ABBAは1982年に人間関係の緊張の高まりによって静かに活動停止しましたが、それまでにすでにポピュラー音楽史において伝説的な地位を確立し、グローバルなポップカルチャーの中で不動の存在となっていました。
ABBAの長年のファンであるイギリスのシンセポップグループ、イ(エ)レジャー(Erasure)は、ABBAの名曲4曲(「レイ・オール・ユア・ラヴ・オン・ミー」「S.O.S.」「テイク・ア・チャンス」「ヴーレ・ヴ―」)をカバーし、1992年6月に遊び心あるタイトルのEP『ABBA-esque』としてリリースしました。イレジャー独自の音楽的個性やジャンルに合わせて再構築されたこれらの楽曲は、依然としてABBAへのトリビュートとして明確に認識できるものでした。このEPはヨーロッパ全土やアメリカ合衆国でチャート入りし、イギリスの公式トップ40チャートとスウェーデンのチャートでは数週間連続で1位を記録しました。『ABBA-esque』の好評は、ABBAの音楽の魅力が彼らの最終アルバムリリースと活動停止から10年後でも衰えていないことを示しました。
このようなスウェーデンのポップセンサションへの新たな評価の波は、同じ年にリリースされたコンピレーションアルバム『ABBA Gold: Greatest Hits』によってさらに勢いを増しました。このアルバムはABBA、特に「ダンシング・クイーン」という時代を超えたアンセムを再びチャートに送り込みました。批評家からは、アルバムそのものが優れたキュレーション例として絶えず高く評価されており、1992年以降、記念日や映画版『マンマ・ミーア!』(2008年)の公開に合わせて何度も再リリースされています。グループメンバーのベニーとビヨルンによってプロデュースされた『Gold』は、コンピレーションアルバムの力を示す顕著な例です。グループのディスコグラフィーを代表曲に凝縮することで、長年のリスナーには過去の魅力を思い出させ、新しいファンにはグループの音楽的な本質を伝えることができました。ABBAの人気の秘密を解明しようとする試みは多いですが、『Gold』のトラックリストを聴けば、ABBAの真髄はその歌詞や音楽のアクセスのしやすさにあると感じられるでしょう。リスナーは難解すぎる歌詞に悩むことなく、ABBAの曲を楽しむことができます。彼らの楽曲は、分かりやすいストーリーテリングと感情豊かなアレンジに包まれているのです。
1990年代には、ABBAの音楽と影響力がポピュラー文化の他の領域にも広がり続けました。1994年に公開された2本の成功したオーストラリア映画『プリシラ』と『ミュリエルの結婚』では、ABBAの楽曲がサウンドトラックで大きな役割を果たしました。1999年にはロンドンのウェストエンドでミュージカル『マンマ・ミーア!』が初演され、新たなABBAブームの引き金となりました。ベニーとビヨルンと協力して制作された『マンマ・ミーア!』は、ABBAの人気曲を中心に物語が展開するオリジナルミュージカルでした。このミュージカルは世界中で人気を博し、ABBA自身のグローバルな魅力を反映して2008年に映画化されました。映画版『マンマ・ミーア!』は、そのキャンプな美学や一部キャスティングへの疑問を理由に批評家から酷評されましたが、それにもかかわらずファンは映画を観に行き、興行収入で大成功を収めました。この映画版の成功はユニバーサル・スタジオに続編の制作を促し、10年後には『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』が公開されました。この続編は、オリジナルの舞台や映画ミュージカルよりも幅広いABBAのカタログを取り入れていました。意外にも、このスクリーン向けに制作されたミュージカルの続編は、批評家やファンからの支持を得て前作を上回る成功を収めました。これはABBAの持続的な関連性を証明するものでした。
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https://www.britannica.com/story/what-is-the-legacy-of-abba-in-popular-culture