【連載149】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?)

9月9日金曜日夜

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

皆様こんばんは。熊本県八代市は昨日8日、市内の80歳代の女性を熊本地震の影響で死亡した「震災関連死」に認定したと発表しました。認定は7日付。市によりますと、女性は地震後の車中泊などで肺炎を患って入院し4月29日に死亡したとのことです。

今回の認定により、熊本地震での死者は

・直接死50人

・関連死43人

・6月の豪雨で死亡し県が「地震の影響で発生した被害者」とした5人

・犠牲者は合計98人となりました。

実はお亡くなりになった方は100名以上います。しかし地震があってもなくても亡くなっていたと思われる例もあり、亡くなったご家庭と県、市町村で意見が食い違い、認められていないケースも多々あります。今後どうなっていくのか?大変難しい事例です。ただ増えていくことだけは事実です。結局は『自治体次第』なのです……。人の命は尊いもの。お悔やみ申し上げます。

熊本地震に伴い県が益城町に整備した応急仮設団地「テクノ団地」(516戸)で『少なくとも18戸が6日の大雨で床下浸水』したことが昨日8日、分かりました。『浸水した付近は雨水がたまりやすく県が排水管の増設を進めていたが間に合いません』でした。県によりますと床下浸水は6日夜に発生。担当者が午後21時ごろ団地中央部の6棟18戸が床下浸水しているのを確認しました。同町職員らがポンプを使って排水し7日未明に作業を終えたとのことです。

熊本地方気象台によりますと『同町では6日午後18時半までの1時間に31.5ミリの激しい雨』を観測。住民によりますと『同日午後17時半ごろ団地中央部に水がたまり始めた』とのこと。団地中央部の地面は周囲より低く『県は7月にも雨水がたまっているのを確認』。今月2日に排水管の増設工事を始め中旬に完了する予定でした。県住宅課は「住民に迷惑をかけて申し訳ない。同じような事態を招かないよう、速やかに対応したい」としています。床下浸水の被害に遭ったパートの田嶋寿子さん(31)は「3歳の長女は『怖い、怖い』と泣いていた。ただでさえ地震で怖い思いをしているのに」と話していました。

さてこれはだれの責任でしょうか?まず益城町は仮設住宅を作る際に「一日も急いで作ろう」と思い『最悪の場合を想定せずに建設した』ことが上記の町職員の会話を見てもわかります。建設のプロたちも『見過ごした』罪は大きいです。東日本震災の仮設住宅もそうですが『手抜き』『想定外』が多数見られました。いくら早く作ろうと言う想いがあっても『手抜き』はいけません。県は全ての仮設住宅を今一度早急に見直すべきだと小生は思います。

熊本地震の、り災証明書発行のため熊本県内の市町村が実施している住宅被害2次調査で『被害判定に使うチェックシート(調査票)が熊本市と他市町村とで異なっている問題』で県は昨日8日『県内全45市町村長らを対象にした調整会議を16日に県庁で開く』と発表しました。会議では県が市町村ごとの罹災証明書の発行状況を説明。熊本市の担当者が市独自の調査票や調査の具体的な手法、2次調査で判定が重くなった事例などを説明。その後、市町村長らで意見交換します。

県は当初、市町村間での調査の統一を図ろうと被災市町村に共通調査票の導入を促していました。しかし調査件数が圧倒的に多い熊本市は様式を簡略化した独自の調査票を採用。同市では2次調査で判定が1次より重くなった件数の割合が7月末時点で60%を超え、20~30%台が多い他市町村と差が生じていました。

こうした事態を受け嘉島町など共通調査票を使う熊本市以外の被災18市町村長は5日、県に対し被災自治体間の調整を図ることなどを申し入れました。坂本浩知事公室長は「まずは熊本市の調査手法、運用について市町村間で情報を共有してもらい、今後の被害判定の方向性を見つけていきたい」と話しています。

毎日のように小生もこの問題を批評していますが、ようやく県も本気になって動き出してくれるようで被災者にはBESTな事例です。しかし県全体のチェック方法が統一されても、そのチェックを行なう職員が圧倒的に足りません!東京都など職員に余裕がある自治体に年内だけでも職員のヘルプを求めるべきです。当初は今頃に全部終わると豪語していたわけですから、今のままでは年末年始になっても終わらない恐れがあります。お正月だけは無事に迎えたいものですね。被災者のイライラを少しでも取り除くことが職員の使命ではないでしょうか?

『熊本市最後の避難所・市総合体育館(中央区出水)が15日閉鎖』される予定です。身を寄せる80世帯のほとんどの転居先は決まりましたが住み慣れた地域から離れる人も少なくありません。残りあと1週間。避難者の胸中には新たな生活への決意と不安が交錯していました。7日午前10時。5月から同体育館に避難する松尾英昭さん(52)と母道子さん(74)は、荷物の整理に取り掛かっていました。中央区新町のアパートに住んでいた松尾さん親子。一部損壊の診断で仮設住宅には入れず腰の悪い道子さんが安心できる住まいはなかなか見つかりませんでした。「前に住んできたところに戻りたかったけど、人生何でん思い通りにならんね」と道子さん。市に相談した結果、北区の市営団地へ入居が決まりました。15日に引っ越すそうです。

市が避難者に閉鎖予定日を知らせたのは7月28日。その後は職員6~8人が避難所に常駐し支援に力を入れました。ブースを設けて住宅の情報を提供し世帯ごとに面談。避難者からは「もう少し待ってほしい」という声の一方で「期限が示され、気持ちに区切りが付いた」という決意も聞かれました。

7日現在『80世帯のうち78世帯の“行き先”が決定』。仮設住宅や民間賃貸住宅へ移る人、被災した自宅に戻る人、親戚や知人宅へ行く人がほぼ3分の1ずつでした。「家賃の問題、地元への愛着など、それぞれに事情がある。決断を待つしかなかった」と東区まちづくり推進課の弓掛博親課長。原則2年という期限がある仮設入居者の他にも、さらなる転居を考える人もいます。東区の深田邦昭さん(35)は父(72)と西区の市営団地に入りますが「やっぱり東区の物件を探す。市には、次の住宅探しも支援してほしい」。中央区の一岐俊子さん(69)が入居する東区の民間賃貸住宅は、最長1年の期限付き。「ここを出て賃貸に入っても、また住まい探しです」とこぼしていました。

市は8月から順次、仮設団地の見守り活動や、みなし仮設の戸別訪問を実施しています。弓掛課長は「これからついのすみかを探す人も多く、避難所を離れてからの支援が重要になる。被災者の相談には丁寧に応じていきたい」と話しています。避難所生活は終わっても生活再建への道は始まったばかりです。

県内では15日で避難所を全部閉鎖する予定です。(避難所が)学校の体育館を使っているので子供達に戻してあげたい、避難所生活者の数も減ったのでもういいだろう。そのようなお役所的な姿勢がどうしてもぬぐえません。仮に仮設住宅やアパートを見つけても、今居る避難所より学校や職場、自宅から遠くなるケースも多々あります。最大公約数的に全員に100%の希望を叶えるのは確かに難しいかもしれませんが、どうか路上生活者が出ないよう、自治体には責任をもって『避難所閉鎖』をしてほしいと切に願います。

益城町は7日『熊本地震後に開設していた町指定避難所の町公民館福田分館を閉鎖』しました。最大18カ所あった指定避難所は『町総合体育館の1か所』のみになりました。

町内の避難所には『本震翌日の4月17日に最大1万6050人が避難』。7日現在『町総合体育館には241人が避難』しています。町は『整備が進む応急仮設住宅への入居が完了するまでは町総合体育館の避難所を継続して開設』する方針。

町災害対策本部によりますと福田分館には3世帯4人が避難。事前の調査で4人が7日に退所する意向を示したため同日の閉鎖を決定しました。ただ町内の老人施設に入所予定だった90代女性が同日になってもう1日残ることが分かったため自主避難として受け入れることにしました。ほかの3人も女性とともに避難所に残りました。自主避難となった理由について同本部は「事前に7日の閉鎖を決めており、食事を提供する準備ができていない」と説明しました。

益城町はとりあえずは町総合体育館は15日以降も避難所として残すようです。とにかく全被災者の行く先が決まるまでは自治体には頑張ってほしいと思います。

避難所の件は明日以降もご報告致します。

1.被災地情報

①熊本地震の死者災害関連死含め98人に!

熊本地震の被災者のうち、熊本県八代市の80代の女性1人が、新たに災害関連死として認定され、一連の地震による死者は98人となりました。

八代市では一連の地震のあと、死亡した被災者の遺族から災害弔慰金の申請を受け、避難生活での体調の悪化などで亡くなった災害関連死にあたるかどうか、審査委員会で審査しています。

その結果、4月下旬に亡くなった80代の女性について、新たに災害関連死として認定しました。

女性は、避難所での生活や車中泊で体調を崩し、肺炎にかかって入院していたということです。

一連の地震で災害関連死と認定されたのは、これで42人となり、熊本地震による死者は、地震のあとの6月の大雨で発生した土砂崩れで死亡した5人と合わせて98人となりました。

②「銀チョコW」売り上げ1個1円を熊本へ寄付フジパン!

フジパン(名古屋市)は7日、菓子パン「銀チョコW(ダブル)」の九州地区での売り上げの一部を、「熊本地震義援金」として熊本県に寄付すると発表しました。このパンを作る全国4工場の一つ、熊本工場(同県宇城市)が8月末に全面復旧したため、九州地区での販売を再開しました。

対象は、山口県の一部を含む九州地区のスーパーなどに9月と10月に納める分で、「くまもと発」のシールをはります。寄付は1個につき1円で、100万円ほどの寄付をめざします。

銀チョコWは、棒状のパンにミルククリームを2列挟み、表面のほとんどをチョコで覆っています。店頭では100円前後で売られています。フジパンがつくる菓子パンの年間売り上げベスト5に、2015年まで2年連続で入りました。

③熊本に義援金、日本サッカー協会!

日本協会は熊本地震の義援金として、3148万3949円を熊本県に寄付しました。義援金は、チャリティーマッチとして開催した23歳以下(U23)日本代表の国際親善試合の収益金の一部のほか、チャリティーマッチの入場者や日本代表選手らの募金などで集めました。

田嶋幸三会長が昨日8日、県庁を訪れ、蒲島郁夫知事に目録を手渡しました。

➃女子ハンドボール世界選手権大会の会場決まる!

県は7日、2019年冬に県内で開催される女子ハンドボール世界選手権大会の会場を発表しました。メイン会場をパークドーム熊本(熊本市東区)、サブメイン会場を熊本市総合屋内プール(熊本市南区)、予選ラウンド会場を八代市総合体育館と山鹿市総合体育館に決めました。

大会は同年12月、15日間行われ、世界各国から24チームが参加します。

蒲島郁夫知事はこの日の定例記者会見で、「このビッグイベントを震災復興の目標地点として、県民に夢や希望・元気を与える大会を目指します」と話しました。

⑤宇土市役所の解体、使用済み食用油使った燃料活用!

熊本地震で損壊した市庁舎の解体工事が進む宇土市で、市民から回収した使用済みの食用油からつくったバイオディーゼル燃料(BDF)が、解体用の重機などの燃料に使われています。市環境交通課の伊藤誠基課長は「環境への負担を減らすとともに、市民も愛着のある旧庁舎の解体に参加しているという気持ちになってもらえればいい」と一石二鳥を狙っています。

BDFは軽油の代替燃料となり、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を増やさず、酸性雨の原因とされる硫黄酸化物がほとんど出ず、石油から精製される軽油と比べて黒煙も大幅に減る利点があるとのことです。

市は現在使っている仮設庁舎と別の支所の計2か所に回収ボックスを置いて使用済み食用油の提供を呼びかけており、BDF製造販売会社「自然と未来」(熊本市)がBDFを製造し、解体工事を請け負っている西松建設(本社・東京)に売っています。

西松建設九州支社(福岡市)によりますと、重機など解体用の大型機械2台にBDFを使っているそうで「温暖化対策のための環境保護の一環として取り組んでいる」としています。

⑥阿蘇の輪地切りピンチ!地震、豪雨で土砂崩れ!

阿蘇の草原を維持し、春の風物詩の野焼きに欠かせない防火帯を作る「輪地(わち)切り」が、熊本地震やその後の豪雨による土砂崩れなどに伴い、一部で実施できない事態に陥いりました。野焼きそのものや牧野の管理を見送る組合も出る中、「草原が荒廃するのではないか」との懸念が広がっています。

阿蘇には約2万2千ヘクタールの草原が広がり、約1万6千ヘクタールで野焼きが続いてきました。輪地切りは野焼きの際、山林などへの延焼を防ぐため草を帯状に伐採します。草原の維持支援に当たる公益財団法人阿蘇グリーンストックによりますと、輪地切りの総延長は約530キロ。約150の原野・牧野の管理組合の多くは例年9~10月に実施しています。

阿蘇の草原では熊本地震と豪雨によって、土砂崩れや地割れが各所で発生。牧野道も被災しました。同法人の桐原章専務理事は「徒歩で行って作業をしようにも危険な場所が多数ある」と説明しています。

特に深刻なのは南阿蘇村中部の御竈門(おかまど)山、夜峰山の一帯。地元の中松3区の緒方秋男区長(72)は「道が寸断され、調査すらできない」と、輪地切りと野焼きの中止を決めました。

高齢化も進み、緒方区長は「人手不足で来季以降は野焼きの範囲を狭めざるを得ない」と漏らしています。中松3区に隣接する南阿蘇村の4組合も被害が大きく、ほぼ全域で野焼きは厳しい状況だそうです。

阿蘇市の東役犬原牧野組合も牧野道の崩壊で車を入れられないため、輪地切りを断念。地区の会合で入会権の放棄を決め、市に牧野の管理を要望しました。森下今朝年組合長(71)は「放牧する畜産農家がおらず、ここ数年は採草していない。二十数戸の組合員が高齢化し、管理するのは限界」と吐露しています。

ただ、一つの組合が取りやめると、問題は周辺に拡大します。野焼きは隣接する牧野との一斉作業だからです。同市農政課は「東役犬原でできないと、阿蘇五岳東側の広範囲に影響が及ぶ」と困惑。国の補助や隣接組合の支援などを受け、同組合に管理を続けるよう求めていく姿勢です。

輪地切りを計画する複数の組合も安全面を考え、野焼きについて結論を出していません。市有林や県有林沿いの輪地切りを担う同市と県は「現地に行けば、草を伐採できない場所が出てくるかもしれない」としています。

グリーンストックの桐原専務理事は「野焼きの担い手不足に地震が追い打ちをかけた。草原の放置が進まないか心配」とし、できる限りの支援をする考えです。

⑦イオン熊本中央店が新業態へ!

イオン九州の柴田祐司社長は昨日8日、熊本市中央区の「イオン熊本中央店」を、地域の客層に合わせた売り場をつくる新業態の「イオンスタイル」に転換する方針を明らかにしました。

イオンスタイルは、商圏に合わせ専門性の高い商品やサービスを提供するのが特徴。熊本地震で被災した嘉島町の「イオン熊本店」の2階部分も、7月の営業再開からキッズコーナーや雑貨を充実させた同業態に刷新しています。

熊本中央店は大規模改装の上で、業態を転換する見通し。同社は旧ダイエー店舗を中心に対象を絞り込み、2017~19年の次期計画で順次、転換を進める方針。

同社は昨日8日、福岡市に全館改装としては九州1号店となる「イオンスタイル笹丘」をプレオープン。周辺に30代~40代のファミリー層が多く所得水準が高いことに対応し、質の高い地元食材の強化に加え、輸入食品店や都市型のメンズ服飾ブランドなども導入しました。投資額は約5億円で、売り上げは改装前の20%増を目指すとしています。

⑧仮設住宅18戸が床下浸水!益城町のテクノ団地!

熊本地震に伴い県が益城町に整備した応急仮設団地「テクノ団地」(516戸)で、少なくとも18戸が6日の大雨で床下浸水したことが昨日8日、分かりました。浸水した付近は雨水がたまりやすく、県が排水管の増設を進めていたが、間に合いませんでした。

県によりますと、床下浸水は6日夜に発生。担当者が午後21時ごろ、団地中央部の6棟18戸が床下浸水しているのを確認しました。同町職員らがポンプを使って排水し、7日未明に作業を終えたとのことです。

熊本地方気象台によりますと、同町では6日午後18時半までの1時間に31.5ミリの激しい雨を観測。住民によりますと、同日午後17時半ごろ、団地中央部に水がたまり始めたとのこと。

団地中央部の地面は周囲より低く、県は7月にも雨水がたまっているのを確認。今月2日に排水管の増設工事を始め、中旬に完了する予定でした。県住宅課は「住民に迷惑をかけて申し訳ない。同じような事態を招かないよう、速やかに対応したい」としています。

床下浸水の被害に遭ったパートの田嶋寿子さん(31)は「3歳の長女は『怖い、怖い』と泣いていた。ただでさえ地震で怖い思いをしているのに」と話していました。

⑨熊本地震の記録をデジタル保存、公開!

熊本県は、熊本地震の記録を防災教育に生かそうと、被災自治体や民間企業などから収集した写真、動画、文書などをデジタルデータ化して一般公開する「デジタルアーカイブ事業」を本年度から始めます。

2016年度一般会計補正予算案に、本年度分の事業費3100万円を盛り込みました。

収集するのは、各市町村の救助や復旧計画、被災家屋の調査態勢といった行政資料のほか、各種団体・個人の写真や動画、図書、雑誌、学術論文など。データベースで検索して閲覧できるようにします。

東日本大震災でも、宮城県などが同様の取り組みを実施。同県は全市町村と協力して40万件以上を収集し、昨年6月に開設したホームページ(HP)で22万件を公開しています。

熊本県は本年度中に、大量のデータを保存するシステム作りに着手します。時間や場所といった文書や写真データを補足する説明文、検索ワードを付け、順次公開する予定。今後は、提供者がHPを通して自分でデータを登録できる仕組みも検討します。

県内では既に市町村や大学、図書館なども収集を進めており、県は「各機関の役割を整理して連携体制をつくり、統一して検索できる仕組みを目指したい」としています。

⑩仮設団地の集会所にWi-Fi整備!

熊本県とNTT西日本、第一興商は昨日8日、熊本地震で被災した南阿蘇村立野地区の住民らが暮らす大津町の岩坂仮設団地(43戸)と南出口仮設団地(78戸)の集会所「みんなの家」に、公衆無線LAN「Wi-Fi(ワイファイ)」を整備しました。

インターネット環境を整え、住民の交流を促すのが狙い。住民に歩数や消費カロリーなどが分かる携帯用の活動量計を配布。集会所のインターネット端末に接続し、健康管理に役立ててもらいます。ほかに血圧計やカラオケも設置しました。いずれも利用無料。

この日は、両団地で説明会があり、岩坂仮設団地の鳴瀬ケサトさん(75)は「使い方を覚えられるか不安もあるが、みんなが集まるきっかけになれば」と話していました。

⑪放牛石仏41体被災、「守る会」修復へ表示板設置!

江戸時代の僧・放牛(ほうぎゅう)が熊本県内各地に建立した石仏が熊本地震で被災しています。郷土作家などでつくる「放牛石仏を守る会」(正田吉男会長)によりますと、現存する98体のうち41体で被害を確認。保存や修復に向けて、表示板の設置を始めました。

石仏は、放牛が1722(享保7)年から11年間で、熊本市などで100体余りを作ったとされています。切り殺された父親を弔うためという説や、飢饉(ききん)で亡くなった死者を供養したという説もあります。地蔵や観音像、阿弥陀如来などさまざまで、多くは道端にある小さな御堂で、地域の人たちが祭ってきました。

地震後、同会が調べたところ、熊本市や益城町、南阿蘇村などで、41体の倒壊や転倒、本体のずれなどを確認。西区二本木の地蔵は後ろに倒れました。同区池田の往生院境内にある地蔵も倒れ、現在は元に戻されています。

関心を持ってもらおうと、同会は表示板未設置の石仏21カ所で、「放牛石仏○体目」と記した表示板の設置を開始。10月中に終えたいとのことです。正田会長(74)は「表示板を設置したら手を合わせる人も出てきた。復旧や修復につながれば」と話しています。

⑫高齢者の生活不活発度確認、同志社大と中九州短大!

体を動かさない状態が続くことによって心身の機能が低下して動けなくなる「生活不活発病」を防ごうと、同志社大と中九州短大が昨日8日、熊本県八代市で高齢者の脚力や歩行能力などを測定しました。本日9日まで市内の4か所で計約100人を測ります。

生活不活発病は東日本大震災の約半年後に確認され、環境の変化や気力の減退が要因とされます。熊本地震を受けて中九州短大の村上清英教授が、同志社大体力医科学研究センターの石井好二郎教授に協力を依頼。石井教授やスタッフ、学生ら13人が訪れました。

昨日8日は平山区公民館と松高公民館で、70~80代を中心に約50人を測定。高さ40~10センチの台座に座った状態から片足で立ち上がるテストや、脚の筋力、歩幅など移動能力を測りました。日常生活の困難度もアンケートし、スクワットなど脚力の保ち方を助言しました。

石井教授は「熊本地震以前の生活がなされている場所として八代市を選んだ。車や電動カートの利用者が多く、都市部より脚力の弱い人が目立った」と指摘。同市平山新町の岡田徳子さん(86)は「家の中を歩いたり、洗濯物を取り込んだりしたい」と体を動かす大切さを実感していました。

⑬部材一つずつ地道に回収!

熊本地震による熊本城(熊本市中央区)の被災状況を知りたいという声をよく聞きます。城内のほとんどが閉鎖される中で、間近に地震の爪痕を見られる場所の一つが、倒壊した国重要文化財の東十八間櫓(やぐら)と北十八間櫓。石垣ごと崩れた櫓の無残な姿に息をのみます。

7月下旬から、東十八間櫓の部材撤去工事が開始。石垣の足元にある熊本大神宮の社務所にも崩れ掛かり、社務所は解体されました。

現場で指揮を執るのが、島崎工務店(同市東区)の松永孝一さん(62)。全国で163人しかいない文化財建造物木工主任技能者の一人です。

約25年にわたり、人吉球磨の神社やお堂、佐賀県にある明治期の銀行など文化財修復に携わってきました。熊本城の復元工事では戌亥(いぬい)櫓、飯田丸五階櫓、本丸御殿、馬具櫓、長局(ながつぼね)…と“超”が付くベテラン職人。飯田丸五階櫓が巨大な鉄骨で保持されたのを見て「感無量だった」と話しています。

今回は建物の部材と石垣、瓦、土が混在し、高難度。一つ一つ部材を傷めないように重機でつり上げて降ろしていきます。ブルーシートの上では、木材からくぎを抜いたり、しっくいを取ったりして部材を調査し、西出丸の格納庫に一時保管します。石材が出て来た場合は、石工と相談しながら進めます。

この現場を初めて見て「言葉にならなかった」と松永さん。長く熊本城に関わり、建物の歴史が分かる職人だからこそ喪失感も大きかったようです。「地道に一つ残らず部材を拾い上げる。少しでも役に立ちたい」。撤去には4,5カ月かかるそうです。

松永さんは「熊本城には特有の『納まり』がある」と教えてくれました。石垣の上にある建造物は、通常の直角や水平が通用しません。「東から見たらかっこいい櫓が、西からは真っすぐな姿。上から見るとゆがんでいたりする」。それが建物の「納まり」。今後の修復には、松永さんのような職人の経験が欠かせません。

⑭住宅被害調査で全市町村と調整へ!

熊本地震の、り災証明書発行のため熊本県内の市町村が実施している住宅被害2次調査で、被害判定に使うチェックシート(調査票)が熊本市と他市町村とで異なっている問題で、県は昨日8日、県内全45市町村長らを対象にした調整会議を16日に県庁で開くと発表しました。

会議では、県が市町村ごとの罹災証明書の発行状況を説明。熊本市の担当者が、市独自の調査票や調査の具体的な手法、2次調査で判定が重くなった事例などを説明。その後、市町村長らで意見交換します。

県は当初、市町村間での調査の統一を図ろうと、被災市町村に共通調査票の導入を促していました。しかし、調査件数が圧倒的に多い熊本市は、様式を簡略化した独自の調査票を採用。同市では2次調査で判定が1次より重くなった件数の割合が7月末時点で60%を超え、20~30%台が多い他市町村と差が生じていました。

こうした事態を受け、嘉島町など共通調査票を使う熊本市以外の被災18市町村長は5日、県に対し被災自治体間の調整を図ることなどを申し入れました。

坂本浩知事公室長は「まずは熊本市の調査手法、運用について市町村間で情報を共有してもらい、今後の被害判定の方向性を見つけていきたい」と話しています。

⑮最後の避難所、閉鎖まで1週間、熊本市!

熊本地震で開設された避難所のうち、熊本市最後の避難所・市総合体育館(中央区出水)が15日、閉鎖される予定です。身を寄せる80世帯のほとんどの転居先は決まりましたが、住み慣れた地域から離れる人も少なくありません。残りあと1週間。避難者の胸中には、新たな生活への決意と不安が交錯していました。

7日午前10時。5月から同体育館に避難する松尾英昭さん(52)と母道子さん(74)は、荷物の整理に取り掛かっていました。中央区新町のアパートに住んでいた松尾さん親子。一部損壊の診断で仮設住宅には入れず、腰の悪い道子さんが安心できる住まいはなかなか見つかりませんでした。

「前に住んできたところに戻りたかったけど、人生何でん思い通りにならんね」と道子さん。市に相談した結果、北区の市営団地へ入居が決まりました。15日に引っ越すそうです。

市が避難者に閉鎖予定日を知らせたのは7月28日。その後は職員6~8人が避難所に常駐し、支援に力を入れました。ブースを設けて住宅の情報を提供し、世帯ごとに面談。避難者からは「もう少し待ってほしい」という声の一方で、「期限が示され、気持ちに区切りが付いた」という決意も聞かれました。

7日現在、80世帯のうち、78世帯の“行き先”が決定。仮設住宅や民間賃貸住宅へ移る人、被災した自宅に戻る人、親戚や知人宅へ行く人がほぼ3分の1ずつでした。「家賃の問題、地元への愛着など、それぞれに事情がある。決断を待つしかなかった」と東区まちづくり推進課の弓掛博親課長。

原則2年という期限がある仮設入居者の他にも、さらなる転居を考える人もいます。東区の深田邦昭さん(35)は父(72)と西区の市営団地に入りますが「やっぱり東区の物件を探す。市には、次の住宅探しも支援してほしい」。中央区の一岐俊子さん(69)が入居する東区の民間賃貸住宅は、最長1年の期限付き。「ここを出て賃貸に入っても、また住まい探しです」とこぼしていました。

市は8月から順次、仮設団地の見守り活動や、みなし仮設の戸別訪問を実施しています。弓掛課長は「これからついのすみかを探す人も多く、避難所を離れてからの支援が重要になる。被災者の相談には丁寧に応じていきたい」と話しています。避難所生活は終わっても、生活再建への道は始まったばかりです。

⑯まち歩きツアー“再出発”、熊本城周辺など11コースで!

熊本国際観光コンベンション協会は、熊本地震で休止していたまち歩きツアー「くまもとさるく」を再開しました。文化財の被災などを考慮してコースを見直し、熊本城一帯の被災・復興の様子を見て回るなどの11コースで、9月から“再出発”しました。

同ツアーは、市民ガイドとのんびりまちを歩きながら、地域の歴史や風情を楽しんでもらおうと2007年にスタート。16年度前期(4~9月)は、熊本城内の文化財を巡るなど14コースを設定していましたが、地震で中止を余儀なくされていました。

震災で熊本城や熊本大五高記念館などの名所も被災。入場規制が続くため、一部でコースを見直しました。城周辺を回るコースや夏目漱石来熊120周年にちなんだ坪井・子飼かいわいのゆかりの地を訪ねるコースなどに変更しました。

「今しか見ることができない風景もある。多くの人に参加してほしい」と同協会。新コースを紹介するパンフレット1万2千部を作り、市内外の観光案内所などへ配布しています。コースによって開催日が異なり、前日夕までに予約が必要。大人500円、小中学生250円(市内小中学生は無料)。同協会TEL096(359)1788。

⑰入居者の交流に役立てて、熊日がホワイトボード贈呈!

熊本日日新聞社は7日、御船町高木の高木仮設団地(22戸)に、集会所など公共スペースで情報掲示板として活用してもらうホワイトボードを贈りました。熊日が地域復興に向けて取り組む「熊本地震復興再生会議」の活動の一環。

集会所であった贈呈式には、藤木正幸町長や入居者ら約20人が出席。熊日の和田浩二販売局長が「皆さんに自由に使っていただき、絆をより深めてほしい」とあいさつ。入居者の川崎美智子さん(72)に目録を手渡しました。

藤木町長は「困難な状況を乗り越えるにはコミュニケーションが一番大切」と謝辞。川崎さんも「みんなで集まって歌うとき、ここに歌詞を書いたりして使いたい」と話していました。

ホワイトボードは縦90センチ、横120センチ。約90台を用意し、1日から県内の仮設に設置を始めました。今後、新たな要望があれば設置台数を増やす予定。

⑱益城町の避難所1カ所に!町総合体育館が継続!

熊本県益城町は7日、熊本地震後に開設していた町指定避難所の町公民館福田分館を閉鎖しました。最大18カ所あった指定避難所は町総合体育館の1か所のみになりました。

町内の避難所には、本震翌日の4月17日に最大1万6050人が避難。7日現在、町総合体育館には241人が避難しています。町は、整備が進む応急仮設住宅への入居が完了するまでは町総合体育館の避難所を継続して開設する方針。

町災害対策本部によりますと、福田分館には3世帯4人が避難。事前の調査で4人が7日に退所する意向を示したため、同日の閉鎖を決定しました。

ただ、町内の老人施設に入所予定だった90代女性が同日になってもう1日残ることが分かったため、自主避難として受け入れることにしました。ほかの3人も女性とともに避難所に残りました。

自主避難となった理由について、同本部は「事前に7日の閉鎖を決めており、食事を提供する準備ができていない」と説明しました。

⑲「武者がえし」も復活!明日10日から販売!

お菓子の香梅(熊本市)は7日、熊本地震で熊本県西原村の工場が被災し、休止していた人気商品「武者がえし」の製造を再開しました。明日10日から県内の直営25店で販売します。6月に製造と販売を再開した「誉の陣太鼓」と並ぶ看板商品が復活し、本格復旧へ前進します。

武者がえしは、こしあんをパイ生地で包んで焼いた菓子。焼く前に形を整える機械の補修が長引いていました。5日からの試作を経て、稼働を再開しました。震災前の生産能力は1日5万個でしたが、特製のこしあんの設備が約3分の1しか復旧していないため、当面は1万8千個にとどまります。

7日は従業員約20人が工場の定休日を返上し、生地作りから箱詰めまで担当の業務に当たりました。大型オーブンから商品が次々に焼き上がり、工場内に甘い香りが漂っていました。

角谷亮司工場長(49)は「看板商品なので、優先して復旧に取り組んだ。ようやく再開にこぎ着け、ほっとしている」と話していました。

武者がえしは、同社の売上高の約2割を占めます。約5割に上る主力商品の陣太鼓は、6月20日の販売再開後、全国から続々と注文があり、8月末までに直営店で前年同期の約2.5倍の売り上げを記録したとのことです。

今後は全面復旧が課題で、同社は国のグループ補助金を活用し、工場の建て替えを計画しています。

2.ここ一週間の地震

2016/09/09 15:10 09日 15:06頃 宮古島近海 1

2016/09/09 13:50 09日 13:47頃 岩手県沖 2

2016/09/09 05:22 09日 05:18頃 千葉県北西部 1

2016/09/08 21:39 08日 21:35頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/08 20:04 08日 20:00頃 奄美大島近海 2

2016/09/08 16:46 08日 16:43頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/08 16:10 08日 16:07頃 有明海 1

2016/09/08 15:19 08日 15:15頃 熊本県熊本地方 3

2016/09/08 15:12 08日 15:08頃 茨城県沖 2

2016/09/08 05:53 08日 05:50頃 岩手県沖 1

2016/09/08 00:00 07日 23:57頃 熊本県阿蘇地方 2

2016/09/07 22:52 07日 22:49頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/07 20:29 07日 20:26頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/07 18:46 07日 18:42頃 日高地方中部 3

2016/09/07 15:01 07日 14:57頃 十勝地方北部 1

2016/09/07 14:36 07日 14:33頃 福島県沖 1

2016/09/07 14:20 07日 14:17頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/07 13:33 07日 13:28頃 茨城県南部 4

2016/09/07 11:21 07日 11:17頃 沖縄本島近海 2

2016/09/07 07:50 07日 07:46頃 茨城県南部 1

2016/09/07 05:22 07日 05:19頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/07 03:49 07日 03:46頃 西表島付近 1

2016/09/07 02:23 07日 02:19頃 種子島近海 1

2016/09/07 02:17 07日 02:14頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/07 01:59 07日 01:56頃 熊本県熊本地方 4

2016/09/07 00:27 07日 00:22頃 宮古島近海 3

2016/09/06 17:54 06日 17:51頃 熊本県阿蘇地方 3

2016/09/06 08:55 06日 08:51頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/06 04:00 06日 03:57頃 千葉県北西部 2

2016/09/05 22:57 05日 22:53頃 福島県会津 1

2016/09/05 20:58 05日 20:55頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/05 17:47 05日 17:43頃 宮城県沖 1

2016/09/05 05:09 05日 05:06頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/05 01:47 05日 01:42頃 千葉県北東部 1

2016/09/05 00:26 05日 00:23頃 秋田県内陸南部 1

2016/09/04 23:52 04日 23:49頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/04 18:37 04日 18:34頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/09/04 17:53 04日 17:50頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/04 09:18 04日 09:15頃 宮城県沖 1

2016/09/04 08:39 04日 08:36頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/04 06:21 04日 06:17頃 熊本県熊本地方 3

2016/09/04 03:14 04日 03:11頃 青森県東方沖 1

2016/09/04 01:28 04日 01:24頃 青森県三八上北地方 1

2016/09/03 23:42 03日 23:38頃 浦河沖 1

2016/09/03 23:04 03日 23:01頃 沖縄本島近海 2

2016/09/03 22:48 03日 22:45頃 宮城県沖 2

2016/09/03 21:38 03日 21:34頃 福島県会津 2

2016/09/03 21:14 03日 21:11頃 千葉県東方沖 2

2016/09/03 15:06 03日 15:03頃 紀伊水道 2

2016/09/03 14:13 03日 14:10頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/03 14:13 03日 14:09頃 国後島付近 2

2016/09/03 13:25 03日 13:22頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/03 12:07 03日 12:03頃 トカラ列島近海 2

2016/09/03 11:10 03日 11:07頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/03 09:07 03日 09:04頃 長野県北部 1

2016/09/03 08:32 03日 08:29頃 長野県北部 2

2016/09/03 01:20 03日 01:17頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/02 16:38 02日 16:35頃 熊本県熊本地方 2

2016/09/02 10:36 02日 10:33頃 熊本県熊本地方 1

2016/09/02 08:30 02日 08:27頃 宮城県沖 2

2016/09/02 05:14 02日 05:11頃 栃木県北部 1

(続く)

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