ABBA:知られざる10の魅力

セルフタイトル・アルバム『ABBA』のリリースから50年。スウェーデンのスーパーグループは今もなお健在です。

1975年、ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝の翌年、ABBAは待望のセルフタイトル・アルバム『ABBA』をリリースしました。スウェーデンの4人組──アグネタ、ビヨルン、ベニー、フリーダ──は、1974年に「恋のウォータールー」で世界的な名声を獲得し、このアルバムがその勝利後初の作品となりました。

リリースから50周年を記念して、このアルバム(「マンマ・ミーア」「SOS」「アイヴ・ビーン・ウェイティング・フォー・ユー」などのヒット曲を収録)は、2025年6月13日に特別記念盤として再リリースされます。ABBAファンなら見逃せません。
その後もABBAは6枚のアルバムを発表し、ショー、イベント、トリビュート・バンド、映画などで現在も世界有数の人気バンドであり続けています。

ABBAの知られざる10の事実

1. 元の名前は「フェストフォルク」だった
ABBAが最初に結成されたのは1969年。ベニーとビヨルンがポップやフォークのプロジェクトで共作していた頃、アグネタとフリーダに出会い、4人でキャバレー形式のグループ「Festfolk(フェストフォルク)」を結成しました。
この名前は、スウェーデン語の「festfolk(パーティー好きな人々)」と「fästfolk(婚約者たち)」という、ほぼ同音の2つの単語をかけたものでした。
しかしこの名前はあまり浸透せず、成功にも恵まれなかったため、すぐに4人の頭文字を組み合わせた「ABBA」に改名。ロゴの“B”が左右逆になっているのも特徴です。

2. 缶詰会社に名前使用の許可を求めた
「ABBA」という名前はすでにスウェーデンの老舗缶詰会社「Abba AB」に使われていたため、音楽グループとして使うには問題がないか確認する必要がありました。
1838年創業のこの会社は、魚卵のペーストやニシンの酢漬けなどで有名。マネージャーが正式に問い合わせたところ、会社側は「私たちに恥をかかせない限りOK」と許可してくれたそうです。
アグネタは後に「ちゃんと許可を取らないといけなかったの。『恥ずかしいことはしないでくれれば使っていいよ』って言われたわ」と語っています。

3. イギリスから「ヌル・ポイント(0点)」をもらった
ABBAは1974年のユーロビジョンで「恋のウォータールー」を母語ではなく英語で歌い、優勝しました。英語にすることで国際的な成功も狙ったのです。
ところがイギリスからは0点、いわゆる「ヌル・ポイント」を受け取ります。
ビョルンは後に「あれは戦略だったのかもしれない」と語りました。「なぜなら、勝利後に一番早く我々を歓迎してくれたのはイギリスだったから。審査員は『ABBAは脅威になる』と見て、あえて0点にした可能性があるよね。不思議だもん」。

4. 『ABBAゴールド』は1,000週間以上チャートイン
1992年にリリースされたベストアルバム『ABBA GOLD』は、3,000万枚以上を売り上げ、ABBA史上最大のヒット作となっています。
その後、ユーロビジョン優勝25周年(1999年)、映画『マンマ・ミーア!』公開(2008年)、ユーロビジョン40周年(2014年)、リリース30周年(2022年)などにあわせて再発されてきました。
2021年には、イギリス・アルバムチャートに通算1,000週間ランクインしたことが発表され、ベニーは「年寄りのカブにしては悪くないな」と冗談を飛ばしました。

5. 再結成ツアーを10億ドルで断った
「マネー、マネー、マネー」と歌いながらも、ABBAは金銭に左右されない姿勢を貫きました。彼らは100〜250公演に及ぶツアーの提案と引き換えに、10億ドル(約1,500億円)を提示されましたが、これを辞退。
年齢的にも体力的にも難しいと判断し、「当時の若さと情熱があったからこそABBAだった。今はもう違う」とフリーダは語っています。

6. 『Voyage』のためにベニーとビヨルンはヒゲを剃った
2019年、ABBAはデジタル・コンサート『ABBA Voyage』で「ABBAター(ABBAtars)」として再始動します。
1970年代の姿を再現した4人のデジタルキャラクターはモーションキャプチャ技術で制作されましたが、ビヨルンとベニーはコンピューターがヒゲ部分を正確に読み取れないため、撮影中にヒゲを剃らなければなりませんでした。
特にビョルンはこのヒゲ剃りを嫌がっていたとか。

7. 『マンマ・ミーア!』はウエストエンドで5番目のロングラン
ABBAの楽曲をベースにしたミュージカル『マンマ・ミーア!』は、1999年にロンドン・ウエストエンドで開幕し、26年経った今も売り切れ続出の人気作品です。脚本は英国の劇作家キャサリン・ジョンソンによるもので、ギリシャで結婚式を控えた花嫁が、3人の“父親候補”を招待する物語。
ビョルンとベニーは開発初期から深く関わり、フリーダも出資者のひとりです。ブロードウェイでは14年上演され、2025年8月から限定6ヶ月間のリバイバルが決定しています。

8. 「ザ・ウィナー」は離婚を描いた曲だった
ABBAが活動していた当時、アグネタとビヨルンは1971年に結婚し、2人の子供をもうけました。フリーダとベニーもカップルでしたが、結婚は1978年。
しかし、アグネタとビヨルンは1979年に、フリーダとベニーは1981年にそれぞれ離婚。
この辛い別れから生まれた楽曲のひとつが「ザ・ウィナー(The Winner Takes It All)」です。
アグネタは「この曲は私たちの離婚をもとにビヨルンが書いたもの。歌いながら感じたこと、涙、全部が曲に込められていた。人前で披露することに抵抗はなかったわ」と語っています。

9. 映画版『マンマ・ミーア!』の撮影現場に常駐
1982年の活動停止後、アグネタとフリーダはメディア露出を控えてきましたが、ビヨルンとベニーはABBA関連の企画に積極的に関わってきました。
2008年の映画『マンマ・ミーア!』撮影時もその例外ではなく、2人はプロデューサーとして頻繁に現場に姿を見せていました。主演のメリル・ストリープは「彼らはずっと現場にいて、私たちが言葉とタイミングを間違えない限り、とても自由に表現させてくれた」と語っています。

10. 「ダンシング・クイーン」は国民的ABBAソング
2024年、BBC Radio 2がリスナーに「最も好きなABBAソング」を投票で募った結果、「ダンシング・クイーン」が1位に輝きました。2位は「ザ・ウィナー」、3位は「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」。
4位には「スリッピング・スルー」、5位には「ザ・デイ・ビフォア・ユー・ケイム」がランクイン。
番組ホストのゲイリー・デイヴィスは「“ダンシング・クイーン”は、聴くだけで誰もが幸せになる曲。今でもダンスフロアを盛り上げる鉄板曲だよね」とコメントしました。

https://www.saga.co.uk/magazine/entertainment/abba-fascinating-facts

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