プロレスの日・天地の日・万国郵便連合加盟記念日「今日は何の日・2月19日」

2月19日水曜日

皆様おはようございます。体調はGOODですか?うがい、手洗い、消毒は欠かさずおこなっていますか?

今日は「プロレスの日」「天地の日」「万国郵便連合加盟記念日」です。

まず「プロレスの日」から。

2月19日がなぜプロレスの日なのかというと、1954(昭和29)年2月19日に蔵前国技館で、日本で初めてプロレスの本格的な国際試合が行なわれたことに由来しています。
日本で最初に行なわれたのは力道山・木村×シャープ兄弟の試合でした。
力道山は日本プロレス協会(JWA Japan Pro-Wrestling Alliance)設立者となります。
そんな力道山といえば元々はプロレスの選手ではなく相撲の選手だったって知っていましたか?
力道山という名前を聞くと、どことなく力士っぽい名前に聞こえますよね!
当時は日本テレビやNHKによる同時中継が行われましたが、NHKも日本テレビも放送を開始して間もなかったため、そもそも日本にテレビという文化はほぼ定着していませんでした。
当時のテレビはとても高級品で一般家庭で買えるものではありませんでした。
そのため、駅前広場にある「街頭テレビ」に人が集まって皆で試合を見ていたそうです。
プロレスの人気は凄まじいもので、1963(昭和38)年5月24日の日本テレビで放送された「WWA世界選手権 ザ・デストロイヤー対力道山」は驚異の64.0%という視聴率を達成しました。
現在では絶対に考えられない数字ですよね・・・

今でも語り継がれる伝説のプロレスラーであるジャイアント馬場氏。
ジャイアンと馬場の代名詞といえば、誰もが知っている大迫力の16文キックですよね!
16文といえば約38.4cmあるので、その足の大きさと破壊力がどれほどだったのか、蹴られた人にしかわかりません。
しかし、実はジャイアント馬場の足は16文も無かったってご存じですか?
アメリカ遠征の際に購入した靴に、アメリカの規格で「16」と書かれていたため、それを見たマスコミが16文と勘違いし、そのまま16文として定着することとなったのです。
ちなみに、アメリカ規格で「16」は約34cmとなります。

アントニオ猪木の入場曲で「炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~」という曲がありますよね!
曲中に「イノキ!ボンバイエ!」という歌詞がありますが、「ボンバイエ」には意味があるのをご存じですか?
この「ボンバイエ!」はリンガラ語(アフリカの言語)で「やっちまえ!」という意味があるそうです。
元々はモハメド・アリの応援歌として使われていた曲ですが、アントニオ猪木と対戦した時にモハメド・アリがアントニオ猪木にこの曲を送ったとされています。

*昔、僕が小学生の頃はゴールデンタイムに「プロレス中継」がありました。皆様は「プロレス」お好きですか?

次に「天地の日」について。

なぜ2月19日が「天地の日」なのかというと、1473年2月19日がポーランドの天文学者であるコペルニクスの誕生日であることが由来となっています。
コペルニクスといえば「地動説」を提唱した人物として有名です。
現在では天が動いているのではなく、地球が移動していることが当たり前となっていますよね。
しかし、1543年にコペルニクスが地動説を唱えるまでは、2世紀頃のギリシャの天文学者である「プトレマイオス」が唱えた「天動説」が主流だったのです。
「天動説」は地球を中心として周囲の星が動いているという考え方であり、宗教的な意味合いも含めて「地動説」は否定的に捉えられていました。
もちろんコペルニクスが地動説を提唱する前から地球が移動していると考える人もいましたが、地球が太陽の周囲を公転している事を論理的に最初に唱えたのがコペルニクスだったのです。
コペルニクスが地動説を提唱した際には地動説を決定づける証拠がなく否定的な意見もたくさんありましたが、後の天文学者が地動説を証明するのに多大な影響を与えることになりました。

世界一高い山といえばエベレストが有名ですよね。
その標高はなんと今日現在では8848メートルとされていて、登頂するのは当然ですが命掛けになります。
現在の8848メートルという標高でさえかなり高く感じますが、実は昔のエベレストの標高は今よりもずっと高かったとされているんです。
エベレストはインド大陸がユーラシア大陸とぶつかる事によって生まれた山ですが、当時の標高はなんと1万5000メートルもあったのです。
しかし、2000万年前に地殻変動が起こり、地層がかなりズレた影響で現在のエベレストの標高になったのでした。
仮にいまだに標高が1万5000メートルのままだったとしたら、登頂に成功する人は一人も誕生しなかったかもしれません。

皆さんも人生で一度は経験したこことがあるはずですが、寒い日に息を吐くと当然ですが白くなりますよね。
特に北海道などの寒い地域では、冬でも特に寒い日に息を吐くと真っ白になります。
それではさらに極寒の地である南極では息を吐くとどうなると思いますか?
実は南極では逆に息を吐いても白くならないんです。
普通は口から吐いた息に含まれる水蒸気が、空気中の塵や埃などとくっついて凍ることによって息が白く見えています。
しかし、南極は空気が澄んで綺麗すぎて、塵や埃などと吐いた息の水蒸気がくっつくことが出来ないため、息が白くならないといわれているんですね。

*僕は1つだけわからないことがあるのです。なぜ冬に山、しかも高山を登りたくなる人がいるのですかね?僕の親父の部下が冬に遭難したのでより一層、そう思います。

最後に「万国郵便連合加盟記念日」について。

なぜ2⽉19⽇が「万国郵便連合加盟記念⽇」なのかというと、1877年2⽉19⽇に⽇本が郵便の国際機関・万国郵便連合(UPU)に加盟したことが由来となっています。
万国郵便連合とは国際郵便制度をつかさどる、国際連合の専⾨機関の中でも最も古いものの⼀つなんです。
なんと万国郵便連合が設⽴されたのは1874年10⽉9⽇のことであり、現在でもスイス・ベルンに本部を置き、加盟国間の郵便業務を調整しています。
⽇本は万国郵便連合に独⽴国としては世界で23番⽬に加盟し、アジアでは最初に加盟した国でした。
その後、第⼆次世界⼤戦などの影響により⼀度は万国郵便連合から脱退していた⽇本でしたが、1948年6⽉1⽇には再加盟することになりました。
普段はあまり万国郵便連合の恩恵を感じないかもしれませんが、万国郵便連合が郵便業務の調整を⾏っていることから、地球上のほぼすべての地域から、固定料⾦に近い形で郵便物が送れるようになっています。
2018年10⽉にはアメリカが万国郵便連合から脱退することを表明したことから波紋を呼び、2019年現在も脱退については協議中となっています。

⽇本では江⼾時代までは⾶脚と呼ばれる⼈たちが荷物を運んでいましたが、明治時代になってようやく郵便というシステムが誕⽣しました。
そして、当時の郵便配達員は現在では考えられませんが、なんと拳銃を所持して郵便を配達していたのです。
⾮常に物騒なお話ですが、現在でこそ治安の良い⽇本ですが、当時の⽇本はお世辞にも治安の良い国とは呼べませんでした。
そのため、郵便物を狙った強盗事件が多発し、郵便配達員も⾃衛の⼿段を持たねばならず、拳銃の所持が許可されていたんですね。
それから昭和24年を迎えるまでは、郵便配達員はそれぞれ「郵便保護銃」と呼ばれる銃を所持しながら配達を⾏っていました。
命がけの職業といえば警察や消防⼠を思い浮かべるかもしれませんが、当時は郵便配達員も命がけの危険な職業だったのです。

明治時代に⼊ってから郵便という制度が始まったため、主要都市を中⼼として郵便ポストが配置されるようになりました。
郵便ポストといえば⾚⾊のものをイメージするかもしれませんが、なんと当時の郵便ポストは⿊かったそうなんです。
最初はただの⽊製の四⾓い箱だったものが、郵便需要が⾼まった影響から、鉄板などを⽤いて強度を上げて、外⾒も⿊いペンキを使って塗装するようになりました。
そして、この⿊いポストについては登場以来30年間使⽤されていたそうです。
なぜ現在のような⾚いポストになったのかというと、⿊いポストでは夜間に⾒づらいからだったんですね。
当時は現在の⽇本のようにどこでも電気がついていて明るいわけではなかったため、⿊いポストは夜になると極端に⾒づらくなってしまったのです。

*皆様は最近「郵便」を使いましたか?郵便も宅配に負けずと頑張っていますが、やはりいまだに「お役所体質」は変わっていませんね。

本日もよろしくお願いいたします。

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