ABBAの「マンマ・ミーア」が、別のグループのヒット曲になるところだった理由

50年以上前、スウェーデンのポップグループABBAは苦境に立たされていました。

1974年にユーロビジョン・ソング・コンテストで「恋のウォータールー」が優勝し、世界に旋風を巻き起こしたにもかかわらず、ツアーは満席にならず、アルバムも思うように売れませんでした。さらに、バンドは「一発屋(ワンヒットワンダー)」ではないかというささやきも聞こえ始めていました。

しかし、それは「マンマ・ミーア現象(マンマゲドン)」が起きるまでのことでした。

*上記画像をクリックするとインスタグラムに移行します。

バンドの公式サイトによると、ABBAのメンバーであるビヨルン・ウルヴァースベニー・アンダーソンは、リディンゲにあるビヨるんの自宅の書斎にこもり、後に大ヒットとなるシングル曲を書いていました。
曲が完成すると、マネージャーのスティッグ・アンダーソンがタイトルを提案しました。

ビヨルン・ウルヴァースは著書『Mamma Mia! How Can I Resist You?』の中で次のように語っています。

「それは非常に印象的で記憶に残るタイトルになりました。英語を母語とする作詞家なら、“ヨーロッパ的すぎてクールではない”と思ったかもしれません。『マンマ・ミーア』という言葉はスウェーデンではとても一般的に使われる表現で、英語圏で知られているのと同じくらいよく知られた言葉なんです」。

グループの3枚目のアルバム『ABBA』の発売が近づく中、彼らは3月12日にストックホルムのメトロノーム・スタジオで「マンマ・ミーア」を録音しました。

この曲はアルバムに追加された最後の楽曲でした。
しかし実は、この曲は別のグループに提供されるところだったのです。

Ultimate Classic Rockによると、ABBA自身は「マンマ・ミーア」に十分な“マンマ・マジック”があるとは思っていなかったため、この曲を別のポップ・カルテットブラザーフッド・オブ・マンに提供しました。

このグループは、1976年にイギリス代表としてユーロビジョンで優勝した甘いポップソング「セイヴ・ユア・キッセズ・フォー・ミー」で知られています。

ブラザーフッド・オブ・マンのメンバーであるマーティン・リーは、2022年に『ガーディアン』紙の取材で次のように語りました。

「私たちはそれが大ヒットする可能性のある曲だと分かっていました。でも次のレコーディング・セッションまで保留にしたんです。というのも、『セイヴ・ユア・キッセズ・フォー・ミー』をやりたかったからです。もちろん、その後ABBAが自分たちで録音しました」。

そして結果的に、それは大正解でした。

「マンマ・ミーア」がイギリスでシングルとして発売されると、すぐにチャート1位を獲得しました。
またヨーロッパ各国でも、10か国以上でトップ5入りを果たしました(ABBA.comによる)。

さらにBillboardによると、この曲はアメリカのBillboard Hot 100では最高32位でしたが、アメリカでは別の形で巨大な成功を収めました。

例えば、

  • ブロードウェイ史上9番目に長く上演されたミュージカルとなる
    「ジュークボックス・ミュージカル」『マンマ・ミーア!』を生み出し
  • メリル・ストリープアマンダ・サイフリッドが出演する映画シリーズを誕生させました

さらに映画版のサウンドトラックは、Billboard Hot 200で1位を獲得しました(続編のサウンドトラックは3位)。

バンドの公式サイトは次のように述べています。

「少なくともイギリスにおいては、ABBAはそこから一度も後退することはありませんでした。
18曲連続のトップ10ヒットと数百万枚のアルバム売上を記録し、その後数十年にわたって安定した強い人気を保ち続けています」。

https://www.yahoo.com/entertainment/music/articles/abbas-mamma-mia-almost-became-120100410.html

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