【連載64】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

6月16日木曜日昼

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

皆様こんにちは。一連の熊本地震のうち『40人が亡くなった2回目の震度7の地震から本日16日で2か月』です。熊本県の災害対策本部によりますと県内では一昨日14日午後13時半の時点で『124か所の避難所に合わせて6211人が避難』しています。このうち最も避難者が多いのは益城町で2059人。次いで熊本市が1531人、南阿蘇村が955人、西原村が545人、嘉島町が330人、御船町が257人、宇城市が250人などとなっています。他方県内で被害が確認された住宅は一昨日14日午後13時半現在、14万1970棟に上っています。このうち全壊は7577棟、半壊は2万2784棟、一部破損は10万8762棟、このほか南阿蘇村で被害を受けた2846棟については全壊や半壊といった程度が分からないということです。一体どうなっているのでしょうか?

南阿蘇村では4月16日の地震で大規模な土砂災害が起きて国道にかかる阿蘇大橋が崩落したほかその下流にかかる阿蘇長陽大橋を通る村道や俵山トンネルを抜けるバイパス道で土砂崩れや地割れが見つかり熊本市内や空港とを結ぶ幹線道路はすべて通れなくなっています。地区によっては村の中心部に移動するのに峠道を車で1時間かけてう回しなければならずいわば村は「分断」された状態です。幹線道路の通行再開のメドは全く立っていません。地震による村の「分断」は主幹産業の観光や村民の日常生活に影響を及ぼし復興に向けて大きな妨げになっています。

阿蘇市の大学4年生、大和晃さん(22)は4月16日の地震で大規模な土砂崩れが起きた南阿蘇村の阿蘇大橋付近を車で走っていたとみられ『熊本地震でただ1人今も行方が分からなく』なっています。現場付近では今月1日、警察や消防などによる捜索が行われましたが2次災害のおそれがあるとして地上での捜索は中断されています。父親の卓也さんは「もしかしたらという期待があったので残念ですが協力してもらって感謝しています。捜索の進展がないため2か月がたったという感覚はまだないままです」と話していました。母親の忍さんは「今、晃に対して浮かぶのは『ごめんね』ということばばかりです。『連れて帰る』という気持ちをなんとか奮い立たせて日々、現場に足を運んでいます」と話していました。切ないですね。

南阿蘇村では4月16日の地震で震度6強を観測し昨日15日までに15人が死亡し1人(前出学生)が行方不明になっているほか避難生活による体への負担などで1人が死亡しています。また土砂崩れのおそれがあることなどから村の836世帯、1836人に避難勧告が出されたままで今も隣にある大津町の体育館にはおよそ1100人が避難しています。一方で仮設住宅への入居はまだ行われておらず村は2か所におよそ100戸を建設して今月中にも入居を始めたいとしています。

南阿蘇村と同様に大きな被害を受けた熊本県益城町の工業団地「くまもと臨空テクノパーク」では応急仮設住宅の建設が進んでいます。516戸を建てる予定で完成すれば県内で最大規模になります。7月上旬の完成を目指しています。この大規模な仮設受託が出来ても益城町の避難者の全員が入居できるわけではありません。なので万々歳できるわけではありません。「抽選」で決めるのは民主主義のルールかもしれませんが何とか一日も早く全員が入居できるよう自治体には頑張ってほしいものです。またこの際にどうして「義援金」を使わないのでしょうか?6割も自分達でプールしている赤十字に質問しています相変わらず『小生の質問に赤十字はノーコメントの姿勢』を変えません!どうして大手メディアは追求しないのでしょうか?国会議員も自治体も懇願しないのでしょうか?「義援金」とは何も被災者だけに配布されるものではなく昨日も書きましたが「ボランティアの活動資金」及び「仮設住宅建設」にも使ってもいいのではないでしょうか?被災者に配布された義援金は全壊の家庭でも「最高20万円」でした。赤十字以外の義援金、寄付金を国民から預かった団体も「今そこにある問題」対処の為に「お金」を有効的に使ってほしいモノです。今使わずしていつ使うのでしょうか?何の為の国民の善意(お金)をプールしておくのでしょうか?今後も被災者の避難所生活が続くと思うと心が痛いです。

1.被災地情報

①熊本地震 2回目の震度7から2か月!

一連の熊本地震のうち、40人が亡くなった2回目の震度7の地震から本日16日で2か月です。大規模な土砂災害が起きた熊本県南阿蘇村では今も幹線道路の通行止めが続き村が「分断」された状態になっていることから、復興の大きな妨げになっています。

熊本地震では震度7の揺れが2回観測されて熊本県内で49人が死亡し、このうち、40人は2回目の震度7を観測した4月16日の地震で亡くなりました。南阿蘇村では、今も大学生1人の行方が分かっていません。

南阿蘇村では4月16日の地震で大規模な土砂災害が起きて、国道にかかる阿蘇大橋が崩落したほか、その下流にかかる阿蘇長陽大橋を通る村道や、俵山トンネルを抜けるバイパス道で土砂崩れや地割れが見つかり、熊本市内や空港とを結ぶ幹線道路はすべて通れなくなっています。

このため、地区によっては村の中心部に移動するのに、峠道を車で1時間かけてう回しなければならず、一連の地震によって村は、いわば「分断」された状態になっています。幹線道路の復旧作業は国土交通省が行っていますが、いずれも、通行再開のめどは立っていません。地震による村の「分断」は、主幹産業の観光や村民の日常生活に影響を及ぼし、復興に向けて大きな妨げになっています。

南阿蘇村では4月16日の地震で震度6強を観測し、15日までに15人が死亡し、1人が行方不明になっているほか、避難生活による体への負担などで1人が死亡しています。また、土砂崩れのおそれがあることなどから村の836世帯、1836人に避難勧告が出されたままで、今も隣にある大津町の体育館にはおよそ1100人が避難しています。一方で、仮設住宅への入居はまだ行われておらず、村は2か所におよそ100戸を建設して今月中にも入居を始めたいとしています。

熊本県南阿蘇村に隣接する大津町の避難所では、今朝、南阿蘇村の住民たちが地震で犠牲になった人に黙とうをささげました。

大津町の本田技研体育館では地震による土砂崩れで3人が亡くなった南阿蘇村の立野地区の住民などおよそ110人が避難生活を送っています。今朝は、ラジオ体操に参加した住民たちが地震で亡くなった人を悼み黙とうをささげました。このうち、72歳の男性は「亡くなった方たちがあの世でも元気でいられるようにと思って黙とうをしました」と話していました。74歳の女性は「まだ2か月しかたっていませんが、さらに避難生活が続くと心は持ちこたえても体がもちません。早く家に帰りたい」と話していました。

熊本市内や空港とを結ぶ南阿蘇村の3つの幹線道路では、復旧工事が進められていますが、今も通行再開の見通しはたっていません。

このうち、阿蘇大橋が崩落した大規模な土砂崩れの現場では、復旧工事を安全に行うため遠隔操作ができる大型機械を使って、土砂をせき止める土のうをつくる作業などが行われています。また、俵山トンネルを抜ける県道のバイパスでは、地盤が緩んで路面に亀裂が入った場所で、掘削機を使って舗装を剥がし、地盤を固める作業などが行われています。このバイパスでは、6か所の橋が通行止めになっていますが、損傷の程度を調べたうえで、舗装工事を行うのか、いったん撤去して新しく橋を造り直すのかなどの検討が行われています。

熊本河川国道事務所の光武聡建設監督官は「地元の人たちのために1日も早い開通を目指して工事を進めていますが、まだ具体的な復旧の見通しがたっていないのが実情です」と話しています。

②熊本地震、 不明大学生の家族が手がかり捜す!

一連の熊本地震で、22歳の大学生の行方が分からなくなってから本日16日で2か月になります。家族は昨日15日に、大学生が車で走っていたとみられる熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋の下流にある工事現場を訪れ、手がかりを捜しました。

阿蘇市の大学4年生、大和晃さん(22)は、4月16日の地震で大規模な土砂崩れが起きた南阿蘇村の阿蘇大橋付近を車で走っていたとみられ、熊本地震でただ1人、今も行方が分からなくなっています。

この地震から本日16日で2か月になるのを前に、大和さんの家族は昨日15日、阿蘇大橋からおよそ2キロ下流にあるダムの工事現場を訪れました。

工事現場には一連の地震で大量の土砂が流れ込み、家族は撤去作業で見つかった靴やベルトなどを一つ一つ調べました。昨日15日は大和さんの物は確認できなかったということです。

現場付近では今月1日、警察や消防などによる捜索が行われましたが、2次災害のおそれがあるとして地上での捜索は中断されています。

父親の卓也さんは「もしかしたらという期待があったので残念ですが、協力してもらって感謝しています。捜索の進展がないため、2か月がたったという感覚はまだないままです」と話していました。

また、母親の忍さんは「今、晃に対して浮かぶのは『ごめんね』ということばばかりです。『連れて帰る』という気持ちをなんとか奮い立たせて日々、現場に足を運んでいます」と話していました。

③熊本地震2か月、避難者は6211人!

一連の熊本地震で、最初に震度7を観測した地震が起きてから、一昨日14日で2か月になります。熊本県の災害対策本部によりますと、県内では一昨日14日午後13時半の時点で、124か所の避難所に合わせて6211人が避難しています。

このうち最も避難者が多いのは、益城町で2059人。次いで熊本市が1531人、南阿蘇村が955人、西原村が545人、嘉島町が330人、御船町が257人、宇城市が250人などとなっています。

また、熊本県の災害対策本部によりますと、県内で被害が確認された住宅は、一昨日14日午後13時半現在、14万1970棟に上っています。このうち全壊は、熊本市で2306棟、益城町で2309棟、御船町で693棟、西原村で506棟など、合わせて7577棟です。

また半壊は、熊本市で1万2277棟、益城町で2542棟、御船町で1232棟など、合わせて2万2784棟です。

一部破損は、熊本市で6万8876棟、益城町で5209棟、合志市で4802棟、宇土市で4564棟、菊陽町で3715棟など、合わせて10万8762棟に上っています。

このほか南阿蘇村で被害を受けた2846棟については、全壊や半壊といった程度が分からないということです。

一方、大分県では一連の地震で、一昨日14日までに県内の3343棟の住宅で被害が確認されたと発表しました。全壊が3棟、半壊が106棟、一部損壊が3234棟となっています。

また、けが人は重傷が4人、軽症が24人の合わせて28人となっています。

➃「くまモン」 復興向けの新シンボルマーク発表!

熊本地震の復興に役立てようと、熊本県は昨日15日、くまモンのシンボルマークを発表しました。「復興の旗振り役に」との思いを込め、「くま紋」の旗も作りました。

マークは、くま紋の旗を振るくまモンが「がんばるけん!」と宣言する絵柄。ふだんは「~モン!」が口癖ですが、県民に呼びかける姿をイメージしました。

来年3月末までは、県内関係の企業だけが商品に利用できます。くまモン関連商品の売り上げは年1千億円超の規模だけに、復興につながると期待しています。

シンボルマークは、熊本地震からの復興に向けて、くまモンの生みの親で熊本県出身の放送作家、小山薫堂さんとクリエイティブディレクターの水野学さんが考案しました。

旗印を掲げたくまモンと、県民が復興へ心を一つにしていくという思いを込めて「がんばるけん!くまもとけん!」というスローガンがデザインされています。

県はこのシンボルマークを県内の自治体や学校などで使ってもらうほか、来年3月までは県内の事業者に限って利用することを認め、県内産の商品の販売促進に役立てたいとしています。

熊本県の蒲島知事はくまモンも登場して開かれた記者会見で「いつもとは違うりりしい表情のくまモンです。全国にアピールして地震で厳しい経営環境にある企業を支援していきたい」と話していました。

⑤仮設住宅の建設進む、熊本・益城の工業団地!

熊本地震の本震から本日16日で2か月。熊本県益城町の工業団地「くまもと臨空テクノパーク」で、応急仮設住宅の建設が進んでいます。516戸を建てる予定で完成すれば県内で最大規模になります。7月上旬の完成を目指しています。

⑥はい上がれ、地獄の湯治宿!熊本の3兄弟奮闘!

江戸時代から続く熊本県南阿蘇村の地獄温泉。湯治宿の「清風荘」は、4月16日の本震で建物が損壊し、宿への道路も崩落、休業に追い込まれました。宿を切り盛りしてきたのは3兄弟。被害は深刻ですが、復興に向けて奮闘を続けています。なじみの客たちの熱いエールが背中を押しています。

河津家の次男謙二さん(52)=副社長兼経理担当=と三男の進さん(50)=専務兼調理担当=が、宿の周りで黙々と草刈りをしています。長男の誠さん(54)=社長兼調理担当=は「動いていないと心が折れる」。

3人は、米国でホテル経営を学んだり、兵庫や京都で料理修業を積んだりした後、村に戻り、6年前に亡くなった父威(たけし)さんの後を継ぎました。九州北部豪雨や阿蘇山噴火の風評被害などで苦しんだ時もありましたが、徐々に回復し「先が明るくなってきた」と話していた矢先、熊本地震が襲いました。

激しい揺れの直後、誠さんは、開かなくなった玄関の扉を蹴破り、宿泊客を駐車場に避難させました。真っ暗な中、どこかの山が崩れるカラカラという甲高い音がしました。地面はひび割れ、窓が外れていました。半日以上経って救助に来た自衛隊のヘリで搬送されながら、誠さんは「絶対帰ってくるからなー」と叫んだそうです。

地獄温泉は1808年(文化5年)ごろにできた湯治場とされています。白濁した湯が人気で、年間5万人以上訪れます。しかし温泉へ続く道路は崩落し、別の道も土砂崩れで通れなくなって孤立しました。3人、避難所から何日も通って別の行き方を探し、4月30日、ようやく車と徒歩でたどり着きました。

聞こえてきたのは、宿の名物「すずめの湯」の泉源でガスがはじける音でした。触ると、温かかったそうです。硫黄の香りもそのままです。別の水源からも変わらぬ勢いで水が湧き出ていて、誠さんはうれしくて思わず手にとって飲んだとのこと。

以来、3人はほぼ毎日、従業員らと修復に通いました。車で行けるところまで行き、あとはガソリンタンクや発電機を手に山道を登り、牧草地や林を突っ切るのです。宿の水道管やパイプを修繕し、最近ようやく、湯が風呂に届くようになりました。週末には学校が休みの子どもたちも加勢します。誠さんは「数百年のうちにはこんな地震もある。前を向いて必死で温泉を守る姿を息子たちに見せたい」と話していました。

清風荘の利用者たちは温かい人達でした。5月の大型連休に予約をしていた客に休業をわびると「振り込んだお金は返さんでいい。そのかわり必ず復興してくれ」。地震当日に泊まっていた常連の大阪の女性客は「再開したら私が第一号の客になる」と言ってくれたそうです。

「冬は雪見風呂が最高。今年も間に合うように、一日も早く復興しますように」「知らない人と自然に会話が始まる」……。友人がフェイスブックに開設した「地獄温泉復興ファンクラブ」のページには、ファンたちが次々とメッセージを書き込み、参加者は1600人を超えました。

「この人たちのために頑張らなければ。再開して、『お帰りなさい』と迎えたい」と謙二さんは話しています。ただ、客室がある建物は傾いて壁がはがれ落ちており、大規模な改修が必要だ。中小企業に対する国の補助金制度を使いたいが、その手続きもなかなか進んでいません。「完全に元にもどるには2年はかかるだろう」

それでも誠さんは言います。「ここは地獄。そこから下はない。あとは、昇るしかないんです」。地獄温泉にかけて、悩みを抱えた湯治客にかけてきた言葉です。

今月に入り、関係者だけが通れる簡易道路が開通しました。道路が全面開通したら、まずは日帰り温泉から始めようと考えているそうです。

⑦長引く避難生活、熊本の自治体、病気予防に注力!

熊本地震の発生から2か月。熊本県内では依然、6千人余りが避難生活を続けています。避難の長期化に伴い、心身の働きが衰える「生活不活発病」や、循環器系の疾患、脳卒中などが懸念され、各自治体は予防対策を続けています。

「棒を体の前で持って。ねじりますよー」。一昨日14日午前、避難所となっている熊本県嘉島町の町民体育館であった「健康体操」。介護福祉士のボランティアの動きに合わせて避難者たちが約30分間、腕の筋肉をほぐしました。

長時間同じ姿勢で座っていることなどが原因で、発症のリスクが高まるエコノミークラス症候群(肺塞栓〈そくせん〉症など)や、生活不活発病を予防するため、町が中心となって毎日2~3回開いているプログラムの一つです。

参加した主婦の中林悦子さん(65)は「体を動かすと気持ちよかですね」と話していました。自宅は全壊。1か月間の車中泊を経て、5月中旬からこの避難所に身を寄せています。硬い床で寝る生活は腰に響くそうです。「夜中でも体操するようにしていますが運動不足です」

熊本市の避難所、市総合体育館(中央区)でも、理学療法士らによる運動指導が毎日開かれています。

一昨日14日午後は避難者7人が参加しました。手のひらで、太ももやふくらはぎなどをたたいてほぐす運動や、右腕と左腕で異なる動きをする「脳トレ」に挑戦。地震以降、ずっと避難所生活を続けているという女性(91)は「毎日暗い場所にいるのでうれしい。少し筋肉がついてきた」と話していました。

プログラムを監修した熊本大学の都竹(つづく)茂樹教授(予防医学)は「高齢者は避難所生活が2~3か月も続けば、筋力はみるみる落ちる。動くのがおっくうになり、悪循環に陥るのが怖い」。新潟県中越地震や東日本大震災での教訓を踏まえ「仮設住宅に移った後の孤独死も心配。気軽に、楽しく参加してもらえる仕掛けを工夫していきたい」と話しています。

東日本大震災や阪神淡路大震災では時間が経過すると、被災者の間で心筋梗塞(こうそく)などの循環器疾患や脳卒中が増える傾向がありました。

避難所でエコノミークラス症候群の予防対策に取り組む橋本洋一郎・熊本市民病院首席診療部長(神経内科)によりますと、高血圧などの持病のある人は今後、エコノミークラス症候群に加えてこうした病気への注意を払うことも大切なようです。適度な運動のほか「血圧が高い人は薬を忘れず飲み、場合によっては量を増やす。塩分を排出する効果のあるカリウムを含む野菜や果物を多めに食べてほしい」と、食生活にも注意を促しています。

2.水道情報

「本日6月16日の給水場所」

『熊本市』

・熊本市上下水道局

『益城町』

・益城町水道センター

*終日解放

『西原村』

・山西小学校

・河原小学校

・西原中学校

*上記3か所は24時間

『美里町』

・美里町役場中央庁舎

『南阿蘇村』

・旧立野小学校グラウンド

・沢津野消防詰所前

・東急第一別荘

・黒川交差点まどか前

*上記4か所は午前9時~午後18時まで

3.ここ一週間の地震

2016/06/16 11:03 16日 10:58頃 トカラ列島近海 1

2016/06/16 09:47 16日 09:44頃 宮城県沖 1

2016/06/16 09:16 16日 09:13頃 内浦湾 2

2016/06/16 09:12 16日 09:05頃 内浦湾 1

2016/06/16 05:44 16日 05:41頃 福島県沖 1

2016/06/16 05:07 16日 05:02頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/16 03:43 16日 03:38頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/16 00:05 16日 00:00頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/15 23:06 15日 23:03頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/15 20:11 15日 20:08頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/15 17:27 15日 17:24頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/15 16:07 15日 16:04頃 宮城県沖 1

2016/06/15 12:55 15日 12:52頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/15 12:43 15日 12:40頃 大分県中部 1

2016/06/15 11:20 15日 11:17頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/15 11:05 15日 11:02頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/15 03:16 15日 03:12頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/15 01:23 15日 01:20頃 宮城県沖 1

2016/06/15 00:07 15日 00:02頃 奄美大島近海 1

2016/06/14 22:35 14日 22:31頃 栃木県南部 1

2016/06/14 19:36 14日 19:32頃 種子島近海 1

2016/06/14 17:31 14日 17:27頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/14 15:24 14日 15:20頃 奄美大島北東沖 1

2016/06/14 12:43 14日 12:39頃 千葉県東方沖 1

2016/06/14 10:47 14日 10:44頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/14 05:46 14日 05:43頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/06/14 03:21 14日 03:17頃 宮城県沖 1

2016/06/13 21:01 13日 20:58頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 19:33 13日 19:29頃 茨城県南部 1

2016/06/13 16:00 13日 15:54頃 熊本県熊本地方 4

2016/06/13 13:31 13日 13:27頃 奄美大島近海 1

2016/06/13 13:27 13日 13:22頃 奄美大島近海 1

2016/06/13 13:16 13日 13:13頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 12:37 13日 12:34頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/13 09:42 13日 09:39頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 09:32 13日 09:26頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 07:26 13日 07:23頃 岐阜県飛騨地方 1

2016/06/13 04:50 13日 04:46頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 04:25 13日 04:21頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 04:08 13日 04:03頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 02:16 13日 02:12頃 北海道東方沖 1

2016/06/13 00:42 13日 00:39頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/13 00:04 13日 00:00頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/12 23:16 12日 23:13頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/12 23:11 12日 23:08頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/12 22:57 12日 22:53頃 熊本県熊本地方 3

2016/06/12 22:12 12日 22:08頃 熊本県熊本地方 5弱

2016/06/12 21:23 12日 21:20頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/12 20:35 12日 20:31頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/12 19:51 12日 19:47頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/12 16:03 12日 15:58頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/12 12:52 12日 12:49頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/06/12 09:24 12日 09:21頃 西表島付近 1

2016/06/12 07:57 12日 07:54頃 茨城県南部 4

2016/06/12 07:33 12日 07:29頃 千葉県北西部 1

2016/06/12 05:51 12日 05:48頃 千葉県東方沖 1

2016/06/12 04:38 12日 04:35頃 熊本県阿蘇地方 2

2016/06/12 04:01 12日 03:56頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/12 01:20 12日 01:17頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/06/11 23:44 11日 23:41頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/11 17:11 11日 17:08頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/11 14:50 11日 14:46頃 十勝沖 1

2016/06/11 12:03 11日 11:59頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/11 09:59 11日 09:56頃 有明海 1

2016/06/11 06:56 11日 06:51頃 宮古島近海 1

2016/06/11 05:01 11日 04:58頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/10 23:47 10日 23:38頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/10 21:35 10日 21:32頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/06/10 21:25 10日 21:21頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/10 21:12 10日 21:07頃 三陸沖 1

2016/06/10 15:47 10日 15:44頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/10 15:45 10日 15:42頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/10 14:09 10日 14:06頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/10 13:22 10日 13:16頃 福島県沖 2

2016/06/10 11:06 10日 10:57頃 石垣島北西沖 1

2016/06/10 04:48 10日 04:45頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/10 00:00 09日 23:56頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/09 18:47 09日 18:42頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/09 15:34 09日 15:30頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/09 13:53 09日 13:48頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/09 11:28 09日 11:26頃 茨城県沖 1

2016/06/09 10:52 09日 10:49頃 熊本県熊本地方 1

2016/06/09 07:35 09日 07:32頃 熊本県熊本地方 2

2016/06/09 00:59 09日 00:55頃 茨城県南部 1

(続く)

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