4月20日日曜日
皆様おはようございます。あっという間に20日ですね!毎日、充実していますか?
今日は「穀雨」「女子大の日」「郵政記念日」「青年海外協力隊の日」です。
あまり聞いたことがないと思いますが「穀雨」の読み方は「こくう」であり、二十四節気の一つとなります。
二十四節気は1年を24等分した季節だと思っていただければわかりやすいかと思います。
春夏秋冬が四季ならば、二十四節気は二十四に分かれた季節を表しています。
次の二十四節気が「立夏」となりますがそれまでの期間を「穀雨」と呼びます。
「穀雨」の意味は「穀物を育んでくれる春の雨」となります。
この意味からわかる通り、一つ前の二十四節気である「清明」が晴れて穏やかだったのに対して、「穀雨」の期間からは少しずつ雨量が増えてきます。
「穀雨」から雨量が増えるという事で、準備を整えて農作業を始めるのにはちょうどいい季節であり、この時期に植えられた穀物が育つような雨に恵まれる季節となります。
また、「穀雨」の時期に振る雨は今後の農作物の良し悪しを決めるぐらい重要なものであり、五穀豊穣をもたらす恵みの雨だと考えられています。
「清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」という言葉もあるそうで、この時期には暖房や冬服は一切いらなくなる季節とも言われています。
「穀雨」が終わり「立夏」を迎えるころには「八十八夜」が訪れて、暦上では春から夏へと季節が移り変わります。
二十四節気を更に細かく3つに分けたものに「七十二候」と呼ばれるものがあります。
季節を更に細分化して72の季節を表現するのに使用されます。
穀雨のシーズンは雨量が増える季節であり、穀物や植物が良く育つことから、以下の意味をもった「七十二候」が穀雨の時期に訪れます。
◆葭始生(あしはじめてしょうず)
穀雨の初候は「葭始生(あしはじめてしょうず)」となっています。
意味は「葦(あし)が芽を吹き始めるころ」となります。
◆霜止出苗(しもやんでなえいづる)
初候の次は次候といい、穀雨の次候は「霜止出苗(しもやんでなえいづる)」となります。
意味は「霜がなくなり、稲の苗が育ち始めるころ」となります。
◆牡丹華(ぼたんはなさく)
最後に迎える「七十二候」は「末候」と呼ばれており、穀雨の末候は「牡丹華(ぼたんはなさく)」となります。
意味は「牡丹の花が咲き始めるころ」となります。
このような意味をもった「七十二候」から、穀雨は植物が芽吹いて成長し気温も暖かくなるということがよく分かります。
*穀雨とは
穀雨を迎えると気温は急速に上昇し、寒気が訪れることはなく、雨が降る日も増えていきます。穀物を育てるには絶好の気候で「雨生百穀」(雨が百種の穀物を生じさせる)と言われ、ここから「穀雨」という言葉が生まれました。
◆穀雨は二十四節気の1つ
二十四節気とは古代中国で作られた暦で、日本では平安時代から使われています。上の図のように1年を24等分し、それぞれに名前を付けたものです。
二十四節気は太陽の運行に基づいており、1年で最も昼の長い日を夏至、1年で最も昼の短い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分・秋分とし、この4つを春・夏・秋・冬の中心として決めた暦です。この4つの節気は合わせて「二至二分」と呼ばれています。
この二至二分が二十四節気を決めるうえでの基準となっています。
立春はこの冬至と春分のちょうど中間の日で、暦の上ではこの日から春が始まります。
春の節気は立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨となっており、穀雨は春の最後の節気です。
また、立春・立夏・立秋・立冬の4つを「四立」と言い、それぞれ春夏秋冬の始まりの日として重要な節気となっており、二至二分と四立を合わせて「八節」と言います。
◆2025年の穀雨はいつ?
2025年の穀雨であれば、以下のようになります。
・日付としての2025年の穀雨は4月20日。
・期間としての2025年の穀雨は4月20日~5月5日まで。
◆春夏秋冬の決め方
けれども夏至に最も暑くなり、冬至に最も寒くなるかというとそうではなく、実際にはそれより1~2か月ほど遅れて最も暑い日、最も寒い日がやってきます。
ただし二十四節気はこの「夏至を夏の中心」「冬至を冬の中心」そして「昼と夜の長さが同じ春分・秋分を春の中心と秋の中心」として1年を4等分し、春夏秋冬を決めました。
そのため「立春と言われてもまだまだ寒く、冬と感じる」ということが起こります。
◆二十四節気と七十二候
この「二十四節気」は日本では平安時代に取り入れられました。日本と中国とでは位置も気候も異なり、中国の二十四節気は必ずしもすべてが日本の気候に合うものではありませんでしたが、私たちの生活に根付き、大多数の日本人が農業とは無縁になった現代でもテレビのニュースなどで「今日から立春です」などと使われています。
1年には春夏秋冬4つの季節がありますが、古代中国人はそれをさらに24の「節気」に分けました。1年を24に分けるならそれぞれ約15日、その節気にはまたそれぞれ3つの「候」を設け、3×24で72候、約5日で1つの候としてそれぞれの候にその季節の特徴を表す言葉をつけました。
日本は平安時代からこの二十四節気を暦の中に取り入れましたが、これだけでは日本の気候の説明には足りないので、「雑節」というものを設けました。雑節には、節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日などがあります。
さらに「七十二候」については江戸時代の天文暦学者・渋川春海が日本の気候に合わせて改訂版を出し、その後明治時代に「略本暦」が出てそれまでの「七十二候」を大幅に変えました。現在使われている日本の七十二候はこれが元になっており、上の図に書かれているのもこの七十二候です。
なお2016年に中国の「二十四節気」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
◆穀雨の七十二候(日本)
内容 | 時期 | |
---|---|---|
初候 | 葭始めて生ず | 4月20日頃 | 4月24日頃 |
次候 | 霜止んで苗出ず | 4月25日頃 | 4月29日頃 |
末候 | 牡丹華さく | 4月30日頃 | 5月4日頃 |
川辺の葦が芽吹き、霜が降りることがなくなって苗が元気に育ち始め、牡丹の花が咲き、季節は春真っ盛り、時に夏の気配を感じさせるころです。
◆八十八夜
八十八は「米」という文字になることもあって農事の吉日ですが、「八十八夜の忘れ霜」という言葉のある通りこの季節は霜害に遭うこともあり、注意喚起のための節気でもあります。またこの時期は茶摘みの季節、新茶がおいしく、八十八夜に摘んだお茶を飲むと長生きすると言われています。
◆穀雨の「旬の食べ物」
日本の草餅はヨモギから作りますが、中国でヨモギは漢方薬の材料であると同時に厄除けの植物として用いられます。
◎清見(みかん)
◎タケノコ
春から初夏にかけてはタケノコご飯のおいしい季節ですね。
◆穀雨の「季節の花」
◎藤
ゴールデンウィークのあたりで見ごろを迎えるため、各地の藤の名所は多くの人でにぎわいます。
◎チューリップ
◎レンゲソウ
◎ヤマブキ
◎ヒナゲシ(虞美人草)
次に「女子大の日」について。
なぜ4月20日が「女子大の日」なのかというと、1901年4月20日に日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学した事に由来しています。
当時は女性の立場は非常に弱いものだったため、女性が教育を受けることは有害無益であると考えられていました。
日本女子大学を創立した成瀬仁蔵は女子教育の必要性を訴えて、伊藤博文や大隈重信などの支援を受け、ようやく東京の目白の地に日本女子大学を創立させることに成功したのでした。
当時は家政学部、国文学部、英文学部といった三つの学部からなる大学でした。
日本女子大学の理念は「女子を人として教育すること」、「女子を婦人として教育すること」、「女子を国民として教育すること」であることから、それまで立場の弱かった女性の社会進出が一歩進んだ瞬間だったと言えるでしょう。
今回紹介した日本女子大学のように女子しか通うことのできないいわゆる「女子大」ってありますよね。
しかし、女子大があるのに対して男子大っていう言葉は聞いたことがありません。
理系大学で著しく男女比が偏っていて男子ばかりの大学は存在していますが、実際に男子大というものは存在していないんです。
そもそも昔は女性が教育を受けることは有害無益であると考えられていたことから、大学=男子 の教育機関だったため男子大という考え方はありませんでした。
女子大ができるまでは大学は全てが男子大だったため、わざわざ男子大としてカテゴリーを作る必要がなかったんですね。
一部の例外を除いて女子が教育を受けることが出来なかった時代から、女子も教育を受けられる時代へと変化していき、その結果「女子大」という考え方が出来たのでした。
当時は「大和撫子」や「良妻賢母」が女性の理想像とされていたため、そのような女性へと教育するために女子大が誕生したそうです。
ちなみに「男子大」というものはありませんが、東洋食品工業短期大学は2008年までは力仕事が要求されることから男子の募集しかされていませんでした。
モンキー・パンチ氏によって描かれた国民的なキャラクターであるルパン三世ですが、実は日本の東大出身だったって知っていましたか?
ルパンは東大卒のスポーツ選手などがかっこいいと思った事から「東大卒の大泥棒」という肩書き欲しさに東大を受験し、見事に合格しました。
東大の入試は皆さんも知っての通り難関のため、そんなに簡単に合格できるわけはありませんが、そこは泥棒であるルパンらしく、予め入試の問題を盗み出して予習することにより合格することが出来ました。
そして、東大に入学してからはルパンの最大のライバルである銭形警部や、マドンナ的存在である峰不二子と出会うのでした。
学生のころから知り合いだったとは意外ですよね。
電子医学部に通っていたルパンは「義賊部」というサークルを設立するなど大学生活を満喫していましたが、その後は卒業したのか中退したのかは描かれませんでした。
ちなみにルパン三世が通っていた東大は「東西京北大学」の略のようですが、もともとは本当の東京大学にする予定だったそうです。
*皆様は「女子大」出身ですか?少子化の為「女子大の共学化」「女子大募集終了(廃校)」がどんどん進んでいますね。
次に「郵政記念日」について。
なぜ4月20日が「郵政記念日」なのかというと、逓信省(現在の日本郵政グループ)によって1934年を「逓信記念日」として制定したことが由来となっています。
実はその後もこの記念日の名前は何度も変わっています。
逓信省が郵政省・電気通信省の二省に分割された1950年には現在の「郵政記念日」として改称されました。
しかし1959年には「逓信記念日」に戻されることとなりました。
その後「郵政記念日」として制定されたのは2001年のことで、省庁再編に伴って再び「郵政記念日」という名称になりました。
現在の「郵便」という仕組みが出来たのは明治時代になってからのことで、それまでは皆さんもおそらく聞き覚えのある「飛脚」という制度が利用されていました。
1871(明治4)年3月1日(新暦4月20日)に「郵便制度」が実施され、東京・京都・大阪の三都市と東海道線の各駅で、郵便物の取扱、切手の発行が始まりました。
主要都市で「郵便制度」が機能し始めたことをきっかけにして、翌年には全国で「郵便制度」が実施されることになりました。
明治初期にそれまでの「飛脚制度」から「郵便制度」へと移行した事は解説しました。
郵便制度が始まったばかりのころは、郵便配達員が拳銃を所持していたって知っていましたか?
郵便制度が始まって以来、郵便物の中に入っている現金や荷物そのもの目的とした強盗事件が多発したそうです。
そのため、郵便配達員は自分の命や荷物を守るために拳銃の所持が法律で認められていたそうなんです。
この法律は明治6年から始まって、昭和24年になるまで護身用の拳銃である「郵便保護銃」と呼ばれる短銃を所持し、郵便配達員は自分の身を自分で守っていたのでした。
現在の日本では考えられませんが、当時の日本と今の日本では治安の悪さは比べ物にならないでしょうし、強盗に狙われやすい郵便配達員はまさに命懸けで荷物を運んでいたんですね。
現在の日本では年間を通して約40種類の切手が発行されていますよね。
実は切手のデザインを専門としているデザイナーさんがいるんです。
日本のすべての切手は日本郵便の「切手デザイナー」という専門家によって作成されて、しかもその人数はわずか5人しかいないそうです。
5人しかいないことから仕事も大変そうですが、自分のデザインした物が全国を流通すると考えるととてもやりがいのある仕事に見えますよね。
切手のデザインの原画は手書きで作成されます。
本物をスケッチして原画を作成することもありますが、ものによっては写真などを参考にして原画を描きあげているそうです。
出来あがったデザインをパソコンに取り込むことでデータ化した後は、国立印刷局によって切手 に印刷されるそうです。
一つの新しい切手が完成するまでにはなんと半年という時間がかかっているそうです。
*皆様は「郵便」使っていますか?僕は年間3000通手紙を出すので頻繁に郵便局を利用しています。
最後に「青年海外協力隊の日」について。
なぜ4⽉20⽇が「⻘年海外協⼒隊の⽇」なのかというと、1965年4⽉20⽇に⻘年海外協⼒隊(JOCV)が発⾜されたことが由来となっています。
皆さんも1度は⽿にしたことがあると思いますが「⻘年海外協⼒隊」って⼀体どんな団体かを知っていますか︖
⻘年海外協⼒隊はアジア・アフリカ・中南⽶を中⼼とする発展途上国の国作りを⽀援する為に、ボランティア活動をしている団体です。
現在ももちろん募集されていますが、募集年齢には制限があり20〜39歳となっています。
様々な分野での募集が⾏われていて、120以上の職種に分かれているそうです。
今は将来の事がわからなくても、将来的に海外に⾏きたいと考えているならば、⻘年海外協⼒隊に参加することによって貴重な体験ができそうですよね。
更に⼈助けにもなっていますし、今現在で何もやることがなく迷っている⼈は思い切って応募してみるのも良いかもしれませんね。
ボランティアという⾔葉はもともと「志願兵」という意味で使われていた⾔葉って知っていますか︖
ボランティアは誰からも強制されるわけではなく、⾃分の意思で⾏う社会奉仕活動の事を指します。
また、ボランティアはあくまで無償で⾏うものであるため、どんな形であれ報酬を望んではいけないとされています。
営利⽬的で活動してしまった時点でボランティアでは無くなってしまいます。
このボランティアという⾔葉はもともと⼗字軍などの騎⼠団で使われていました。
⾊々な騎⼠団が存在していたようですが、この騎⼠団に⾃らの意思で志願して兵隊となった⼈のことを「ボランティア」と呼んでいた事から、⾃らの意思で参加する活動のことを「ボランティア」と呼ぶようになったとされています。
また、ボランティアという⾔葉の語源はラテン語の「ボランタス」だとされており、「志願」や「意思」という意味で使われていたそうです。
世の中にはとても不思議なボランティア団体あるのを知っていますか︖
社会奉仕団体である「ライオンズクラブ国際協会」では、奉仕活動の参加者の名前を呼ぶ時には苗字の前後に「ライオン」をつけて呼び合うそうです。
「ライオン吉⽥」や「ライオン⽥中」や「松井ライオン」などが例に挙げられます。
⾃分のことを指す場合は「ライオンズクラブのライオン○○です。」と苗字の前に「ライオン」をつけるそうです。
ボランティアの語源
また、ボランティア活動終了後には参加者全員で円陣を組み、ライオンのように「ウォー︕」と咆哮を上げる儀式も⾏われるそうです。
中にはライオンになりきって⽖を⽴ててライオンのモノマネをしている⼈もいるようです。
なぜこのような習わしがあるのかは謎ですが、社会奉仕活動を⾏っているのですから悪い⼈たちではないことは確かですよね。
*青年海外協力隊のポスターをよく見ますね。しかし「その実態」はわかりません。
派遣国からの要請に基づき活動を行ないます。アフリカでの井戸掘りといったイメージを持たれることが多いようですが、実際の活動内容は派遣国・職種により大きく異なります 例えば、コミュニティ開発であれば地方の村落を回っての生活改善や産業育成の支援、教師やPCインストラクターなら指導法の教育や実際の授業、家畜飼育であれば農家への飼育方法の教授、といったことを行ないます。
活動目的としては下記の3点が掲げられています。
・発展途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
・友好親善・相互理解の深化
・国際的視野の涵養とボランティア経験の社会還元
◆派遣国
現在の派遣国は71ヶ国、これまでの累計では計88ヶ国となります。高中所得国であるメキシコから、最貧国の一つであるバングラデシュまで、派遣国は多岐に渡ります。地域別ではアジア・アフリカがそれぞれ派遣者総数の約3割を占め、ついで中南米が2割、中東・オセアニアが各1割弱です。ヨーロッパ(旧東側諸国やトルコ)への派遣も行なっていましたが、全体に占める割合は僅かです。国別では、マラウイが計1,599人で最も多く、次いでフィリピン、ケニア、タンザニアと続いています。
また、同じ国であっても開発が遅れた地方の農村や都会のスラムから、逆に発展した首都の官公庁や大学まで、派遣先は隊員ごとに大きく異なります。
◆職種
大きく8つの分野に分けられます。現在では、人的資源分野が派遣者数全体の半分を占めており、過去の累計でも4割に達します。ついで計画・行政、保険・医療がそれぞれ2割弱を占めています。かつては農林水産や鉱工業といった分野の割合も大きかったのですが、現在では1割以下に低下しています。各分野の中では、コミュニティ開発が最も多く、次いで理数科教師、日本語教育、看護師と続いています。日本語教育やコミュニティ開発は特別なスキルを持たない参加者の受け皿となっています。
◆採用試験
応募資格は、日本国籍を持つ20歳以上の心身ともに健康な者。募集時期は4月の春募集と10月の秋募集の年2回。現地の治安状況や職種によって、男性限定の募集や女性限定の募集が存在します。元々は20~39歳の年齢制限があり、40歳以上はシニア海外ボランティアという区分でしたが、2018年に制限が廃止され、以後は年齢に関係なく応募可能となっています(ただし46歳以上は青年を含めず海外協力隊とのみ呼称されます)。
応募者数は1994年度の年間1万1832人をピークに以後減少傾向にあり、特に2011年春募集では、東日本大震災の影響やジャスミン革命を始めとする国際情勢の悪化、また前年の事業仕分けによる手当て削減により、半期としては過去最低の1351人となりました。職種別では、コミュニティ開発と青少年活動の応募者数が多く、2013年春募集ではどちらも全体の1割以上を占める一方、農林水産や鉱工業といった専門性が高い分野では定員割れや応募者なしも発生しています。
●一次試験
全て書類審査。ただし一部の職種(日本語教師)については、Web試験が存在します。
・技術審査
・語学力審査
・健康診断
●二次試験
東京または地方数箇所で実施。
・面接 – 職種によって実技試験や作品の提出がある。
・健康診断 – 必要な場合のみ。
技術的に合格基準を満たした者でも不採用となる場合があります。これは、各国からの要請内容と候補者の希望や履歴等を比較する「マッチング」に際し、要請国の文化や要請内容等に合わないと判断されたためです。そのため、不合格となった場合でも再度の受験により合格にいたるケースも多くあります。また、技術レベルの高いものが不合格となったり、低い人が合格となったりする場合もあります。また健康診断について、判定基準は厳しいものとなっています。日本では健康でも、開発途上国の環境下では問題となる場合があるためです。開発途上国により医療水準も異なり、派遣国により健康診断派遣基準は異なるものと思われます。
二次試験の選考結果には「合格」「不合格」の他に「登録」がある。前述の“マッチングに漏れて不採用となった者”の一部は「登録」となります。登録者は、合格者の辞退などにより欠員が生じた場合や開発途上国から募集期間外に要請が寄せられた場合などに、合格に繰り上がることがあります。また、次回受験時に一次選考が免除となる場合もあります。
◆派遣期間中
原則として派遣期間は2年間で、任期延長可能なのは1年間(延長については、受入先、現地を管轄するJICA事務所、隊員本人の同意が必須)。生活費、医療費、渡航費などは支給されます。支給される生活費は派遣国の物価などを考慮された必要最低限の金額であり、状況によって異なるが、現地社会と同等の生活レベルが求められます。家族等の同伴はできないため、単身赴任となります。また派遣期間中は別途、国内積立金が支給されます(2年間で140万円、2009年の事業仕分け以前は250万円)。
本日「日曜日」もよろしくお願いいたします。
★東山凛太朗オフィシャルサイトグランドオープン!!