ABBAのその後──ロンドンで過ごす、ある一日

ヤン・グラードヴァルが、スウェーデンの伝説的ポップグループのリードシンガー、アグネタ・フェルツコグに聞く

「これ、異端だってわかってるけど、私はキンキンに冷えてる方が好きなの」とアグネタ・フェルツコグは言い、まわりを見回してから、シャブリのグラスに大きな氷を二つ、静かに入れる。

ここはロンドンの高級ホテル「コリンシア」のレストラン。2013年5月。アグネタは最新ソロアルバム『A』のプロモーションのためにこのホテルに10日間滞在している。世界各国のメディアとのインタビューが1日おきに組まれており、その合間にジムやスパで体を整えたり、ウェストエンドやソーホーを散歩したりして過ごす日々だ。

ロンドンの街中でアグネタが一番喜ぶのは、流行のお店でも人混みでもなく、「子ども」と「犬」に出会ったときだ。
彼女の60年代ポップに対する造詣も深く、アルバムのプロデューサーの一人ピーター・ノルダールはこう語る。
「車の中やレストランで流れる、誰も知らないような昔の曲が聞こえたら、真っ先に“これ○○だよ”って当てるのはアグネタなんです」。

コリンシアはホワイトホールに位置し、イギリス政府の中枢機関が集まる場所でもある。ホテルから徒歩10分以内には、チャーチルが第二次世界大戦中にドイツの空襲からロンドンを守るために指揮を執った地下の作戦室「チャーチル・ウォー・ルーム」もある。

アグネタには、電気のようなオーラがある。
彼女に気づいた人々は、誰もが一瞬動きを止める。
ホテルには匿名でチェックインしているが、ファンの間ではすでに噂になっているようだった。ホテルスタッフは、彼女が“伝説”であることを理解しながらも、あくまで自然体で接している。

今回のロンドン滞在は、アグネタにとって実に数十年ぶりの「国外旅行」であり、「飛行機搭乗」だった。
あるドイツの全国紙の記者が、彼女の過密スケジュールのために取材時間の変更を告げられると、「問題ありません。30年間待っていたんですから」と答えたという。

この日一日アグネタと行動を共にして、私は確信した──彼女は世間が語るような“グレタ・ガルボ的”な人物ではまったくない。
むしろ、社交的でオープンだ。「今から話すの、誰にも言ったことないんだけど」と好奇心いっぱいに語り始めることも。

スタイリストとの絆

レストランには彼女の親友ロロ・マリーも同席している。ロロはスウェーデンの著名アーティストたちの外見──ヘアメイク、衣装、スタイリング──を手がけるコンサルタント。1980年以降、アグネタがメディアに登場するたびに準備を担当してきた。

「最初は、CLICという雑誌でアグネタとフリーダをスタイリングしたのがきっかけだったの。
それから急きょ、日本ツアー中のABBAに帯同することになったのよ。
ある公演でアグネタの衣装を急いで着替えさせていたら、スカートを上下逆に着せちゃって、“もうクビだ…”って思ったの。でもあなた(アグネタ)は笑って許してくれた。あのツアー、本当に楽しかったわ」

ABBA時代のツアーの思い出話に花が咲く。ちなみに、ABBA Voyageや「ABBAター(Abbatars)」と呼ばれるホログラムプロジェクトの話は、この時点ではまだ9年も先の未来だ。

「ここでインタビューを受けていて、何人かに“フリーダとライバル関係だったの?”って聞かれたけど、そんなことは一度もなかったわ。
むしろツアー中はずっと支え合っていたの。どちらかが風邪をひけば、もう一人が歌を多めに引き受ける、そんな感じだった」。

ビートルズとABBA、そして“声”の力

この日の始まりは朝のアビー・ロード・スタジオ。アメリカ最大の朝番組『Today』の収録が行われた。

「ここ来たことある! 覚えてるわ」とアグネタ。大きなサングラスをかけ、専属車から降りて伝説のビートルズスタジオに入っていく。
「1970年代にポール・マッカートニーに招かれて見学に来たの。中を案内してくれたのよ」。

TVスタッフがホテル以外の場所での撮影を希望したこともあり、歴史あるこのスタジオが選ばれた。ABBAとビートルズの共通点は多く、音楽史の中でも並び立つ存在だ。
音楽誌『Q』はABBAを「史上最高の純粋ポップバンド」と称したばかりだった。

インタビューアーは地元のフリー記者だったが、アグネタに会える喜びのあまり、彼女よりも自分の方が喋ってしまう始末。
質問の多くは、ABBAがいかに“イギリス王室並み”の地位にあるかを強調するものだった。
「ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚披露宴でABBAの曲ばかりが流れたことをどう思いますか? エリザベス女王が『Dancing Queen』を愛し、歌詞を引用していたことをご存じですか?」──すべて初耳だったアグネタは、懸命に答えていた。

アグネタの「歌」の本質

ABBAの中で英語力に不安を抱えていたアグネタは、英語でのインタビューでは慎重に言葉を選ぶ。
「ABBA時代、自分の英語が他の3人より劣ってるって思ってて、それが不安だったのよ」。

だが海外の記者たちがあまり知らないのは、彼女の音楽的能力の高さだ。
アグネタはクラシックピアノを学んだ経歴があり、ABBA結成当時、メンバーで唯一“楽譜が読めた”存在だった。
1960〜70年代初期のソロキャリアでは、ヒットチャート「スヴェンスクトッペン」にランクインした20曲のうち11曲が自作曲だった。

ロンドン訪問の数週間前、彼女はスウェーデン作曲家協会(SKAP)から、スウェーデン初の女性ポップ作曲家カイ・グルマルの名を冠した作曲賞を授与されていた。

ビヨルンとベニーは、ABBAの楽曲作りにアグネタの参加を望んでいたが、「当時はそこまでの余裕がなかった」と彼女は振り返る。
その代わり、彼女はABBAの「クリスタルのような声」となった。

彼女の歌唱は、単なる技術以上のものだ。
他の偉大なシンガーのように技巧で目立とうとはせず、歌詞を丁寧に読み取り、感情を乗せる。彼女が歌えば、それはひとつのドラマになる。

「自分の強みについて語るのは難しいけれど、私は歌詞の意味を理解するのが得意なの。
いつも“この歌詞の背景は?”って考える。まるでその歌詞に入り込んで、歌詞そのものになるの」。

──それは俳優のアプローチに近い?

「ええ、そんな感じかも。人生経験が増えるにつれて、私は“より良い歌い手”になれたと思ってるの。
伝えたいことが増えてきて、それを“歌”という形で届けるのが私の方法なのよ。そこに私の感情があるの」。

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