『マンマ・ミーア!』は、実はシェイクスピアの『テンペスト』をキャンプ風ミュージカルに変装させた作品だった
ABBAの楽曲を中心に構成された1999年のジュークボックス・ミュージカル『マンマ・ミーア!』は、世界中の劇場で大ヒットを記録し、その後映画化されて商業的にも大成功を収めました。
さらに、前日譚映画、没入型ダイニング体験、ファンフィクションなど、数多くのスピンオフ作品を生み出しています。
では、もし私が「この作品は実はシェイクスピアの『テンペスト』が姿を変えたものだ」と言ったらどうでしょうか。
『マンマ・ミーア!』と『テンペスト』は、どちらも一人親を中心に描かれています。
ドナとプロスペローです。
二人はともに幻想的な地中海の島に暮らしており、一人娘の結婚を控えています。
ソフィとミランダの結婚が近づくにつれ、親たちは過去の知人や、一世代前から続く複雑な人間関係と向き合うことになります。
そして、自分の感情を整理して前へ進むのか、寛大になって相手を許すのかという選択を迫られるのです。
二人の親はともに、娘の結婚を祝うための華やかなショーを演出します。
そこには歌や踊り、そしてきらびやかな衣装が盛り込まれています。
ドナとダイナモス(ドナの友人であるターニャとロージー)は、若い頃と同じように「スーパー・トゥルーパー」を歌いながら華やかにステージを彩ります。
一方プロスペローは、精霊アリエルに命じて仮面劇(マスク)を上演させます。
そこには歌い踊る妖精や収穫人たち、さらにローマ神話の三女神――ユノー、アイリス、ケレスが登場します。
この記事は「Rethinking the Classics(古典を再考する)」シリーズの一部です。
このシリーズでは、古典文学や芸術作品を新しい視点から読み解く方法を紹介しています。
いわば、「ひと味違う古典」の楽しみ方です。
『マンマ・ミーア!』の中でも特に感動的な場面のひとつが、ドナが娘の結婚を思いながらABBAの「スリッピング・スルー」を歌うシーンです。
劇場では観客の空気が一瞬で変わります。
ついさっきまで観客は一緒に歌い、踊り、笑顔にあふれていました。
しかし次の瞬間には、多くの人が涙を流しているのです。
人間関係の儚さというテーマは、『テンペスト』の最も有名な台詞のひとつにも表れています。
プロスペローは、アリエルに命じて上演させていた結婚祝賀の仮面劇を突然中断し、こう語ります。
我らは夢と同じ素材でできている。
そしてこの小さな人生は眠りによって閉じられる。
(We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.)
またプロスペローは、フェルディナンド王子を島へ漂着させ、ミランダと恋に落ちて結婚するように仕向けるため、自ら嵐(テンペスト)を起こしました。
彼は娘に向かってこう語ります。
私はただお前のためだけに行動してきた。
愛する娘よ、お前のために。
(I have done nothing but in care of thee, of thee, my dear one, thee, my daughter.)
しかし、その愛情深い行為によってこそ、ミランダは新たな人生へ歩み出し、プロスペローのもとを離れていくのです。
『マンマ・ミーア!』を念頭に置いて『テンペスト』を見ると、この作品は家族の物語として姿を現します。
現代では『テンペスト』の中心テーマは、支配者と奴隷の関係や、植民地主義に伴う権力構造だと考えられることが多くなっています。
もちろん『マンマ・ミーア!』にはアリエルや奴隷のキャリバンに相当する人物はいません。
それでも、同じ1999年に初演されたミュージカル『ライオン・キング』が、『ハムレット』の翻案作品として広く認識されていることを考えると、この解釈も決して突飛ではありません。
『ライオン・キング』も主要人物の多くが省略されているにもかかわらず、『ハムレット』を現代的に再構築した作品として受け入れられています。
さらに、プロスペローを女性として演じる場合、『マンマ・ミーア!』との共通点はより明確になります。
少なくとも1984年にヴァレリー・ブラデルが母親としてプロスペローを演じて以来、多くの女性俳優がこの役に新たな解釈を与えてきました。
近年では母性的なプロスペロー像が目立っています。
ジュリー・テイモア監督による2010年の映画版『テンペスト』では、ヘレン・ミレン が「プロスペラ」という女性版プロスペローを演じました。
2023年には アレックス・キングストン が ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー で同役を演じ、2024年には シガニー・ウィーバー が舞台に立っています。
『マンマ・ミーア!』の中に『テンペスト』を見ることは、このシェイクスピア作品のクィアな側面を浮き彫りにすることにもつながります。
『マンマ・ミーア!』はキャンプ文化、厚底靴、ライクラ衣装などを楽しげに取り入れています。
また、ソフィの父親候補の一人であるハリーは、クィアな男性キャラクターとして描かれています。
『テンペスト』に登場するアリエルもまた、ジェンダーを自在に横断する存在です。
彼はプロスペローの命令で舞台を演出し、歌い、音楽を奏でます。
そして男性の姿から女性のハーピーへ、女神ケレスへ、海の妖精へと姿を変え、再び男性へ戻るのです。
『マンマ・ミーア!』の演出家 フィリダ・ロイド は、長年にわたりシェイクスピア作品を女性中心の物語として再解釈してきました。
著者は演劇研究者デイヴィッド・ブレンとの共著『Shakespeare in the Theatre: Phyllida Lloyd』で、このテーマを詳しく論じています。
ロイドの女性中心のシェイクスピア演出は、1990年の『冬物語』までさかのぼることができます。
そして『マンマ・ミーア!』の後には、2003年に Shakespeare’s Globe で全員女性キャストによる『じゃじゃ馬ならし』を上演し、大きな話題となりました。
主演は ジャネット・マクティア と キャスリン・ハンター でした。
その後、「女性だけのシェイクスピア三部作」と呼ばれる作品群が続きます。
- 『ジュリアス・シーザー』(2012年)
- 『ヘンリー四世』(2014年)
- 『テンペスト』(2016年)
これら3作品はすべて、女性受刑者たちが上演しているという設定で演じられました。
『マンマ・ミーア!』は一見すると、こうした経歴の中では異色の作品に見えるかもしれません。
しかし、より深く見ていくと、それもまた同じ流れの中にあることが分かります。
キャリアを通じてシェイクスピア作品を大胆に再解釈し、女性たちの声を舞台の中心へ押し上げてきたフィリダ・ロイドにとって、『マンマ・ミーア!』を『テンペスト』のリミックス作品として捉えることは、決して不自然なことではないのです。
※『テンペスト(The Tempest)』 は、ウィリアム・シェイクスピア が1610年頃に執筆したとされる晩年の代表作で、日本語では『あらし』とも訳されます。
「テンペスト(Tempest)」とは英語で大嵐という意味です。
あらすじ
主人公のプロスペローは、かつて ミラノ公国 の公爵でしたが、弟の裏切りによって幼い娘ミランダとともに海へ追放されます。
二人は無人島に流れ着き、そこで暮らすことになります。
年月が経った後、プロスペローは魔法の力を使って大嵐(テンペスト)を起こし、自分を追放した人々の乗った船を島へ呼び寄せます。
そこで復讐を果たすのか、それとも許しを選ぶのか――という物語です。
主な登場人物
- プロスペロー
- 元ミラノ公爵
- 魔法使い
- ミランダの父
- ミランダ
- プロスペローの娘
- 純真な少女
- フェルディナンドと恋に落ちる
- アリエル
- 精霊
- プロスペローに仕える存在
- 歌や魔法で物語を動かす
- キャリバン
- 島の先住民
- プロスペローに支配されている
- 現代では植民地主義の象徴として論じられることが多い
- フェルディナンド
- 王子
- ミランダと恋愛し結婚する
テーマ
『テンペスト』には次のようなテーマがあります。
- 許しと和解
- 親子の愛情
- 別れと成長
- 権力と支配
- 自由への願い
- 幻想と現実
特に最後にプロスペローが復讐を捨てて和解を選ぶ場面は、シェイクスピア作品の中でも非常に感動的な結末として知られています。
『マンマ・ミーア!』との共通点
今回の記事が指摘しているのは、
| テンペスト | マンマ・ミーア! |
|---|---|
| プロスペロー | ドナ |
| ミランダ | ソフィ |
| 島が舞台 | 島が舞台 |
| 娘の結婚 | 娘の結婚 |
| 過去の恋愛と再会 | 過去の恋愛と再会 |
| 親が娘を送り出す | 親が娘を送り出す |
| 許しと和解 | 許しと和解 |
という驚くほど多くの共通点です。
そのため、記事の筆者は
『マンマ・ミーア!』はABBAの曲で作られた現代版『テンペスト』なのではないか
という新しい解釈を提案しているのです。
ABBAファンの視点で見ると、ドナが「スリッピング・スルー」を歌う場面は、『テンペスト』でプロスペローが娘ミランダを送り出す場面と重なって見える、というのがこの記事の核心です。
https://theconversation.com/mamma-mia-is-shakespeares-tempest-in-campy-musical-disguise-283513


