30位
「タイガー」(1976年)
アルバム『アライヴァル』に収録された「タイガー」は、ABBAの短いながらも国際的なツアー活動の中で、
観客の気分を一気に盛り上げるアップテンポなオープニング曲として使われていました。
映画『ABBA:ザ・ムービー』では、
4人がステージ脇に立ち、フリーダが軽くヴォーカルのウォームアップを行ないます。
そこへ長く引き伸ばされたイントロが流れ始め、
アルバム『アライヴァル』のジャケットを想起させるヘリコプター音がスタジアム中に響き渡ります。
やがて4人はステージへ駆け出し、
身にまとっていた長いキラキラのマントを脱ぎ捨て、
勢いよく「タイガー」を演奏し始めるのです。
ラッセ・ハルストレムによるプロモーション・ビデオは、
「夜の街は危険な場所である」という歌詞のテーマを視覚化しています。
映像では、デニムにバンダナ姿のアグネタとフリーダが、
活気ある都会を車で走り回り、精いっぱい“ストリート慣れした”雰囲気を演出します。
その一方で、後部座席に座るベニーとビヨルンは、
どこか退屈そうに、受け身の姿勢で映し出されているのが印象的です。
29位
「ホワイ・ディド・イット・ハフ・トゥ・ビー・ミー?」(1976年)
1976年4月、アルバム『アライヴァル』の制作のために、
ベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースがメトロノーム・スタジオへ持ち込んだ楽曲のひとつが、
ピアノとサックスをフィーチャーしたブギウギ調のナンバー「ホワイ・ディド・イット・ハフ・トゥ・ビー・ミー?」でした。
その後、ペダル・スティール・ギターという斬新な音色や、
打ち寄せる波の効果音が加えられ、
スティッグ・アンダーソンは、
恋人に捨てられた女性が、その相手を忘れるためにハワイへ向かう
という内容の歌詞を書き上げます。
この段階で、フリーダとアグネタがダブル・リード・ヴォーカルを録音し、
曲名は「ハッピー・ハワイ」へと変更され、ミックスも完成しました。
しかし『アライヴァル』の制作が終盤に差しかかると、
ファッツ・ドミノ風の、よりブルージーなアレンジ案が再び採用されることになります。
なお、ビーチ・ボーイズを思わせるコーラスを持つ「ハッピー・ハワイ」版も、
「ノウイング・ミー、ノウイング・ユー」のB面曲としてリリースされました。
28位
「ダム・ダム・ディドル」(1976年)
「You’re only smileen, when you play your violeen.
Wish I was Dum Dum Deedle, Your darling feedle!」
(※「あなたが笑うのはヴァイオリンを弾いている時だけ。私が“ダム・ダム・ディドル”、あなたの大切なフィドルだったらいいのに!」)
といった歌詞に表れている、フリーダのセクシーなノルウェー訛りと、
とにかく突き抜けて風変わりなテーマによって、
この『アライヴァル』収録曲は、ABBA流キッチュの代表例――“正しい意味でのユーロビジョン的楽曲”として位置づけられています。
しかし後年、この曲はフリーダ本人から
「くだらない曲よ。好きじゃない!」
と一蹴され、
ビヨルンも
「いっそ“ダム・ダム・ディドル”じゃなくて、“ダム・ダム・ディドル(愚か者)”でよかったかもね」
と、やや辛辣な評価を下しています。
実はこの歌詞、酔っぱらったビヨルンが、
レコーディング・セッションを目前に控えた朝5時に書いたものだと、
後に本人が認めています。
恋人の愛情の対象である“ヴァイオリン”そのものになりたいと願う女性――
この発想は間違いなく、
ABBAの歌詞の中でも屈指の奇妙さを誇るコンセプトのひとつと言えるでしょう。
27位
「マネー、マネー、マネー」(1976年)
おそらくABBAの楽曲の中で最も演劇的な一曲である「マネー、マネー、マネー」は、
完成に至るまでに歌詞のコンセプトが何度も変更され、最終的に原点へと戻った楽曲でした。
「お金をテーマにした曲は(文字どおり)ありふれている」という考えから、
ビヨルン・ウルヴァースは当初のアイデアとタイトルであった
「マネー、マネー、マネー」をいったん捨て、
ジプシーの少女を主人公にした新しい歌詞案へと切り替えます。
しかし最終的に、この案はうまく機能しないと判断され、
「マネー、マネー、マネー」という元のコンセプトが復活しました。
ベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースは、
もともとミュージカル作品を書きたいという志向を強く持っており、
しばしばドラマの文脈でも成立するような楽曲を作り上げていました。
フリーダがメロドラマティックに歌い上げるこの曲は、
その演劇性ゆえに、
「アメリカ的というよりヨーロッパ的すぎる」という理由から、
アメリカではシングルとしてリリースされませんでした。
26位
「きらめきの序曲」(1977年)
9年間にわたるレコーディング・キャリアの中で、ABBAは数多くの音楽スタイルを自在に操る達人であることを証明してきました。
「きらめきの序曲」は、情熱的なバラードや全開のユーロポップだけでなく、
抑制と繊細さも表現できることを示した楽曲です。
レコーディングは1977年5月31日に開始され、
当初は「ア・ビット・オブ・マイセルフ」という仮タイトルで進められていました。
まずベースとシンセサイザーの反復フレーズが録音されます。
その後、楽曲全体は6つのパートからなる構成へと発展。
フリーダとアグネタが、ソロ・パートとハーモニー・パートを加えていきました。
ベニー・アンダーソンは、
ピッコロ・トランペットのような音色を含む、
エキゾチックなシンセサイザー効果を提供しています。
タイトルについては、スティッグ・アンダーソンが
「ザ・ネーム・オブ・ザ・ゲーム(きらめきの序曲)」を提案し、
それをもとにビヨルン・ウルヴァースが歌詞を構築しました。





