ポップ・ミュージックは人を惹きつけてやまない。数学者や科学者でさえそれを証明しているのだから、クールぶって「自分はその魅力に免疫がある」などと装うのは無意味だ。
*クレジット:ファー・アウト/ハリー・チェイス/UCLA図書館
ザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼント(※)は長年、公の場では毅然とした態度を取り、「自分にとって音楽は単なる気晴らし以上のものだ」と語ってきたかもしれない。しかし私的には、彼もまた我々と同じく、ポップの分かりやすい魅力に抗えない一人なのだ。
彼の“チーズィー”(※)なポップ愛を暴露したのは、娘のエマ・タウンゼントだった。彼女は、実家が常に父の敬愛するサン・ラの音楽で満たされていたわけではないと明かした。彼のコレクションには数多くのポップ・レコードも並んでいたという。
「父は妙にロックンロールらしくない音楽への情熱も持っていたの」とエマは『インディペンデント』紙に語った。
タウンゼントは同業者をあまり褒めることがない人物として知られている。自分がレッド・ツェッペリンと「ほんの少しでも比較されるのが嫌だ」と述べ、さらにザ・ビートルズのバッキング・トラックの一部を「ひどく出来が悪い」とまで言ったこともある。だからこそ、1970年代半ば、彼の家でポップが主役だったという事実は意外だ。
当時、公の場では彼はパンクこそがビートルマニアの正統な後継者だと語っていた。ロンドン中を歩き回ってセックス・ピストルズのライブを探し、ザ・クラッシュをツアーに招いたりしていた。しかし、その少し前、彼の情熱は別の場所にあった。
「1975年、家の中はABBA音で満ちていたの。『エス・オー・エス』は史上最高のポップソングだって、今でも父は言い張るわ」とエマは語る。
ピート自身が公にABBA愛を宣言したことはない。しかし、英国パンクを「まったく信じられないほど素晴らしい」と称賛しながらも、同時期にABBAは彼にとって情熱の対象だった。それは大きな変化の時代だった。60年代の理想主義が終焉を迎え、70年代が独自の革命を模索していた時代。かつてのヒッピーたちは白物家電やより強いドラッグ、そして経済的衰退へと屈していった。
*クレジット:ファイサル・ハッサン
ポップはその陰鬱さに対する甘い代替案だった。そしてピートは、ABBAの音楽には知性も備わっていると感じていた。きらびやかな衣装と輝く笑顔の裏に、限られたコード進行の中でも作曲上の複雑さがあった。
「私たちの中にある音楽の根源的な自己に触れる、あのスウェーデン民謡の要素がすべて詰まっているんだ」と、エマは父の言葉を回想する。彼は「エス・オー・エス」の魅力をやや理知的に説明していたのだ。
エマはまた、幼少期に父がリッキー・リー・ジョーンズ、トム・ウェイツ、トーキング・ヘッズ、ジョニ・ミッチェル、レイ・チャールズ、ランディ・ニューマンを愛聴していたとも語る。しかし、ポップが最も実験的で洗練された時代に突入したことは、彼を深く揺さぶった。それは数年前にザ・ローリング・ストーンズが彼に与えた衝撃に匹敵するものだった。
「父はタワーレコードからレコードを11箱も抱えて帰ってきたの」とエマは振り返る。
彼女はさらにこう続ける。
「その箱の中には、マイケル・ジャクソンの最初のソロ・アルバム『オフ・ザ・ウォール』が3枚も入っていたの。『どうして3枚も買ったの?』って聞いたら、父はこう言ったわ。『あまりに良かったからさ! 何度も“買わなきゃ”って思ってしまって、急いでいたから何を持っているか覚えていなかった。でも、複数あれば人にプレゼントできるだろうと思ってね」。
こうして奇妙な時期が訪れた。ヘヴィメタルの“発明者”を自称し、多くのギターを破壊してきたピート・タウンゼントが、友人たちに甘いポップを贈るようになったのだ。以前はポップ寄りの『ゴッド・オンリー・ノウズ』を至高の一曲として愛していたが、今や彼はユーロビジョンに投票しそうな勢いだった。
しかし、このシンプルな音楽はもともと彼の血の中に流れていたのかもしれない。彼の父は戦後のコミュニティ・ダンス・バンドの一員だった。だからこそ彼は「人は時に軽くて気楽な楽しみを必要とする」と理解して育ったのだ。
自身のバンドが軋み始め、キース・ムーンが衰弱していった時期、「エス・オー・エス」は彼の多忙で混乱した日々を和らげる癒しだった。そして重要なのは、その楽曲が彼にとって分析に値するだけの音楽的要素を十分に備えていたことだった。
※チーズィー(cheesy)とは、英語の口語表現で、
🎭 安っぽい・ベタな・わざとらしく甘い・陳腐な
といった意味を持つ言葉です。
🎶 音楽で使う場合
ポップソングなどに対して使うときは、
- メロディが甘すぎる
- 歌詞がロマンチックすぎる
- キラキラしすぎている
- いかにも“売れ線”
といったニュアンスになります。
例:
- 「いかにも王道のラブソング」
- 「ちょっとベタだけど耳に残る曲」
🍕 なぜ“チーズ”?
チーズはピザなどにたっぷりかけると“こってり”しすぎることがありますよね。
そこから転じて、
“やりすぎ感がある甘さ”
“少し気恥ずかしいほどベタ”
という意味になりました。
🎤 今回の記事の文脈では
ピート・タウンゼントがABBAを「チーズィー」と言う場合、
- 派手でキラキラしていて
- 大衆的で
- ロック的な“硬派さ”とは対照的
という軽い皮肉を込めた表現です。
ただし、必ずしも悪口ではなく、愛情を込めた“照れ”混じりの表現で使われることも多いです。
※Pete Townshend



ピート・タウンゼント(1945年5月19日生まれ)は、イギリスのロックバンド The Who(ザ・フー) のギタリスト、ソングライター、中心的創造者です。
ロック史上もっとも影響力のあるミュージシャンの一人とされています。
🎸 何がすごいのか?
① 作曲家としての才能
- ザ・フーの代表曲の多くを作曲
- 「マイ・ジェネレーション」
- 「ババ・オライリー」
- 「ウィー・アー・ノット・ゴナ・テイク・イット」 など
- ロック・オペラの先駆者
- アルバム『トミー』(1969)
- 『四重人格(クアドロフェニア)』(1973)
② ステージ・パフォーマンス
- 風車のように腕を回す“ウインドミル奏法”
- ギター破壊パフォーマンス(楽器を叩き壊す演出)
この攻撃的なスタイルが、のちのパンクやハードロックに大きな影響を与えました。
🎼 音楽的特徴
- パワーコード中心の攻撃的ギター
- シンセサイザーの早期導入
- 社会批評的・哲学的な歌詞
- 若者の怒りや疎外感を描く作風
「マイ・ジェネレーション」は60年代若者文化の象徴となりました。
🧠 知的ロッカー
彼は単なるロックスターではなく、
- 文学や宗教思想への関心
- 音楽理論への造詣
自伝やエッセイ執筆
など、知的側面も強い人物です。
🎶 そしてABBAとの意外な関係
記事にもあった通り、1975年頃には
ABBAの「エス・オー・エス」を「史上最高のポップソング」と家で語っていたというエピソードもあります。
硬派なロッカーの意外な一面ですね。



