この曲を書いたのは音楽界のレジェンドで、プロデュースを手がけたのは史上最高のロック・ドラマーの一人でした。
1970年代、ABBAは「ダンシング・クイーン」「恋のウォータールー」「悲しきフェルナンド」などのヒット曲によって、世界的な成功を収めました。しかし、スウェーデンのポップ・グループABBAが1982年に最後の時期を迎えつつあったころ、メンバーのアンニ=フリード・リングスタッド、通称フリーダは、ソロ・アーティストとして独自の存在感を示していました。
フリーダの3作目のソロ・アルバム『サムシングズ・ゴーイング・オン』からは、当時開局したばかりのMTVでミュージックビデオが頻繁に放送されたことも追い風となり、大きなポップ・ヒットが生まれました。
アージェントのリード・シンガー、ラス・バラードが作詞・作曲した「予感(アイ・ノウ・ゼアズ・サムシング・ゴーイング・オン)」は、フィル・コリンズによる轟くようなドラム演奏と、ABBAの洗練されたポップサウンドとはまったく異なるダークな雰囲気が特徴でした。
バラードが書いたのは、崩壊していく恋愛関係を描いた歌詞でした。夫でありABBAのメンバーでもあるベニー・アンダーソンと離婚したばかりのフリーダにとって、それは特に個人的な意味を持つ題材でした。
この曲は世界的なヒットとなり、米ビルボード「Hot 100」で最高13位を記録しました。これによってフリーダは、ミュージックビデオ時代を代表する本格的なソロ・スターとしての地位を確立しました。
バラードは、1970年代のロック・バンド、アージェントのリード・シンガー兼ギタリストとして知られていました。一方で、多作なソングライターでもあり、レインボーやスリー・ドッグ・ナイトなどのバンドに名曲を提供しています。
『ベスト・クラシック・バンズ』のインタビューで、バラードは「予感(アイ・ノウ・ゼアズ・サムシング・ゴーイング・オン)」を非常に短時間で書き上げたことを明かしました。
「曲全体を書き上げるのにかかったのは、1時間ほどでした」とバラードは語っています。
「悪くないでしょう。私が書いた最高の曲は、どれも本当に、本当に短時間でできた曲だったと思います」。
この曲を書いたのはバラードですが、アルバムのドラム演奏とプロデュースを担当するために招かれたのがフィル・コリンズでした。フリーダは、ジェネシスの伝説的メンバーであるコリンズに、どうしても協力してもらいたいと考えていました。
オランダの雑誌『ウィークエンド』の取材で、フリーダは、娘からコリンズが1981年に発表したシングル「夜の囁き(イン・ジ・エア・トゥナイト)」を紹介されたと振り返っています。
「素晴らしいレコードだと思いました。その後すぐに、彼のアルバム『夜の囁き(フェイス・ヴァリュー)』を買いました。それを聴いたとき、コラボレーションの可能性について、ぜひ彼に連絡しようと決心したのです。最終的に電話をかけ、私のソロ・アルバムをプロデュースし、ドラムも演奏してほしいと提案したところ、彼はすぐに乗り気になってくれました」。
フリーダは、さらに次のように語りました。
「出来上がった作品は、ABBAのサウンドとはまったく違うものになりました。でも、それこそが私の意図でした。私にとっては、自分自身のサウンドを作ることが何よりも大切でした。異なるミュージシャンたちと、これまでとはまったく違う環境で制作しましたが、成功したと思います」。
コリンズのFacebookへの投稿によると、フリーダの『サムシングズ・ゴーイング・オン』は、1982年2月から3月にかけて、スウェーデンのポーラー・スタジオで録音されました。
コリンズに加え、ダリル・ステューマー、モー・フォスター、マーティン・フォード・オーケストラ、ギャヴィン・ライト、スカイラ・カンガ、フェニックス・ホーンズなどのミュージシャンが、各曲のレコーディングに参加しました。
人生の転換期にあったフリーダにとって、このアルバムの制作は、自分を解放するような経験でした。
1982年に『グッド・モーニング・アメリカ』へ出演したフリーダは、次のように語っています。
「ABBAでは、ベニーやビヨルン・ウルヴァースが書いた曲を歌わなければなりませんでした。でも今回は、何をしたいのかを自分で選ぶことができました。心の底から、自分が本当に歌いたいものや、アルバムに収録したいものを選べたのです。もちろん、サウンドの面でも違います。フィル・コリンズがプロデュースし、ドラムも演奏しているからです」。
それから約45年が経過した現在も、「予感(アイ・ノウ・ゼアズ・サムシング・ゴーイング・オン)」は、フリーダのソロ作品のなかで最もよく知られた曲の一つです。
一度聴いたら忘れられない印象的なフレーズを持つこのポップロック・ヒットは、時代を超えて愛される名曲となりました。

