『マンマ・ミーア!』──9.11後のニューヨークにきらめきをもたらしたミュージカル

『マンマ・ミーア!』──ブロードウェイに帰還、9.11後のニューヨークにきらめきをもたらしたミュージカル

マイ・マイ、どうしてあなたを拒めるでしょう?
2013年以来初めて、あの巨大な『マンマ・ミーア!』の看板が、50丁目にあるウィンター・ガーデン・シアターに戻ってきました。12年間にわたりこの通りを明るく照らしていたあの場所に。

私の友人たちは、白いドレスを着た笑顔の少女の有名なポスターを、まるでブラッド・ピットでも目撃したかのように夢中で写真に収めていました。

*『マンマ・ミーア!』の看板が、12年ぶりにウィンター・ガーデン・シアターに戻ってきた(出典:ニューヨーク・ポスト/チャド・ラフマン)。

彼らが心躍らせているのは、8月2日の再演初日が迫っているからです。
一目見ただけで鐘の音が聞こえ、もう一度見ればすべてを忘れてしまう──そんな気持ちになります!

『マンマ・ミーア!』──ABBAの楽曲をふんだんに使用したこのヒット・ミュージカル・コメディを一目見るだけで、建設作業員ですら『ダンシング・クイーン』を口ずさんでしまうほど。
そして、すべての人にとっての「逃避の場」としての評判こそが、この作品のブロードウェイにおける歴史の中で非常に重要な要素です。

24年前、当時新作だったこのショーは、どん底にあったニューヨーク市を持ち上げてくれました。
なんと、『マンマ・ミーア!』は9.11の同時多発テロから1か月も経たないうちに初演を迎えたのです。

*『マンマ・ミーア!』は、2001年9月11日の同時多発テロから1か月も経たないうちにブロードウェイで公演を開始した
(Getty Images提供)。

ミュージカルの英国人キャスティング・ディレクターで、タラ・ルービンとともにブロードウェイ版のキャスティングを監修したデヴィッド・グリンドロッド氏は、あの恐ろしい日をこう振り返ります。
「キャストたちはリハーサルの真っ最中で、『いったい何が起きてるんだ?』という状態でした。皆ショック状態だったんです」。

数日間、稽古は中断されました。しかし当時のルディ・ジュリアーニ市長が、プロデューサーのジュディ・クレイマーに「続けてほしい」と強く要請しました。

「確かに一度は『公演を中止すべきか?』と真剣に考えました」とグリンドロッド氏は言います。「でも、それはほんの一瞬でした。キャストもクルーも、皆が口をそろえて『ニューヨークのため、そして自分たちのためにやろう』と決意したのです」。

それは、非常にリスクのある決断でもありました。

今日では、『マンマ・ミーア!』がリスクと結びつけられることはありません。しかし、初期の段階では、このミュージカルはまさに「賭け」でした。

*2000年代初頭、オリジナルのストーリーを持つジュークボックス・ミュージカルは斬新なアイデアだった(撮影:ジョーン・マーカス)。

当時、「ジュークボックス・ミュージカル」でありながら、実在のミュージシャンの伝記ではない完全オリジナルのストーリーというのは、非常に奇抜で前例のないアイデアだったのです。

1999年にロンドンでの初演に向けてクレイマーからキャスティングを依頼されたグリンドロッド氏は、「なぜ今まで誰も思いつかなかったんだ?」と思ったと語ります。

キャサリン・ジョンソンの巧妙な脚本は、ギリシャの島でシングルマザーと暮らす若い花嫁が、父親候補である3人の男性を結婚式に招き、実の父親を見つけようとする物語です。そこにABBAの楽曲が絡み、波乱と笑いが巻き起こります。

課題は他にもありました。

当時のロンドンの主流は、アンドリュー・ロイド=ウェバーやアラン・ブーブリル&クロード=ミシェル・シェーンベルクによる、セリフのほとんどない“歌いっぱなし”の作品たち。
多くの俳優たちは、セリフを話すオーディションというものにすら慣れていませんでした。

「台詞を話せって?そんな経験ないよ!という俳優がほとんどでしたね」とキャスティング・ディレクターは振り返ります。

さらにアメリカでは──今では信じられないことに──ABBAの人気は当時それほどでもなかったのです。全米チャート1位を獲得したのは1977年の「ダンシング・クイーン」ただ1曲のみ。

*普段は辛口な演劇評論家たちも、ブロードウェイでの『マンマ・ミーア!』初日の後には絶賛の声を上げた(Getty Images提供)。

それでも『マンマ・ミーア!』への挑戦は続きました。
ロンドンの観客は熱狂的に受け入れ、いまも上演が続いています。
全米ツアーも大成功。そして、いよいよブロードウェイへ。
しかし、そこに9.11が起きました。
果たして、トラウマを抱えたニューヨーク市民が、ベルボトムのジャンプスーツや「スーパー・トゥルーパー」に心を躍らせるでしょうか?

答えは、「ディスコのように熱狂的に」でした。

『マンマ・ミーア!』は2001年10月5日にウィンター・ガーデンでプレビュー公演を迎えました。
その夜、観客は大歓声を上げました。

「本当に、本当に、本当にエキサイティングな瞬間でした」とグリンドロッド氏。「私たち全員に対する愛が満ちあふれていました」。

*この作品は8月2日にウィンター・ガーデン・シアターに戻ってくる(撮影:ジョーン・マーカス)。

批評家たちも絶賛の声を寄せました。

「この舞台は、ただ身をゆだね、バカバカしいほどの喜びに包まれる夜を与えてくれる」と、『ニューヨーク・ポスト』のクライヴ・バーンズ氏は書いています。

ブロードウェイ版『マンマ・ミーア!』は、1,000万ドルの制作費をわずか28週間で回収しました。当時としても驚異的なスピードでした。
この作品はウィンター・ガーデン劇場で12年間上演され、その後ブロドハースト劇場に移ってさらに2年間続き、最終的には6億ドルを稼ぎました。

観客たちは言いました。「音楽をありがとう。笑いをありがとう。そして、現実を忘れさせてくれてありがとう」。

「私たちは、9.11後に最初に開幕したショーでした。それは、あの悲惨な出来事の後にブロードウェイが再び動き出した象徴でした」とグリンドロッド氏。
「私たちはそこにいた。劇場はそこにあった。劇場は続いていた。決して止まらなかったのです」。

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