10月20日木曜日昼
【熊本地震・被災者生活・復旧復興情報】
*下記熊本情報はあらゆる箇所で重複しています。ご了承ください!
皆様こんにちは。今日も「くまモン」からスタートです。
東京・南麻布の駐日フランス大使公邸で、9月27日に開かれたパーティー。庭園の芝生で転げ回り、大使の肩に寄りかかり、目の前で居眠りをします。人間であれば傍若無人な振る舞いも、くまモンが愛嬌を振りまけば、フランス人たちも笑顔をみせていました。。
パリ同時多発テロで観光客が激減したフランスと地震に苦しむ熊本。くまモンが駆けつけたのは互いの観光をもり立てるためです。くまモンは、毎年7月にパリで開かれる日本文化展「ジャパン・エキスポ」に4年連続で参加していますが、さらに年内にも、熊本産ワインを売り込むために渡仏します。駐日仏大使のティエリー・ダナは、「キャラクターの作り方やストーリー付けがとてもうまい。地方にとって、とてもいい存在」と、くまモンを称賛していました。
国境を越えるくまモンの人気は、ちょっと想像を超えています。熊本出身の映画監督、行定勲(ゆきさだいさお)も驚いた一人です。5月下旬、独フランクフルトの日本映画祭でのことです。熊本地震のことは知らないのに、「くまモンは知っている」という人がとても多かったそうです。「それで次の映画に、くまモン好きのフランス人を登場させることにしました」。
ネットの世界では「熊本熊(シュンベンシュン)」という中国語があふれています。中国語の非公式アカウントがソーシャルメディアをにぎわせているからです。フェイスブックのある非公式アカウントは22万人以上が「いいね!」を押してフォローしています。日本語の公式アカウント「くまモンオフィシャル」の約18万人より多いのです。そんなアカウントがいくつもあり、ファンが写真や動画、イラストをシェアして交流しています。
その人気を当て込み、くまモンの海外出張は4~9月で28回に及びました。特に中国語圏の台湾、香港は、熊本県農産品の販売イベントでは、くまモンは欠かせない存在になっています。
欠かせないのは、地震で大きなダメージを受けた熊本の観光にとってもです。くまモンの活動拠点であるくまモンスクエア(熊本市中央区)。9月30日、ショーの開演1時間前から、数十人が列を作っていました。親子連れやカップル。半分近くがアジアからの観光客です。列では中国語が飛び交います。
台湾から友人と2人で来た許元俊(29)は、「熊本城や阿蘇には行きづらくなったけど、くまモンに会えるならと寄ってみることにしました」と笑顔。香港から来たウィニー・チュイ(24)は「フェイスブックで動画を見てからファン。私たちと触れ合おうとしてくれて、フレンドリーでかわいい」。
熊本地震後、熊本県への観光客は激減しました。特に今年4~6月の海外からの宿泊客数は前年同期から6割も減りました。そんな中、くまモンスクエアの入館者は4~9月は前年同期比3.1%増の20万650人と、上半期としては過去最高を更新。1割を占める外国人来館者は、前年同期より約1万人も増えました。
「いつかはミッキーマウスを超えたい」と県知事の蒲島郁夫の夢は膨らむ。生みの親の一人、小山薫堂はそれに賛同しつつも「私は無理をしないで、100年愛される存在を目指したい」。(以上、敬称略)
熊本地震の被災者のうち、熊本市の70代~90代までの男女6人が、新たに災害関連死と認定され、一連の地震で亡くなった人は116人になりました。
熊本市は、熊本地震の被災者の遺族から災害弔慰金の申請を受け、避難生活での体調悪化などで亡くなった災害関連死に当たるかどうか、審査委員会で審査しています。
その結果、ことし4月~7月にかけて亡くなった70代~90代の男女6人について、避難生活でのストレスなどで病気を発症したとして、新たに災害関連死と認定しました。
一連の地震で市町村が災害関連死と認定したのは60人になり、熊本地震で亡くなった人は、地震のあとの6月の大雨で発生した土砂崩れで死亡した5人と合わせて116人になりました。
熊本地震をきっかけに、活断層で起こる地震の揺れの予測手法の妥当性が議論になっています。原発で使われる手法に対して、元原子力規制委員会委員の島崎邦彦・東京大名誉教授が過小評価になる可能性を指摘。別の手法を使うよう提案しました。規制委はこれまで審査した原発の想定を見直さないことを決めましたが、改善が必要だとの指摘はほかの研究者からも出ています。
◆「過小評価の可能性」指摘も
「熊本地震は地震調査委員会の予測手法を使って事前に予測が行われていた初めての地震。初めてゼロから検証できる」。今月、名古屋市であった日本地震学会で東京大の纐纈(こうけつ)一起教授は、国の地震調査委が公表している揺れの予測手法の検証を発表しました。予測手法には、(1)断層の形状をもとに面積から地震規模を求める方法と、(2)地表の活断層の長さから地震規模を求める方法の2通りがあります。熊本地震を起こした活断層について、地震調査委は過去に長さ27キロとし、(2)をもとにマグニチュード(M)7.2としていました。(1)に従って計算してみるとM6.9になりました。実際の「本震」はM7.3で、(2)のほうが合うとのことです。
(1)は世界で起きた地震の解析結果をもとにした経験式「入倉・三宅式」が中心になっています。過去の観測記録や詳細な調査結果に基づき推定する方法とされ、原発の地震想定でも使われています。島崎氏は関西電力大飯原発をめぐり、この式を使っていることによる過小評価を指摘しました。
ただ、考案した入倉孝次郎・京都大名誉教授は「熊本地震も式に沿っている」と発表。纐纈氏も「入倉・三宅式に問題はない」と強調しました。
式に問題はなくても予測は合わない……一見矛盾する見解は、式が「地震後」の解析で判明した面積をもとに作られていることと関係しています。熊本地震の解析結果は式のばらつきの範囲に収まるそうです。
一方、予測は「地震前」のデータを使います。纐纈氏は、断層の長さや幅が事前に正確に把握できないことを理由に挙げました。断層の下端は、普段起こる小さな地震の震源分布の下限から設定します。しかし、断層全体が動く大きな地震を解析すると、より深くまでずれが及んでいるとのことです。
断層も全て地表に現れるとは限りません。(2)は地表の長さから求める単純な式だったため、過小にならなかったとみられています。地震調査委が公表する全国の揺れの予測地図はこの方法を使っています。
島崎氏が規制委に指摘したのも地震前の見積もりの限界でした。学会の質疑でも島崎氏は、(2)が「現状でよりベターな方法」と主張しました。
防災科学技術研究所のグループは、解析結果から(1)のほか(2)についても地震規模が過小評価になる可能性を指摘しました。予測手法の見直しは、地震調査委の部会でも議論になっています。もともと震源の特徴を詳しく再現する(1)から始まった経緯があり、(1)の改良を求める意見もあります。
◆「不確かさのとり方、整理を」
地震調査委の予測手法は、原発に特化した方法ではありません。2006年の原発耐震指針改定で断層ごとに揺れを予測する手法が取り入れられ、(1)による想定も広がりました。規制委は当面、地震調査委の議論を見守る方針で、「新たな知見が得られれば適切に判断する」としています。
(2)などは、詳細な断層調査を求める原発の規制で使うには「科学的・技術的な熟度に至っていない」そうです。審査では断層の長さや角度など様々な「不確かさ」を見込むことも、想定を見直さない理由に挙げました。
ただ、過小評価の指摘を受けてからの規制委の対応は迷走しました。そもそも経験式は平均的な関係を示したもので、条件により過小になる可能性は以前から指摘されてきました。予測に使う場合は自然現象のばらつきに注意が必要という点は各研究者に共通しています。
防災科研の藤原広行部門長は「本来は使う側が式の性質を踏まえ、目的に応じた余裕を見込んで責任を持って判断すべき問題。不確かさのとり方も体系的に整理し、十分に説明できるようにしておくべきだ」と指摘しています。
◆島崎氏の過小評価の指摘と規制委の対応の経緯
6月中旬、島崎氏が垂直な断層に入倉・三宅式を使うと過小評価になる可能性を規制委に指摘しました。規制委は別の式をあてはめて大飯原発の揺れを再計算。地震規模は大きくなるものの、揺れの想定は上回らないとしていったん議論の打ち切りを決めました。
島崎氏は計算結果に上乗せする余裕や使ったデータを疑問視。規制委は7月末、計算過程の説明を事務局に求めた上で、矛盾が生じる非現実的な計算だったとして撤回、改めて見直さないことを決めました。
*ブログでも同じ熊本情報を掲載しています。ご参考までに
http://ameblo.jp/onmitsudoshintenpoji/entry-12211494119.html
1.被災地情報
①ボランティア、地元で調整、県内団体のネットワーク22日発足
熊本地震の被災地支援に当たる県内外の民間団体を結ぶ「くまもと災害ボランティア支援団体ネットワーク(仮称)」が22日、新たに発足します。これまでは全国規模のネットワーク組織を中心に調整が図られてきましたが、今後は地元主体で長期的支援を実現していく考え。被災者ニーズを共有する場としてきた「火の国会議」の運営を引き継ぎ、きめ細かな支援の継続を目指します。
民間団体はそれぞれの専門性を発揮し、被災地支援で大きな役割を果たしていますが、東日本大震災では各団体の動きがバラバラだったとの反省があります。そこで熊本地震では発生直後から、全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD=ジェイボアード、6月に正式発足)が調整役を担当。定期的に開く火の国会議で、各団体が持ち寄った被災者ニーズや課題と、物資や人手などを調整。県など行政側とも情報交換を図ってきました。
新組織は、県内の複数団体で構成。火の国会議を主催したNPO法人「エヌピーオーくまもと」と、防災イベントなどを開いているNPO法人「ソナエトコ」が柱となって運営に当たります。
JVOADも引き続き関わりますが、段階的に新組織の比重を高めていく考え。エヌピーオーくまもとの理事、樋口務さん(56)は「復興支援はまだまだこれから。経験豊富なJVOADから、被災地マネジメントのノウハウを学び、地元に根付いたネットワークを構築していきたい」と話しています。
②「みんなの家」の表札、県内23校の高校書道部員が筆
自ら書いた「みんなの家」の表札を手にする高校生=昨日19日、益城町=県内の高校生らが揮毫(きごう)した仮設団地の集会施設「みんなの家」の表札が出来上がり、昨日19日、熊本県益城町のテクノ仮設団地(516戸)で設置式がありました。
表札は湯前町産の杉板で、縦1メートル、横18センチ。みんなの家を整備する県が県高校文化連盟を通じて協力を依頼し、県内23校の書道部員が筆をふるいました。表札の裏面にひまわりや虹の絵を描いたり、「いっしょに乗り越えていきましょう」などのメッセージを書いたりした学校もありました。
テクノ仮設団地のみんなの家は11棟のうち10棟が完成。式には同団地を担当したマリスト、第二、東稜の生徒ら約30人が出席しました。第二高書道部の江上瑠璃部長(17)が「私たちの書や絵で、みんなの家を少しでも彩ることができれば」とあいさつ。部員らが玄関に表札を掲げました。
表札は12市町村61団地のみんなの家83棟に設置します。
③100万輪の花、西原村復興願う、大牟田市でイベント
熊本地震で大きな被害が出た熊本県西原村を支援するイベント「心に咲く花」が昨日19日、大牟田市の大牟田文化会館であり、100万輪の花で飾られたステージから復興を願う調べが響きわたりました。
色とりどりの花々は全国の花店や生産者から届いたもので、20日午前11時から西原村の「復興市場 萌の里」で配られます。
イベントは、東日本大震災を機に同市の生花デザイナー、礒浜玄海さん(47)ら市民有志で設立した団体が、西原村を花で彩る活動に励む地元の「Noroshi西原」を応援しようと企画しました。
ステージは昼夜2回あり、阿蘇を拠点とするデュオ「ビエント」など17組のアーティストが出演。優雅なクラシック曲などを奏でました。礒浜さんら国内外のデザイナー5人は曲に合わせ、花々を飾り付けるショーを披露しました。
礒浜さんは「西原村の人たちに、『全国の方々が応援しています』というメッセージを感じてもらえたら」と語っていました。
➃小学生が防災頭巾作りに挑戦!タオルや軍手も“備蓄”
熊本地震での被災体験を受け、菊陽町原水の菊陽西小の6年生約150人が17日、タオルや軍手などを備えた「防災頭巾」作りに初めて挑戦しました。
阪神大震災で被災した町教委の社会教育指導員、内田早苗さん(50)が「食料や水の備蓄はなく、3日間、飲まず食わずで、洋服の間に新聞紙を詰め込んで寒さをしのいだ」と当時の体験を講話。防災頭巾の重要性を説明し、防炎防水のキルト布(90センチ四方)で作り方を指導しました。
子どもたちは、取り外して使えるように裏地にタオルを大きな縫い目で取り付け、その中に軍手や靴下、ビニール袋、マスクなど非常時に必要なものを挟み込みました。
内田さんは「被災後3日間は自力でしのぐ必要がある。防災頭巾を家庭でも作って、自分の身は自分で守る気持ちを養ってほしい」と話していました。
⑤復興の課題を標語に!大津町で100人が意見交換
熊本地震から半年を機に、大津町の創造的復興を考える「フューチャーセッション」が16日、同町で開かれ、参加者がグループごとに「たたいてみよう 隣のとびら 地域愛への第一歩」などの標語にまとめ発表しました。
同町と県立大の共催。町内外から約100人が参加。5~6人のグループに分かれ、地震を通じて感じた町の課題などについて、自由に意見を出し合いました。
意見を踏まえ、標語を掲げた「未来アクションポスター」を作って発表。「『一人一役』という気持ちでリーダーを支えよう」「地域の“絆”は三つの“わ”から深めよう!! 思いやりの和 あいさつの話 人の輪」などユニークな提案が相次ぎました。
団体職員の秋岡利明さん(44)=同町=は「町の復興について考える良い機会になった。みんなが人同士の絆の大切さを実感していて元気づけられた」と話していました。
⑥弓引ける幸せかみしめ!ねんりんピック長崎、宇土で被災、米寿男性出場!
長崎県で開かれていました60歳以上のスポーツ・文化の祭典「ねんりんピック長崎2016」の弓道団体戦に16日、宇土市椿原町の今村次雄さん(88)が出場しました。熊本地震で避難生活を強いられ、16年間親しんだ弓道から一時は遠ざかっていた今村さん。ひ孫らが駆け付けた会場で「弓を引ける幸せをかみしめたい」と試合に臨みました。
今村さんは元中学校長。退職後、ソフトボールチームでプレーし、72歳から弓道を始めました。「命中するかしないか、結果がはっきり出るのが魅力」。ねんりんピックに3回出場し、準優勝も果たしました。
4月16日、自宅が大規模半壊し、体育館などで2カ月過ごしました。「希望がなくなった。あのままだと寝たきりになっていた」。妻の喜代子さん(77)に「弓道で気持ちが楽になるんじゃない」と言われ、6月に練習を再開。「腕は鈍っていたが、うれしさがこみ上げた」と語ります。
16日に迎えたねんりんピックの試合。妻や孫、ひ孫が見守り「緊張してしまった」。満足できる成績ではありませんでしたが、17日の試合での挽回を期します。
今も「みなし仮設住宅」で妻と暮らしています。今月上旬、自宅の解体の様子を見て、思い出が頭を駆け巡りました。「悲観ばかりしていられない。仲間と一つでも多く試合をしたい」と前を向いていました。
⑦亡夫との絆開花待つ、庭のしだれ梅! 面影映し 熊本地震で死別!益城の村田さん
熊本地震の被災自治体で最大の仮設住宅団地「テクノ仮設団地」の一室で、益城町の村田千鶴子さん(82)は慣れない1人暮らしを続けています。4月16日の本震での自宅倒壊で、夫恵祐さん(当時、84)を亡くし、半年を迎えました。「62年間ずっと2人一緒だったから、まだおるみたい」。結婚記念樹として自宅庭に植えた梅の花を見上げる恵祐さんの写真を心の支えとし、再び花を咲かせる春を心待ちにしています。
前震翌日の4月15日夜。「もう大きかとの来たから大丈夫だろう」と、かろうじて姿をとどめた自宅にわずかな空間を作り、ろうそくをともして過ごしました。「狭いから一緒に寝ろかい」と恵祐さん。普段は別々ですが、この夜、1枚の布団に横になりました。「おまえと結婚してよかった。今が一番幸せ。施設に行かんでずっと一緒に暮らしていこう」。そう言ってくれた数時間後、本震が起きました。
大きな揺れとドンという衝撃が突然同時に襲い、気を失いました。意識の向こうで「村田さ~ん」との声が聞こえました。金属や木材を切断する音が続き「ここにいた」と足を握られました。がれきの下から救出されました。
恵祐さんが亡くなったことを後に聞かされました。救助隊からは「だんなさんが上にかぶさっていた。助けてもらった命だけん、生きらないけんね」と励まされました。夫らしいと思いました。
共に地元育ち。結婚前から知り合いだった恵祐さんは農家で、その後、町議会議員になりました。思い出は結婚25年目、恵祐さん47歳、千鶴子さん45歳の時の東京旅行。「おまえは飛行機に乗ったことないから」と恵祐さんが提案してくれました。行きも帰りも富士山が見える“特等席”でした。
自宅は全壊し、再びこの土地に住むことはできないかもしれませんが、62年前に植えたしだれ梅は無事でした。梅は春になると見物人が訪れるほどで、毎年、2人で見上げました。きれいな花を咲かせるためには手入れが欠かせません。自宅を離れたため、知人に協力をお願いしました。「梅は元気におってほしい」。2人の絆のように太い幹。来年2月に花が咲くのを楽しみにしています。
⑧晩秋の阿蘇、野の花は生きる!地震、大雨で荒れた原野に
熊本県阿蘇地方の広大な原野が荒れています。草が無秩序に生い茂り、牧道を見失います。不用意に足を運ぶと、思わぬ亀裂にずぼっと落ち込みます。春以来、熊本地震と大雨に荒らされて、管理が行き届かなくなったのでしょう。
そんな中にも花は咲きます。美しいまりのようなヤマラッキョウ。古老の風格が漂うハバヤマボクチが、晩秋を迎えた原野を彩っています。
⑨秋バラ1900株見頃迎える!荒尾市浄水センター
荒尾市大島町の市浄水センターで、花壇のバラが見頃を迎えようとしています。赤や白、ピンクの色鮮やかな大輪が、県内外から訪れた人を楽しませています。
100種類以上の約1900株が植えられ、花壇を管理する地元ボランティアグループ「おもやい市民花壇の会」メンバーが、車いすでも観賞しやすいように花の高さを1メートル程度に調整しています。夏場に高温が続いた影響で咲き方にばらつきがあるものの、つぼみは順調に開いているそうです。見頃は今月下旬から11月初旬にかけて。
入園無料。開園時間は午前7時~午後17時。
⑩八幡プール「徹底調査を」!水俣でシンポ
水俣病の原因企業チッソが一時的に廃水をためた「八幡プール」の安全性を考えるシンポジウムが12日夜、水俣市浜町2丁目の市公民館でありました。4月の熊本地震で護岸の役割を果たしている市道のひび割れが拡大したほか、今後想定される巨大地震で有害物質が流出する可能性も指摘されており、徹底調査や抜本対策を求める声が相次ぎました。
水俣川河口の左岸周辺にあったプール群は計約47万平方メートル。1958年に有機水銀を含む廃水の排出先となり、その後埋め立てられて現在は市のごみ処理施設などが建っています。市は2002年、チッソが管理していた埋め立て地内の道路を譲り受けましたが、老朽化のため現在はほとんど通行禁止になっています。
シンポジウムでは、主催した市民団体「八幡プールを考える会(仮称)」の山下善寛さん(76)が「(行政は)埋め立て地全体の有害物質調査を実施し、市民に情報公開すべきだ」と強調しました。別のメンバーも「不知火海を再汚染させてはいけない。地震はいつ起きるか分からず、早急な対応が必要だ」と述べました。
熊本学園大の中地重晴教授(環境化学)もマイクを握り、「津波で護岸がえぐられ流されてしまうようなことはないのか、詳細なシミュレーションが必要だ」と指摘しました。
⑪八代市も「ふっこう割」プレミアム宿泊券を無料配布
八代市と一般社団法人DMOやつしろは、熊本地震の影響で減少した観光客を呼び戻そうと、市内の利用に限定した宿泊・飲食等クーポン「八代版ふっこう割プレミアム付き宿泊券」を希望者に無料で配布します。申し込みを募集中。
宿泊代7千円以上向けの3500円券と、同3千円以上7千円未満向けの2500円券の2種類があり、券を提示すると、宿泊代からそれぞれ3千円、2千円が割り引かれる仕組み。残りの5百円分は飲食や土産購入などの割引クーポンとして使えます。有効期間は11月1日~来年3月20日。
発行総数は8千枚で4回に分けて受け付けます。既に1回目が終了し、残りの募集期間は2回目:25日まで、3回目:12月1日~7日、4回目:同8日~14日。
申し込みは往復はがきに住所、氏名、電話番号、希望する券の種類などを書き、〒866-0824、八代市上日置町4772の10、DMOやつしろへ(当日消印有効)。複数応募できます。多数の場合は抽選。
利用できる施設の詳細や最新情報はホームページhttp://www.dmo8246.jp/で。
⑫「あそぼーい!」お帰りなさい!地震後初めて阿蘇に
熊本地震の土砂崩れで線路が被災し、運行を見合わせていたJR九州の観光列車「あそぼーい!」が昨日19日、地震後初めて、熊本県の阿蘇地域を走りました。地震前まで、豊肥線熊本~宮地間を週末に運行していた人気列車。阿蘇市の宮地駅には地元住民が集まり、保育園児たちが小旗を振って半年ぶりの運行を祝いました。
阪急交通社の旅企画「6つの観光列車でめぐる九州鉄道ロマン・名湯の旅4日間」で、旅行客は関西からの約20人。一行は新幹線で九州に入り、「ゆふいんの森」「A列車で行こう」など趣の異なる列車の乗り継ぎ旅を楽しんでいます。
「あそぼーい!」は大分側から阿蘇に入りました。宮地駅で降りた旅行客はバスで阿蘇市内を見物。地震で楼門や拝殿が倒壊した阿蘇神社に参拝しました。神戸市の男性(72)は「私も阪神大震災で被災した。熊本、阿蘇の復興を祈ります」と話していました。
⑬前田、松村両氏の受賞祝う!トムソン・ロイター賞
ノーベル賞の有力候補として米情報会社が選出している今年のトムソン・ロイター引用栄誉賞化学分野の「受賞を祝う会」が昨日19日、東京都内であり、崇城大特任教授の前田浩さん(77)と国立がん研究センター先端医療開発センター新薬開発分野長の松村保広さん(61)~熊本県人吉市出身~に賞状などが贈られました。
前田、松村両氏は熊本大学教授、大学院生という立場で、高分子薬剤が腫瘍に集積しやすい「EPR効果」を発見。1986年に発表した共同論文が評価されました。賞状を受け取った前田さんは「世界に評価されたのがありがたい」。松村さんは「当時の研究は今も役立っている。チャンスを与えてくれた前田先生に感謝したい」と喜びました。ノーベル賞を逃したことについて前田さんは「賞に値する研究者はいっぱいいるので運、不運です」と語りました。
同賞は論文の引用数などに基づき選出。今年のノーベル医学生理学賞に決まった大隅良典さんも2013年に医学生理学分野で受賞しています。
2.ここ一週間の地震
2016/10/20 11:53 20日 11:50頃 千葉県北東部 4
2016/10/20 10:48 20日 10:45頃 日向灘 2
2016/10/20 08:20 20日 08:17頃 佐渡付近 1
2016/10/19 23:45 19日 23:40頃 茨城県南部 2
2016/10/19 12:28 19日 12:23頃 父島近海 1
2016/10/19 06:00 19日 05:57頃 福島県中通り 1
2016/10/19 03:48 19日 03:44頃 宮城県北部 1
2016/10/18 21:12 18日 21:08頃 和歌山県北部 2
2016/10/18 16:26 18日 16:22頃 沖縄本島近海 2
2016/10/18 12:52 18日 12:49頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/18 08:27 18日 08:24頃 鳥取県中部 2
2016/10/18 06:00 18日 05:56頃 岩手県沖 1
2016/10/18 01:05 18日 01:02頃 熊本県天草・芦北地方 2
2016/10/17 15:03 17日 15:00頃 茨城県沖 1
2016/10/17 12:38 17日 12:35頃 岐阜県飛騨地方 1
2016/10/17 12:21 17日 12:18頃 有明海 1
2016/10/17 11:49 17日 11:46頃 宮城県沖 1
2016/10/17 02:26 17日 02:23頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/16 21:47 16日 21:43頃 十勝地方南部 2
2016/10/16 20:20 16日 20:17頃 有明海 1
2016/10/16 20:02 16日 19:59頃 静岡県西部 1
2016/10/16 19:32 16日 19:29頃 根室地方中部 1
2016/10/16 18:35 16日 18:31頃 福島県中通り 2
2016/10/16 17:03 16日 16:58頃 宮城県沖 3
2016/10/16 16:41 16日 16:37頃 宮城県沖 4
2016/10/16 15:19 16日 15:14頃 宮城県南部 1
2016/10/16 14:41 16日 14:38頃 宮城県沖 2
2016/10/16 13:54 16日 13:51頃 石川県能登地方 1
2016/10/16 08:07 16日 08:03頃 熊本県阿蘇地方 1
2016/10/16 05:39 16日 05:36頃 長野県中部 1
2016/10/15 21:58 15日 21:55頃 熊本県熊本地方 2
2016/10/15 16:29 15日 16:26頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/15 11:28 15日 11:25頃 熊本県熊本地方 2
2016/10/15 10:38 15日 10:34頃 熊本県熊本地方 2
2016/10/15 09:47 15日 09:44頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/15 09:45 15日 09:41頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/15 09:43 15日 09:38頃 熊本県熊本地方 3
2016/10/15 07:16 15日 07:12頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/15 07:14 15日 07:10頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/15 03:37 15日 03:34頃 青森県東方沖 1
2016/10/15 03:22 15日 03:19頃 熊本県熊本地方 1
2016/10/15 00:34 15日 00:31頃 岐阜県美濃中西部 1
2016/10/14 19:25 14日 19:21頃 福島県沖 2
2016/10/14 04:00 14日 03:57頃 島根県東部 2
2016/10/13 20:11 13日 20:07頃 宮城県沖 1
2016/10/13 05:07 13日 05:04頃 岐阜県美濃中西部 1
2016/10/13 01:22 13日 01:18頃 茨城県沖 2
(続く)