『CHESS』は“冷戦2.0の反ロシア的プロパガンダ”──ABBAの騒々しい音楽も助けにならず

『CHESS』は“冷戦2.0の反ロシア的プロパガンダ”──ABBAの騒々しい音楽と聞き取りづらい歌詞も助けにならず

1979年のアメリカ人チャンピオンとロシア(ソ連)チャンピオンによる政治色の強いCHESS対決を描いたこの舞台は、1988年にブロードウェイで上演されたが、当時の大統領はロナルド・レーガン、いわゆる「悪の帝国」時代だった。(“プラス・サ・シャンジュ”=何も変わらないものだ)。
つまり、その当時ですらこの“反ロシア的”な作品は判断ミスだったのかもしれない。

今回、ダニー・ストロングが新脚本を書き、マイケル・メイヤーが演出を担当したが、政治性に大きな変化があるようには見えない。変わったのは一部のキャラクター設定だけだ。
音楽については語る価値もない──うるさくて単調で、歌詞は陳腐。それでも“騒音”が大半の歌詞をかき消す(音楽と歌詞はベニー・アンダーソン、ティム・ライス、ビヨルン・ウルヴァース)。

ニコラス・クリストファー(アナトリー・セルギエフスキー役)、写真:マシュー・マーフィー

この舞台で最も優れているのはロシアのCHESS選手アナトリーを演じるニコラス・クリストファーだ。張りつめた強度のある演技で、オペラ的なバリトンが圧巻である。
一方、アメリカ側のプレイヤーであるアーロン・トベイト(フレディ)は、ただ大声で、興味を引かない。
両者の愛の対象でありCHESS戦略家でもあるフローレンスを演じるリア・ミシェルは、舞台上での音楽的存在感と力強い歌声が魅力的だ。

しかし dissect(解剖)すべきは 物語そのもの である。
というのも、この作品は米ソの衝突を扱っているからだ。

物語は1979年から始まる。アメリカ軍がベトナムから逃げ帰って4年後のことだ。
ベトナムはアメリカに脅威を与えていなかったが、アメリカは1960年にケネディ政権下で“顧問団”を送り込み、その後ジョンソン政権で大規模に介入し、数百万人のベトナム人を殺害した。
それは「共産主義が企業資本主義を脅かす」のが気に食わなかったからだ(戦争とは、末期資本主義が自らの覇権に対する挑戦を処理する方法である)。

ソ連はその戦いで北ベトナム側に軍事・経済支援を行なっていた。
当時のこの大国間の最大の衝突は、本作では一切触れられない。

アーロン・トベイト(フレディ・トランパー役)、写真:マシュー・マーフィー

おそらくアメリカの帝国主義から目をそらす必要があったため、初代脚本家リチャード・ネルソンは失敗した1988年版『CHESS』でソ連を標的にしたのだろう。

1979年の舞台設定の数年前、1976年には、アメリカはアルゼンチンでクーデターを支援し、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍率いる軍事政権を成立させた。
この政権は“汚い戦争”(1976~1983)と呼ばれる国家テロを遂行し、左翼系の反対派を拷問し、暗殺し、強制失踪させ、約3万人が殺された。
これも作中では触れられない。

さらに80年代初期のレーガン政権によるニカラグアやエルサルバドルの独裁政権支援、そしてカンボジア、グレナダ、フィリピンなどでの違法な介入。私は1986年、フィリピンでアメリカがマルコス独裁を支援する様子を取材した。
いずれも1988年の初演前の出来事だ。

それでもなお、新脚本のダニー・ストロングは米ソの対立を「民主主義 vs 共産主義」と描く。
だがベトナム、アルゼンチン、その他多くの国でアメリカが独裁者を支援したり民族解放運動を攻撃してきた歴史を知っていれば、この構図がいかに単純化されたプロパガンダであるかは明らかだ。

物語は、アメリカとロシアのCHESSチャンピオンが世界大会で対戦するという設定。
アメリカ選手の女性戦略アドバイザーは、以前ロシア選手と短い恋愛関係にあった。

その試合になぜかCIAとKGBが関心を持つ──理由は何も語られない。
信じられる説明は一切ない。

本来なら普通の恋愛ドラマにできたはずなのに、脚本家たちはこれを「ロシア嫌いの物語」に仕立て上げた。
そして結果は──爆死。(ダジャレではない)。

アーロン・トベイト(フレディ・トランパー役)とリア・ミシェル(フローレンス・ヴァッシー役)、写真:マシュー・マーフィー

プロパガンダは一貫して馬鹿げている。

アナトリー(ロシア人)は、
「共産主義者に家族から引き離され、CHESSのチャンピオンへと育てられたため、子ども時代を奪われた」
と説明される。

では、アメリカ人のフレディはどうだろう?
彼は11歳でチャンピオンになった。
それが“ある日突然”起きたとでも思うなら別だが、
現実的には6〜7歳あたりから訓練されていたはずだ。
つまり彼も子どもだったわけである。

フレディの父親は放蕩者で、母親は恋人を取っ替え引っ替えしていた。
フレディは双極性障害で、大口を叩き、歯にマイクロチップを埋め込まれたと思い込んでいる。
つまりこういうことか?
「資本主義者たちが彼を家族から引き離してCHESSを覚えさせ、彼のメンタルヘルスには無関心だった」と。

では、違いは何か?
ロシア=悪い、アメリカ=良い、という以外に。

アナトリーの生涯の師であるアレクサンダー(ブラッドリー・ディーン)は、
(ウィンクウィンク)KGBのエージェントだと“噂されている”。

だがKGBがCHESSに関心を持つ理由とは?
国際的名誉のため?

ソ連がCHESS(やバレエ、音楽、スポーツ)の天才を支援していたのは事実である。
一方で、アメリカでは才能があっても金がなければ夢を諦めざるを得なかった。
だから、良い社会政策には“邪悪な理由”を付けなければならないのだ。

そしてさらに馬鹿げているのが、
SALT(戦略兵器制限交渉)に関する部分だ。

SALT I(1972年)とSALT II(1979年)は、
アメリカとソ連が核兵器と運搬手段の数を制限し、軍拡競争を抑制するための協定であった。

だが脚本家たちはあり得ない仮説を作り上げる。
すなわち:

アメリカ選手がCHESSの試合を“わざと負けて”ロシアに勝利を譲らなければ、
ソ連は1979年のSALT交渉を打ち切る、というものだ。

しかも
「ジミー・カーターは大統領選のために勝利が必要だ」
とも。

実際には、SALT II の条約は署名され、批准のため上院に提出されていた。
だがカーターはソ連のアフガニスタン侵攻後にそれを撤回しただけである。

さらに、彼の安全保障顧問ブレジンスキーは、
1998年1月のフランス誌 Le Nouvel Observateur のインタビューで、
アメリカがアルカイダに武器を与えたのは「アフガニスタンの親ロシア的な世俗政府を転覆させ、
ソ連を戦争に引きずり込むためだった」と語っている。

ソ連にとっての“ベトナム”を作るために。

アメリカは2001年10月7日から2021年8月30日までアフガニスタンに軍事介入し、
実に20年近く駐留していた。

では、それは“誰のベトナム”だったのか?

それでも両国はSALTの兵器制限を遵守していた。

1987年には中距離核戦力(INF)条約が締結されたが、
2019年にトランプ大統領がこれを破棄した。

ストロングはRFK Jr. の“反健康政策の皇帝”ネタや、
認知症疑惑のあるバイデンを軽くいじる弱いジョークを入れているが、
ストーリーの根幹にSALTがあるにもかかわらず、
INF 条約を破棄したトランプについては一切触れない。
なぜか?
破棄したのはロシアではなくアメリカだから?

さらに皮肉な描写がある。
フローレンス・ヴァッシー(フレディの戦略家)はハンガリー人で、
1956年の反ソ連蜂起の際、
子どもの彼女は柵越しに逃がされて助かったという設定。

この蜂起の映像が劇中で2回流される。
1回目を見逃した人のためだろうか?
(メイヤー監督、あなたですか?)。

一方、同じ年にアメリカが空爆したりクーデターを支援した
コスタリカ、チベット、シリアの映像は一切出ない。

1954年にCIAが民主的政府を転覆させ、
その後数十年の軍事統治と数十万人の農民虐殺につながったグアテマラについても触れられない。

*リア・ミシェル(フローレンス・ヴァッシー役)とニコラス・クリストファー(アナトリー・セルギエフスキー役)、写真:マシュー・マーフィー

CIAのエージェント、ウォルター・デ・コーシー(ショーン・アラン・クリル)と、
KGBと噂されるエージェントは、
「アメリカ選手が負け、ソ連に勝利を与える」ということで合意する。

だがフレディは棄権する。

アナトリーはフローレンスと共にいたいが、
アメリカは彼の入国を拒否し、
彼女のビザも取り消す。

そのため2人は英国へ向かう。

アナトリーはフローレンスを愛してソ連を離れるが、
英国側は彼に「自由のためだ」とビデオで言わせようとする。

ストロングの国際政治の理解はどうなっているのかと思う。
CIA と英国諜報機関 MI6 は密接な協力関係にあり、
英国は長年アメリカの“従属国(vassal)”である。

アメリカが拒否した人物を、英国が歓迎するなど非常にあり得ない。

ハンナ・クルーズ(スヴェトラーナ役)、写真:マシュー・マーフィー

KGB は、アナトリーと別居中で、なおかつ“抑圧されている”と信じさせたい妻スヴェトラーナを利用して、彼を帰国させようとする。

彼女を演じるハンナ・クルーズは歌唱も見事だ。
KGB はこう誘惑する。
「社会の人気者として帰りたいと思わない? 最高のパーティーにまた参加できるのよ?」。

ところがアナトリーは、あれほど遠征続きで「本当の人生を送れていない」と不満を言っていたのに、
スヴェトラーナはと言えば、豪華なパーティーに通い詰め、浮気までしていたことが判明する。

明らかに、こういうことは共産主義国にだけ起こるらしい
大物エンターテイメント関係者が海外出張が多く、家庭生活をめちゃくちゃにするなんて……
ハリウッドでは決してない!)。

そして最後に登場するのが、NATO の「エイブル・アーチャー(Able Archer)」演習

1980年代初頭、レーガンが“悪の帝国”というレトリックで
NATO とワルシャワ条約機構の緊張を高めていた(これがレーガン流“外交”らしい)。
そのせいでソ連側は怯えた。

特に 1983年11月12日 は、ソ連が先制攻撃を検討した日とされ、
世界が核戦争へ最も接近した瞬間のひとつと考えられている。

だがアメリカ政府を牛耳る「ディープステートの戦争屋」たちとは違い、
ソ連の指導者たちは より冷静な頭脳 を持っていた、と言われる。

ダンサーたち、写真:マシュー・マーフィー

ちなみに(BTW)、私はまだ触れていなかったが──
ローレン・ラタロによる振付は感動を呼ぶものではない。
グレーのスーツを着た役者たちが少しキックをしたり、少しアクロバットをしたり、
その後タイのバンコクを描いたカラフルな場面では、女性だけ(男性ではなく)が下着姿になる。

政治的に反動的な作品なのだから、ついでに性差別的でも不思議ではない

西側諸国は現在、ロシア人選手をさまざまな国際競技から排除している。
「そうすればロシアがひざまずくに違いない」という高度な(?)考えにもとづいて。
そのため、現代を舞台にした続編が作られる心配はなさそうだ。

だが『CHESS』は、
アメリカの冷戦文化プロパガンダの代表例として研究されるべき作品である。

『CHESS』公演情報(原文より)

“Chess.”
脚本:ダニー・ストロング(ティム・ライスの構想に基づく)
音楽・歌詞:ベニー・アンダーソン、ティム・ライス、ビヨルン・ウルヴァース
演出:マイケル・メイヤー
会場:Imperial Theatre(249 West 45th St, NYC)
上演時間:2時間45分
初日:2025年11月16日
千秋楽:2026年5月3日

さあ、今度はドナルド・トランプの番だ!

https://www.thekomisarscoop.com/2025/12/chess-a-coldwar-2-0-musical-is-a-reactionary-russophobic-screed-that-is-not-helped-by-abbas-noisy-music-and-unintelligible-lyrics/

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