そのことが由来となっているのです。
フィギュアスケートは元々は華麗に踊るスポーツなのではなく、氷のリンクの上にどれだけ奇麗に図形を描くことが出来るかを競うスポーツだったのです。
そのため、「図形」という意味から「フィギュア」という言葉が採用されたのですが、いつしか踊りを取り入れるようになって、現在のようなスポーツへと変化していったのでした。
スケートには主にスピードスケートとフィギュアスケートという競技がありますが、実は競技によって氷の温度を変えているって知っていましたか?
なんと、スピードスケートとフィギュアスケートのリンクでは氷の温度が2度も違っているそうなんです。
なぜ氷の温度を調整しているのかというと、競技によって使われるスケート靴が違うからなんですね。
スピードスケートで使われるスケート靴の刃は、速く滑るために刃が鋭く氷との摩擦がなるべく少なくなるようになっています。
そのため、氷についてもスケート靴との摩擦を極力少なくするようにするため、マイナス5度ぐらいの硬い氷にしているそうです。
逆にフィギュアスケートの靴は氷に噛みやすいような刃になっているため、氷も刃が噛み合いやすいように柔らかめのマイナス3度ぐらいに調節しているのでした。
*皆様は「スケート」をなさいますか?都内の場合「リンク」そのものがあまりないですらね。
本日「クリスマス」もよろしくお願いいたします。
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