【連載186】熊本地震取材日誌(2016年の今日、熊本で何があったのか?

10月16日日曜日昼◆熊本地震本震から今日で半年!!◆

【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】

*下記熊本地震から半年情報はあらゆる箇所で重複しています。ご了承ください!

皆様こんにちは。本日で、熊本地震の本震から半年を迎えます。度重なる地震、次々と来襲する台風、そして、阿蘇山の噴火と、続発する災害に苦悩する熊本の方々に心からお見舞い申し上げます。いち早く、普段の生活に戻れることを願ってやみません(4月14日は熊本地震前震、4月16日は熊本地震本震とされています)。

◆地震、台風、噴火と続く複合災害

被災地・熊本は、南北に引っ張られてできた別府-島原地溝帯にあり、我が国最大の断層・中央構造線の西側延長部に位置します。この地溝帯には、別府-万年山断層、布田川断層、日奈久断層などの活断層や、九重山、阿蘇山、雲仙岳などの火山があります。阿蘇山は、霧島山、桜島、開聞岳、口永良部島などと共に、霧島火山帯にも属します。また、夏から秋にかけては台風の通り道にもなり、震災後、九州に上陸・接近した台風は3つもありました。

政府・地震調査研究推進本部によれば、日奈久断層は全国の活断層の中で地震が発生する可能性が高いグループに属するとされています。熊本地震で活動しなかった断層西側の日奈久区間や八代区間では、高い確率が評価されおり、今後も注意が必要だと思われます。

大きな地震の前後には周辺での地震活動や火山活動が活発になります。地震や噴火で緩んだ場所では、風雨で土砂災害が発生しやすくなります。災害の複合化を踏まえた対応が必要になります。

◆阪神淡路大震災の百分の一だった犠牲者数

一連の熊本地震で犠牲になった方は関連死を含めて110名に及びます。そのうち、直接死は50名です。この数は、地震規模が同規模だった兵庫県南部地震の直接死5483人の百分の一程度です。なぜ、犠牲者が比較的少なかったのでしょうか。その理由は3つあると思います。

一つ目は、震度7の揺れに見舞われた場所の人口が少なかったことです。益城町と西原村の人口は合わせて4万人、これに対して、例えば神戸市の東灘区・灘区・中央区・長田区を合わせただけでも60万人になります。

二つ目は、前震によって避難所や車中に避難していた人が多く、倒壊家屋に居た人が少なかったことです。人の命に係わる全壊家屋数は、熊本地震では約8000棟、兵庫県南部地震では約10万棟です。全壊家屋数に対する直接死人数の割合が十分の一程度になっています。

三つ目は、耐震化の成果です。新耐震設計法は1981年に導入されました。国土技術政策総合研究所と建築研究所による益城町激甚被災地での家屋被害調査によると、1981年5月より前の建物の無被害率は5.3%、1981~2000年は20.3%、2000年以降は61.3%と大きな差があります。新耐震設計法導入から35年が経って、新しい建物の割合が増えたため、被害が半減したと思われます。

このことから、首都直下地震のように人口が集中する大都市を直下地震が不意打ちしたら、遥かに大きな被害になることが想像されます。

◆防災拠点の大切さ

熊本地震では、6つの基礎自治体で庁舎機能を維持できず、庁舎外で業務を続けることになりました。これらの建物の外観を見ると、壁の量が相対的に少なく感じられます。庁舎を失うと、自治体の災害後対応は困難を極めます。震度7の揺れを受け、庁舎を退去した益城町と無傷の庁舎を継続使用できた西原村とでは、災害後の対応や復旧・復興のスピードに差があるように感じられます。小中学校の耐震化を優先し、庁舎の耐震化が遅れている基礎自治体も多くあります。

災害対応の拠点である市町村の庁舎に関しては、災害後の業務継続を考え、十分な耐震性を付与することが望まれます。最低基準である現行の耐震基準は、多くの場合、概ね一定の建物の揺れに対して安全性を検証しています。したがって揺れやすい柔らかい建物は想定している地面の揺れは小さくなります。また、軟らかい地盤の揺れは堅い地盤より強い揺れになります。従って、堅い地盤の上に堅い庁舎を作ることが望まれます。

また、地震の頻度が小さい地域の耐震性を低減する地震地域係数は、活断層の多い地域では小さな値となっています。活断層による地震が起きても業務継続すべき庁舎や消防・警察・病院などの建物では地震地域係数による低減を見込むべきではないと思われます。一般に、壁の多い建物には大きな余力があります。いざというときの砦となる庁舎建築の在り方を考え直したいものです。

◆非構造部材や設備の損傷に要注意

建物の構造は大丈夫でも、天井の落下によって使えなかった避難所が多くありました。また、いわゆる非構造部材や天井クレーンなどが落下したり、設備が損壊して操業ができなくなった工場も多く見受けられました。什器や設備・機械の転倒によって、大きなダメージを受けた事例も多くあります。生活や業務の維持のためには、建物の構造だけでなく、様々な耐震対策が必要になります。改めて身の回りのチェックをしてみてください。

◆対応人員が不足する小さな町村

市町村の職員は、おおむね人口に比例します。例えば、人口6900人の西原村の職員数は66人、防災担当はたった1人です。ですが、災害時の仕事の量は、自治体の規模には比例しません。このため災害時には、小さな市町村では、災害対応にあたる人員が大きく不足します。また、小さな市町村では、災害時に重要な役割を果たす土木や建築などの専門性をもった技術職員の数も限られます。これをカバーするのが都道府県や国の役割ですが、ふだんは住民に接する機会が少なく、基礎自治体の仕事に精通しているわけではありません。従って、周辺の基礎自治体や、被災経験のある基礎自治体の支援が望まれます。こういった全国的な基礎自治体の支援ネットワークを作っておく必要があります。

◆役に立ったプッシュ型支援

我が国の災害対応の基本は、基礎自治体が都道府県に支援を要望し、さらに都道府県が国に要望をする形をとります。これをプル型支援と言います。ですが、甚大な被害を受けた基礎自治体には、支援内容を取りまとめて要望をするゆとりはありません。熊本地震では、国が主体になったプッシュ型の物資支援がはじめて本格的に行われました。プッシュ型支援は被災地に安心感を与え大変有効でしたが、一部、仕分け作業が滞ったり、最後の配送が滞ったりする問題も生じました。物流に不慣れな役人に代わって、物流のプロの民間企業の協力を得ることが今後の課題だと思われます。

◆緊急輸送路とライフラインの確保

熊本地震では高速道路の跨道橋が落橋したり、列車が脱線したりして、道路や鉄道と言った陸路に障害が生じました。とくに、高速道路などの高規格道路の障害は、緊急車両の通行に大きな影響を与えました。高規格道路の多くは1次緊急輸送路に指定され、災害時に最も重要な役割を果たします。道路そのものが大丈夫でも、道路の上にある構造物の安全性が十分でないとその役割を果たせないことが熊本地震で明らかになりました。

道路は、国土交通省、高速道路株式会社、都道府県、市町村など、管理主体が多岐にわたります。このため、建設業者や重機が不足する復旧期には相互の連携が不可欠です。高速道路は、インターチェンジで通行制限ができますが、一般道ではそれは困難なため、緊急車両を優先することが難しくなります。道路と同様に多数の組織が関わることによる安全性の問題は、港湾や航路、水道にも当てはまります。また、電気やガスも、自由化によってその安全性確保に多少の懸念もあります。社会に不可欠なインフラやライフラインの安全性について、今一度、社会的な議論が必要だと思います。

◆災害情報の活用

熊本地震では、残念ながら本震の震度7情報が公表されたのは4日後の4月20日でした。遅延の原因は、町村と県との通信の不具合だったようです。このことも含め、災害時に最も重要となるのは、正確な情報の速やかな交換です。近年、スマホなどの携帯通信端末が普及し、インターネットの活用が当たり前になりました。ツイッターやラインなどのSNS、グーグルやヤフーの検索情報、カーナビなど位置情報を含むITS情報など、種々のビッグデータをクラウド環境を利用してリアルタイムに利用できるようになりました。熊本地震でも、防災科学技術研究所をはじめ、災害情報を有効に活用した事例が多々認められました。IoTとかICTとか横文字3文字が氾濫する時代ですが、これらをうまく活用し、限られた資源を有効活用することの大切さが改めて分かった災害でした。

◆り災証明と応急危険度判定、遅れる公費解体

熊本地震で課題となったのは、り災証明と公費解体の遅滞です。応急仮設住宅への入居や生活再建支援制度などの支援を受けるには、住家の経済的損失を証明する、り災証明が必要となります。また、地域の復旧・復興のためには倒壊家屋の撤去が不可欠です。ですが、り災証明や公費による解体撤去に時間がかかっています。

り災証明遅滞の原因は、人員不足です。一般に、家屋の被害調査としては、危険度を判定する応急危険度判定、財産的損失を判定する被災度判定、地震保険算定に関わる損害認定の3つがあります。判定者の人数は限られますので、残念ながら大きな災害では人的資源の不足で、判定が遅れます。その結果、復旧復興の基礎となる罹災証明の発行が遅れます。3つの被害調査を共有化したり、手間を省くシステム化をするなどして、早期にり災証明を発行できる体制を整える必要があります。

また、公費を使った解体のためにも、様々な手続きが必要で、解体業者も限られます。倒壊した家屋には住民の大切なものも残されてもいます。丁寧な解体をすればさらに時間を要します。家屋の解体を進め更地にしなければ、土地区画整理事業などによる災害復興も遅れてしまいます。今後の大規模災害に備え、できることから改善する必要があります。

◆事前準備と共助の力が活きた西原村

西原村の人口は6900人、役場職員はたった66人で、防災担当も1人しかいませんでした。常備消防は出張所しかなく11名の職員と救急車・ポンプ車各1台での運用でした。警察も駐在所しかなく、24時間対応可能な病院もありませんでした。このため、255人いる消防団に多くの災害対応を委ねていました。消防団には24台もの消防車があり、常備消防の25倍くらいの力を持っています。多くの村民は消防団OBでもあり、村ぐるみで災害に立ち向かう雰囲気がありました。

さらに、昨年の8月30日には発災対応型防災訓練を実施し、倒壊家屋から生き埋めの人を救出する訓練もしていました。この結果、本震の後、消防団員が救出、安否確認などを進め、夜明け時点では行方不明者がゼロになっていました。倒壊家屋のがれき撤去や復旧工事も、消防団や村民が中心になって行われました。十分な事前準備と共助力が、災害被害を減らし早期の復旧・復興を成し遂げるということがよく分かります。

発生が確実視されている南海トラフ地震は、地震規模が遥かに大きく、その被害は、最悪、熊本地震の6000倍の犠牲者、300倍の全壊家屋数が予想されています。また、首都直下地震では、地震規模は熊本地震と余り変わりませんが、500倍弱の犠牲者と75倍の全壊家屋数が予想されています。桁が違う被害を前にして、熊本地震から何を学ぶべきか、皆で考えていく必要があります。

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熊本地震から半年 犠牲者追悼の慰霊祭

一連の熊本地震で47人が亡くなった熊本市で、地震から半年になったのに合わせ犠牲者を追悼する慰霊祭が行われました。

熊本市の慰霊祭は、最初に震度7の揺れを観測してから、14日で半年になったのに合わせて行われ、はじめに参列した遺族などが全員で黙とうをささげました。

一連の熊本地震で熊本市では市が災害関連死と認定した人を含め、47人が亡くなりました。

熊本市の大西一史市長は「希望にあふれた豊かな熊本を築くため、全身全霊をささげることを固く誓います。これからの熊本の復興を見守ってください」と追悼の言葉を述べました。

そして、母親を亡くした冨永眞由美さん(57)は「亡くなった家族の遺志をしっかりと受け継ぎ、これまで以上に元気を出して生きることがこころの傷を癒やし、地震の傷痕を修復し、さらには熊本を発展させることにもなると思います」と述べました。

このあと、参列した人たちが献花をして亡くなった人たちを悼みました。

一連の地震で、熊本市では熊本城などの文化財や道路を含めた被害の総額が1兆6300億円余りに上ると推計されていて、復興に向けた取り組みが進められています。

慰霊祭に参列した人のうち、義理の父を亡くした熊本市の51歳の女性は「もし地震がなければ亡くなっていなかったので残念で悲しい気持ちですが、前を向かないといけないなという気持ちになりました。震災から半年はあっという間で、まだまだ復興は道半ばですが早く、みんなが元の笑顔を取り戻せるようになればと思います」と話していました。

*ブログでも同じ熊本情報を掲載しています。ご参考までに

http://ameblo.jp/onmitsudoshintenpoji/entry-12210218486.html

1.被災地情報

①熊本地震、ごく浅い軟弱な地盤で揺れ増幅、被害拡大か?

一連の熊本地震で、震度7の揺れを2度観測した熊本県益城町では、ごく浅いところの軟弱な地盤によって、木造住宅を大きく揺らす周期の揺れが局地的に2倍以上に増幅され、被害が拡大したと見られることが、専門家による調査でわかりました。

一連の熊本地震で熊本県益城町では2700棟余りの住宅が全壊した一方、場所によって揺れの大きさが異なり、被害が大きかった宮園地区では、2度目の震度7の地震の際に木造住宅への影響が大きい周期1秒程度の揺れが局地的に周辺の2倍以上と、現在の耐震基準の住宅でも倒壊するおそれのある大きさに達していました。

産業技術総合研究所や大阪大学、それに京都大学などの研究グループは、宮園地区でボーリング調査を行って、深さおよそ50メートルまでの地層を抜き出し、地盤が揺れの伝わり方にどう影響したのか解析しました。

その結果、地面から深さ30メートル程度までは火山灰などが積もった比較的軟らかな層で、このうち深さ10メートル程度までの粘土状の地盤が、地震の揺れでさらに軟らかくなり、周期1秒程度の揺れを増幅したと見られることがわかりました。

こうした影響は木造住宅を建てる際に一般には考慮されていないということで、解析を行った産業技術総合研究所の吉見雅行主任研究員は「活断層の近くだったことに加え、浅いところの軟弱な地盤が被害が集中した要因だったことがわかってきた。地震の被害を減らすため、地盤の特性を事前に調べるなど対策を進めていくことが必要だ」と話しています。

◆宮園地区の地震計 揺れの強さは他地区の2倍以上

一連の熊本地震で、熊本県益城町の宮園地区では、大阪大学が臨時に設置した地震計で、4月16日のマグニチュード7.3の地震の際、震度7の揺れが観測されました。

大阪大学によりますと、地震の波形を詳しく分析した結果、特に木造住宅の揺れが大きくなりやすい、周期1秒程度の揺れはおよそ700メートル離れた益城町の別の地震計の記録と比べ、2倍以上の大きさに達していました。

さらに建築の専門家が観測された揺れをコンピューターに入力して、現在の耐震基準で建てられた木造住宅にどのような影響があるかシミュレーションした結果、現在の耐震基準の1.5~2倍程度の強度で建てられた住宅でも、建て方によっては倒壊するおそれがあるという結果となりました。

◆住宅の地盤調査は?

国土交通省によりますと、法律では木造住宅などを建てる際に、地盤が住宅の重さに耐えられるかどうかなどを調べるよう定めています。

このため、住宅を建てる際には、専用の機械で地面を掘るなどして地盤の固さを調べ、規定よりも軟らかい場合には、地面にくいを打ったり一面をコンクリートで固めたりします。

一方で、地盤による揺れの増幅については、自治体が特に軟弱な地盤と指定した地域では、揺れが大きくなって住宅が倒壊しないように、住宅の強度を1.5倍にするよう法律の施行令で定めています。

ただ、国土交通省などによりますと、これまでのところ自治体が軟弱な地盤に指定された地域は把握していないということです。

◆地盤調査も揺れの増幅など新たな分析へ

熊本地震をきっかけに、地盤調査会社にはこれまではあまりなかった個人からの問い合わせも相次いでいます。

東京・中央区に本社がある地盤調査会社では、去年1月から、ホームページで自宅の住所を入力すると、地震による液状化や揺れやすさなどのリスクを簡易的に調べられるサービスを提供していて、熊本地震以降、月ごとの利用者の平均は熊本地震の前と比べて30%以上増えているということです。

また、実際の地盤調査はこれまでハウスメーカーや住宅関係の会社などからの依頼が中心でしたが、熊本地震以降は個人からも依頼が来るようになり、すでに6件の調査を行っているということです。

このうち、愛知県豊川市の男性は、現在住んでいる住宅の隣に息子夫婦が新たに住宅を建てることになり、地盤調査を申し込みました。土地はかつて水田だったということで、依頼を受けた調査会社の担当者が地盤の固さを調べたり、軟らかい地層の土を採取したりしていました。

ただ、現在の調査は建物の重さに地盤が耐えられるかどうかなどが中心で、地盤による揺れの増幅のリスクは十分に解析できないということです。

このため、この会社では今月から研究機関などと協力して、地盤による揺れの増幅などを分析するため、新たな観測方法の開発を始めました。

調査会社の山本強社長は「これまでは宅地を買ってから地盤の調査を行っていたが、これからはまず調査を行ってよしあしを調べてから土地を選ぶ取り組みが求められていると思う」と話しています。

②「乗り越えていかないと」熊本市で慰霊祭!

熊本市中央区の会社員坂井寿行(ひさゆき)さん(52)は家族と一緒に参列しました。

妹と母、麗子さん(78)と一緒に暮らしていた父、壽夫(としお)さん(当時83)は心臓病を抱え、地震前から体調がすぐれなかったとのことです。地震後、避難所暮らしや車中泊を繰り返し、体調はさらに悪化。4月30日に息を引き取りました。高校野球が大好きだった壽夫さん。「今年も応援に行く」と、夏の熊本大会を楽しみにしていましたが、かないませんでした。

自分の家庭の対応に追われ、寿行さんが地震後、壽夫さんと会ったのは1週間ほど経過したころでした。自宅に戻っていた壽夫さんは、トイレや食事以外に起き上がることはあまりありませんでした。「大丈夫ね?」。簡単な言葉をかけたことくらいしか思い出せません。

地震がなければ、もっと家族で旅行に行ったり食事に行ったり、「できたことがたくさんあったはず」と思う毎日。式典では「逆に思い出してしまって……」と言葉を詰まらせましたが、「これを乗り越えていかないと」と前を向いていました。

「一つの区切りだと思って」。熊本市の小籏美智子さん(73)は夫と一緒に慰霊祭に参加しました。

市内の老人ホームに入所していた実母の福島トシさん(95)は地震で転び、腰を打って搬送された病院で、4月27日に死亡しました。「本当にあっという間のことだった。それから半年たっても、時間がたったような気がしない」。

熊本市西区の木村幸子さん(67)は友人と参列。「大勢の亡くなられた人のことを考えて、お悔やみを申し上げに来た」。

自宅のマンションは地震で大きな被害はありませんでしたが、今でも余震が起きるたびに胸がどきどきします。通帳などの貴重品や懐中電灯は今も枕元に置いて眠る日が続いています。式典を終えて、木村さんは「少し心が落ち着いた」と話しました。

登壇した大西一史市長は「教訓を決して風化させることなく次世代に引き継いでいくことを誓います」などと式辞を述べました。

③熊本地震の家屋被害、認定に3割不服!2次調査の依頼増!

熊本地震で2度目の最大震度7を観測した4月の本震から本日16日で半年。熊本、大分両県がまとめた家屋被害は約18万棟に上ります。被害程度の認定調査が続いていて、今後さらに増える見込みで、1次調査の結果を不服として2次調査を依頼した被災者は熊本県で約27%に上ります。

認定調査は、公的な支援を受ける時に提示するり災証明書の交付のために実施されます。1次調査は建物の外観で見ますが、2次は内部も含めて詳しく調べるため、被害程度が重くなることが多いとされています。5月下旬に熊本県が内閣府の方針を受け、条件付きで半壊でも応急仮設住宅への入居対象としたことも、2次に進む人が増えたことに影響しているとみられています。

家屋の被害は14日現在、熊本県で17万2566棟、大分県で7906棟。熊本県では市町村が18万7869件(一部住宅以外も含む)の1次調査をしましたが、そのうち2次調査を依頼したケースは4万9698件。うち約3500件はまだ調査を終えておらず、「3次」以降の再調査の依頼も2651件ありました。

被害が集中した地域で2次調査を依頼する割合が高い傾向があり、被災家屋が10万棟を超える熊本市で約30%、約1万棟の益城町で約33%、約4300棟の御船町で約36%になります。

1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市では、2次調査に進んだ割合は1割程度でした。

調査では被害程度を全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊などに区分して判定。被害程度は、受け取れる義援金の額や支援制度利用の可否に関係してきます。

➃活断層の上、住めるのか?熊本地震から半年!

活断層が甚大な被害をもたらした熊本地震。市街地の住宅などが地盤ごと壊れた熊本県益城町では、半年がたった今も、住民が「ここに住んでいいのか」という根本的な疑問に悩まされています。全国にある活断層は約2千とも言われています。足元に潜むリスクにどう向き合えばいいのでしょうか?。

◆益城町、裂けた畑・ゆがむ道…悩む住民

「この道はもともと、ほぼ直線だったんですよ」

熊本県益城町の堂園地区に住む田上勝志さん(50)が指さす先の道路は、大きく左に曲がっていました。活断層の横ずれで、その先の土地がまるごと動いた結果です。道路脇の水路もそこで分断され、1メートルほど横にずれて再び延びています。

近くの川の名が付く「布田川(ふたがわ)断層帯」の存在を住民は幼い頃から耳にしていますが、田上さんは「あんな地震は想像しなかった」と語ります。4月16日未明、自宅は崩れ落ち、妻と2人で下敷きに。妻は重傷を負い、地区では1人が亡くなりました。

真っ二つに裂けた田上さんの麦畑は地震の脅威の象徴として繰り返し報じられました。

調査に入った京都大の林愛明教授(57)=地震地質学=らが6月下旬、畑で住民説明会を開きました。激しい横ずれや、約1千年前の縦ずれの痕跡。「こんな断層があるとこに家ば建てていいんですか」。田上さんは教授に近づいて問うた。答えは「断層の上には建てない方がいい」でした。

断層は見えています。ならばこれを避け、地区を一から作り直そう!田上さんは「みんなでまとまって区画整理をお願いしよう」と地区の若い世代を中心に声をかけて回りました。「何もしなければ出て行く人がいるかもしれない」と焦っています。

堂園地区から車で約10分のところにある町の中心部、宮園地区。道は激しくゆがみ、住宅約250戸の多くは崩壊したまま手つかずで残っています。こちらは活断層が地表に現れていません。既知の布田川断層帯から枝分かれした断層が宮園地区の直下へ延びていると研究者たちはみていますが、実際にどの家の下を通っているかはわかりません。軟弱な地盤が影響した可能性もあります。

8月初旬、地区内の隣接する10世帯ほどが熊本市内の飲食店に集まり今後を話し合いました。「もう住める所じゃない」。そんな声が多くあがりました。ただ、誰にも判断できる情報はありません。9月、再び集まると、今度は「住みたい」が多くなっていました。

「時間が経つにつれ、住めるもんなら住みたいとの気持ちが強くなった」。家が全壊し、熊本市のアパートで暮らす川越力男さん(79)の心は揺れています。「断層の上に住み続けていいのか、町が示してほしい」。

同じく家が全壊し熊本市内のマンションで暮らす岡元正樹さん(67)も「戻るか決めかねている」と吐露します。土地の評価額は地震後、半分近くに下がりました。それでも戻りたいのです。しかし。「近所の人がどれほど戻るのか。住民が歯抜けになった所に帰って幸せなのか」。迷いは尽きません。

益城町は建物の98%以上が被災しました。町が8月から実施した住民調査では、回答した5千以上の世帯の1割近くが町外転居を考えていました。町に住むかどうかの判断で重視することは「地震・断層からの安全性の確保」が一番多くありました。

地震から半年を前にした今月12日、町は復興計画の骨子を決定しました。宮園地区などの市街地を引き続き町の中心とする一方、移転希望の住民の受け皿になる新たな拠点を、布田川断層帯から遠く、被害が少なかった町西部に設ける構想です。

ただ、地盤が壊れた市街地をどう再生させるかは、白紙です。西村博則町長(60)は言います。「絶対安全とか、ここには住めない、と断言するのは難しい。しかし、いずれ何らかの決断が必要になる」。

◆断層帯避ける街づくり、自治体模索

布田川断層帯は、マグニチュード7級の地震を起こす可能性があるとして政府の地震調査委員会が評価している97の主要活断層の一つ。「各地に活断層が走る日本では、他の場所で『次』が起こり得る」。国土交通省の担当者は、益城町が今後の復興のモデルになるとみています。

市街地の再生策として想定されるのが、活断層に近い区域を指定して建築を制限する区画整理事業です。

国交省は熊本地震の直後、益城町の地下を調べる国直轄での断層調査を決定。断層を避ける区画整理への新たな支援策も来年度予算の概算要求に盛り込みました。断層上に住宅を建てず公園や緑地帯にする場合、本来は自治体が負担する部分の移転補償費も国費でまかなう仕組みです。

益城町を舞台に断層を避ける復興を模索する一方、国は被害を未然に防ぐために断層を避ける建築規制には踏み込んでいません。土地を自由に利用する「私権」を制限することになるからです。活断層が動くのは数千年に1回程度。地価下落や風評被害の懸念もあります。

また、どの家の下に断層が通っているかまで特定する調査には、膨大な費用がかかります。「未知の活断層」がみつかることも多いそうです。活断層からどれだけ離れれば安全かは地盤によって異なり、一概には言えません。

しかし、リスクに目を背けてばかりはいられません。自治体レベルでは様々な試みが始まっています。

神奈川県横須賀市は1995年、京浜急行電鉄のニュータウン開発で、長さ約600メートルの活断層から両側25メートルずつの範囲で住宅建築を制限し、公園や駐車場にする都市計画を決めました。強制力のない行政指導でしたが、位置がはっきりしていたこともあり、京急側が応じました。断層を避ける街づくりの先例と言われています。

2005年の福岡沖地震で市街地を貫く警固(けご)断層帯の一部が動いた福岡市は08年に条例を改正。断層周辺にビルを建てる場合、国の基準より25%上乗せした耐震強度を求める努力規定を設けました。

徳島県は13年、県北部を横切る中央構造線断層帯の直上の建設を規制する条例を施行しました。学校や集客施設などを建てる事業者に断層調査を義務付け、県は断層を避けて建てるよう勧告できます。住宅などは対象外ですが、緩やかな開発抑制につながっているとみています。

県の担当者は「これまでも洪水や津波の浸水想定地域、土砂災害警戒区域などを周知、公表してきた。命にかかわるリスクは活断層も同じだ」と話しています。

◆<考論>断層が動くのを前提に

鈴木康弘・名古屋大減災連携研究センター教授(変動地形学)の話

熊本地震は、活断層の直上や非常に近い場所が壊滅的な被害を受けたのが特徴。これまで国が取り組んできた確率論的な地震発生予測だけでは、具体的な防災や減災に結びつかなかった課題も明らかになりました。

めったに起こらず、位置もすべて分かっているわけでないから、活断層対策は現実的ではない、という議論は短絡的で間違い。断層が動くことを前提に、被害が出た後の復興を事前に検討しておくことさえ必要です。自然の制約を人間の都合で無視していいのかが問われています。

◆<考論>安全地域に移転誘導を

目黒公郎・東京大生産技術研究所教授(都市震災軽減工学)の話

地表に現れた断層の変位(ずれ)による被害は耐震化では防げることができません。将来の災害リスクを減らすために、引っ越しや建物の建て替え時に、活断層の近くからより安全な地域への移転を進めるべきです。

(私の)試算では、国内で活断層の両側200メートル以内に住む人は全人口の2,3%。国内の人口が今後30~40年で20~30%減少することを考えれば、一定の規制や移転後の税制優遇措置などの施策を組み合わせながら、安全な地域への人口誘導を緩やかに進め、災害リスクを減らすことは十分可能です。

◆益城町の被害

熊本市東部に隣接する人口約3万3千人の町で、熊本地震では2度の震度7を観測。倒壊家屋の下敷きになるなどして20人、体調悪化などが原因の「災害関連死」で3人が亡くなりました。住宅の被害は全壊が2726戸、半壊が2309戸、一部損壊が4530戸(10日現在)。役場庁舎も損壊し、一般の立ち入り禁止が続いています。町内の応急仮設住宅は1500戸以上になる予定で、現在も約100人が避難所での生活を余儀なくされています。

⑤地震からの復興願い、夜空に大輪!熊本・八代で花火大会!

熊本地震からの復興祈願を掲げた「やつしろ全国花火競技大会」が昨日15日、熊本県八代市でありました。西原村や御船町などの被災地からも約200人が招かれ、打ち上げられた1万4千発の大輪に見入りました。

この日は大会史上最大となる幅400メートルの花火のほか、全国の花火業者が被災地への思いを込めて「虹の架け橋」「東北秋田から熊本復興の花」などと名付けた花火も打ち上げられました。

西原村の自宅が半壊し、車中泊したという介護職員の白根恵子さん(57)は、小雨が降る中、娘の弥生さん(10)と観覧。「地震があったので今年初めて見る花火。心身ともに癒やされた」と喜んでいました。

⑥阿蘇の駐在さん、住民の避難先に引っ越し!仮設を巡回!

熊本地震以来、集落のほぼ全世帯が避難した熊本県南阿蘇村立野地区で、地元駐在の警察官が民家のパトロールを続けています。住民の避難先の隣町に自らも引っ越して寄り添い、町と村を行き来する異例の勤務。「駐在さん」と呼ぶ村の人たちの声には温かみがこもっています。

南阿蘇村の隣の大津町。立野の住民の多くが入居する岩坂仮設団地で、高森署立野駐在所の真崎隆二巡査部長(43)が、顔なじみの住民たちに声をかけて回っていました。「今日は集会所に行かないんですか。(集会所には)マッサージありますよ」。玄関先で5分ほど立ち話をしてはまた隣を訪ね、住民が孤立しないようにと気にかけます。「家がそのまんまで……」と不安を漏らした女性に「別の地区の人は自宅に戻れたみたいですよ」と声をかけると、和らいだ表情になりました。希望を持ってもらえるような声かけを心がけているそうです。

立野地区は、4月16日の本震で阿蘇大橋とともに送水管が崩落し阿蘇方面への道路が断絶。水の供給も止まり約350世帯の大半が大津町の避難所に移りました。

本震発生時、駐在所で寝ていた真崎さんは大きな揺れとバリバリという異様な音に目を覚ましました。2歳と4歳の息子を妻に任せて飛び出し、被害がないか家々を回りました。

その日から1週間、住民らが避難した村内の小学校にパトカーをとめて車内で寝泊まりし、4月末に住民が村と隣接する大津町の避難所に移動すると、「なるべく近くで過ごしたい」と、大津町のアパートに引っ越しました。

「これからどぎゃんなっとですかね……」。地震発生当初、避難所で不安げな住民に問われ、答えに窮したことがあります。しかし、話をじっくり聞いていくうちに住民の表情が和らいでいくのを感じました。「せめて話を聞いてストレス発散になれば」。そう思い、これまで以上に頻繁に巡回し、丁寧に住民の話に耳を傾けるよう心がけたそうです。

県警も真崎さんが大津町の避難者宅を回る方が住民に安心してもらえると判断し、7月から大津、高森両署の地域課兼務という辞令を出しました。

朝は大津町で仮設住宅を回り、昼からは住民のいない立野へ。災害が起きた時にすぐ避難誘導できるように、家に車が止まっているか、誰か帰宅していないか見て回ります。台風の日は出しっぱなしのビールケースを家主の代わりに片付け、家に残された犬にえさもやります。「住民の安心につながるなら」と真崎さん。

そんな姿に、主婦の村上ゆき子さん(65)は「先行きが見通せず不安だったけど、駐在さんを見かけると自然と笑顔が出てくる」と話しますす。村上さんが「一日おっても飽きんね、一日おってよ」と伝えると、「いや、俺が飽きるけん」と真崎さんはすかさず返し、笑いを誘いました。

立野の家々と、大津町内3カ所の仮設住宅を回る毎日。巡回時間は3倍に増えました。崩落した阿蘇大橋の対岸の駐在所管内へも1時間ほど迂回して時々足を運びます。うれしかったこともあります。「みなし仮設に移った住民がわざわざ駐在所まで来て報告してくれるんです」。避難所を出た60代の男性にたまたま会った際には「あんたとけんかもできんくなった。寂しゅうなった」と言われて切なくなりました。「日頃の会話も大事だったんだと再認識しました」と真崎さんは話します。

立野でも損壊した住宅の解体が始まり、業者が頻繁に出入りし始めました。また少し忙しくなるかも。そう思いながら今日もまた足を運びます。「戻りたい人が一人でもいるなら、自分がここを守るんだという気持ちでやっています」。

⑦復旧願って、線路てくてく、南阿蘇鉄道でウォークラリー!

熊本地震の被害で全区間の4割しか運転が再開できていない南阿蘇鉄道の不通区間で昨日15日、線路上を歩いて早期復旧を願う「復興ウォークラリー」がありました。

秋風がそよぐ中、熊本県南阿蘇村の中松―長陽駅間(5.8キロ)の電車道を、阿蘇の山並みを背景に黄金色の稲田や草原を眺めながら歩きました。土砂崩れや線路が浮き上がった場所の前では、参加者は立ち止まってのぞき込むなどしていました。

広島市からボランティアに来ている吉岡秀行さん(60)は「夏場、線路の草刈りを手伝った時、おばあさんに『病院に通えない』と話しかけられた。早く復旧してほしい」と話していました。

ウォークラリーを発案した同村の板金業、渡辺賢司さん(36)は「南鉄(南阿蘇鉄道)で高校に通った。何度も企画して、子供たちにも歩いてもらい、鉄道の大切さを知ってもらいたい」と話していました。

⑧「うつくしいひと」続編制作へ!行定勲監督が発表!

熊本市出身の映画監督、行定勲さんは、県出身の俳優や著名人を起用し、地震前の熊本を舞台に撮影した短編映画「うつくしいひと」の続編を制作すると発表しました。秋に撮影し、年明けの完成を目指すとのことです。

「うつくしいひと」は熊本城や阿蘇などを舞台に撮影された40分ほどの短編。熊本地震後、各地でチャリティー上映されました。

出演した俳優の高良健吾さんらは続編にも起用される一方、主演した政治学者の姜尚中さんや、俳優の橋本愛さんは続編には出演しない見通しです。

14日に県庁で記者会見した行定さんは「崩落した阿蘇大橋を見て、衝撃を受けた。未来の熊本のために、この映画を残しておきたい」と語っていました。

⑨夏のはがき新聞コンクール最優秀賞に健軍小6年の筬島さん!

小学生を対象にした「夏のはがき新聞コンクール」の表彰式が昨日15日、熊本市中央区世安町の熊日本社でありました。最優秀賞には健軍小6年の筬島(おさじま)里央さんの「明日はきっといい日になる新聞」が選ばれました。

熊日都市圏販売がNIE(教育に新聞を)活動の一環で開いており、6回目。同社が担当する熊本市、合志市、菊陽町、荒尾市の小学4~6年生が対象で、47校から2479点の応募がありました。

夏休みの思い出や熊本地震後の出来事、復興への思いなどをテーマに、手描きの記事やイラストではがき大の新聞にしました。熊日読者・NIEセンターが文章力や表現力、レイアウトなどを審査。最優秀賞のほか優秀賞9点、入選15点を選びました。

筬島さんは、地震直後の様子に加え、「明日はきっといい日になる」などの歌に励まされ、前向きになれたことを紹介。曲名からとったタイトルや着眼点が評価されました。

式では、熊日都市圏販売の桑原英彰社長が入賞・入選者に賞状を手渡しました。筬島さんは「地震後、全国からの物資やエールもうれしかったけど、私が救われたのは歌でした」とあいさつしました。

⑩「地震、風化させない」 惨状にイラスト添え発信!

熊本市中央区のイラストレーター河野浩英さん(37)は、熊本地震の被災現場の写真と人物イラストを組み合わせた作品を制作し、ネットで公開しています。「熊本地震を風化させないためにも、自分ができることをやりたい」という思いからです。

天草市牛深町出身の河野さんは大学を卒業後、県内の広告代理店に勤務。29歳で退社して「夢だった」というイラストレーターの仕事を始め、これまで牛深高の校章やハイヤ総踊りのポスターのデザインなどを手掛けてきました。

地震では河野さんの自宅マンションや車も被災。避難生活を送る中、「絵描きとして何か役立つことがしたい」と今回の企画を思い付いたそうです。自ら撮影した熊本城や阿蘇神社、益城町の住宅街などの写真と、地元アイドルや劇団員らのイラストを組み合わせた作品を20点近く制作。6月から週1回のペースで自分のブログに公開しています。

河野さんは「被害がひどくなかった地域では地震への関心が薄れていると感じる。モデルさんの“拡散力”も生かして、被災地の現状を伝え続けたい」と話しています。

⑪住民の声、復興に生かす、熊本大が「ましきラボ」開設!

熊本大は19日、益城町寺迫の秋津川河川公園駐車場に、まちづくりの拠点「ましきラボ」を開設します。熊本地震からの復興について、学生らが住民の意見を聞く場として活用します。

オープン後は週1回程度、住民との交流の機会を設けます。建築が専門の教員や学生らが町と住民の橋渡し役となり、町が策定中の復興計画などを解説。同大の学生らが実施している仮設住宅の訪問調査の状況も掲示します。

ラボに寄せられた意見は専門家が分析し、町への提言に生かします。工学部の田中智之准教授(45)は「住民が町の計画に意見を言える機会は少ない。幅広い声を聞くため、人が集まるイベントも企画したい」と話しています。

ラボは長さ6メートル、幅2.5メートルのコンテナ2台を並べ、木製のデッキを設けました。14日は学生ら15人が、デッキの塗装や周辺の草刈りに取り組みました。

19日午後14時半から開所式があり、地震前の町の模型などを展示します。

⑫復興再生会議第1回シンポジウム 自助、共助の在り方探る!

震災からの復興を有識者や市民と考える「熊本地震復興再生会議」の第1回シンポジウムが14日、熊本市中央区のホテル熊本テルサで開かれました。「検証・熊本地震」をテーマに、避難所運営に携わった被災者らが災害発生時の自助、共助について意見を交わしました。

地域復興を目指し、熊日が設置した同会議の連続シンポジウムの第1弾。約350人が参加しました。

救急救命士で熊本大特任助教の安部美和さん、日本防災士会県支部長の宮下正一さん、益城中央小の避難所運営に携わった吉村静代さん、熊本学園大で障害者の避難対応に当たった同大大学院生の照谷明日香さんの4人がパネル討論。

4人は震災時における自助・共助の在り方で意見を交換。「役場職員は本来すべき仕事がある。職員に頼らない避難所運営が大切」(吉村さん)、「まず自分の身を自分で守るのが基本」(宮下さん)、「震災を機に生まれた学生と住民とのつながりを今後の共助に生かしたい」(安部さん)、「精神疾患など見た目では分からない障害者への対応が課題」(照谷さん)と述べました。

ひょうご震災記念21世紀研究機構副理事長の室崎益輝さんの基調講演もありました。

同市南区の会社員、中山幸嗣さん(59)は「災害直後の助け合いの大切さをあらためて感じた」と話していました。

第2回は12月に開催を予定しています。

⑬熊本市、復興計画を決定 「熊本城復旧」など重点!

熊本市は14日、熊本地震からの「震災復興計画」を決定し、ホームページなどで公表しました。熊本県によりますと、ほかに19市町村が復興計画づくりを進めており、成案の策定は熊本市が初めて。

復興計画の実施期間は2019年度までの4年間。「被災者の生活再建」「防災・減災のまちづくり」など5つの目標ごとに、具体策をまとめました。被災者の恒久的な住まいとなる復興住宅(災害公営住宅)の提供や、液状化など宅地被害への支援などを盛り込んでいます。ほかに重点プロジェクトとして「熊本城復旧」「市民病院再生」など5つを掲げました。

市は復興計画を、既存の市基本計画(16~23年度)の前期の中核に位置付け。これにともない基本計画の一部変更を14日の市議会臨時会に提案し、可決されました。今後は財源や進行目標と合わせた実施計画をつくり、肉付けします。

大西一史市長は記者会見で「復興計画を基に、被災者の生活再建をはじめ、それを後押しする地域経済の活性化などを進めたい」と述べました。

⑭災害廃棄物処理24.8% 再生利用率、目標届かず5割!

熊本県は14日、熊本地震で発生した災害廃棄物の処理状況を公表しました。推計量195万トンに対し、8月末までに再生利用(リサイクル)や埋め立てなどの処分を終えたのは48万3千トン。進捗率は24.8%でした。うち再生利用されたのは24万4千トンで、再生利用率は50.5%。県が目標に掲げる70%を下回りました。

災害廃棄物のうち、木くずは破砕して燃料などに、コンクリートがらは建設土木資材などに再生利用されます。

県循環社会推進課は「初期段階は生活ごみの焼却や埋め立てが中心で、再生利用率が低くなった。今後増える公費解体のがれきは分別が徹底しており、再生利用は大きく進むはすだ」としています。

市町村別では、熊本市が81万2千トンの推計に対し、処理量が25万トンで、進捗率は30.9%。再生利用は9万1千トンで再生利用率は36.4%でした。42万2千トンと推計する益城町の処理量は3万2千トンで、進捗率は7.6%。再生利用は2万4千トンで、再生利用率は75%でした。

県は6月に策定した処理実行計画で、熊本地震の廃棄物発生量を195万トンと推計。再生利用率70%以上に設定し2018年春までの処理終了を目指しています。

2.ここ一週間の地震

2016/10/16 14:41 16日 14:38頃 宮城県沖 2

2016/10/16 13:54 16日 13:51頃 石川県能登地方 1

2016/10/16 08:07 16日 08:03頃 熊本県阿蘇地方 1

2016/10/16 05:39 16日 05:36頃 長野県中部 1

2016/10/15 21:58 15日 21:55頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 16:29 15日 16:26頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 11:28 15日 11:25頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 10:38 15日 10:34頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/15 09:47 15日 09:44頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 09:45 15日 09:41頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 09:43 15日 09:38頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/15 07:16 15日 07:12頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 07:14 15日 07:10頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 03:37 15日 03:34頃 青森県東方沖 1

2016/10/15 03:22 15日 03:19頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/15 00:34 15日 00:31頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/10/14 19:25 14日 19:21頃 福島県沖 2

2016/10/14 04:00 14日 03:57頃 島根県東部 2

2016/10/13 20:11 13日 20:07頃 宮城県沖 1

2016/10/13 05:07 13日 05:04頃 岐阜県美濃中西部 1

2016/10/13 01:22 13日 01:18頃 茨城県沖 2

2016/10/12 22:35 12日 22:32頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/12 19:24 12日 19:20頃 福島県会津 1

2016/10/12 18:30 12日 18:27頃 十勝地方南部 1

2016/10/12 15:59 12日 15:56頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/12 15:57 12日 15:54頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/12 08:09 12日 08:05頃 房総半島南方沖 2

2016/10/12 06:20 12日 06:17頃 熊本県熊本地方 2

2016/10/12 04:06 12日 04:02頃 十勝地方南部 3

2016/10/12 01:19 12日 01:16頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/11 12:40 11日 12:37頃 茨城県南部 1

2016/10/11 06:50 11日 06:45頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/11 01:04 11日 01:00頃 福島県沖 2

2016/10/10 21:58 10日 21:55頃 内浦湾 1

2016/10/10 20:53 10日 20:49頃 栃木県北部 1

2016/10/10 15:32 10日 15:28頃 埼玉県南部 1

2016/10/10 08:19 10日 08:15頃 秋田県内陸北部 2

2016/10/10 07:24 10日 07:21頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/10 07:19 10日 07:15頃 茨城県沖 2

2016/10/10 06:48 10日 06:45頃 日向灘 1

2016/10/10 06:06 10日 06:03頃 鳥取県東部 2

2016/10/10 03:57 10日 03:54頃 熊本県熊本地方 3

2016/10/09 16:17 09日 16:13頃 茨城県北部 2

2016/10/09 08:29 09日 08:24頃 父島近海 1

2016/10/09 03:43 09日 03:39頃 熊本県熊本地方 1

2016/10/09 03:39 09日 03:36頃 釧路地方中南部 2

2016/10/09 03:32 09日 03:28頃 沖縄本島近海 3

(続く)

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