『The Story of ABBA』:スウェーデン人音楽ジャーナリストは音楽の核心に十分迫れていない
国際的なポップバンドの創造的錬金術と、その永続的な世界的成功の本質に迫ることは、ほとんど不可能に近い挑戦である。しかし、61歳のスウェーデン人音楽ジャーナリスト、ヤン・グラドヴァル(Jan Gradvall)は著書『The Story of ABBA: Melancholy Undercover(メランコリー・アンダーカバー)』で、その難題に真っ向から取り組んでいる。
だが時折、グラドヴァルはメンバー各人の個別の心理や、彼らの背景が互いにどう影響を及ぼしたかといった点への掘り下げが不足している。彼は13歳でABBAに夢中になった体験を背景に、ややロマンチックなまなざしでABBAを見つめ続けている。
当時、多くの人々がABBAの明るすぎる見た目や健全すぎる印象を敬遠していた。例えば、1970年代にパンクに熱中していたジェフ・トゥイーディは、2023年に「ABBAなんて嫌いだった」と語っていたが、ある日スーパーマーケットで「Having The Time Of Your Life」の一節を聴いた瞬間、思わぬ快感が走ったと告白している。
ストーリーに入りきらない“内面”
グラドヴァルは伝統的な伝記の構成をあまり意識せず、スウェーデン文化や第二次世界大戦後に長く残ったトラウマについて語りながら物語を紡いでいく。ABBAのメンバーはその時代の子どもたちだったと彼は言う。
まず紹介されるのは、キーボードのベニー・アンダーソンとギターのビヨルン・ウルヴァース。彼らはストックホルムの小さなボートハウスで、ピアノとギターだけで楽曲制作をしていた。ビヨルンが詞を書き、ベニーはその直感に信頼を寄せていた。
ビヨルンは自身の歌詞が自伝的であるとは否定しており、例に挙げるのが「ザ・デイ・ビフォア・ユー・ケイム」――何の変哲もない女性の一日が、突然狂い始めるという内容の曲だ。
二組の夫婦と再生
ABBAは二組の夫婦で構成されていた。
- ビヨルン&アグネタ(Agnetha Fältskog)
- ベニー&フリーダ(Frida Lyngstad)
派手な衣装とダンスしたくなるようなメロディーで世界を魅了したが、後に両カップルは離婚し、バンドは1982年に解散。だが40年後、アルバム『Voyage』で奇跡的な復活を果たし、高評価を得た。
彼らの代表曲には「ダンシング・クイーン」や「ザ・ウィナー」があり、二人の女性ボーカル――ソプラノとメゾソプラノ――は本能的なハーモニーを奏でていた。
ベニー・アンダーソンは曲の意味について尋ねられると、「我々の音楽はメランコリーだが、隠されていた(undercover)」とだけ答える。グラドヴァルはその言葉を深く掘り下げずに受け入れてしまうが、筆者はもっと**“どのような悲しみ”**が隠されていたのか、掘ってほしかったと思う。
若さ、複雑な背景、そして語られぬ痛み
アグネタとビヨルンは彼女が18歳、彼が23歳のときに出会った。ベニーとフリーダは1969年のユーロビジョン予選で知り合った。みな若くして芸能活動に従事していた。
フリーダはすでに10代で二児の母となっており、ベニーもまた二人の子を持っていたが、本書ではその複雑さやプレッシャーについて深く触れられていない。
さらにフリーダには異色の出生背景がある。彼女はナチス占領下のノルウェーで生まれ、母は19歳のノルウェー人、父はドイツ国防軍の24歳の軍曹だった。父はドイツに家族がいることを隠し、戦局が変わると去っていった。戦後、母と祖母はフリーダを連れてスウェーデンへ逃れ、母はフリーダが2歳のときに亡くなった。
フリーダ自身も若くして予期せぬ妊娠を経験し、母と同じ道をたどっているように見える。この壮絶な人生が音楽にどう影響したのか、グラドヴァルはほとんど語らない。
時代、文化、そして葛藤
ABBAが登場した1970年代、スウェーデンにはさまざまなサブカルチャーが存在した。
「レッガレ(reggare)」と呼ばれるデニムとTシャツのロック派、
「モッズ(mods)」と呼ばれるヒッピー風スタイルの若者たち。
パンクスとの対立もあり、それぞれが異なる反体制文化を象徴していた。
スウェーデンではポップ音楽は新聞でほとんど扱われておらず、スウェーデン出身であることはポップスターになるには不利だった。だが1974年のユーロビジョンで「恋のウォータールー」が優勝し、英国で1位を獲得してから状況は変わった。
とはいえ、当時のスウェーデン左派からは「進歩的ではない」「クールではない」と評価され、文化的に微妙な立場に置かれていた。
“仮面の裏”に迫れないもどかしさ
グラドヴァルが最も複雑な人物として描くのはビヨルン・ウルヴァース。彼は長距離ランナーで、過去の記憶が曖昧だと語る。インタビューでは快活だが、「死後に何が起きるのか」などの壮大な問いを繰り返し、それは内面を隠すための煙幕のようにも感じられる。
父は自らを失敗者と感じ、酒に溺れた。ビヨルンとベニーもやがて同じ道をたどるが、その背景はあまり語られない。
ABBAの全メンバーは、自分自身や家族のことを語ることに対して非常に慎重だ。アーティストとして自己開示を強く求めるアメリカ的感性には、どこか物足りなさが残る。
「両親は不平等で不幸な結婚をしていた」。
ビヨルンのこの言葉が、すべてを物語っているのかもしれない。
グラドヴァルが語らなかった“自分自身”
本書では、グラドヴァル本人がなぜABBAに心を動かされたのかが語られない。
彼はDusty SpringfieldやJoan Didion、David Bowie、スウェーデンのミートボールが好きで、豊富なレコードコレクションを持つということだけはわかる。
だが、なぜ13歳の彼がABBAの音に心を奪われたのか?
音楽とは個人的な体験であり、ファンが音を聴いたときに何を感じたかを共有することこそが、作品の意味を深める要素のはずだ。
彼の文章は巧みだが、筆者(エレイン・マーゴリン)の「アメリカ的な飢え」を満たしてはくれなかった。私は、彼が音楽の中に没頭し、その体験を私たちに語ってくれることを望んでいた。それはボブ・ディランのファンにも、ビートルズのファンにも同じように求めたいことだ。