彼はABBAを見た瞬間、全員お揃いの白い毛皮のコート姿だったから、走って駆け寄った。そして吐いた

「彼はABBAを見た瞬間、全員お揃いの白い毛皮のコート姿だったから、走って駆け寄った。そして吐いたんだ」――ジョン・ライドン、セックス・ピストルズによる“スウェーデン発ポップの申し子”への執着を語る

*Love Isn’t Easy:セックス・ピストルズ(1978年1月14日、サンフランシスコのウィンターランド公演時の写真)は、ABBAのファンだった(写真は、1974年5月に『Top of the Pops』でヒット曲「恋のウォータールー」を披露するABBAのシンガー、アンニ=フリード・リングスタッドとアグネタ・フォルツコグ)。
(画像クレジット:ピストルズ=Michael Ochs Archives/Getty Images|ABBA=David Redfern/Redferns)

スウェーデンのポップ現象ABBAは、1970年代最大級のアーティストのひとつだった。しかし1976年、彼らが世界的支配の頂点に立っていたその時、パンク・ロックが登場する。すべてを拒絶するその姿勢は、ABBAという4人組が体現しているものの正反対に思われた。パンクスにとって、ABBAの磨き上げられた陶酔的なポップは、自分たちの削ぎ落とされたニヒリズム精神のまさに対極だったのだ。

だが時が経つにつれ、別の物語が明らかになった。その後の数十年のあいだに、ジャンルを超えた多くのミュージシャンが4人のスウェーデン人への愛を公言してきた。2024年のライブInstagramセッションでリッチー・ブラックモアは彼らを「最高のバンド」と呼び、ブロンディは1979年のヒット曲「Dreaming」において彼らの影響を認めた。またエルヴィス・コステロは、1979年の「Oliver’s Army」で、ピアニストのベニー・アンダーソンによる「ダンシング・クイーン」のピアノ・モチーフを呼応させている。

カート・コバーンでさえ隠すことのないファンであり、1992年のイングランド・レディング・フェスティバルでは、ABBAトリビュート・バンドのBjörn Againをニルヴァーナの前座に招いたほどだった。

*ABBAが1977年にパフォーマンスを行なう様子。この年は、セックス・ピストルズがアルバム『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』を発表した年でもある。
(左から)アグネタ・フォルツコグ、アンニ=フリード(フリーダ)・リングスタッド、ビヨルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン。
(画像クレジット:Peter Bischoff/Getty Images)

しかし何より驚くべきは、ABBAの思想的対極と見なされていたセックス・ピストルズからの告白だった。

ジョン・ライドン、スティーヴ・ジョーンズ、グレン・マトロック、ポール・クックによって結成されたピストルズは、英国パンクを定義し、その嘲笑的態度を世界へ輸出した存在だ。当時公然とABBA好きを認めることは致命的だっただろう。しかし後年のインタビューや回想録で、メンバーたちは真実を認めた。彼らはABBAを愛していたのだ。

唯一のスタジオ・アルバム『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』をよく聴けば、そのつながりはより明確になる。歪んだ音の奥には、きらびやかなポップ構造が横たわっている――重ねられたエレクトリック・ギター、緻密なプロダクション、否定しようのないフック。これらはABBAのスタジオ・クラフトの特徴そのものだ。

最も率直だったのはマトロックだ。2018年の発言で、このベーシストはABBAのソングライティングを公然と称賛した。「ポップ・ソングライターとして、彼らは素晴らしい」と語り、クックのドラム演奏は無意識のうちに「恋のウォータールー」から影響を受けていた可能性さえあると述べた。影響とは「浸透(osmosis)」のように働くものだと彼は説明した。

*セックス・ピストルズが1976年11月15日、イギリスのノートルダム・ホールで演奏する様子。
(左から)グレン・マトロック、ジョン(ジョニー・ロットン)・ライドン、スティーヴ・ジョーンズ。
(画像クレジット:Ian Dickson/Redferns)

回想録『I Was a Teenage Sex Pistol』で、マトロックはABBAがピストルズの「Pretty Vacant」に直接インスピレーションを与えたことを明かしている。

「ある昼下がり、チャリング・クロス・ロードの2階のバーで、その週の失業手当を飲み潰していたら、ジュークボックスからABBAの『SOS』が流れてきた」と彼は回想する。「あのリフを聴いた。単純なオクターブの繰り返しパターンだった。僕がやったのは、そのパターンを少し変えただけ――専門的に言えば、5度を加えたんだ。“できた”と思った。これ以上シンプルなものがあるか?
『Pretty Vacant』が『SOS』から借りていることに、いまだ誰も気づいていないのが不思議だ。でもソングライティングとはそういうものさ。すべては何かから拝借しているんだ」

(この事実を突きつけられたABBAのギタリスト兼共作者ビヨルン・ウルヴァースは、それは初耳だと認めた)。

マトロックの率直さは思わぬ形で報われた。「ABBAのベーシストがどういうわけか僕の住所を手に入れて、約10年間クリスマスカードを送り続けてくれたんだ!」と彼は2017年のRolling Stoneのインタビューで明かしている。

影響はプロダクション面にも及んだ。ABBAの特徴的な“ウォール・オブ・サウンド”――丹念に重ねられたギブソン・レスポールのギター群――は、ジョーンズの手本となった。彼は白の’74年製ギブソン・レスポール・カスタムとブラック・ビューティーを執拗にダブルトラックしオーバーダブを重ね、『Never Mind the Bollocks』に圧倒的な音の重量感を与えた。

ピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンでさえその矛盾を受け入れていた。彼はかつて、自身のバンド像を「態度を持ったベイ・シティ・ローラーズに、ABBAの旋律的洗練を加えたもの」と表現し、後にはABBAを「どうしても魅了されずにはいられない見事なポップの工芸品」と呼んだ。

ツアー中、ピストルズの愛情は理論上のものではなかった。彼らのヴァンにはカセットが一本しかなく、それは1975年のABBAの『Greatest Hits』だった。彼らはそれを繰り返し再生し続けた。

その献身は、マトロックの後任であるシド・ヴィシャスにも及んだ。

「彼はデヴィッド・ボウイが大好きだった」と、2021年の自身の『I Could Be Wrong, I Could Be Right』Q&Aツアーでライドンは語った。「でも彼はABBAを崇拝していたんだ」。

ライドンの回想によれば、シドにとって最悪の出来事のひとつは、1977年のスカンジナビア・ツアー中に起きた。ストックホルム空港で、パンクの新興勢力とスウェーデンのポップ巨人が偶然遭遇したのだ。スウェーデンの4人組は白い毛皮をまとっていた。ピストルズは酔っ払い、無秩序だった。

「フライトがキャンセルされて、スカンジナビアで一日中飲んでいた」とライドンは2025年にThe Irish Independent紙に語っている。「でもシドは酒に弱かった。ABBAを見た瞬間、全員お揃いの白い毛皮のコート姿で、まるでホッキョクグマみたいだった。彼は走っていったんだ。『ABBA!』って。それから吐いた」。

*セックス・ピストルズのアメリカ・ツアー初日、1978年1月5日、ジョージア州アトランタのグレート・サウスイースト・ミュージック・ホールでの様子。
(左から)シド・ヴィシャス、スティーヴ・ジョーンズ、ジョン・ライドン。
(画像クレジット:Rick Diamond/Getty Images)

「彼らは恐怖していたよ。たぶん僕らは連行された。警察の車両が関わっていたはずだ」。

それは、対立する二つの音楽世界の不条理な衝突だった。しかし嘲笑や安全ピンの裏側にあった真実は否定できない。パンク最大の反逆者でさえ、完璧なポップには抗えなかったのだ。

https://www.guitarplayer.com/music/how-abba-influenced-the-sex-pistols

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