ABBA 名曲トップ40:20位~16位

20位

「ギミー!ギミー!ギミー!」
1979年

「ヴーレ・ヴー」に続く次のシングルとして、当初予定されていたのは「ラバー・ボール・マン」(別名「アンダー・マイ・サン」)でした。しかしこの曲はデモ段階までで制作が止まり、代わって「ギミー!ギミー!ギミー!」がリリースされることになります。

ディスコ調のベースとドラムを特徴とするこの楽曲は、1979年当時にABBAが制作していたダンス・トラックの流れに、より合致したものでした。
アグネタが歌うこの曲は、ややきわどさを感じさせる歌詞で、夜更けの孤独な時間を明るく照らしてくれるロマンスを求める女性の物語を描いています。

テンポが速く耳に残るこの楽曲は、間近に控えたABBAのワールド・ツアーを印象づける名刺代わりの1曲とも言える存在でした。
ただし、4分46秒という演奏時間は、北米の昼間のラジオ放送には長すぎたため、3分36秒に編集された短縮版が北米向けにリリースされました。

19位

「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」
1979年

『ヴーレ・ヴー』アルバムの他の多くの楽曲が軽快なディスコ・リズムに満ちているのとは対照的に、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」は、おそらくABBAが録音した中で最も甘く、感傷的な楽曲と言えるでしょう。

またこの曲は、ABBAの楽曲として唯一、バンド外のヴォーカリストが参加している作品でもあります。終盤のコーラスでは、ストックホルム・インターナショナル・スクールの児童合唱団が加わっています。

1979年は国連児童基金(UNICEF)の「国際児童年」であったため、ABBAはワールド・ツアーで訪れた各都市ごとに、その土地の児童合唱団をステージに招き、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」を一緒に歌うという演出を行ないました。

後にバンド自身も認めているように、その出来映えは場所によってまちまちだったそうですが、子どもたちの合唱団がそのままステージに残り、「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」にも参加することもありました。
それは、ABBAのコンサートがロック・ギグというよりも、家族で楽しめるショーであった
ことを、はっきりと印象づけるものでした。

18位

「チキチータ」
1979年

「チキチータ」は、ABBAが自らの過去の作風を繰り返した、数少ない例のひとつです。この曲は、先に発表された「悲しきフェルナンド」から強い影響を受けており、バラードとしてはアルバム『ヴーレ・ヴー』の他の楽曲群から、やや浮き上がった存在となっています。

初期段階のヴァージョンである「イン・ジ・アームズ・オブ・ロザリータ」では、テンポはさらに遅く、アグネタとフリーダがヴォーカルを分け合っていました。
また、
「チキチータ・アンジェリーナ」と題された、歌詞の異なる中間ヴァージョンも録音されましたが、最終的には採用されずに破棄されています。

完成版の「チキチータ」は、テンポがやや速くなり、各パートではアグネタが主導的な存在となっています。

この楽曲は、出版印税のすべてがUNICEFに寄付されることとなり、1979年の国際児童年を記念する一環として、ニューヨークで行われたチャリティ・イベントで初披露されました。
そのステージでは、ABBAはビー・ジーズ、アース・ウィンド&ファイアー、ロッド・スチュワートと同じプログラムに名を連ねて出演しています。

17位

「ダズ・ユア・マザー・ノウ」
1979年

全英チャートで最高4位を記録し、のちにR.E.M.によってカバーもされた「ダズ・ユア・マザー・ノウ」をシングルとしてリリースしたことは、当時のABBAが自分たちのやっていることに絶対的な自信を持ち、ほぼ何を出しても成功するという確信に満ちていたことを示しています。

世界でも屈指の“ひと声で分かる”ヴォーカリストであるアグネタフリーダをリードに据えるのではなく、この曲では、決して名ヴォーカリストとは言えないビヨルンが、ABBAで唯一となる45回転シングルでのリード・ヴォーカルを担当しています。
彼が歌うのは、かなり年下の女性に強く惹かれている男の心情です。

テイク・イット・イージー。それじゃダメだよ」――
そう締めくくるビヨルンの後に、フリーダとアグネタが加わり、未発表曲「ドリーム・ワールド」から流用されたミドル・エイト(ブリッジ部分)で、ABBAならではのクラシックなハーモニーを聴かせます。

16位

「スーパー・トゥルーパー」
1980年

ABBAにとって全英シングルチャート9曲目の1位を獲得したこの楽曲は、7作目のアルバムのタイトル曲でもあり、自信に満ちつつも親しみやすいポップ・ミュージックに仕上がっています。

リード・ヴォーカルはアンニ=フリード
楽曲は、ツアーで各地を回り、ステージに立ち続けるバンド生活の試練や苦労を描いています。
タイトルの「スーパー・トゥルーパー」とは、ABBAがスタジアム公演で照らされていた巨大なスポットライトの愛称でした。

歌詞中に登場するグラスゴーという地名は、ABBAのイギリスでの出版社であるボク・ミュージックハワード・ハントリッジの提案によるものです。

ミュージック・ビデオとレコードのジャケットにはサーカスのパフォーマーが登場します。
当初、アート・ディレクターのルーネ・セーデルクヴィストと写真家のラース・ラーションは、ピカデリー・サーカスでの撮影を検討していましたが、これはすぐに見送られ、代わりにストックホルムのヨーロッパ・フィルム・スタジオと、実際のサーカス会場が使用されることになりました。

<続く>

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です