5位
「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」
1982年
『ザ・ヴィジターズ』アルバムからの楽曲で、アグネタがリード・ヴォーカルを務める「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」は、ABBAにとって過去7年間でイギリスにおける最も売り上げの低いシングルとなりました。
これにより、トップ5ヒットを連発してきたバンドの記録は途切れることになります。
当時、音楽の嗜好は変化していました。
デュラン・デュランやスパンダー・バレエといったニュー・ロマンティック系バンドがチャートを席巻し、メディアは常に「次のビッグ・アクト」を求めていたのです。
「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」、そしてそれに伴うミュージック・ビデオは、ベニーとビヨルンが向かおうとしていた演劇的な方向性をはっきりと示しています。
この曲は、物質的なものを楽しむ女性についての歌であり、そのテーマはプロモ映像で強調されています。
映像では、買い物好きのフリーダのために、疲れ果てたビヨルンが大量の紙袋や荷物を抱えて運び続けます。
一方のフリーダは、次々と豪華な衣装に身を包んで踊り回り、ついにはビヨルンがソファで眠り込んでしまう――という対照的な光景が描かれています。
4位
「ザ・デイ・ビフォア・ユー・ケイム」
1982年
ABBAがグループとして最後に録音した楽曲(そしてオリジナル・シングルとしては最後から2作目)が、この「ザ・デイ・ビフォア・ユー・ケイム」です。
演奏はすべてベニーのキーボードによって構成されています。
通常、ベニーとビヨルンは完成した楽曲を携えてスタジオ入りしていましたが、このときだけは例外でした。
ベニーが持ってきたのは、ごく短い音楽の断片だけで、それを弾き始めたに過ぎなかったのです。
エンジニアのマイケル・トレトウは、その場で起きているすべてを録音するという先見の明を発揮しました。
その結果、1時間も経たないうちに、
「デン・リーダンデ・フォーゲルン(苦しむ鳥)」
という仮題のもと、完全なメロディが形作られました。
この楽曲は、ABBAにとって新たな方向性を示すものでした。
サビは存在せず、ベニーの代名詞とも言える壮麗なコード進行の代わりに、シーケンサーが中心的な役割を果たしています。
ビヨルンは、
「あなたが来る前の日」
に、ごく平凡な生活を送る人物がこなしていそうな日常の行動をリストアップし、それを歌詞へと落とし込みました。
そしてアグネタには、
その歌詞をあえて無関心で淡々とした調子で歌うよう指示が出されます。
それによって、語り手の人生における単調な日常性が、より強調されることになったのです。
3位
「アンダー・アタック」
1982年
「アンダー・アタック」は、ABBAにとって28作目にして最後のオリジナルの全英シングルとなりました。
グループは8月初旬、新しいスタジオ・アルバム制作を想定して作業を開始しましたが、この計画は途中で中止され、代わりにベスト盤の2枚組アルバム『ザ・シングルズ:ザ・ファースト・テン・イヤーズ』の制作へと舵を切ります。このアルバムには、秋のセッションで録音された「アンダー・アタック」と「ザ・デイ・ビフォア・ユー・ケイム」が収録されました。
しかし「アンダー・アタック」のチャート成績は振るいませんでした。
全英チャートでは最高26位にとどまり、かつてABBAの強固な支持基盤であったオーストラリアでも、かろうじてトップ100入りを果たしたに過ぎませんでした。
ミュージック・ビデオは、倉庫(ウェアハウス)を舞台に撮影され、回転する赤い照明、ドライアイスの霧、階段を上り下りする動きといった、緊張感のある演出が用いられています。
楽曲の重く深刻なトーンに合わせ、映像は印象的なラストを迎えます。
アグネタ、フリーダ、ベニー、ビヨルンの4人が、カメラに背を向けたまま倉庫を後にし、外の光の中へと歩いていくのです。
――これは、象徴的な別れだったのでしょうか?
2位
「ユー・オウ・ミー・ワン」
1982年
『ザ・ヴィジターズ』アルバムの困難なレコーディング・セッションを経て、ベニーとビヨルンは1982年5月にポーラー・スタジオへ戻り、その年の後半に発売予定だった新作アルバム用の楽曲をいくつか録音しました。しかし、そのアルバムは結局リリースされることはありませんでした。
そのセッションで録音された楽曲のひとつが、「ユー・オウ・ミー・ワン」です。この曲は、同時代の音楽シーンにおける自分たちの立ち位置に迷いを見せるABBAが、1970年代半ばに世界的成功をもたらした“シュラーガー”のルーツへ立ち返ったことを示しています。
この楽曲は多層的な構成で、弾けるようなポップ感に満ちています。
アグネタとフリーダが、わずかにスピードアップされた共同リード・ヴォーカルを分け合い、強い推進力を生み出しています。
「ユー・オウ・ミー・ワン」は、いわば“定型的なABBA”とも言える楽曲かもしれませんが、超キャッチーなポップ・ソングを生み出す彼らの才能が、まだ健在であったことをはっきりと示しています。
この曲は最終的に、「アンダー・アタック」のB面曲として世に出され、さらに1997年リマスター版『ザ・ヴィジターズ』のボーナス・トラックとしても収録されました。
1位
「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」
1983年
「アンダー・アタック」の発売から1年後、そして事実上ABBAがすでに活動を終えていた時期である1983年11月にシングルとしてリリースされた「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」は、
バンド自身の墓碑銘(エピタフ)とも捉えられる楽曲でありながら、全英チャートでは33位にとどまりました。
この曲はもともと、1977年のアルバム『ABBA:ジ・アルバム』のB面を締めくくる、ミニ・ミュージカル『ザ・ガール・ウィズ・ザ・ゴールデン・ヘア』の一部として制作されたものです。
ビヨルンとベニーは、1977年のツアーで、この楽曲をショーのフィナーレとして試験的に使用し、何万人もの観客を前に披露しました。
全25分から成る『ザ・ガール・ウィズ・ザ・ゴールデン・ヘア』は、
名声を求めて小さな町を飛び出す少女を中心に描いた物語です。
このミュージカル全体が正式に制作されることはありませんでしたが、
「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」は、その枠を超え、ABBAを代表する名曲として不動の地位を築くことになります。
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