ABBAを再度「かませ犬」に!わかっていたとはいえ、まだABBAをコケにするのかアメリカは!!

恐らくある程度の数のABBAファンならば、ABBAがグラミー賞を獲得するとは思っていなかったであろう。

確かに4部門でノミネートされたのは微笑ましいことだったが。

1. レコード・オブ・ザ・イヤー
ドント・シャット・ミー・ダウン
ベニー(プロデューサー)、ベニー & Bernard Löhr(エンジニア/ミキサー)、ビヨルン(マスタリングエンジニア)

2. アルバム・オブ・ザ・イヤー
ヴォヤージ
ベニー(プロデューサー)、ベニー&バーナード・ローア(エンジニア/ミキサー)、ベニー&ビヨルン(ソングライター)、ビヨルン・エンゲルマン(マスタリング・エンジニア)

3.ベスト・ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス
ドント・シャット・ミー・ダウン

4.最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム
ヴォヤージ

1976年(1977年)「ダンシング・クイーン」の世界的流行の時でさえ、ABBAはグラミー賞にノミネートさえされなかった。なのに、今更、ABBAがカムバックしたとはいえ、グラミー賞にノミネートされることが精いっぱいで、そのノミネートさえ、グラミー賞選考委員会は何かしらの企みはあるものと筆者は思っていたが、ある程度の数のABBAファンも同様に思っていただろう。

ABBAの名前が初めてアメリカに上陸したのは1974年「恋のウォータールー」でビルボード6位に入った時だった。

だが驚くべきことに多くのアメリカ人は「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」の存在も知らなければ、スウェーデンが欧州の一部だということも知らなかったのだ。

1970年代前半はやれ反戦だの、やれ反政府だのと言う歌詞を散りばめた「フォークソング」がアメリカはもとより世界を席巻していた。そんな時、「恋のウォータールー」を聴いたアメリカ人は「久々にすがすがしさを覚えた」と語っている。だがこの時、やがてABBAがBigな存在になるとは、アメリカ人は誰一人、思っていなかった。

しかし「SOS」「マンマ・ミーア」を聴いたアメリカの音楽業界はその出来の良さ、素晴らしさに圧巻されたという。

そして彼らがとった行動が「アメリカでABBAの曲をヒットさせない」という戒厳令だった。

この流れはアメリカの音楽業界はもとより音楽評論家、メディアまでも協力したというのだから「差別」もいいところだ。

ほぼ世界を制圧したABBAではあったが、未だアメリカだけは崩せないでいた。

そこで「テイク・ア・チャンス」を引っ提げて、アメリカに大々的なプロモーションをかけたが、結局、「テイク・ア・チャンス」はビルボード1位にはならなかった。

アメリカの音楽業界の重鎮はこのように語っている。

「ABBA……怖い存在でしたよ。だから絶対に上陸させないようにブロックしたんだ」。

とはいうもののファンはABBAを求め、1979年ABBA最後の世界ツアーの一環としてアメリカで多数のコンサートを開催した。だがアメリカのメディアの寛大さはなく、あっという間にABBAアメリカツアーは終わってしまった。

その後、1983年、ABBAは活動停止するが、ビヨルンとベニーはミュージカル『CHESS』を引っ提げて、再度、アメリカに上陸したが、音楽評論家、メディアにコテンパンに悪評を叩かれ、1か月も経たないうちに『CHESS』は閉幕した。

そして昨年2022年、2023年の「グラミー賞」だ。

確かにグラミー賞審査員の中には『マンマ・ミーア!』でABBAの大ファンになった人も少なからずおり、グラミー賞のお偉い方々は仕方なくABBAをノミネートさせた。

しかしグラミー賞選考委員会のお偉い方はABBAなんて最初から眼中になかった。

そう、はじめからABBAがグラミー賞を獲得するなんてありえなかったのである。

今年もまたABBAは「グラミー賞の噛ませ犬」(アテウマ)になったわけだ。

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