立春・のり巻きの日・絵手紙の日「今日は何の日・2月3日」

2月3日月曜日

皆様おはようございます。体調はGOODですか?うがい、手洗い、消毒を欠かさずになさっていますか?

今日は「立春」「のり巻きの日」「絵手紙の日」です。

まず「立春」から。

2025年の立春は2月3日となります。
節分を季節の変わり目として、その翌日に立春を迎えます。
「立春」と書くと、ようやく春が始まるんだなーという感じがして、なんだかワクワクしてしまいますよね!
「立春」の意味とは、読んで字のごとく「春が立つ」という意味となり、冬の寒さがピークとなり、徐々に春へと向かっていく春の節目ということになります。
寒さがピークになって今後は今よりは暖かくなっていくという意味になりますので、逆に考えれば立春のシーズンは1年を通して最も寒い時期ともいえますね!
季節の変わり目である立春ですが、もちろん「立春、立夏、立秋、立冬」と4つの季節の変わり目があります。
昔はこの季節の変わり目の前日が全て節分となっており、1年に4回も節分があったんですよね!
その中でも立春は特別で、春から新しい1年が始まるとされていたため、現在でいうところの「元旦」、節分については「大晦日」と考えられていました。
そして、新しい年を迎えるのにあたって、その一年がいい年となるように願いを込めて「立春大吉」という書き初めを行ないました。
これは禅宗寺からきている慣習となります。
ちなみに「立春大吉」は左右対称の文字となっており、前から見ても後ろから見てもちゃんと「立春大吉」という文字が読めるようになっています。

冒頭で「2025年の立春は2月3日」と書きましたが、普通に考えれば節分が2月3日で立春が2月4日なんじゃないの?と思いませんでしたか?
しかし、実は毎年同じ日付に決まっている訳ではありません。
今後は節分が2月2日や2月4日になったり、それにあわせて立春も2月3日や2月5日になったりします。
なんだかクリスマスの日付が変わりますよ!って言われるような衝撃ですよね!

節分や立春の日付は「二十四節気」によって決まっています。
二十四節気は「立春」のように、365日を24の季節で表します。
二十四節気の代表的なものとして「夏至」「冬至」などが挙げられ、この2つも節気も年によって変わってきますよね!
この二十四節気は地球と太陽の位置関係によって決まります。
太陽は黄道をという道を通り、約1年という時間をかけて地球を1周していきます。
この1周(360度)を24等分した点に季節の名前を割り当てて二十四節気を決定します。
しかし、地球の1年は365日なので正確に24分割できずに毎年ズレがでてきます。
そのため、二十四節気はその年によって違う日に割り当てられるんですね。
もちろん立春も例外ではなく、今年は2月4日が立春となり、節分はその前日である2月3日となります。
ちなみに、2月3日が節分だった時期は1985年から2020年まで35年間と長かったため、日付は最初から決まっているという勘違いを生みました。

◆立春とは

立春りっしゅんとは二十四節気にじゅうしせっきの1つで、「春の始まり」を意味します。「立」は中国語で「始まる」という意味です。太陽の位置を表す黄経で315度の時を言い、新暦では2月4日~5日頃で年によって変わりますす。日本ではまだ厳しい寒さのまっただなか。寒中見舞いの葉書も立春の前日までは出すことができます。

◆立春は二十四節気の1つ

二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。

二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至げし、1年で最も昼の短い日を冬至とうじ、昼と夜の長さが同じ日を春分しゅんぶん秋分しゅうぶんとし、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分にしにぶん」と呼ばれています。

この二至二分が二十四節気を決めるうえでの基準となっています。

立春はこの冬至と春分のちょうど中間の日で、暦の上ではこの日から春が始まります。

春の節気は立春りっしゅん雨水うすい啓蟄けいちつ春分しゅんぶん清明せいめい穀雨こくうとなっており、立春は春の最初の節気です。

また、立春りっしゅん立夏りっか立秋りっしゅう立冬りっとうの4つを「四立しりゅう」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっており、二至二分と四立を合わせて「八節はっせつ」と言います。

◆2025年の立春はいつ?

二十四節気のそれぞれの節気には、その日1日を意味する場合と、次の節気までの期間を意味する場合があります。

2025年の立春であれば、以下のようになります。

・日付としての2025年の立春は2月3日。

・期間としての2025年の立春は2月3日~2月17日まで。

◆立春と旧暦・旧正月・春節との違い

立春は時期的に旧暦の旧正月と近く混同されがちですが、立春と旧正月は別物です。一方、旧正月と春節は同じ日を意味します。

立春は二十四節気の一つで、地球と太陽の位置関係を元に決められています。一方旧暦は月の満ち欠けを基準として閏月うるうづきで補正を掛けた暦です。

二十四節気と旧暦の簡単な違いは以下のようになります。

二十四節気…純粋に太陽の位置による暦。農作業用に作られた。1年で最も昼の長い日を夏至、最も昼の短い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分・秋分とし、この4つを基準として1年を24分割した。

旧暦…太陰太陽暦。この「太陰」というのは月のことで、月の運行を基準にしている。ただし月の満ち欠けは約29.5日で1周するので、29日の月と30日の月を交互に入れた場合、1年を12か月とすると約354日になってしまい、そのままだと毎年実際の季節とずれが生じる。そのため閏月を入れて1年の季節感を調整している。月の運行を基準としながらも、この調整があるものを「太陰太陽暦」と言う。

また、旧正月(旧暦の1月1日)は、必ずさくと呼ばれる新月の日になるよう調整されているため、立春と旧正月が一致するのは約30年に1度となっています。

そのため、立春と旧正月は多くの年で異なっています。

旧正月より早く立春が来る年の立春は、「年内立春」と言い、

旧正月より遅く立春が来る年の立春は、「新年立春」と言います。

旧正月と立春が同日になる年の立春は、「朔旦さくたん立春」と呼ばれ、非常に縁起が良いとされています。

◆立春がまだ春と感じない理由

二十四節気は「実際の季節感とずれている」と感じることがあります。特に立春(2月上旬)、立夏(5月上旬)、立秋(8月上旬)、立冬(11月上旬)の4つの節気はそれぞれ春夏秋冬の始まりを意味しますが、「春というにはまだ早い」などと感じます。

ここではその「実際の気候とずれる理由」について解説します。

◆春夏秋冬の決め方

夏至は昼の時間の最も長い日、冬至は昼の時間の最も短い日です。

けれども夏至に最も暑くなり、冬至に最も寒くなるかというとそうではなく、実際にはそれより1~2か月ほど遅れて最も暑い日、最も寒い日がやってきます。

ただし二十四節気はこの「夏至を夏の中心」「冬至を冬の中心」そして「昼と夜の長さが同じ春分・秋分を春の中心と秋の中心」として1年を4等分し、春夏秋冬を決めました。

そのため「立春と言われてもまだまだ寒く、冬と感じる」ということが起こります。

◆二十四節気と七十二候

「二十四節気」は、古代中国で作られた農事を指導するために作られた暦で、春秋戦国時代(BC.770~BC.221)黄河流域で作られたと言われます。中国では暦として月の運行に基づいた「太陰暦」が使われていましたが、これですと実際の季節とズレが生まれてしまうため、太陽の運行の軌跡を24等分した「二十四節気」や、それをさらに約5日ごとに分割した「七十二候しちじゅうにこう」が作られました。このようにして季節の変化をきめ細かくとらえて農事に生かしたのです。

この「二十四節気」は日本では平安時代に取り入れられました。日本と中国とでは位置も気候も異なり、中国の二十四節気は必ずしもすべてが日本の気候に合うものではありませんでしたが、私たちの生活に根付き、大多数の日本人が農業とは無縁になった現代でもテレビのニュースなどで「今日から立春です」などと使われています。

1年には春夏秋冬4つの季節がありますが、古代中国人はそれをさらに24の「節気」に分けました。1年を24に分けるならそれぞれ約15日、その節気にはまたそれぞれ3つの「候」を設け、3×24で72候、約5日で1つの候としてそれぞれの候にその季節の特徴を表す言葉をつけました。

日本は平安時代からこの二十四節気を暦の中に取り入れましたが、これだけでは日本の気候の説明には足りないので、「雑節」というものを設けました。雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日などがあります。

さらに「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えました。現在使われている日本の七十二候はこれが元になっており、上の図に書かれているのもこの七十二候です。

なお2016年に中国の「二十四節気」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。

◆立春の七十二候(日本)

春と言うより春の気配を感じる頃のことで、この頃からだんだん暖かくなっていきます。

立春に含まれる七十二候は以下のようになります。

立春の七十二候
内容 時期
初候 東風はるかぜこおり 2月4日頃

2月8日頃
次候 黄鶯睍うぐいす 2月9日頃

2月13日頃
末候 うおこおりのぼ 2月14日頃

2月18日頃

漢字が並んでいると、一見難しそうですが、意味がわかれば具体的に季節のありようを伝えていることがわかります。春風が吹いて川などの氷が解け出し、ウグイスがホーホケキョと鳴き始め、湖に張った氷が薄くなって、そこから魚が飛び跳ねている、という情景です。

初候の「東風」とは「春風」のことです。陰陽五行思想で春は東を司(つかさど)るので東風と言います。「東風」は「こち」とも読みますね。平安時代の政治家で文人の菅原道真が偽りの告げ口によって九州の太宰府に流されるのですが、京の都を離れる前「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」(春風が吹いたら太宰府まで匂いを届けておくれ、梅の花よ。あるじがいなくなったからと言って咲くのを忘れてはいけないよ)と歌っています。ちなみに受験の時お参りするとご利益があるという「天神様」はこの菅原道真を祀っています。

◆立春と雑節

さて「立春」は一年の始まりですから、日本の暦で言う「八十八夜」(はちじゅうはちや)とか「二百十日」(にひゃくとおか)というのは、いずれも立春から数えた日にちを言います。

「八十八夜」は「せっせっせーのよいよいよい」で始まる茶摘み歌でよく知られていますね。立春から88日目のこの日は5月2日ごろ、農家にとってはとても大事な日で、この日イネの苗代(なわしろ…イネの苗を作る場所)を作ったり作物の種まきをしました。またこの日に摘んだ茶の葉は品質が良いと言われています。農作業だけでなく、瀬戸内海では豊漁期に入る目安にもされていました。「八十八夜」は二十四節気にはなく、日本だけの節気で「雑節」と呼ばれます。雑節にはほかに「二百十日」(にひゃくとおか…9月1日ごろで、台風の多い日と言われている)・「入梅」・「土用」・「彼岸」などがあり、「節分」もこの雑節に入ります。

◆立春の行事

◎節分

豆まきで知られる「節分」とは何なんでしょうか。

「立春・立夏・立秋・立冬」は「四立」と言い、二十四節気の中でもその季節の始まりとして特に重要な日とされてきました。

節分はこの「立春・立夏・立秋・立冬」、すなわち春夏秋冬が始まる日の前日のことです。江戸時代から「節分」と言えば立春の前日の節分を指すようになったと言われます。

そのため豆まきをする節分は「立春」の1つ前、「大寒」の最終日に行われる行事です。

◎立春大吉

立春大吉とは禅宗のお寺の習慣で、「立春大吉」と書いた紙を門に貼り、春の訪れを祝います。

◎若水

年の初めにくんだ水を「若水」と言い、かつてはこの水をまずは神だなにお供えし、それから食事の支度などに使いました。またこれで入れたお茶を「福茶」と言い、煎茶やほうじ茶に昆布や小梅を入れて飲みます。

◆立春の「旬の食べ物・季節の料理」

◎いよかん

いよかんは伊与国(愛媛県)で栽培されていたことから名付けられました。現在でも愛媛県を中心に栽培され、立春の頃に旬を迎えます。

◎ポンカン

ポンカンも愛媛県で最も生産され、旬の時期もいよかんと同じく立春の頃です。

◎フキノトウ

フキノトウは立春の頃に採れる山菜として知られ、花が開く前のつぼみを味噌などと食べるのがおいしいと言われています。

◆立春の「季節の花」

◎福寿草(フクジュソウ)

福寿草は立春・旧正月の頃に咲くため、縁起が良いということから名付けられました。別名元日草(ガンジツソウ)と言います。

開花時期:2月上旬~3月下旬。

◎黄梅(オウバイ)

黄梅は中国語では迎春花と呼ばれ、旧正月を迎える花として人気があります。

開花時期:1月上旬~3月下旬。

◎ツバキ

ツバキとサザンカは似ていますが、ツバキのほうが遅く咲きます。

開花時期:1月中旬~4月下旬。

◎プリムラ

プリムラは早春を伝える花と言われています。

開花時期:12月~4月。

◎梅

立春の頃より梅が咲き始め、春の訪れが感じられます。

開花時期:1月下旬~4月上旬。

次に「のり巻きの日」について。

2月3日の「のり巻きの日」は1987年(昭和62年)に、海苔業者によって制定されました。
制定されたのが1987年だったというだけで、2月2日(今年)の節分にのり巻き寿司を食べるという風習はかなり昔からありました。
それが現在の恵方巻きの由来になっているんですね!

恵方巻きをその年の恵方を向いて食べると縁起が良いとされているのは皆さんもご存じですよね!
それでは、どうして縁起が良いのでしょうか?
そもそも恵方巻きの「恵方」とは、陰陽道を用いてその年の干支により定められた最も良いとされる方角の事を指します。
恵方には歳徳神と呼ばれる神様がいるため、その方角は縁起が良いとされています。

歳徳神は陰陽家が正月にまつるとっても偉い神様のことです。
恵方を向いて食べるのり巻きである事から「恵方巻き」という名前になったことは言うまでもありません。
恵方巻きは恵方を向き、願いごとを心の中で唱えながら無言で食べることにより、縁起を担いで願い事を叶えるという意味があります。
また、恵方巻きを1本丸ごと食べきることには「縁を切らない」という意味が込められています。
ちなみに、
2025年の恵方は西南西となっています。

恵方巻きが初めて食べられるようになったのは、江戸時代から明治時代にかけてとされています。
当時は大阪の花街で節分をお祝いしたり、商売繁盛を祈るために恵方巻きが食べられていました。
今ではすっかりと「恵方巻き」という名前で定着していますが、当時は「恵方巻き」という名前ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」という名前で呼ばれていました。
しかし、正確にいつごろから始まった風習であるかはわかっておらず、正確な文献なども残されていないようです。
ちなみに、恵方巻きの具材は七福神と関係しており、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊、に見立てた具材を食べることにより福がくるともされています。

節分に恵方巻きを食べる事が一般的になったのは1989年以降のことでした。
大手コンビニエンスストアであるセブンイレブンが「縁起のいい風習」だと謳って発売したところ、これが大ヒットすることとなりました。
それから各種メディアなどで取り上げられるようになり、現在のように一般家庭に根付いていくこととなりました。
ちなみに「恵方巻き」とはセブンイレブンが発売したのり巻きの名前であって、それまでは「丸かぶり寿司」や「節分巻き寿司」といった名前で呼ぶのが一般的でした。
今では「恵方巻き」以外の呼び方は全く見かけなくなるほど、「節分は恵方巻き」という地位を確立しましたね!

途中で説明した通り、節分に恵方巻き食べるという風習の原型となる行事は江戸時代の頃から行なわれていました。
その後は大正時代に「節分の日に丸かぶり」という、恵方巻きを匂わせるチラシが存在していますが、一般家庭にはまだまだ根付きませんでした。
戦時中の間には恵方巻きはあまり食べられていなかったそうですが、1949年に「土曜の丑の日のうなぎ」に対抗するために一時的に「節分の恵方巻き」は復活しました。
更には1977年に大阪・道頓堀の海苔祭りのイベントとして「巻き寿司丸かぶり早食い競争」などが開催されましたが、全国に広まるまでには至りませんでした。
また、1982年には既にファミリーマートが節分に食べる巻き寿司として紹介していましたが、それも定着するのには至りませんでした。
このように、恵方巻きが当たり前のように食べられるようにるまでに、長い歴史の中で流行り廃れを繰り返していた事がわかります。

*恵方巻きはもともとは「関西ののり巻き業者が売り上げをあげるために『節分』に便乗した行事」だったのが、前述したように東京のコンビニが近年、真似しただけなのですけどね。やはり「豆をまく」方がいいと筆者は思います。食べるのは自由ですが。ちなみに今年の食べる方角は「西南西」だそうです。

最後に「絵手紙の日」について。

なぜ2月3日が「絵手紙の日」なのかというと、2月3日という日付が「ふ(2)み(3)」という語呂合わせであることが由来となっています。
「絵手紙の日」については日本絵手紙協会によって制定された記念日となっています。
この記念日を制定することによって、絵手紙を描いて送ることを世界中に呼びかけるということが目的となっています。
最近ではインターネットやスマートフォンが普及したことにより、SNSなどでコミュニケーションをとるのが当たり前の時代となりましたよね。
そのため、手紙をはじめとして年賀状など紙媒体で他の人とのやり取りをする機会が急速に失われてしまいました。
絵手紙はその季節を感じさせるものであり、書き手の感性であったり、人柄などが伝わってくることが魅力の一つとなっています。
長い間、疎遠になっている友人であったり、家族などに絵手紙を送ると喜ばれますし、「絵手紙の日」をきっかけにしてぜひ絵手紙に挑戦してみてくださいね。

郵便マークといえば「〒」というマークですが、このマークについても由来があるのをご存じですか?
実は最初から「〒」というマークが採用されていたわけではなく、最初は「T」というマークが郵便マークだったのです。
現在では郵便局は民営化されていますが、Tマークが使われていた当時の郵便は逓信省の管轄でした。
そして、逓信省(ていしんしょう)の頭文字からとって、Tが郵便マークとして採用されたのです。
しかし、海外ではTというマークが郵便料金の不足を意味するマークだということがわかり、郵便マークの変更を余儀なくされました。
そこで考えられたのが「〒」というマークであり、このマークはテイシンショウの「テ」というカタカナが由来となって誕生したんですね。
ちなみに、Tマークが採用されていたのは最初の11日間だけであり、11日後には現在と同じ〒マークが使われるようになったのでした。

世界で最も短い内容の手紙のやり取りは、「?」に対して「!」と返信するというものでした。
この意味のわからない手紙のやり取りについては、「レ・ミゼラブル」の著者である小説家のヴィクトル・ユーゴーによって行なわれたものです。
「レ・ミゼラブル」が出版されたのは1862年のことであり、出版後には海外旅行へと出かけていました。
ヴィクトル・ユーゴーは海外旅行中でも自分が出版した本の売れ行きが気になってしまい、出版社に対して手紙を書きました。
その出版社に対して宛てられた手紙の内容が「?」であり、これは「本の売れ行きはどうですか?」という意味だったんですね。
そして、出版社からの返信の「!」が、「売れ行きは順調です!」を省略した「!」だったのです。

*皆様は「手紙」書いていますか?僕は「年間3千通」出します。手紙もたまにはいいですよ。しかし切手が高価すぎ!

今週もよろしくお願いいたします。

★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!

https://higashiyamarintaro.net/

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