ABBAが「テイク・ア・チャンス」で勢いよくスタートを切った理由

ポップ・ソングを耳に残るメロディで届ける才能において、全盛期のABBAに敵うアーティストはいなかった。
その全盛期は1977年前後だったと言えるだろう。なぜなら、その年に彼らはあまりにもキャッチーな楽曲「テイク・ア・チャンス(Take A Chance On Me)」を世界に放ったからだ。

すべての音の中に音楽を見つける

この曲の誕生は、作曲家たちに「音楽のヒントはあらゆる場所にある」と教えてくれる好例だ。
「テイク・ア・チャンス」は、なんと“足音”から生まれたのだ。

何年経っても色あせないキャッチーさ

1977年の時点で、ABBAは誰もが認めるポップ界のスーパースターだった。
その地位を得た彼らは、創造力をさらに広げていく。
その年、彼らはコンサート・ツアーの中で小規模な“ミュージカル的演出”を披露し、同時に映画も公開している。

だが、音楽への集中を決して忘れなかった。
1977年末、ABBAの5枚目のアルバム『アバ:ジ・アルバム(ABBA: The Album)』が発売された。
このアルバムでは、主要ソングライターであるベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースが、より複雑な構成を取り入れつつも、ABBAらしいポップのセンスを保った楽曲を書き上げている。

この時期、彼らの音楽にはブルースの要素も少しずつ取り入れられ始めており、その後の作品に見られるメランコリックなトーンの前兆ともなった。
それでも、ABBAらしい“甘くて耳に残るポップ感”は健在であった。
アルバムのリードシングル「テイク・ア・チャンス」は、彼らがこれまでに録音した中でも最もキャッチーな曲のひとつとして数えられる。

“チャンス”との出会い

ストレス解消と健康維持のため、ビヨルン・ウルヴァースは日課としてランニングをしていた。
常に新しい曲のアイデアを探していた彼は、アスファルトを蹴るスニーカーの音に耳を澄ませた。
その「シャッ、シャッ」という音が、彼には「t」や「k」や「ch」といった子音の音に聞こえたのだ。

そして、そのリズムから「Take A Chance On Me(私に賭けて)」というフレーズがふと浮かんだ。
この言葉を強調するため、バンドは曲の冒頭にアカペラ・パートを配置。
ウルヴァースとアンダーソンが低音域で「t」や「ch」の音をリズミカルに刻み、アン二=フリード・リングスタッドとアグネタ・フォルツコグの2人がその上で力強くコーラスを歌い上げた。

楽曲の構成もまた魅力的で、カントリーやディスコの要素が巧みに融合している。
「テイク・ア・チャンス」はリリースと同時に世界的な大ヒットを記録し、
イギリスでは1位、アメリカでは3位に輝いた。

「テイク・ア・チャンス」の歌詞の裏側

ビヨルンとベニーは、このタイトルを出発点にして、
「どんなに時間がかかっても愛する人を待ち続ける誠実な求愛者」の物語を描いた。

「気が変わったら、私は一番に並んでいるわ(If you change your mind, I’m the first in line)」。
彼女はそう歌い、他の誰もいなくなっても自分はそばにいると約束する。
「みんなが去っても、ハニー、私はまだ自由よ。私に賭けてみて(If you’re all alone when the pretty birds have flown / Honey, I’m still free / Take a chance on me)」。

語り手は2人でできる楽しいこと——ダンスや散歩——を提案する。
(曲の誕生が“ジョギング”から来ていることを思えば、デートプランに“ランニング”が入っていてもおかしくなかったかもしれない)。

そして彼女は、たとえ相手がためらっても、引かない。
「あなたはこのまま終わりにしたいのね。でも私はわかってる、もう離れられないの(You want me to leave it there / So afraid of a love affair / But I think you know that I can’t let go)」。

多くの意味で、「テイク・ア・チャンス」はABBAが生み出した“軽やかなポップス”の最後の代表作とも言える。
この名曲によって、彼らは“この路線でもっと聴きたい”と誰もが願うような余韻を残したのだった。

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