【昔話】ジョン・クリーズ、ABBAミュージカル執筆のチャンスを断わる

ベニーによると、ジョン・クリーズはポップ・グループと一緒に本やミュージカルを書く機会を断っていたそうです。

76歳の歌手と作曲パートナーのビヨルンは、1970年代後半にバルバドスへ旅行した際にクリーズと出会い、大晦日のお祝いをテーマにした舞台の共同制作を打診しました。

しかし、モンティ・パイソンの伝説的ミュージシャンであるクリーズはそれをきっぱりと断りました。ですが、カリブ海への旅は、1980年のアルバム『スーパー・トゥルーパー』に収録されたABBAの曲「ハッピー・ニュー・イヤー」を生み出しました。

ベニーはレコード・コレクター誌の取材にこう答えている。

「『ハッピー・ニュー・イヤー』はバルバドスで書いたんだ。ポールとリンダ・マッカートニーが1年前に借りた家に、ビヨルンと僕は1週間出かけたんだ。この素晴らしい場所のことを聞いて、『そこに行かなくては』と思ったんだよ」

「バルバドスでジョン・クリーズに会ったんだ。私たちは『大晦日についてのミュージカルを書こうと思っているんだ。そのための本を書くことに興味はありませんか?』と言ったんです。そしたら答えはまさかの『ノー!』。このアイデアはそれ以上進まなかったけど、その代わり『ハッピー・ニュー・イヤー』が生まれたんだ。この曲、結構気に入っているんだよ」。

ベニーとビヨルンは結局、ABBAの曲をベースにしたミュージカルを制作し、プロデューサーのジュディ・クレイマーと協力して『マンマ・ミーア!』を作り、1999年に舞台でスタート、2本のヒット映画も生んだ。

ABBAは2021年、40年ぶりの新曲となるニューアルバム『Voyage』で復帰。

2022年には、ベニー、ビヨルン、アグネタ、フリーダのバンドメンバーが『ABBAtars』として再現されたバーチャルコンサート『ABBA Voyage』がロンドンでスタートしました。

◆ジョン・クリーズとは?

生年月日:1939年10月/27日

本名はJohn Marwood Cleese。ケンブリッジ大のダウニング・カレッジで法律を専攻。その傍らでフットライツ・クラブに所属してグレアム・チャップマンと知り合い脚本の共同執筆を始める。その後渡米してテリー・ギリアムと出会い帰国後TVの脚本を担当。69年に『空飛ぶモンティ・パイソン』のためにモンティ・パイソンを結成して活躍した。その後『フォルティ・タワーズ』を監督して主演するなど個人としての活動も積極的に行ない『ワンダとダイヤと優しい奴ら』では脚本も担当してアカデミー脚本賞候補にもなった。また私生活では会社役員のためのトレーニング・ビデオを制作する会社も設立。弁護士の資格も持っている。68年にアメリカで知り合ったコニー・ブースと結婚。娘シンシアも誕生したが78年に離婚。92年に精神分析家と再々婚した。

◆生い立ち

イングランド・サマセット州にて、すでに40歳をこえた両親の一人息子として生まれる。父は保険会社の外交員。祖父の代に姓をチーズからクリーズに変えた。12歳のころにすでに182cmの長身であったクリーズは、学校では常にからかいの対象であり、「人を笑わせる」ことはそれから身を護り自分が孤立するのを回避するための手段であったという。クリフトン・カレッジを卒業後、2年間教員として働いて学費をため、ケンブリッジ大学のダウニング・カレッジに入学。法学を専攻するかたわら、大学のコメディ・グループ(ケンブリッジ・フットライツ・レヴュー)に積極的に参加、「ケンブリッジ・サーカス」のウエストエンド公演の成功などに多大な貢献をしていた。グレアム・チャップマンとはそこで出会っている。大学卒業後は弁護士として活動するも、法律事務所での仕事をあっさりと捨て、BBCでのコメディー番組の制作に参加するようになる。『ザ・フロスト・レポート』などの番組に参加後、『アット・ラスト・ザ・1948・ショー』や『ハウ・トゥー・イリテイト・ピープル』、ラジオ番組『アイム・ソーリー、アイル・リード・ザット・アゲイン』等ではメインライター及び役者として活躍、知名度を上げていった。

その後他の5人のメンバーと共にコメディー・グループ『モンティ・パイソン』を結成する。

元々の姓は「チーズ(Cheese)」だったが、父親が戦争に出征する時に改姓したという。Cleeseという姓はイギリスでも珍しい。

◆モンティ・パイソンとは?

モンティ・パイソンの一員としてテレビシリーズ『空飛ぶモンティ・パイソン』に出演し、グレアム・チャップマンとコンビでスケッチを執筆、大いに人気を博す。代表的な出演スケッチに「バカ歩き省」「死んだオウム」「アホウドリ売り」「チーズ・ショップ」「デニス・ムーア」などがある。演技としては激しくコミカルな怒りの表現や、正反対に無表情で理屈っぽいものが多い。また、ヒトラーの物まねも名物ネタで、何度も演じている。大学では法学を専攻していたことから、弁護士や会計士の登場する作品も多数ある。

テレビシリーズの第4シリーズには参加しなかったが、シリーズ終了後に制作された映画には参加、数々のクセのある役で出演した。

*参考資料

・ジョン・クリーズ・ウイキペディア

・オールシネマ「ジョン・クリーズ」

https://www.yakimaherald.com/news/nation_and_world/entertainment/john-cleese-turned-down-chance-to-write-abba-musical/article_c1110467-2783-5b5b-881e-3397b0a7563a.html

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