9月16日金曜日夜
【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】
皆様こんばんは。熊本地震の避難所のうち『熊本市内で唯一残っていた中央区出水の市総合体育館・青年会館が昨日15日閉鎖』されました。4月16日の本震から5カ月を前に『30世帯の44人は新たな住まいへ移り』ました。「生活再建の第一歩」と前を向く人、「先行きが見えない」と不安にさいなまれる人。さまざまな思いが交錯する避難所の最後の1日を追いました。
午前8時前、ロビーに朗らかな声が響きました。「皆さんがいる安心感で天国のごたったです」。声の主の女性(74)が、顔なじみたちの手を握り締めて別れを惜しみました。明るかった声が言葉を重ねるにつれて湿ります。「つらいこともあったけど、支え合えたからやってこれた。ありがとね」。5カ月の間にこけた頬を涙がつたっていました。振り返ると本震後は「地獄」でした。中央区の自宅が傾き、夫(84)とたどり着いた体育館は知らない人ばかり。標準値だった血圧は一時、180を超えました。こわばった心と体をほぐしてくれたのは「人」でした。避難所に友人が増えると、血圧も正常に。新居探しも手伝ってもらい、これから入居するみなし仮設住宅は避難所の仲間がいる土地を選びました。「今からも大変だろうから、助け合いながら暮らしていきます」。
熊本市では小中学校の体育館など『267カ所に最大11万人超が避難』していました。最後の避難所を閉じたのは「被災者の住宅確保のめどがたったため」(市)。住み慣れた土地に戻れない人たちは、気持ちの整理がつかないまま節目の日を迎えました。4歳から住んでいた市営住宅が被災した男性(52)にとって自宅から約8キロ離れた団地への転居には覚悟が必要でした。同居する母(75)の健康問題もあり自宅の周辺で入居先を探し続けました。結局、条件に合う物件は見つかりませんでした。「新しい生活になじむしかない」。言葉少なに片付けを続けていました。
「狭いとこに住んどっても荷物は増えるな」。男性(76)は両手に食料や衣類を抱え、体育館とワゴン車を5往復しました。東区の自宅は大規模半壊、仮設住宅に移ります。「もう住めんと分かって気持ちにけりがついたら、目標がでけた」。目標、それはもう一度、家を建てることだそうです。「小さくてもいいけん、家を建てたい。年寄りにはいらんかもしれんけど、地震に負けられんけん」。そう言うと、勢いよく車のエンジンをかけました。再出発の号砲のようでした。
熊本県内ではなお『8市町村12カ所の避難所に428人』が身を寄せています。
熊本県内最大の自治体熊本市の避難所が昨日15日閉鎖され、最後まで避難所生活をしていた30世帯の44人は新たな住居に引っ越して行きました。『避難者はゼロになった』『ゼロゆえ避難所閉鎖』と熊本市は豪語していますが、避難所で生活を送っていた被災者は半ば『無理やり転居』させられたのは否めません。元の住所より遠くに引っ越したり、希望する住居が空いてなかったので仕方なく転居したり……。確かに全ての被災者に満足のいく住居を提供するのは無理かもしれませんが『ゼロになればよいのか?』と筆者は考え込んでしまいます。今後熊本市被災者全員が日に日に元通りの生活に戻って行くことを願ってやみません。
熊本地震で住宅5600棟以上が全半壊し『県内で最も多い避難者がいる熊本県益城(ましき)町』の西村博則町長は本日16日『町内の避難所を10月31日で閉鎖する方針』を明らかにしました。本日『16日現在で214人の避難者』がいますが閉鎖までに住まいを確保する為に「一人一人丁寧にお話を聞いて対応していきたい」と述べました。
西村町長は閉鎖期日を決めた理由について
・建設予定の応急仮設住宅1556戸が10月中旬ごろに完成する見通しである
・空室か、完成予定でも入居希望者がいない仮設住宅も計61戸ある
以上を理由に10月31日で閉鎖するそうです。「必要戸数を確保できる見込みになった」ということです。
一方『政府は本日16日、熊本地震の現地対策本部を本日16日付で廃止』すると発表しました。4月15日に設置され、内閣府や国土交通省などから最大110人が現地入り。国と県、市町村の調整をしてきました。内閣府は「避難所も解消してきており、復興に軸足が移りつつある。現地での災害対策の役割は終わったと判断した」とのことです。
前述熊本市では『避難者ゼロ』が理由で避難所を全て閉鎖しましたが、益城町はそういうわけにはいかず、現在214人避難所生活をしている人の為に熊本県が示した『9月15日避難所全部閉鎖』を回避し、避難所を残しましたが、熊本市同様『(避難所生活者が)移れるところが確保できるので10月31日で全部閉鎖』と発表しました。確かにいつまでも避難所を残しておくのは自治体にとっては厄介なのかもしれませんが、なぜ、今残っている避難所生活者が熊本市避難所生活者同様に引っ越さなかったのかをきちんと調査し『公表する』必要があります。人間はモノではありません。例え214人であってもレッキとして『被災者』です。今後の益城町の対応に期待します。尚、益城町含め、未だ428人の避難所生活者の行き先が決まっていません。
一連の熊本地震のあと通行止めが続いていた阿蘇山の観光スポット「草千里」などに通じる『登山道路が本日16日、5か月ぶりに通行できる』ようになりました。
阿蘇山の「草千里」や阿蘇山ロープウエーの駅がある「阿蘇山上広場」につながる登山道路は一連の熊本地震やその後の大雨による土砂崩れなどで通行止めになり復旧工事が続けられてきました。その結果、登山道路のうち阿蘇市側からつながる県道について応急の工事が終わったとして熊本県は本日16日午前、5カ月ぶりに通行止めを解除しました。本日16日に草千里で行われた式典で阿蘇市の佐藤義興市長は「たくさんの観光客が戻ると期待していて、早く以前のような観光を取り戻したい」と述べました。福岡市から訪れた28歳の女性は「阿蘇の雄大な自然を見ることができて感動しました」と話していました。草千里周辺の観光施設も土産物の販売など一部で営業を再開し、今後、レストランなどの再開に向けて準備を進めることにしています。道路が通れるのは午前7時~午後19時の間で今のところ南阿蘇村側からつながる登山道路は復旧のめどが立っていないということです。
こちらは嬉しい話題です。阿蘇市の「草千里」などに通じる登山道路が本日16日、5か月ぶりに通行できるようになりました。今後観光客が増え、それに合わせ、お店の再開も増えるようです。ただ『道路が通れるのは午前7時~午後19時の間』だけで今のところ『南阿蘇村側からつながる登山道路は復旧のめどが立っていない』ということです。しかし『まず一歩』をスタートしたことは喜ばしいことです。
では今日のトピックスの最後に!熊本城に名月の灯!
中秋(旧暦8月15日)に当たる昨日15日、秋雨前線の影響でぐずつく天気が続く九州地方でも一部で雲の切れ間から月が見られました。月光天文台(静岡県函南町)によりますと『中秋の夜を指す「十五夜」が現代の暦の9月15日と重なるのは1970年9月以来46年ぶり』だそうです。熊本市でも厚い雲が途切れて月が顔を出しライトアップされた熊本城とともに熊本地震の被害から立ち上がりつつある市街地に柔らかな明かりを届けました。
1.被災地情報
①熊本市、全避難所を閉鎖!前震から5カ月!
熊本地震の前震から5カ月が過ぎた昨日15日、熊本市内に開設されていた最後の避難所が閉鎖されました。熊本県内では4月16日の本震翌日に最多の18万人以上が避難していましたが、県によりますと400人ほどに減っています。
市内最後の避難所の市総合体育館では、この日の朝食で食事の提供が終わり、避難者らが荷物を整理しました。
熊本市東区の自宅が半壊し、応急仮設住宅の代わりにアパートを借りた上島よし子さん(75)は「全国から来たボランティアの人にとても良くしてもらった。これからは全部自分でせんといけんから大変だけど、頑張らないと」と話し、新しい住まいへ向かいました。
熊本市内では最も多い時で約11万人が避難。応急仮設住宅や、アパートを借りる「みなし仮設」への入居などが進み、最多で267カ所を数えた市内の避難所は8月末に1か所に集約されていました。
県内に残る避難所は8市町村の12か所。益城町によりますと、14日時点で町総合体育館に避難している220人のうち、69人の行き先が決まっていないとのことです。町は10月末ごろの避難所の閉鎖を目指しています。
激励の言葉が書かれたメッセージボード、折り鶴、歯ブラシなどの生活用品……。被災地の避難所には、全国から様々なものが届きます。熊本地震では、避難所の閉鎖後、こうしたものの取り扱いに悩む自治体がある一方、「貴重な記録」として保存する動きもあります。
2度の震度7に見舞われた熊本県益城町。地震後、町図書館の司書らが各避難所や学校などにあった物を「熊本地震の記録」として収集しています。
届けられた手紙やメッセージはもちろん、配布されたチラシ、言葉が走り書きされたうちわまで。担当者は「こうした物も、被災や復興の経過を伝える貴重な記録の一部。消していってはいけないと考えた」。個人の手記や写真なども含めて収集を進め、10月ごろにも再開する図書館で一部を展示する準備をしています。
15日に避難所が閉鎖される熊本市中央区の市総合体育館の1階には、沖縄の小学校から届いた折り鶴、東京の大学や新潟県からのメッセージ、仙台市の図書館が送った絵本などが置かれています。届いた物資のうちレトルトの食料品や衣類などの生活用品は詰め合わせにして避難者らに配布しましたが、メッセージなどは行き先が決まらないままです。担当者は「しばらく保管して考えます」と悩んでいます。
8月31日に最後の避難所を閉じた熊本県嘉島町では、掲示していた数十枚の励ましの絵手紙の一部を希望する避難者に持って帰ってもらいました。「見れば元気が出る」と受け取った人たちがいました。それでもまだ残っており、町が保管しますが、担当者は「今後どうするかは決まっていない」。
宮城県石巻市では、生活用品は最後の避難所の閉鎖前に「配布会」を開き、詰め合わせを希望者に渡しました。残った使える物は市が災害用の備蓄品に。メッセージなどは市でまとまった展示場所を確保するのが難しかったため各避難所に対応を任せ、飾ったままの学校などもあるそうです。
岩手県宮古市も同様の対応をし、メッセージなどを展示している公民館などがあります。市の担当者は言います。「各地区での人と人とのつながりで頂けたものもある。市が管理するより、つながりの気持ちを大事にしたいとの思いもあった」。
②阿蘇登山道、5カ月ぶり開通!車が次々、復興へ地元期待!
熊本地震で一部が崩れ、通れなくなっていた熊本県阿蘇市の阿蘇山上広場と阿蘇市黒川を結ぶ県道阿蘇吉田線(東登山道)の通行止めが本日16日、5カ月ぶりに解除されました。阿蘇を代表する観光地の草千里ケ浜と中岳火口を望む山上広場まで行けるようになり、地元の関係者は観光復興への大きな前進につながればと期待しています。
午前10時に通行止めが解除されると、バイクや車が次々と阿蘇山上広場に向かいました。草千里駐車場では、市や観光業者の関係者らが出迎え、阿蘇の観光をアピールしていました。
③「ヒゴタイ交流」タイの中学生が産山村に!
タイの中学生が産山村でホームステイしながら地元の小中学生たちと親交を深める「ヒゴタイ交流」が始まり、12日、産山中で歓迎式がありました。
産山中とタイ・バンコクの国立カセサート大付属中は、産山村の村花「ヒゴタイ」の名前にちなみ、1988年から毎年互いに生徒数人を派遣。29年目の今年も熊本地震の被害が比較的軽かったことから村が実施を決め、産山中の生徒たちが7~8月に3週間、タイを訪ねました。
今回はタイの生徒4人と引率教師の計5人が10日に到着。10月1日までの23日間、産山中の子どもたちと一緒に授業を受け、日本文化も体験します。阿蘇地域の地震の被災地も巡る予定だそうです。
歓迎式ではホストファミリーがタイの生徒らに花束を贈呈。エシア・ナ・パタルンさん(14)らが日本語で「日本料理に興味がある」「野球をやってみたい」などとあいさつしました。
➃ 花火1万2000発!18日、天草市で復興イベント!
熊本地震からの復興を願うイベント「ONE KYUSHU FES」が18日、天草市本渡町の大矢崎緑地公園で開かれます。来場者による大合唱や県内最大級の1万2千発の花火などがあります。
経済が冷え込む九州を活気づけようと、天草宝島観光協会やテレビ局などでつくる実行委が、経産省の委託を受けて主催。同市出身の放送作家小山薫堂さんが総合プロデューサーを務めます。
午後16時から始まるステージは、天草ハイヤ踊りや八代妙見祭の亀蛇(きだ)(ガメ)、山都町の清和文楽など県内各地の伝統芸能が披露されるほか、シンガー・ソングライター佐藤竹善さんのライブがあります。
メインのフィナーレは小山さんとくまモンが出演予定で、アイドルグループ「嵐」からの応援メッセージ動画を会場限定で公開。小山さんが作詞した「嵐」の楽曲「ふるさと」を来場者全員で合唱した後、対岸の本渡港から花火が打ち上げられます。
県内の約80店が並ぶマルシェや「竹あかり」などもある。入場無料。天草宝島観光協会TEL0969(22)2243。
⑤交通事業の黒字14億円!熊本市が累積赤字を解消 !
熊本市は2015年度の交通事業会計決算を公表しました。純損益は14億1146万円の黒字。バス事業廃止に伴い不動産売却を進めたことや市電乗客数が5年連続で1千万人を超えたことなどが要因。09年度からの経営健全化計画の最終年度で、最大51億円あった累積赤字を解消しました。
事業規模からみた借金の割合「資金不足比率」は前年度の58.3%から、マイナス53.2%と改善。計画の目標値(マイナス8.2%)を大幅にクリアしました。市交通局は今後「職員数を維持しながら、経常黒字を確保する」としています。
経常損益は4億3147万円の黒字。市電乗客数は1103万人で前年度比1.4%増えました。「通勤・通学者や外国人観光客の利用が増えた」と市交通局。今年2月から運賃を値上げし、運賃収入は14億608万円と前年度比7.8%増えました。
バス事業の廃止に伴い、バスのUターン用地など5か所を売却するなどして特別利益9億9689万円(前年度798万円)を確保、純利益が膨らみました。
累積赤字は08年度に最悪の51億円となり、資金不足比率は198%でした。市はバス事業の民間移譲を段階的に進め、職員数を今年4月までの7年間で238人削減。一方で、市電の乗客数を08年度の956万人から回復させてきました。
16年度の経常損益も黒字を見込んでいますが、熊本地震の影響で運賃収入は約3千万円減るとみています。
⑥戦後、櫓に住む「浮浪者」!
倒壊した部材の撤去が続く熊本城(熊本市中央区)の国重要文化財(国重文)の東十八間櫓(やぐら)。木造の建造物は、これまで幾たびも修理を繰り返してきました。
東十八間櫓と北十八間櫓は、慶長年間に建てられたとされています。これらを含め13の櫓は、1950(昭和25)年に国重文に指定されました。
「櫓に民間人が住んでいた時代があるらしいんですよ」。熊本城調査研究センターの木下泰葉さん(26)が開いたファイルには、古い新聞記事がありました。
49(同24)年3月18日金曜日の熊日。2面のトップ記事は「熊本城の荒廃に非難の声」「浮浪者の巣化す十一櫓」「資材の大半灰となる」と、ギョッとする見出しが並んでいます。
記事によりますと、「城内防空壕(ごう)の浮浪者狩り」をした結果、田子櫓や十間櫓、源之進櫓など計11棟の資材の大半が燃えていたようです。その理由は「浮浪者の焚き火」。
終戦当時、沖縄から引き揚げる熊本県人のため、城内や櫓は「仮宿舎」とされました。写真では、櫓の梁(はり)などをのこぎりで切った跡を紹介し、当時の管理者だった熊本城保存会への非難の声を掲載。「市民の声」では「当事者が怠けて名跡を危機におとしいれたのはもっての外(ほか)だ」と手厳しいです。
また、50(同25)年11月1日水曜日の記事は「危い! 熊本城が灰」「ルンペン退治に入場料」。「ルンペン」とは、古い布を意味するドイツ語で、当時はホームレスを指しました。
記事では、不開門(あかずのもん)から入って北十八間、東十八間、五間、平などの櫓に住んでいるのは約10人。そのうち2人が女性。夜になると城内監視員の目を盗んで忍び込み、宿代わりにしていたようでした。床などの木材は、食べ物を煮炊きするために燃やしていました。
熊本市は防止策として「櫓出入口に堅固な戸」の建設を計画。合わせて、監視の意味で入場料を取る発想が出ています。
記事も大切な資料のひとつ。熊本城にはまだ、知られざる歴史があるようですね。
⑦無料入浴制度が終了「良か湯だった」、残るは3町村!
熊本地震で被災し、自宅の風呂が使えなくなった人などを対象にした公衆浴場の無料入浴が昨日15日、終了しました。4月の地震発生から5カ月間、被災者の心と体を温めてきました。利用者からは感謝の声も聞かれました。
「ここは初めて来たバッテン、良か湯でした」。熊本市中央区坪井の大福湯。入浴を終えた同区の本田晏祥(やすよし)さん(76)は番台に声を掛けました。自宅の風呂は壁のタイルがはがれ落ち、修理が終わるまで使えない状態。普段は別の入浴施設を利用しているとそうです。「無料入浴には本当に助けられた。本当にありがたかった」と風呂上がりの上気した顔をほころばせていました。
無料入浴支援は災害救助法に基づき、国と県が被災者の入浴費用を負担する制度。県内の銭湯や温泉施設など52施設が実施し、7月末までに延べ約25万万人が利用しました。
大福湯など13の銭湯が加盟する県公衆浴場業生活衛生同業組合は地震発生後、いち早く無料開放を開始。同湯では最大で1日100以上が訪れ、現在も15人程度が利用しているとのことです。
組合理事長で同湯代表の野村雄亮さん(35)は「多くの人に喜んでもらえて良かった。銭湯業界は厳しいが、あらためて必要性を感じてもらえたのではないか」と5カ月間を振り返り、「まだ困っている人がいる中、支援を終えるのは複雑」とも話しています。
一方、避難者が多い益城町と御船町、断水地区がある南阿蘇村の住民に対しては、引き続き無料入浴支援が継続されます。各町村が発行した身分証の提示が必要。
⑧漏水で高額請求も!修理や減免請求呼び掛け!
熊本地震による宅地内の漏水で、実際の使用よりも水道料金が高額となるケースが相次いでいます。熊本市では8月末までに一般家庭など5800件以上の水道料金の減免を認めました。市は漏水のチェックと修理、料金の減免請求を呼び掛けています。
地震では多くの水道管が破損。市上下水道局は配水管など3597カ所を修理しましたが、各家庭の宅地内の配管は自前で修理しなければなりません。
市は5月4日、各家庭の水道メーターの検針を再開し、6月から上下水道料金を請求。アパートの一室で普段2千円(1か月分)の料金が9倍の1万8千となったり、100世帯のマンション(管理組合の一括支払い)で普段30~40万円の料金が約90万円になったりしました。
高額請求を受けるなどして、料金の減免申請をした人は8月までに5884件。減免には漏水修理済みの証明が必要で、ほとんどの場合は市指定の水道業者にまず修理を依頼し、業者が工事契約書とともに市に申請を出しています。上下水道局は「全ての蛇口を閉めてもメーターが回っていたら、水が漏れている可能性があるので、確認してほしい」と呼び掛けています。同局TEL096(381)1133。)
⑨寸断の国道57号とJR豊肥線!年明けにも復旧着手!
国土交通省九州地方整備局は昨日15日、熊本地震による大規模な斜面崩落で寸断された南阿蘇村立野の国道57号とJR豊肥線について、早ければ2017年1月から復旧作業に着手する方針を明らかにしました。崩落斜面の砂防事業と並行して実施します。
同日、熊本市で開いた有識者の技術検討会で方針を示し、了承されました。
同整備局によりますと、崩落現場では二次災害を防ぐため、遠隔操作の無人重機を使って崩落斜面の上部で不安定な土砂を取り除く緊急対策工事が進められています。作業は年内をめどに完了し、年明けには作業員を入れた本格的な砂防事業が可能になる見通し。
これに合わせ、崩落斜面の下部で大きく損傷した国道57号と豊肥線についても、復旧に向けた地質調査などを始めます。これまで十分な調査が行えていないため、復旧にかかる期間や、元の状態に戻せるかどうかの見通しは立っていないとのことです。
同整備局は、年内に開く次回検討会で砂防事業の概要を示し、来年からの施工に向けた安全対策を決定する考え。
国交省は国道57号の復旧について、現ルートの北側でも全長約13キロの新道建設を並行して進めています。
⑩バリアフリー仮設が着工!県が益城町に6戸!
熊本県は昨日15日、益城町福富で、熊本地震で被災した障害者らに配慮したバリアフリーの仮設住宅6戸の建設に着手しました。県内でバリアフリー仮設住宅の整備は初めて。11月上旬に完成予定。
県によりますと、6戸はいずれも木造の2DKで、通常の仮設住宅の2DK29平方メートルより広い37平方メートルを確保。入り口や室内の段差をなくし、トイレや浴室も通常より広くするそうです。
バリアフリー仮設住宅の建設に伴い、益城町は町内の車いす利用者や視覚障害者らに入居の意向を確認します。別の仮設住宅に入居している人や、これまでの仮設住宅では「生活が困難」として入居を辞退した人にも呼び掛けるそうです。
⑪熊本地震保険金の支払いほぼ完了!23万件3500億円に!
日本損害保険協会の北沢利文会長(東京海上日動火災保険社長)は昨日15日の記者会見で、熊本地震関連の地震保険の支払いがほぼ完了し、8月末時点で保険金の支払い件数は約23万2600件、金額は計3572億5千万円だったことを明らかにしました。
北沢会長は「迅速な対応はできたが、内陸部の地震だったため多くの住宅で(細かな)調査があり、難しさを経験した」と強調。支払いの迅速化のため「契約者の自己申告に基づく損害調査やモバイル端末を使った被害状況の記録などを検討したい」と述べました。
北海道や岩手県で被害が出た台風10号に関する損保各社の保険金の支払い見込み額は、9月5日時点で約47億円でした。
⑫県内中小・零細向け融資保証1000億円超!震災関連が8割!
熊本県信用保証協会が2016年度に県内の中小・零細企業への融資の保証を承諾した金額が、熊本地震の発生から5カ月で1千億円を超え、15年度の年間実績を上回ったことが昨日15日、分かりました。地震で店舗や設備を被災したり、売り上げ減などの間接的な被害を受けたりした企業への融資が8割近くに上っています。
14日までに保証を承諾した金額は、前年同期比271.3%増の1075億4600万円で、15年度の年間実績1026億6100万円を超えました。件数は7835件で、15年度の1万208件に迫っています。震災関連の保証は5709件、849億3800万円を占めています。
融資を受けた資金の使途は、運転資金が9割で圧倒的に多いですが、設備資金の割合が次第に増えています。金額の8割近くは、県が保証料を全額補助する制度を利用しています。震災の影響に苦しむ中小・零細企業が、公的支援を活用しながら金融機関の融資を受け、事業を継続している状況が浮かび上がります。
同協会は「復旧が進み、国のグループ補助金の交付決定を受けた企業向けの保証制度も拡充された。今後は設備資金が増える」とみています。
金融機関が返済猶予に応じる条件変更の保証は、震災関連のみで1974件、181億3100万円。被災当初に申し込みが集中しましたが、5月をピークに減少しています。
⑬国重文の阿蘇神社6年半で修復へ!事業費9億円!
阿蘇市の阿蘇神社と同市教委は昨日15日、熊本地震で倒壊した楼門など神社の国指定重要文化財の復旧事業概要を明らかにしました。11月にも工事に入り、総事業費9億3千万円で6年半後の2022年度中の修復を目指します。
高さ18メートルの楼門など6棟の重文は、いずれも4月の地震で倒壊や傾く被害を受け、文化庁などと修復を協議してきました。総事業費のうち、神社側の負担は5%になる見込みです。
市教委によりますと、復旧工事は神社が事業主体で実施。6月に国、県に補助金を申請し、本年度分事業費の95%に当たる計3億1500万円の交付決定を受けました。今月中に工事の入札を行う予定。
全壊した楼門は、解体して部材の破損を調べ、可能な限り再利用します。文化財的価値を損なわない範囲で耐震補強も施します。一方、ご神体をまつる三つの神殿は比較的被害が軽く本年度中に、楼門とともに参道に面する二つの門は17年度の復旧を目指します。
この日、市が市内の観光関係者らを集めて開いた会合で説明されました。阿蘇神社の池浦秀隆権禰宜(ごんねぎ)(44)は「神事を重んじ、阿蘇復興のシンボルとしてできる限り工事の様子も公開したい」と話していました。
指定文化財ではない全壊した拝殿は、神社が復旧計画を策定中。
⑭熊本市の避難所ゼロに!市総合体育館を閉鎖!
熊本市は昨日15日、熊本地震を受けて開設した避難所のうち、唯一残っていた市総合体育館(中央区出水)の避難所を閉鎖しました。地震発生から5カ月で、市内の避難所はゼロになりました。ピーク時には小学校など267カ所に避難所が開設され、最大約11万人が避難生活を送りました。
同体育館には昨日15日午前8時まで、30世帯44人が身を寄せていました。避難者らは朝から、毛布や衣類などを運び出し、次の住まいへと向かいました。市職員は、プライベート確保のための仕切りに使った段ボールを撤去しました。
大西一史市長は「被災者は生活再建に向け、新たなステージに進んでいくことになる。今後も被災者の実情に沿ったきめ細やかな支援に取り組む」とのコメントを出しました。
市は避難者の住まいの確保にめどが立ったとして、8月上旬に全避難所の閉鎖を発表。これまでに、8か所496戸の仮設団地を完成させ、みなし仮設5219戸や市営住宅551戸(9月12日現在)を提供しています。
県によりますと昨日15日現在、熊本市以外の8市町村では計428人が避難生活を続けています。
⑮熊本城復旧費634億円!石垣の3割積み直し!
熊本市は14日、熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の復旧費が、概算で総額634億円に上ると明らかにしました。被害状況を目視で確認した、現時点での試算。
石垣の被害が最も大きく、このうち425億円を占めます。城内の石垣の約1割、約8200平方メートルが崩れ落ちた上、膨らみが生じた箇所もあり、全体の約3割にあたる約2万3600平方メートルの積み直しが必要となりました。東日本大震災の被災城郭を参考に当初は350億円と見積もっていましたが、現在までの物価上昇率などを勘案し、見直しました。
倒壊した東十八間櫓(やぐら)など13の国指定重要文化財には72億円、瓦が落ちるなどした天守閣など20の復元建造物の修復には137億円が必要としました。
市は2019年度までに天守閣を再建し、20年間で城全体の復旧を目指す方針。17年度までに、復旧の工法や手順を盛り込んだ復旧基本計画を策定します。市熊本城総合事務所は「ほとんどの建造物で詳細な調査ができておらず、復旧費は変わる可能性もある」としています。
⑯熊本・益城町長、10月末で避難所閉鎖の方針!
熊本地震で住宅5600棟以上が全半壊し、県内で最も多い避難者がいる熊本県益城(ましき)町の西村博則町長は本日16日、町内の避難所を10月31日で閉鎖する方針を明らかにしました。本日16日現在で214人の避難者がいますが、閉鎖までに住まいを確保するために「一人一人丁寧にお話を聞いて、対応していきたい」と述べました。
西村町長は閉鎖期日を決めた理由について、建設予定の応急仮設住宅1556戸が、10月中旬ごろに完成する見通しであることを挙げました。空室か、完成予定でも入居希望者がいない仮設住宅も計61戸あり、「必要戸数を確保できる見込みになった」と説明しました。
一方、政府は本日16日、熊本地震の現地対策本部を本日16日付で廃止すると発表しました。4月15日に設置され、内閣府や国土交通省などから最大110人が現地入り。国と県、市町村の調整をしてきました。内閣府は「避難所も解消してきており、復興に軸足が移りつつある。現地での災害対策の役割は終わったと判断した」とのことです。
⑰折り鶴3万羽で「熊本城」復興願い、専門学校生が制作!
熊本地震からの復興を願う約3万羽の折り鶴で形作られた立体的な「熊本城」のアート作品が、熊本デザイン専門学校(熊本市)の入り口に飾られています。30日まで展示され、誰でも見学できます。
床面で熊本県の形に並んだ鶴が、次々に飛び立った先で実物の25分の1の大きさの熊本城になるデザイン。県民一人一人の願いや希望を込めた鶴が集い、復興の象徴となる力強さを表現。「見る人に元気を与えたい」との思いも込めました。
住まいに関わる建築士やデザイナーの「卵」が集う建築・インテリアデザイン科1,2年生約40人が、今月初旬にあった文化祭のために共同制作しました。同科2年の竹本茉由(まゆ)さん(19)は熊本市内の半壊した自宅で暮らしています。「家の大切さや、それが壊れる不安を改めて感じた。災害に強い家をつくれるようになりたい。その気持ちを強くした」。
2.ここ一週間の地震
2016/09/16 13:46 16日 13:43頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/16 02:21 16日 02:18頃 茨城県沖 1
2016/09/16 02:09 16日 02:06頃 熊本県阿蘇地方 1
2016/09/15 21:42 15日 21:39頃 福島県中通り 1
2016/09/15 18:38 15日 18:34頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/15 14:16 15日 14:13頃 長野県南部 2
2016/09/15 07:14 15日 07:08頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/15 01:45 15日 01:42頃 青森県三八上北地方 1
2016/09/14 16:26 14日 16:23頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/14 12:33 14日 12:30頃 熊本県熊本地方 2
2016/09/13 23:59 13日 23:56頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/13 23:23 13日 23:20頃 熊本県熊本地方 3
2016/09/13 19:28 13日 19:25頃 熊本県熊本地方 2
2016/09/13 19:23 13日 19:19頃 埼玉県南部 1
2016/09/13 19:17 13日 19:12頃 埼玉県南部 3
2016/09/13 18:01 13日 17:58頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/13 17:40 13日 17:37頃 岩手県沖 1
2016/09/13 17:33 13日 17:29頃 熊本県阿蘇地方 3
2016/09/13 14:35 13日 14:32頃 熊本県熊本地方 3
2016/09/13 08:35 13日 08:30頃 千葉県北西部 2
2016/09/13 05:24 13日 05:20頃 栃木県北部 2
2016/09/12 20:54 12日 20:49頃 茨城県沖 2
2016/09/12 20:37 12日 20:32頃 朝鮮半島南部 3
2016/09/12 19:49 12日 19:44頃 朝鮮半島南部 2
2016/09/12 18:03 12日 17:59頃 紀伊水道 1
2016/09/12 17:05 12日 17:01頃 宮城県沖 2
2016/09/12 13:37 12日 13:33頃 千葉県北東部 2
2016/09/12 10:13 12日 10:06頃 茨城県北部 1
2016/09/12 07:00 12日 06:57頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/12 06:47 12日 06:44頃 宮城県沖 1
2016/09/12 04:34 12日 04:31頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/12 04:30 12日 04:27頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/12 03:21 12日 03:18頃 岩手県沿岸北部 1
2016/09/11 17:46 11日 17:41頃 熊本県熊本地方 1
2016/09/11 13:21 11日 13:17頃 熊本県阿蘇地方 2
2016/09/11 12:27 11日 12:22頃 福島県沖 3
2016/09/11 08:45 11日 08:42頃 新潟県中越地方 2
2016/09/10 13:55 10日 13:52頃 熊本県熊本地方 2
2016/09/10 12:58 10日 12:54頃 奄美大島近海 3
2016/09/10 00:48 10日 00:45頃 網走沖 1
2016/09/09 23:21 09日 23:18頃 茨城県北部 3
2016/09/09 22:22 09日 22:19頃 和歌山県北部 1
2016/09/09 20:56 09日 20:53頃 茨城県沖 3
2016/09/09 15:10 09日 15:06頃 宮古島近海 1
2016/09/09 13:50 09日 13:47頃 岩手県沖 2
2016/09/09 05:22 09日 05:18頃 千葉県北西部 1
(続く)