10位
「アワ・ラスト・サマー」
1980年
元恋人に向かって直接語りかけるこの感情豊かなバラードは、アンニ=フリードがあまりにも深い感情を込めて歌っているため、これはフリーダ自身に実際に起きた出来事なのではないかと疑ってしまうほどです。
しかし、事実はそうではありません。
『スーパー・トゥルーパー』収録のこの楽曲は、ビヨルンが10代の頃にフランスで経験したホリデー・ロマンスについて書いたものです。
歌詞には、セーヌ川沿いを歩いたこと、エッフェル塔のそばの芝生に座ったこと、ノートルダム寺院、そして朝のクロワッサンといった情景が織り込まれています。
またこの曲は、ABBAとしては珍しく、ラッセ・ヴァランデルによる印象的なロック・ギターが効果的にアクセントとして用いられています。
最終ヴァースでは、フリーダが視点を反転させ、
かつての恋人はいまや銀行に勤め、サッカー観戦をする普通の生活を送っていると語ります。
それでも彼女は、こう告げるのです。
「あなたは、今も私の夢の中のヒーロー」と。
9位
「ザ・ウィナー」
1980年
しばしばABBAで最も私的な楽曲のひとつと呼ばれるこの曲ですが、後にビヨルン自身が明かしたところによれば、歌詞はある晩、酔った勢いの1時間ほどの創作の奔流の中で書かれたものでした。
ビヨルンは、終わったばかりの恋が今なお心に痛みを残していることを描いたこの歌詞について、
「90パーセントはフィクションだ」と語りつつ、次のように、痛切な一言を添えています。
「私たちの離婚に、勝者はいなかった」。
ミュージック・ビデオは、ビヨルンとアグネタが正式に離婚を成立させてから10日後に撮影されました。
映像の中では、ベニーとフリーダがビヨルンと笑い合う一方で、アグネタは沈んだ表情で、過ぎ去った日々に思いを巡らせている姿が印象的に描かれています。
このビデオは、当時映画の撮影で現地に滞在していたラッセ・ハルストレムが監督を務め、スウェーデン西海岸の小さな町マルストランドで撮影されました。
8位
「ザ・ヴィジターズ」
1981年
ABBAの最後のスタジオ・アルバムのタイトル曲であり、後にベニー自身が、そのレコーディング・セッションを
「険しい上り坂のような闘いだった」
と語った作品です。
アルバムの随所には憂鬱さや沈んだ空気が漂っており、それは、メンバー同士がほとんど視線を交わさない、薄暗く照らされたフロント・カバーにも反映されています。
このアルバムに至る頃には、ビヨルンは作詞家として飛躍的な成長を遂げていました。
タイトル曲である「ザ・ヴィジターズ」は、ソビエト連邦における反体制派(ディシデント)の視点から描かれています。
歌詞では、
「私たちは秘密の集会で、静かな声で話し続け、微笑み合っていた」
そして、
「訪問者たち」――すなわち秘密警察なのかもしれない存在が、
「私を連れ去るためにやって来る」
という、不吉なドアベルの音を待つ場面が描かれます。
ベニーによる渦を巻くようなキーボードのイントロダクションと、フリーダの加工された、どこか異界的なヴォーカルが組み合わさったこの楽曲は、洗練された“ポップ・プログレッシヴ”の傑作と言えるでしょう。
7位
「スリッピング・スルー」
1981年
『ザ・ヴィジターズ』アルバム収録曲で、ベニーのキーボードが主導楽器となっている「スリッピング・スルー」は、ABBAの私生活を静かに覗き見るような、ゆったりとしたテンポの感情的な楽曲です。
ビヨルンによる歌詞と、アグネタの抑制されたリード・ヴォーカルによって綴られるこの曲は、アルバムのタイトル曲が持つ重厚で政治的なコンセプトとは、際立った対照をなしています。
この楽曲は、ビヨルンが娘リンダの初登校の日を見送った体験から着想を得ています。学校へ向かう途中、振り返って手を振るリンダの姿を見た瞬間が、歌の核心となりました。
ビヨルンとアグネタは、リンダが成長していくことを受け止めながらも、複雑な感情を抱いていることをこの曲で認めています。
しかし同時に、最終的には手放さなければならないということも、2人は理解しているのです。
多くの親と同じように、ビヨルンは後年、仕事――主にABBAの活動――に追われるあまり、子どもの魔法のような成長期の一部を見逃してしまったことを、悔やんでいます。
6位
「ワン・オブ・アス」
1981年
ラッセ・ハルストレムによる数あるABBAのプロモーション映像の中でも、とりわけ印象深い作品のひとつが、「ワン・オブ・アス」のミュージック・ビデオです。
映像は、物悲しげな表情のアグネタが新しいアパートへ引っ越してくる場面から始まります。
彼女は明らかにひとりきりで、自分の持ち物が入った箱を運び込み、それらを開けては整理していきます。室内には、いくつもの奇妙なモダンアートの絵画が目立つように配置されており、強い存在感を放っています。
ハルストレムによるこの解釈は、ビヨルンとアグネタの間で実際に起きていた私的な“ソープオペラ的状況”を意識的に想起させるものであり、
(その演出を承認しなければならなかったABBA自身も含め)音楽そのものを覆い隠してしまいかねない危うさをはらんでいるとも受け取れます。
しかし、レコードを購入する一般のリスナーは、その懸念に同意しませんでした。
「ワン・オブ・アス」は、全英シングルチャートでトップ3入りを果たし、他の多くの国でもヒットを記録。
その後、数多くのアーティストにカバーされ、さらに舞台版『マンマ・ミーア!』にも取り上げられる楽曲となりました。
<続く>




